2010年8月20日

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啓蟄の水あふれをり最上川    森 澄雄

 

私が俳句を始めた頃、しきりに感心した句である。

自分にとって、俳句開眼をさせてくれた句のうちの一句である。

 

人間はこの広大な宇宙の中の一点。

人間の生もまた、永遠に流れて止まらぬ時間の中の一点に過ぎない。

俳句もまたその虚空と流れる時間の、今の一瞬に永遠をとらえる大きな遊びである。

 

注目したいのは「大きな遊び」という点。

これは僕らが普段使っている「遊び」とは次元が違う。

遊びには利害が無い。

遊びなのだから自分の考えや信念を曲げる必要も無い。

俳句は大きな遊び。

だからこそ命を賭けることができるのだろう。

澄雄先生は、

 

人間の小さな理屈や学を捨てれば、こんな贅沢な遊びはない。

 

とも言った。

高濱虚子は、弟子に虚子が亡くなったあと俳句はどうなるか?と問われた時、「月並に戻るでしょう」と言った。

澄雄先生亡きあとは、きっと理屈の俳句が増えるのであろう。

それを憂いて先生は好々爺になることを拒み、年下の俳人にも堂々と論争をしたのではないか。

先生の遺志、唱えたいた俳句の大きさ、豊かさというものはわれわれは大事にしていきたいものだ。

 

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに

炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島

はるかまで旅してゐたり昼寝覚

妻がゐて夜長を言へりさう思ふ

われもまたむかしもののふ西行忌

 

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