2010年12月のブログ記事

2010年12月29日

今年一年ありがとうございました。

文學の森年末年始休業

12月30日(木)~1月3日(月)

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おだやかに日の降り仕事納めかな    誠司

 

高田馬場もおとといあたりから、飾り売りが出始めました。

 

立ち話ばかりしてをり飾り売    誠司

 

今日で仕事納めです。

やり残したことや年明けのことを考えると、休んでいいのかな~、という気もしますが、リフレッシュして(・・・といっても明日はひたすら寝る予定ですが)また来年もがんばります。

この一年、私にとってはとてもめまぐるしい一年でしたが、皆様のおハガキや、かけてくださった言葉がとても励みになりました。

ありがとうございました。

やっぱり俳句っていいな~と思うことがたくさんありました。

来年も、その思いをみなさんと一緒にわかちあいたいと思います。

 

うちは、自称業界一フットワークの軽い編集部です。

取材して欲しいイベントや句会などありましたら、お気軽にご連絡ください。

来年も可能な限り取材に伺います。

 

どうぞよいお年をお迎えください。

そして、よい俳句を作りましょう。

 

 

 

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2010年12月28日

2月号が入稿開始・・

 

新宿夜景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巷はもはや年末打ち上げ気分?

わが月刊「俳句界」は年末進行で、今日までに、何がなんでも印刷所に入稿・・慌ただしい時間に追われた。2月号別冊付録「春の野山の花50選」も初校ゲラが戻ってきました。

ともあれ、本日の「今日の編集部」はこれからケジメの忘年会。

まさか、忘年会が終わって会社に戻ってくる人はいないでしょうが、明日も出勤ですから、酔いつぶれるわけにはいかないようです。

本年も色々お世話になりました。

皆さん、よいお年をお迎え下さい。

それでは、お元気で・・・・

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2010年12月28日

今日は忘年会

 

今日は忘年会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然、話の内容と関係有りませんが、上野の舗道に飾られたぼんぼりの写真です。

 

さっき、中央精版さんが来て、『俳句界」2月号を入稿しました。

今月は年末年始のお休みが入るので大忙し。

全体の50パーセントくらいを入稿し、残りは年明けです。

中央精版さんは明日からお休みなのだそうです。

いいな~・・・。

 

あっ、それから年末年始のお休みは

 

12月30日~1月3日までです。

 

よろしくお願いします。

今日はこのあと、東京営業所みんなで、高田馬場で忘年会です。

明日も仕事ですけどね。

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2010年12月24日

『超新撰21』竟宴シンポジウム&パーティ

 

超新撰21

12月23日(火)、天皇誕生日。よく晴れた日。

外は冷たい北風が吹いていたが、会場になったアルカディア市ヶ谷では、200名近くの若き俳人たちの熱気に包まれていた。

シンポジウムのテーマは「定型 親和と破壊」。

壮大なテーマだが、若い人たちには、これぐらいの気宇があってもいい。

第一部は筑紫磐井が司会、もはや若い世代を相手にすると重鎮?に等しい高野ムツオ、そしてこの世代ではエースとでもいうべき小川軽舟、『新撰』の編纂委員・対馬康子、先ごろ無季俳句を作ってみせた鴇田智哉各氏のパネルデスカッション。

「『新撰21』『超新撰21』に見る俳句定型への信と不信」をめぐってのヤリトリであったが、最後に高野 

ムツオが、「この自由な多様性のなかに、死にかけている俳句の、再度の輝きが訪れるかもしれない。そして、われわれ戦後生まれ世代の予測不可能なものでなければ、未来は拓けない」とまとめていたのが、印象的だった。

第2部は、関悦史節?の司会に向かないことを証明した司会で、現代川柳作家の清水かおり、俳句はリアルな肉体だいう柴田千晶、この世代の「ほぼ150人150句」をまとめた上田信治、海洋学者にしてすでに2冊の句集を持つドゥーグル・J・リンズィー、ひたすら、芭蕉。蕪村の句に学び過去志向のロマン主義を追い求めている高山れおな各氏による「君は定型にプロポーズされたか」という俳句の神に愛されているかのどうかの右往左往の論議になった。

いずれにしても、俳壇からの逆風、宇多喜代子や片山由美子に「若い俳人をそんなに甘やかしたらダメよ」というお叱りをものともせずに、パワーに溢れていることだけは確かな会であった。

「俳句の歴史は常に新人によって創られてきたし、甘やかされてこそ俳人は育つ」と言明した筑紫磐井の言葉は受けてとめても悪くはなかろう。

新しい俳句は、常に新しい読み手によって、生き延びてきたのだから・・・

ともあれ、その会場で、わが社より第二句集『洛南』を上梓した妹尾健氏に会えたことと、さらに来年早々にも句集『浮力』を出版される関根誠子さんにお会いできたのは、嬉しいことであった。

また、わが社の第二回北斗賞選考委員になっていただいた星野高士氏は「前衛俳句と争っているヒマなんかない。伝統のなかでの激しい戦いの最中なのだ」と会場を笑いの渦に巻き込んでrいた。

因みに第二回北斗賞の告知は「俳句界」2月号(1月25日発売予定)で、第2回の選考委員は、星野高士・小林貴子・仙田洋子各氏。応募締め切りは5月31日。   

                                       

超新撰21その2

 

 

 

 

 

 

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2010年12月17日

大泉学園に行ってきました。

大泉学園へGo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は東京練馬区の大泉学園に行ってきました。

「俳句界」4月号の俳句界NOWのグラビア撮影です。

いつもの橋本カメラマンとともに、新しい「杉」主宰になられた森潮先生のお宅にお邪魔しました。

 

森先生の運転で、隣の埼玉県新座市にある平林寺を歩いて撮影しました。

初めて訪れましたが、東京のすぐ側にこんな静かで、立派なお寺があるのかと驚きました。

句集の原稿などで、ときどきその名前は見かけましたが、こんなにいいところだったとは・・・。

 

曹洞宗のお寺らしく、とても質素で清らかでした。

潮先生のお話では、亡くなられた森澄雄先生も、ここをよく訪れていたそうです。

寒い一日でしたが、貴重な一日でした。

 

写真は大泉学園駅改札脇にあるモニュメント(?)です。

ここは漫画家の松本零士さんが住んでいるそうで、日本アニメ発祥の地だそうです。

 

駅の発車ベルも「銀河鉄道999」の音楽でした。

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2010年12月16日

松澤昭先生を偲ぶ会

 

松澤昭偲ぶ会

(写真は、左・松澤雅世、右・宇多喜代子)

先日、13日(月)12時より、東京會舘で「故 松澤昭先生を偲ぶ会」が行われた。

前・現代俳句協会会長でもあり、発起人には、金子兜太名誉会長、宇多喜代子会長、山崎聰副会長、長峰竹芳東京都区会長、実行委員長に伊東類をたてて行われた。

松澤昭は先般8月13日(月)に85歳で亡くなられた。

東京府滝野川に生まれ、父・松澤鍬江「雲母」の影響で、10歳頃から俳句に興味を抱き、1946年に蛇笏に師事。64年に俳誌「四季」を創刊し、現在は娘の松澤雅世が継いでいる。

眼前の実景を心象に深める「心象造型」を提唱していた。その代表作に

  凩や馬現れて海の上

 と詠み、凩に荒れ狂う波に奔馬のイメージを造型した。

当日は、冬の雨となったが、約200名が参加し、故人の冥福を祈った。

実行委員長の伊東類は、故人の性格のように、湿っぽくなく、程よい賑やさで偲んでほしいと挨拶。

宇多喜代子は「下町の気のいいオッサンという感じの、いい先達であった」と述べ、山崎聰は「俳句が好き、酒が好き、協会が好き、で共に楽しい時間を過ごした」と振り返った。

献杯は長峰竹峰。

松澤昭偲ぶ会その2

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2010年12月10日

俳句界評論賞締め切り近し・・

 第13回「俳句界」評論賞(選者・筑紫磐井氏、仁平勝氏)の締め切りが12月20日(当日、消印有効)と、迫ってきた。是非、一人でも多くの応募を期待している。

 選者の一人・仁平勝氏が、最近句集を出版された(小社への恵送深謝)。集名は『黄金の街』。章立ては批評家らしく、世代論、風景論、恋愛論、国家論など12章のテーマ。

栞は「件(くだん)の会」の面々。それぞれ、親愛に満ちた文章である。

 黒田杏子さんが、その中で、中村苑子さんに誘われて、高柳重信墓参のバスツアーの席で、後ろに座っていた仁平勝と小生に初めて会ったと記されている。

 もう、随分昔のことになる。

 その話はともかくとして、『黄金の街』は、なかなか泣かせる句集だ。題名がなんと言っても「ゴールデン街」だ。その街は、1960年末から70年代初頭、確かに猥雑なエネルギーに満ちていた。

   論争の黄金の街(ゴールデンがい)明け易し         〈世代論の章〉     

   校門にかまぼこのゐる小正月                  〈国家論の章〉

   つばくろやニコライの鐘いまも鳴る                〈都市論の章〉

 仁平勝の母校の近くは、たぶん、カルチェラタンだった。ニコライ堂は、いまも変わらずにある。

 〈他界論の章〉は切ない。

  夏月和厚信士享年五十三            (弟和夫逝く〉

  なきがらの横にビールを注いでをり

  冬菊や遺体の母の乳固し             (母ヨネ逝く)

  親父からげんこつもらふ雲の峰          (四歳で死別)

 

  白髪の宇多喜代子にも夏の月           〈祝祭論の章〉

 この句は宇多喜代子の「白髪の天皇にこそ夏の月」の本歌取りである。

 

 老人を起こして春の遊びせん     〈転向論の章(今井杏太郎に師事)〉

 

 どのような転向だったか、いや、仁平勝は、誰かに師事したい気持ちがあった・・・。

そういえば、僕らは(と敢えて言ってしまうと)いつもトコロテン式だったような。

墓場までかも・・。

   団塊の世代と呼ばれ心太           〈世代論の章〉

 老人になってしまったが、なお団塊の意地をみせなきゃ・・・嗚呼。

仁平句集

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2010年12月 8日

取次会社に団栗

どんぐり

昨日と今日は、恒例の各取次ぎ会社を回って、来年1月号の仕入れ部数を交渉し、決める日でした。

称して〈部決(ぶけつ)〉と言っています。この仕入れ部数や定期購読者や各執筆者の買い上げ予定の部数を合計して、印刷所に、来月号の刷り部数を決定します。

その取次ぎ会社回りの途中に団栗(写真)をたくさん付けた樫の木があり、思わず、土産にして、食べて下さいと、編集部の若き女性にプレンゼント。

「えー、食べられるんですか?」

「僕の小さい頃は食べたもんだけどなー」

というヤリトリで、李正子(イ・チョンジャ)の新歌集『沙果、林檎そして』を思い出した。

その中に「団栗が食べたくて」というエッセイが入っていて、

それにも、「ええー!食べられるの?先ず日本人は驚く」という一節が出て来る。

朝鮮では「団栗」を「とどり」というらしいので「どんぐり」に発音が似ている。

土佐弁の「・・・ぜよ」という語尾につく言葉も「・・・セヨ」の朝鮮語と同じではないかと李正子は述べている。

もっとも僕のは、栗も食べられるくらいだから、団栗も蒸せば食べられるという程度のものだったが、李正子の食べたのは、手がかかっていて、「ムッ」というはるかに美味しい食べ物らしい。それも大晦の祭祀のご馳走で、お供えにするという。

  因みに、新歌集より、

  『奪われた野にも春はくるか』わたくしは読みながら泣く目を開けて泣く

  朝日歌壇鑑賞会なる攻撃文私はわたしの暮らし詠むまで

  残り火を宥めてもやす林檎そして沙果にもなれぬ呼気風まかせ

                      *沙果は韓国語の林檎。

 
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2010年12月 7日

まだ残業してま~す。

今日は印刷所への入稿日・・・というか、本当は金曜日なんですが、のびのびになっていまだにやっています。

今日は、本文と、表紙関係の入稿、明日は目次を入れて、なんとか終りというところでしょうか。

 

ところが、スタッフが「今月は年末年始が入るから、2月号の原稿を早めに入力に出したいので、今週中に原稿チェックしてください!!」と私に言うのです。

ああ、そうだ今月は年末年始が印刷所がお休みだから、年内に入稿しなきゃいけないんだ(・・・涙)。

 

今月は相当ハードになりそうだ。

入稿が済んだら、早く帰宅して、ジョギングをしようと思って買ったウエアもまだまだ使えそうにない。

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2010年12月 2日

森澄雄さんを偲ぶ会

 森澄雄偲ぶ会01森澄雄偲ぶ会02

 昨日、12月1日(水)午後6時より、東京會舘で、去る8月18日に亡くなった、文化功労者でかつ現代俳句を代表する俳人森澄雄(本名・澄夫)の偲ぶ会が行われた。享年91。総合誌ではもっとも早く「俳句界」10月号(9月25日発売)で追悼特集を組んだが、先に「杉」創刊40周年で急遽行われた偲ぶ会に続く、いわば、公に開かれた偲ぶ会である。発起人の一人である永田龍太郎の開会の言葉に続いて、有馬朗人の挨拶、日本芸術院を代表しての三浦朱門の言葉を作家の黒井千次が代読したのに続き、献杯の音頭は角川春樹が行った。

 

生前の森澄雄のビデオや作品の朗読など様々な催しはあったが、最後は、「杉」主宰となった森潮が閉めの挨拶を行った。

森澄雄偲ぶ会03

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