2010年10月18日

東京新聞「大波小波」に「俳句界」10月号が紹介されました。

10月7日東京新聞「大波小波」に「俳句界」10月号を取り上げていただきました。

「大波小波」には今までにも取り上げていただいたことがあり、感謝です。

内容を紹介させていただくと、「風格なき文人俳句」と「いうタイトルで、10月号の文人俳句特集のことを取り上げていただいております。

文人俳句の系譜、流れを掴むのに有用、文人俳句を余技視する評価は差別である、という疑問を呈しながらも、文人俳句を客観展望できる好編集と評価していただきました。

その上で、執筆者である「やせ蛙」さんは、万太郎、犀星、龍之介の俳句とともに掲載した、現代の文人俳句の風趣・風格のなさを嘆いておられます。

特に詩人の句がひどいが、作家の句も同様である、と述べ、具体的な作品も上げておられました。

全体的に小誌のよい点も悪い点も指摘していただき、とてもありがたい、と感謝の気持を述べさせていただきます。

その感謝の気持を前提にして一点、異論を申し上げたいのです。

「やせ蛙」さんは作家の低調な句として、

 

今日もまた未練の色や秋の暮   森村誠一

思ひ出すことあるでしよと雪柳    眉村 卓

 

などをあげ、「いやはや児童の作文にも劣るこの気楽さ加減」と述べておられましたが、私は特に眉村さんの作品について、そうは思わないのです。

この句は「思い出すことあるでしょ」と雪柳が語っている、という句意ですが、しかし、本当にこの言葉を投げかけたのは雪柳ではありません。

作者に聞いたわけではありませんが、私は、この声の主は、先年亡くなられた眉村さんの奥様だと思うのです。

同氏の同じ作品に、

 

亡妻と来し税務署の遅桜

 

というのがあります。

奥様を亡くされ、一人、この世に残された眉村さんに、奥様が呼びかけたのだ、と思いました。

そこは二人がよく歩いた川原かもしれません、また、自宅のお庭かもしれません、いずれにしても二人にとって思い出の場所なのです。

そこで奥様が、あの世から、思い出すことあるでしょ、とやさしく呼びかけているのです。

そう思った時、私は感動しました。

 

もちろん、私の読み方は一句独立に反する、俳句は17音だけで鑑賞すべきであるから私の読みは深読みだと言うかもしれません。

また、私の鑑賞に従ったとしても、そのような感情は陳腐である、と考える人もいるでしょう。

でも、道を散策し、雪柳を見つけ、そこに屈み、この句を呟いて欲しいのです。

私はそれぞれの人がそれぞれの大切だった人を思い浮かべ、その声を聞くだろうと思うのです。

名句だとは言いません。

でも、この句は私は味わいのある句で、決して「気楽」なものではないと思うのです。

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コメント(4)

  

 いつも楽しく拝見いたしております。
 編集のお仕事はたいへんそうですね。
 ところで、〈思ひ出すことあるでしよ雪柳〉の俳句は、
上五中七の「思ひ出すことあるでしよ」と下五の「雪柳」の間には「切れ」があるのではないでしょうか? 
 二人で歩いていて、眼前の「雪柳」を見て、一人が「思いだすことがあるでしょ」と言われた景と取ることもできるではないのかと思われました。二人の思い出の契機として「雪柳」があるように私は感じました。
 つまり、取り合わせの句として読むことも可能かと思います。
 編集長、いかがなものなのでしょうか?
 

  

 編集長様

どうもありがとうございます。
奥様の化身として、雪のような白い花の「雪柳」があるのでしょうね。ちなみに雪柳の花言葉は「愛嬌」だそうです。
きっと奥様は、愛らしく可愛い方だったのでしょうね。 
句に前書でもあるとわかりやすくなるのかと思います。

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