2010年8月のブログ記事

2010年8月30日

残業中の机です。

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八月も終りの山にのぼりけり   今井杏太郎

 

手元に資料がないので、表記が正しいか自信ありませんが、この時期になると思い出す一句です。

この句をつぶやくと、昔、お盆の頃、父や母と行った群馬の水上温泉を思い出します。

駐車場を出ると、真後ろの山がヒグラシの大合唱でした。

周囲の山からもヒグラシが鳴き、山々で呼び合うかのようでした。

ヒグラシの声はどこか寂しげで切なくなります。

この句は一言で言えば「夏惜しむ」ということ。

夏を惜しむとは、命を惜しむことなのだと教えてもらった一句です。

 

さあ、そろそろ帰り支度をしましょうかね。

まだまだやることはいっぱいありますが・・・。

明日の夕方から群馬に出張(竹久夢二俳句大会)です。

旅支度もしなきゃいけないし・・・。

 

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2010年8月26日

戦後俳句のゆくえ

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先日、8月21日(土)、猛暑の中の江東区芭蕉記念館・第20回口語俳句フォーラム「戦後俳句のゆくえ」に出かけた。

芭蕉記念館は、地下鉄都営新宿線森下駅からは、遠くなく約7分、分かり易い道のりのはずなのに、いつも迷う。たぶん地下鉄出入り口をいい加減に出てしまうからだろう。

もっとも、僕は、昔から、いつも必ず、真直ぐ、まともに辿り着けない場所がいくつか存在する。芭蕉記念館もその一つだ。

というわけで今回の稲の写真はその迷った道の途中にあったもの・・・・。ふと、

  空へゆく階段のなし稲の花     田中裕明

を思い出した。

フォーラムの方は、約50名満席で、基調講演の川名大「戦後俳句の軌跡」、その後、伊丹啓子、五島高資、須藤徹、吉平たもつ各氏を交えての討論。司会は田中陽。戦後も65年、俳句表現史としての成果をキチンと位置づけてみせた川名大氏ではあったが、さすがに近年の平成俳句への位置付けまでは、短時間では触れる余裕はなかった。

それでも、平成もすでに22年、戦後で言えば、社会性俳句も前衛俳句運動もすでに終焉を迎えていた年数にあたる。

平成時代に残されたものは俳句表現技術のみなのであろうか。

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2010年8月25日

9月号発売です!

おはようございます。

本日は25日。「俳句界」の発売日です。書店で見かけたら、是非お手にとってみてください。

今月も読み応えのある「俳句界」です。

個人的に一番興味深かったのは、「魅惑の俳人 石橋秀野」。女性俳人、しかも戦中を生き抜いた方の句は、ずっしりと胸にきます。

今回は論考も写真もたっぷり掲載。ご一読ください。

「俳句界」9月号の特集内容は、こちらからご覧になれます。

 

http://www.bungak.com/haikukai/

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そんな9月号の表紙。この黄色が目印です!

岡本光平さんの書が涼しげですね。
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2010年8月23日

岡本光平さん来社

書家で、月刊「俳句界」の表紙の書を担当してくださっている岡本光平(おかもと・こうへい)さんが来社。

10月号から12月号までの書を持ってきてくださいました。

この間、個展をニューヨークで3ヶ月開催した他、今度、現代アート書作家協会設立など結構多忙なご様子。

書作家協会も会員ではなく、指導者、顧問としての参加らしく、のんきな私は「へえ~、この先生結構偉いんだ~」と内心感心しきり。

最近は書家というよりも、特に外国ではアーティストと評価されているようです。

そういえば俳人で書家でもある磯貝碧蹄館先生が、岡本さんを絶賛していたっけ・・・。

そんなえらい先生にものすごい残暑の中をわざわざ来ていただきました。

岡本先生ありがとうございます。

ちなみに設立パーティーは22年9月27日青山ダイアモンドホールにて行われる(写真)。

それから岡本先生は、

9月16日(木)PM10:00~ NHK総合 「みんなでニホンGO!」に出演

10月27日発売 「男の隠れ家」(12月号)に掲載されています。

ぜひごらんになってください。

 

それから碧蹄館先生といえば、25日発売の9月号に「日本幻想録」という作別作品21句が載っています。

私、これ好きでしたね~。

日本の歴史を21句で表現した渾身の野心作で、さすがは鬼才・碧蹄館という感じです。

アマテラス、ヤマトタケルから始まり、天智天皇、光源氏、鼠小僧次郎吉、真田幸村などから終戦、浅間山荘事件、三島由紀夫自殺など、読んでて圧倒される作品群です。

こういう野心を、特に若い俳人に持ってもらいたいですね~。

 

25日発売ですのでぜひ読んでください。

 

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2010年8月20日

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啓蟄の水あふれをり最上川    森 澄雄

 

私が俳句を始めた頃、しきりに感心した句である。

自分にとって、俳句開眼をさせてくれた句のうちの一句である。

 

人間はこの広大な宇宙の中の一点。

人間の生もまた、永遠に流れて止まらぬ時間の中の一点に過ぎない。

俳句もまたその虚空と流れる時間の、今の一瞬に永遠をとらえる大きな遊びである。

 

注目したいのは「大きな遊び」という点。

これは僕らが普段使っている「遊び」とは次元が違う。

遊びには利害が無い。

遊びなのだから自分の考えや信念を曲げる必要も無い。

俳句は大きな遊び。

だからこそ命を賭けることができるのだろう。

澄雄先生は、

 

人間の小さな理屈や学を捨てれば、こんな贅沢な遊びはない。

 

とも言った。

高濱虚子は、弟子に虚子が亡くなったあと俳句はどうなるか?と問われた時、「月並に戻るでしょう」と言った。

澄雄先生亡きあとは、きっと理屈の俳句が増えるのであろう。

それを憂いて先生は好々爺になることを拒み、年下の俳人にも堂々と論争をしたのではないか。

先生の遺志、唱えたいた俳句の大きさ、豊かさというものはわれわれは大事にしていきたいものだ。

 

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに

炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島

はるかまで旅してゐたり昼寝覚

妻がゐて夜長を言へりさう思ふ

われもまたむかしもののふ西行忌

 

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2010年8月19日

特別企画・澤好摩特集

2010ooi500.jpg澤好摩・・・知る人ぞ知る伝説の俳人。かつて小林恭二が[澤好摩伝]を書いたことがある(ずいぶん昔なので題名を失念)。

12月号でその特集を企画している。題して「俳句研究を陰で支えた俳句魂!」(仮題)。

俳人としての澤好摩は、昭和19年、東京都城東区(現江東区)生まれ。東洋大学の学生時代に坪内稔典らと全国学生俳句連盟を結成。

その坪内稔典、伊丹啓子、攝津幸彦、大本義幸、立岡正幸などと「日時計」という同人誌を創刊し、文字通り1960年代末から70年にかけての新しい俳句シーンを切り開いてきた。

僕が最初に澤好摩に会ったのは、代々木上原の公民館で行われていた「俳句評論」の句会。僕が22歳の時だった。

句会が終わると近くにあった高柳重信・中村苑子宅、いわゆる「俳句評論」の発行所にお邪魔することになった。その最初の出会いに、澤好摩、そして、同年代の横山康夫がいたと思う。

その後、僕は「俳句評論」に入ることはなかったが、その句会を通して多くの先輩俳人にお会いした。三橋敏雄、そして、夫人の三橋孝子、折笠美秋、寺田澄史、松崎豊、大高弘達、高橋龍、三谷昭、福田葉子、津沢マサ子、太田紫苑、松岡貞子、川名大、大岡誉頌司、当時、まだ学生だった高柳重信の娘・高柳蕗子など、貴重な時間をいただいた。

澤好摩は、「俳句研究」高柳重信編集長時代の社員として、よく補佐し、高柳重信亡き後、富士見書房に売却されるまでは、藤田湘子・高屋窓秋・阿部完市・三橋敏雄の共同合議編集時代の実務を陰で支えていた。

    空たかく殺しわすれし春の鳥      好摩

   ものかげの永き授乳や日本海      〃

1978年、20歳代のみを参加基準にした俳誌「未定」が創刊された。発行人澤好摩、編集人夏石番矢であった。現在、澤好摩は「円錐」発行人である。

 

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2010年8月18日

訃報

本日、森澄雄先生逝去、とのニュースが舞い込みました。

榎本好宏先生より、編集長への直電。編集部に衝撃が走りました。

その後も、方々から電話があったりかけたりと、慌ただしい一日となりました。

戦後の俳壇を代表する俳人であり、教科書でも名前を見たことがありました。

弊社の山本健吉文学賞の選者を長年務めていただき、大変お世話になった先生でした。

 

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〈はるかまで旅してゐたり昼寝覚 澄雄〉

弊社に飾ってある、先生の書です。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

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2010年8月12日

13日(金)~16日(月)まで夏期休業です。

 

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(神奈川県逗子海岸)

 

おしらせ

「俳句界」編集部は明日13日(金)から来週月曜日16日(月)まで夏期休業になります。

 

書籍編集部も同様です。

ご迷惑をおかけしますが、よろしくおねがいします。

みな十分に休養を取り、パワーアップしてきます。

みなさまもよい夏(もう秋か・・・)をお過ごしください。

 

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2010年8月12日

ジュニア俳句祭/俳句と友だちになろう♪

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先日、8月7日、江東区教育センターで行われた現代俳句協会「ジュニア俳句祭」に行ってきました。

事前投句の「第7回現代ジュニア俳句コンクール」大賞には、横浜市立洋光台第二小学校・伊東佳澄君の「ころもがえ地球全体軽くなる」が選ばれました。

 当日行われた俳句祭は、北大路翼・刈谷かりんの司会、私立日本橋女学館小学校の生徒たちのお手伝いで賑やかに楽しく進行。

 

  海風にあたった私はしょっぱいな    (小5)八名川小・清水萌

 扇風機家族の目玉皆回す    ( 6)港南台第三小・稲垣公太

 てのひらに爪あと残るきもだめし (中1)千葉市立新宿・細川遙加

 海の道くらげ魚の大じゅうたい (小6)洋光台第四・佐々木悠梨枝

来賓の江東区教育長の高橋三喜男氏が選んだ句は、「陽炎で揺れるは私の心かな」(中3)岡田七海さん。挨拶では、芭蕉や鬼貫に縁の深い、この地域で子供たちの俳句が盛んになるのは楽しみなことと述べられていた。

 

 ジュニア俳句祭の帰りに、東京駅オアゾの丸善に行つて月刊「俳句界」をチェック。見上げると、「松丸本舖」の看板。なんだ?と思えば、早い話が松岡正剛の選ぶジャンルを越境してのコーナーを丸ごとお店にしてしまったという趣向。題して丸善主宰・松岡正剛編集「男本・女本・間本」。4階までエスカレーターでその松丸本舖へ・・・鎮座?していたのが件の人形(写真)で~す。人形本も満載。

 ジュニア俳句の楽しい、けなげな雰囲気から一気に異界へいざなわれたのでありました。

 ところで、明日13日から16日まで、小社は夏休み。

 短い夏ももう終わり・・・

 正剛氏に一句獻上。

   松ヶ岡 正しき剛の像に南風    恒行

 

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2010年8月11日

蝉時雨

今日も暑いですね。
と、毎日飽きずに言ってしまいます。

駅まで歩いていく途中にケヤキ並木があるのですが、朝から蝉が鳴いていました。
青々と繁っている木々の上のあたりから、降ってくるように聞こえてくるので、思わず「お、蝉時雨」と思ってしまいました。
まだ、季語の知識が不十分なのですが、このくらいは思い浮かびます(笑)。

「蝉時雨」という言葉を作った人は凄い、としみじみ思います。
鳴きたてる声を「時雨」とあらわす。この想像力の豊かさに恐れ入ります。

連想して思い出すのは、藤沢周平の『蝉しぐれ』。
実は原作を読んだことはないのですが、以前映画で見たことがあります。
確か、「庄内藩がモデルなんだよね。見に行こうよ」と妹に誘われて行ったような......?
青春期を山形県で過ごしていたので、なんとなく「山形」に通じるものに弱いわけです。何しろ、「山形」って題材にされること少ないし......。

さて、見に行った『蝉しぐれ』はよかったです。
主題としては、政争(お家騒動)、江戸の奥に上がった幼馴染のおふくとの道ならぬ恋、なのですが、一番印象に残ったのは、少年期の子役の二人でした。(というか、ほかはすでに曖昧......)

切腹を命じられた父を台車に乗せ、一人で屋敷まで引っ張っていく文四郎。
それに無言で走りよって、後ろから押すのを手助けするおふく。
木々が頭上に覆いかぶさっているような坂道を、言葉を一切交わさずに押していく。
この情景だけが鮮やかに残っています。
覚えていないのですが、このときバックに流れていたのは蝉の声だけだったような気が。
音楽が入っていたのかもしれませんが、無音のイメージです。

蝉の鳴き声というのは、確かに響いているのに、静寂さを感じさせますね。
まさに、〈閑さや巖にしみ入る蝉の声〉という感じ。
これも山寺、山形でした。よく散歩に行きました。

なんだか思い出話で取りとめの無い内容になってしまいましたが、「よし、俳句ネタになった」とにやりとして終わります。

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2010年8月 9日

本日、9月号校了です。

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おはようございます。

編集長の林です。

 

金曜日は鎌倉ぼんぼり祭りに行ってきました。

「鹿火屋」の原和子先生に教えていただいた鎌倉鶴岡八幡宮の夏越行事です。

参道に大きな茅の輪があり、その周りに数百のぼんぼりが立てられ、そこに養老孟司、石原慎太郎、みのもんた、岡田武志など(おそらく)湘南出身の有名人が言葉や絵などを自由に書いてあります。

俳人では原和子先生や星野椿、高士、坊城中子先生のぼんぼりを見かけました。

日が暮れると巫女さんが一つ一つぼんぼりに火を入れていく姿は、とても涼やかです。

 

頼朝の宮の茅の輪をくぐりけり    椿

 

(よりともの みやの ちのわを くぐりけり)

 

の句が印象的でした。

とにかく暑い一日でしたが、夜のライトアップされた八幡宮はとても素敵ですよ。

鎌倉の夜もなかなかいいものだな、と思いました。

 

さて、今日は9月号校了日です。

まだまだ気を抜くわけにはいきませんが、なんとなく晴れ晴れした気分です。

ここのところの暑さにはうんざりなので、表紙は少しでも涼やかな色にしたいと思いました。

ただ、あんまり色が薄いと、書店で目立たないこともあるので、その辺は悩みますよね。

どぎつくすればいいわけでもないし・・・。

 

これからひたすら校正です。

 

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2010年8月 6日

黒い雨

つい先日、出口善子さんの新句集『羽化』に「たたまれて弔旗のごとし黒日傘」の句があって、あらためて「弔旗」って、何だろうと思って調べていたら、偶然に本誌「め~る一行詩」や「雑詠欄」などに投句されている宇井偉郎さんの「議事堂に弔旗はなくて樺の忌」の句を発見した。この句、もともとは「日経俳壇」の入選句らしい。実にいい句です。

「樺の忌」はいうまでもなく樺美智子の忌(6月15日)、すでにその名を知らない世代も多いだろう。僕が小学5~6年生の頃だったと思う。樺美智子は安保反対闘争のデモで国会議事堂南通用門での警官隊との衝突で死亡した。あれから50年の月日が流れたのだ。

アララギの歌人であった土屋文明が、樺美智子の死を悼んで詠んだ歌は「一ついのち億のいのちに代わるとも涙はながる我も親なれば」。

 65年前の本日は黒い雨の降った日。すなわち一句。

 八月六日いつも晴天 雨黒し     恒行

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2010年8月 5日

本日部決です!

改めまして、こんにちは。

編集部スタッフの松本です。

編集部の中では私が一番の新参者でして、まだ一年にもなっていません。

俳句も全くの初心者ですので、小倉デスクと一緒に、編集長、大井顧問が繰り出す専門的でコアな話に突っ込んでいます。「いやそれ、もっとわかりやすく!」と。

 

雑誌作りにかかわってから、本屋に行くとついつい、「俳句界」が出ているかどうかチェックする癖がついてしまいました。

家から一番近い本屋にもちゃんと搬入されているのですが、なぜかいつまでも「俳句界」が居座っています。

ぜひともがんばっていただきたい、と寄るたびにエールを送っているのですが、はてさて......。

 

ただいま、9月号を鋭意製作中です。

本日は、その部数を決定する会議を、編集長、大井顧問と行う予定です。

数字でしっかりはっきり変動が見えるので、この日は特に、「売っていくにはどうしたらいいだろう」という話題が出ます。ちゃんと出ます。

これからその資料作りをします。

さて、今月はどうなるのでしょう。

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2010年8月 3日

「俳句界」ブログ始めます!

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おはようございます。

月刊「俳句界」編集長の林です。

編集部でもブログを始めることにしました。

 

読者のみなさんから、編集部の実態(?)、裏話(?)、苦労話を聞きたい、という声があり、まあ、あんまりきわどい話はできませんが、編集部の日常をみなさんにお話させていただこうと思います。

 

さて、簡単に私、林の自己紹介をさせていただきます。

この会社に入って2年半。

「俳句界」編集長になってもうすぐ2年になります。

俳句は25歳から始めたので、もうすぐなんと!20年になります。(あ~僕も年をとったもんだ!)

これまでに『ブリッジ』をいう句集を出しています。

ちなみにこれで俳人協会新人賞をいただきました。

そろそろ第二句集を、考えているんですがなかなか・・・・・・。

 

この業界ももうかれこれ15年くらいになります。

現在は自称、日本一かるい俳句総合誌編集長です。

以前は自称、日本一腰の低い俳句総合誌編集長でしたが、最近、強力なライバルがあらわれて、「日本一かるい」に方向転換しました。

これからいろいろお話させていただきますので、よろしくお願いします。

 

写真は会社の最寄り駅にあるBig Boxです。

高田馬場の象徴的な建物です。

毎日、これを横目に見ながら出勤しています。

今日は朝からものすごい暑さ。

会社までゆるい上り坂が続くのですが、早くも汗だくになって出勤しました。

 

 

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