2012年5月18日

『佐高信の読書日記』・・・

 佐高本.jpeg 

 昼頃、一転し黒雲に覆われ雷雨となったが、今は青空である。

 まだ風だけは強く吹いている。

 例によって、昼をさっさと済ませて、馬場口を早稲田方面に下った。

 ある古本屋の百円コーナー、『佐高信の読書日記』に目が止まった。

 社会思想社の教養文庫から出ていた本である。

 佐高信は言わずと知れた本誌「甘口でコンニチハ!」の主人である。

 自ら「改めてこの本が私の原点となっていると思った」とある。

 教養文庫には数々の思い出がある。

 廃業してしていまは出ていない本なので値が高くなっている本も多い。

 『戦後の俳句』『戦後の短歌』『日本の映画』や『芭蕉名句』『現代詩を求めて』など、

 けっこう世話になったことは覚えている(中味はすべて忘却・・)。 

 『読書日記』の最初の部分に、カバンの中に弁当のほかにいつも三、四冊の本が入っていて(種類が違う)、そのなかに山本健吉『現代俳句』や近藤芳美『無名者の歌』、真壁仁『旅の随想集』が座右の書としてあるという件のあとに、中井英夫『黒衣の短歌史』は確実に四度は読み返し頬擦りしたい愛着の書であると、あった。

 潮新書で出ていたこの本は、中井英夫存命中にワイズ出版から『増補 黒衣の短歌史』として出版された。そのときに、愚生は、今の若い人たちにはよく分らないことがあるだろうと、その本の下段部分に配することになった注の項目のほとんどを手伝って書いたのだった(懐かしい思い出だ)。

 また『読書日記』の「あとがき」に『出版ニュース』編集長・清田義昭氏の手によって、この本が出ることになったと記されてあり、その清田氏にも愚生の若い自分に、いくつかの場面でお世話になっている。

もともとが、佐高氏に直接お会いした最初は、過労死110番の川人博弁護士の事務所開きのときである。

佐高氏はもちろん覚えておられないだろうが、当時はまだ愚生は地域ユニオンの活動をしていて、愚生の労組が刑事弾圧を受けたときの弁護団のうちの一人が川人弁護士だった。まだ弁護士になって日も浅い駆け出しの頃、一緒に行動的し、随分と世話になった。あれから30年が経過している。

 「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」・・・とはいえ、必敗とわかっていても戦わなければならない場合もある。

 花に嵐のたとえもあるが、世の中、なかなかうまくはいかない。嗚呼・・・

陽のばら.jpg肉色の薔薇.jpg

 

   赤い十字架 ぎな残るがふのよかと       恒行

             (運のいい奴が生き残る)

 

赤い十字架 002.jpg

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2012年5月17日

褒めるほうが楽?・・・

五月の花vol.6

 今日の編集部は、編集長とスタッフ松本は、8月号のための辺見庸氏のインタビューに朝から出かけている。

 とりわけ3.11以後の彼の発言は重く、深い。自らの全存在を賭けて、するどく発言されている。

 それは、最近の大道寺将司全句集『棺一基』の長文の序、跋にもうかがわれる。

道の花上野ほかvol.4

ともあれ、今日は、編集部に送られてきた「円錐」第53号・編集後記の今泉康弘氏の記事に触れたい。

 氏は、名画座でよく映画を見るのだが、最近は始終菓子を食べたりうるさい音を立て続ける者が増えて、以前は、そうした人に「うるさい!静かにしろ!」と叱る人がいたが、いまは叱る人もなく、傍若無人な行為が増えたと歎いた後、「俳句について言えば、俳句総合誌の作品がつまらいのは、『つまらないぞ!』とハッキリ言わず、ほめ合いに終始しているからだろう。真剣に批判するのはシンドイ。とにかく褒める方が楽だ。そのことを最近になって身にしみて知った」とある。

 氏は現在、本誌「新作巻頭3句鑑賞」を連載していただいている。氏が映画好きと言っているくらいだから、映画のこともよく出てくる。精一杯の批評を試みていることも文中から伝わってくる。確かに辛口な部分もあるが、それは、氏が日常的な感懐に句の表現レベルを流してしまわないで、俳句形式がつちかってきた表現史のなかで、一句がどのように置かれているかを常に念頭に置いているからだろう。

 3月号現代俳句協会特集の鑑賞では、金子兜太、宇多喜代子作品にもよく切り込んでいる(6月号・5月25日発売予定)。

 それでも、本誌・第12回俳句界評論賞授賞の期待される若き批評家として、根底には俳句に対する並々ならぬ愛情をもって、切り込んでいるので、気持ちが良い。

 まして、俳句の読みが間違っていて、的外れになっているわけではないし、むしろ一句の的に向かって引き絞られている、といえよう。

 それが氏に「真剣に批判するのはシンドイ」という言葉をもたらしたのかも知れない、などと、思ってしまった。

 氏は、自らも俳句を書くので、なおさら、自身に刺さる矢として感じているのだろう。

 しかし、本誌のこの連載はなかなか好評なのである。

 その「円錐」には「エリカはめざむ」という渡邊白泉論が連載されおり、厳密な調査と遺族の方々への取材をふくめて、白泉の戦後、亡くなるまでの沼津時代をよく描出していたが、11回目の今回でひとまず終了、機会があれば戦前の白泉も書きたいという意思があるようだ。

 さいごに「褒めるほうが楽だ」とあったが、褒めるのもこれまたなかなかシンドイものだ、というのは、も少し年齢を加えてからであろうか。

 何時の時代も、「物いへば唇寒し秋の風 芭蕉」なのだ。この句には、実は前書が付いている。

 それは「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」。

 元は中国の文らしい。「唇寒し」は「唇亡びて歯寒し」(「春秋左伝)によるとか。

小金井道の花vol.3

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2012年5月16日

透谷忌・・・

小金井道の花vol.4

 今日は、詩人にして評論家、作家でもあった北村透谷の亡くなった日だ。

 本名は門太郎。数奇屋橋に住んだので、もじってペンネーム「透谷(すきや)」が元になったらしい。

 ともあれ、北村透谷は1894年に自殺、25歳4ヶ月だった。

 みどりご

 ゆたかにねむるみどりごは、
      うきよの外(そと)の夢を見て、
 母のひざをば極樂の、
      たまのうてなと思ふらむ。
 ひろき世界も世の人の、
      心の中(うち)にはいとせまし。
 ねむれみどりごいつまでも、
      刺なくひろきひざの上に。

 書簡の句に、

    のぼる日も入る日も尽きぬ千松島        門太郎

 

小金井道の花vol.5

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2012年5月15日

企画会議・・・

小金井道の花vol.6

 編集長出張の合間をぬって、今日は9月号の企画会議を午後から行った。

 編集長がそれらをうまく取りまとめて企画書にして、九州本社の社長に提出する。

 そのままオーケーが出れば、それで万々歳だが、だいたいはそうは問屋が卸さないのである。

 多くは社長からの注文がつく。

 そうすると、再度練り直して提出ということになるのだ。

 さらに、どれを第一特集するか、第二特集にするかなどやりとりが続く。

 世代論はあまり意味がないとは思うが、それぞれに歩んできた人生の表情が出る。

 社長の世代と愚生の世代、編集長の世代、さらにはスタッフの世代、俳句の読みも違う場合がある。

 企画の執筆依頼のための人選も、候補に上げる人が違うのも当然だ。

 もちろん最終的には、社長の判断がものを言う。

 ともあれ、こうしたあれやこれやをクリヤーして、編集長は明日の宮坂静生氏グラビア撮影のご自宅に伺うために前日入りで、さきほど社を出た。

 スタッフ三東は日本文藝家協会の総会・懇親会の取材に出かけた。

小金井道の花vol.7

 

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2012年5月14日

折丁(おりちょう)・・・

小金井道の花vol.9

 本日朝は、6月号の折丁の校正をした。折丁というのは、本を製本するために印刷された紙をページ順になるように折ったもので、一般的には16ページごと、もしくは32ページ折りになっている(折本)。

   これが終わると文字通り校了になって、あとは印刷製本がされて来るまで待っていることになる。

 編集長はセレクション結社で泉田秋硯氏のところへ(関西)。スタッフ三東は深見けん二氏のグラビア撮影に同行している。

 さて、今日は斎藤茂吉生誕130年、誕生日だそうである。

  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり  茂吉

  あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

小金井道の花vol.8

 

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