2010年10月13日

南風忌

img101013.jpg 10月13日は攝津幸彦が亡くなった日だ。1996(平成8)年の体育の日(10月10日)に、順天堂大学病院に入院していた攝津幸彦を、酒巻英一郎、筑紫磐井、仁平勝と4人で見舞った。そのわずか3日後には容態が急変した。

 病室では、恒例になっていた11月最終土曜日の「豈」忘年句会を病院近くの場所を予約し、もし、それまでに攝津幸彦が退院していなかったら、彼が病室を抜け出し、句会に参加できるようにと話し合われたのだった。

 それまでには、豈の同人諸氏にも見舞いに来てもらえるように伝えておくことも確認された。

 しかし、わずか三日後に急逝。僕への訃報は池田澄子が職場に電話で知らせてくれた。

 告別式の日は、よく晴れ渡って、街路樹の花水木の実が赤く滴って、輝いているように目に入った。

 思えば、僕らの見舞いは、余命を知らされていた攝津夫人・資子氏の配慮だったのだと気づく。

 その後、現代俳句協会青年部『21世紀俳句ガイダンス』に寄せられていた攝津幸彦の句稿にタイトルが無かったので、編集委員だった僕は「南国忌」と付した。生前、死んだら南国忌だと冗談にしゃべっていたことがあったからである。

    南国に死して御恩のみなみかぜ   幸彦

 の句による。その後、攝津幸彦の勤務先であった旭通信社(当時)の仲間が、攝津幸彦追悼文集『幸彦』を出し、毎年「南風忌」として修していた。

 その攝津幸彦の無二の盟友・大本義幸から、手紙で句が送られてきた。先日、このブログにアップされた露草の写真を見ての即吟である。ありがとうございました。

    惑星の露草である群れず咲く       義幸

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コメント(1)

  

はじめまして。
沖縄の俳人で写真家の豊里友行(とよざとともゆき)と申します。
NKH俳句王国出演のため松山へ行ったおり若手俳人たちで酒の席で話題になった「南国に死して御恩のみなみかぜ」の句を始めて聞いた。
誰の句だったか忘れていたが探す手立てもなく10月に入ってからインターネットで検索してみて作者を知ることになる。
沖縄病の私は、この句を沖縄と関わり深いと思い込み興味を持った。
だがこの句は沖縄を含むアジア諸国と捉えてみたほうがいいと私は思う。
私の解釈などここではどうでもいいのだが・・・。
この句のテーマの重さの割りに俳句のかるみのようなモノを感じる(先にも若手俳人たちで話題になっていた)。
私もこの句の持つ俳句のかるみのようなモノから学びたい。

 星も
   動くよ骨だけは杭      
 街も

                 友行

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