2011年1月のブログ記事

2011年1月31日

新年会・・・

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先週の金曜日(28日)午後5時から、遅ればせながら「俳句界」の新年会でした。九州本社から社長・姜琪東、寺田敬子部長両名が飛行機でのトンボ返りながら出席。社長の呑みのお相手として、社長のたっての希望だった山崎聰先生、森潮先生、大高霧海先生にも、お忙しいなか出席いただいた。深謝。東京支社のスタッフもこの日ばかりは全員揃いでした。

会場は、社長の故郷・高知県の土佐料理・かつを藁焼きの「わらやき屋 龍馬の塔」(浜松町)。この日は、出来上がったばかりの成内酔雲句集『雲』の序文を書かれた河内静魚先生も駆けつけられた。また、近刊予定の句集『浮力』の関根誠子先生にも参加いただいた。

さらに、元気のよい女性軍では、松村多美、長島衣伊子、山元志津香各先生方、さらに「朴の花」同人会長の家吉幸二先生、多士済々の面々で時の経つのも忘れてあっという間に御開き。

最後に記念撮影(撮影者は写真家・橋本照嵩氏、カメラは小生のデジカメ)をした。

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2011年1月27日

島谷征良句集『舊雨今雨』

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 句集『舊雨今雨』は島谷征良の第4句集、平成6年から13年までの8年間の作品から自選された350句を収載している(なお、本集はすべて、歴史的仮名遣いと旧正字であるが、ブログ記事上はその表記を実現できていないことをまずお詫びし、了承していただきたい)。

 ぼくの好みに偏しているかも知れないが、次の句にまず指を屈したい。

  紅梅と白梅の閒冷ゆるかな

  短夜や枕はづして子の熟寝

  敷きつめし石にも枯れの及びけり

  寝てをれといふに病父の年用意

  裸木よなきがらよりはあたたかし

  花はまだ吹雪かず父の百箇日

  無言とはいへず螢の戀の火は

 父を詠んだ句はいずれも切ないが、とりわけ、裸木の句は絶唱だと思う。

  初芝居すこし泣かせてもらひけり

 すこし齢を重ねたせいか、この感じはいいな、確かにそう思う。下句「すこし泣かせてもらひけり」に味わいが深い。

  眠れねば日合の冷酒かさねけり 

 ぼくは下戸だが、「日合の冷酒」とは、酒の好きな著者ならではのものだろう。日合が悲哀に通じているように思えるのも、上句「眠れねば」がその気分を誘い出しているからではなかろうか。

  「みたいな」とか「ぢやないですか」とか春著の子

  卒業生教師はげまし去りにけり

  秋晴や宙にゑがきて字を教ふ

  次の閒に冬の暮色の詰まりけり

 他に、島谷征良が広島生まれだからであろうか、誠実に詠み継いでいる次の句なども忘れがたい句である。

  廣島原爆忌秋思のはじめとす

  廣島忌烏だまつて頭上過ぐ

 それは第一句集『句集卒業』(昭和47年刊)の中の水俣病小児病室の句も同様である。、

  風船のぬけがら骨まで萎えし子よ

  これを病と呼ぶか春風を窻が斷つ

 すでに、40年ほど以前の作品だ。そして、

  三寒の四温の朱鳥なかりけり

 朱鳥こと、野見山朱鳥は、昭和45年2月26日に没している。「生命諷詠」をかかげ、当時魅力ある作品を発表し続けていたが、享年53。ぼくもまた大好きな作家だった。前書も何も付されていないが、追悼句に違いないと思っている。

 因みに『句集卒業』は、島谷征良と森岡正作の二人集で、二人の大學卒業を記念し「同じ大學で俳句に励んで来た者同士としての"別れの一献"の心算で」(後記)出され、後輩たちの支援もあり、国学院大學俳句研究会の発行となっている。文庫版でシンプルな造本が印象的だ(ブログ下段に書影あり)。

 それぞれが今は結社主宰であるが、島谷征良は27歳の若さで主宰誌を持ったのではなかろうか。当時、団塊世代としてはもっとも若い主宰であったような気がする。それは、ぼくのような、ほぼ同人誌しか知らない者にとっては、想像できない俳句形式に対する責任感の有り様であった。

さらに付言すれば、石川桂郎の序文には、島谷征良に対する期待が込められていた。当時、学生であったにもかかわらず、信頼の厚かったことが分かる。

「文法の正しいこと、格調を重んじる點で、『風土』の作者中この人の右に出る人はない」と述べ、「島谷君はまだ若いのだからもう少し思ひ切つた、八方破れな作品もたまには見せてもらひたいと思ふ。・・・中略・・・島谷君は外見に似合はず私と酒のつきあひもしてくれるし、明るく楽しい話題も豊富に持つてゐる。さういふ面が格調の正しさ、文法の精確さに加はれば鬼に金棒といへよう」と記している。

ともあれ、島谷征良はその後も頑固とも思える姿勢を貫いて来ている。しかし、その頑迷さと志は、実に信頼に足るものである。ぼくの記憶は定かではないが、最初に島谷征良に会ってから25年くらいが経つのかも知れない。その間、数えられるほどしかお会いしていないが、その姿勢は「人が句を作る。そして、句もまた人を作る」(『100人20句』邑書林刊)を、文字通り生きて来ているという感じを持ち、遠望し続けている俳人なのである。

最後になったが、句集『舊雨今雨』の後、つまり、平成14年以後本年までの句業は、まだ纏められてはいない。それらの句をまとめて読みたくなるのも人情ではなかろうか。

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2011年1月25日

「俳句界」2月号発売

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本日は、2月号の発売日。特集は「やっぱり季語が好き」。

「季語の基礎知識」「季語の効用」「季語と詩語」「季語の絶対性を問う」「健吉の基本季語500を読む」などの季語に関しての論考。

また、季語に関しての俳人以外の方々のエッセイ(坂東三津五郎・内田春菊・八木健・川口晴美・水原紫苑)など、なかなかの充実ぶりと自画自賛?しておきたい。

それで、高田馬場駅前の芳林堂書店をのぞいてみた。月刊「俳句界」はしっかり面指し(めんざし・書店業界の用語)で、早速店員さんの許可を得てパチリ。ついでに店の入口の書店看板もパチリ。

あとは気になる売れ行きだが、今回は執筆者の先生方からの買い上げも多く、早くも品薄状態に・・・

11月号に続いて完売も夢ではなくなってきたかも・・・さらなる躍進のために皆さんのご協力をお願いします。

今日の編集部といえば、早くも3月号の入稿日が一日一日と近づき、慌ただしくなってきています。スタッフの松本は佐高信「甘口でコンニチハ!」のお相手・有馬稲子さんに会えるといそいそとでかけました。そそのまま帰宅できるといいのですが、そうは問屋が卸してくれず、夕刻には帰社して、3月号に取り組む予定になっています。嗚呼!

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2011年1月24日

八田木枯俳書展「鏡騒」

 

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「鏡騒」は、八田木枯第6句集の書名と同じ。

  黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒

の句に寄る。八田木枯の造語である。

21日(金)はその俳書展の最終日。夕刻には角川俳句・短歌賞の授賞式兼新年会。

小生は、エッセイ集刊行の打ち合わせで、上京される柿本多映氏と俳書展で待ち合わせた。

俳書展が行われているギャラリー・晩紅舎の対面は喫茶・四谷ルノアール、そこで、簡単な打ち合わせ。

テーブルには、これも関西からの大石悦子さん、そして、20歳になったばかりの越智友亮君、若者らしく、俳句の問題について、大石悦子さんに熱心に質問していた。少し時間を取れた八田木枯氏も同席。

しばらく俳句談義。越智君の通う法政大校舎前の土手で、昔、八田木枯主催の「花筵有情」の花見会が毎年開催され、様々な人たちが、勝手に?花見に出入りしたという思い出話。

角川の新年会には、皆さんが行かれるとのことで、一緒に、四谷からタクシーで東京會舘まで。

越智君は山口優夢の角川賞授賞お祝いの二次会にも参加するといい、俳書展で大石悦子さんに合えるとは思わなかったと感激、しかもタクシーではとなりの席で嬉しさいっぱいだった。

 

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2011年1月20日

ねむり男・気まぐれ中上哲夫現る

小誌月刊「俳句界」の連載「ねむり男の 気まぐれ 俳書漫歩」中上哲夫氏が、直接、次号原稿を持参された。

聞けば、引越しをされたばかりで、電話もFAXもまだ開通せず、郵送でも間に合わないので、持参されたとのことでした。担当の松本を入れて、編集長・林、スタッフ・三東ともども昼食をご一緒させていただいた。

中上哲夫氏は詩人、1939年大阪生まれ。平成16年には『エルヴィスが死んだ日の夜』(書肆山田)で高見順賞を受賞されている。

俳句も作られいる。俳号はズボン堂。

 雉子撃ちの男をつつく家畜かな   

 

ともあれ、小誌連載の俳書漫歩も、なかなか好評なのであります。

ますます、面白くなる予感がします。乞う、ご期待!

写真は編集長と仲良く写させていただいた中上氏。

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2011年1月19日

慌てました~!

午後6時過ぎ。

スタッフ三東が、

編集長。

大変なミスをしてしまいました~。

と青い顔してやってきた。

××の広告、2月号に掲載するのを忘れてました!!

とのこと。

隔月掲載の広告をもらしてしまった、というのだ。

明後日に見本出てくるから、もう間に合わないよ~。

と私。

私が電話して率直にお詫びします!

と三東。

そうするしかないな、ということになり、電話をかけようとした矢先、佐高信対談で外出していたスタッフ松本から報告の電話がかかってきたので、

三東がやっちゃったよ~。

と言ったら、

その広告は一回きりの広告だから、今回載ってなくていいんですよ。

とあっさり。

 

な~んだ。

よかった~、電話しなくて・・・。

ていうか、今まで二人で深刻に悩んでいたのはなんだったんだ・・・。

しっかりしてくれよな~。 

スタッフ三東はうちひしがれて帰っていった。

 

 

 

 

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2011年1月18日

『都会歳時記』古屋元 

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 毎日新聞の1面書籍広告の効果もあって、なかなかの注文が弊社に舞い込んでいる。何しろ『都会歳時記』というネーミングからして、この本が句集だとは気づかずにいる節もある。僕だって最初にこの書名を見た時には、句集とは思わず、歳時記だと、しかもこれまでの農耕文明主体の歳時記ではなく、モダンな都会を中心としたものではなかろうかと錯覚した次第だ。

歳時記というと、いかにも俳人必携の書という思い込みがある。したがって売れ行き良好になるという循環ではないだろうか。

 よくみると句集とあるので、それでやっとこれが歳時記ではなく古屋元の個人句集であると、改めて思ったのだ。

 能村研三の帯文にあるように「古屋さんは、都市、現代に視座を置いた作品を歳時記形式にして千句をまとめられた」とあるから、ページを開くと、確かにその通りである。

多くの句集が春夏秋冬、新年の四季別に配列されていることを考えれば、古屋元のように、徹底して歳時記諷にしてしまうのも卓見ではある。

 例えば、春季には、まさに歳時記の分類に沿った「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」の項目立て。

例句には、

  地下街に方位失ふ春の昼     「時候」

  つちふるや首都の上空明滅す   「天文」

  屋上に春の海見て転勤す      「地理」

  風船のゆくへ銀座の時計台     「生活」

  都電から見ゆる二階の飾り雛    「行事」

  お茶の水駅へ燕のブーメラン     「動物」

  江東に戦火のごとき桜かな      「植物」

といった具合である。 

 もちろん新年もある。

  初湯の児へタオルの翼広げけり    

こうして読むとそれぞれの項目の例句を読んでいくようで、千句あっても、まったく飽きない。しかも、都会という名を付されただけあって、句に清新の気が漂っている。

作者は若い頃、飯田龍太「雲母」に学ばれたこともあるという。その折の名は「古屋はじめ」。飯田龍太の選句の鑑賞文には「年令三十一才というが一応いままでの出句を調べてみても、特に作句経験を積んだひとのようにも思えぬ。しかし、

 レール二本つゆぞらにおきたく思う     はじめ

 冬の暮動かんとする壺見たる

 春疾風闇のうすするおもいかな

などの作品をみると句歴の深浅にかかわりなくその詩質のオリジナリティはハッキリと窺える」(昭和44年1月「雲母」)と作者の詩性にいち早く注目している。当時の作品は現代仮名遣いで、その作品の初々しさと詩情にうまくマッチしていたといえよう。

それでは・・・夏。

  ジャンボ機の青田の先へ着陸す    「夏・地理」

「青田の先へ」がよく効いている。

  八月の皇居ぽつんと車椅子        「秋・時候」

八月は、いまだ多くの日本人にとって特別な月である。しかもその皇居に「ぽつんと車椅子」。

その車椅子に乗った、たぶん高齢の人(もしかしたら戦傷の人かも知れない)の想いは、どのような想いなのであろうか。靖国でないところが複雑である。

  エレベーター開くぎつしりマスクの眼   「冬・生活」   

  外套の背中は閉ざしたる扉         「 〃 」     

栞に、川口あきを(早稲田俳句OB)「老朋友から」の心温まる一文とその縁によって「沖」に入会したらしいことが知れる。その能村研三主宰から「沖」に新風を吹き込んでくれる一人であると期待のエールを送られている。

 

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2011年1月14日

みちのくたろう『アマゾン創る想ひ』

「みちのくたろう」、この奥の細道にでも出没しそうな、面白い?俳人の名を記憶にとどめたのはいつのことだったかと、糸をたどってみたが、いっこうに思い出せなかった。しかし、たしかに懐かしい名前だった。それもそのはず、

著者略歴に「昭和45年 俳句研究第2回全国俳句大会第一席入賞。その賞金を寄付、東京原爆忌俳句大会、新俳句人連盟賞を設立をスタートさせる」とあったので、たぶん、ぼくはその第2回全国俳句大会に出席していたのだ、と思う。そのときの句は、この句集にも収められている

  霧の奥子牛が生まれくる騒ぎ 

であった。 ぼくが21歳のときだ。京都から東京に流れてきて、まだ間もない初夏の頃だったのではないだろうか。 市ヶ谷あたりの農協会館?のような場所だったように記憶している。記憶に間違いがなければ、となりに折笠美秋が座っていた。それまで、折笠美秋には、代々木上原の俳句評論の句会で数回しか顔をあわせておらず、とうてい話かける勇気もなく黙って座っていた僕に、二言三言、話しかけてくれもした。

ぼくが俳句大会なるものに出席したのも、この大会が初めてであった。

だからというわけではないが、みちのくたろうの名を明確に覚えたのは40年も前のことになる。

そのときの句に対する印象は、中七・下五の「子牛が生まれくる騒ぎ」と上五「霧の奥」のフレーズの絶妙な交感に、若いぼくにはまだ及ばないものだと考えていた。ぼくは少年の頃、親戚の家で、牛を飼ったり、豚や鶏の世話もしたことがあったし、子牛や豚の子が生まれる瞬間にもいたことがあった。そのせいか「生まれくる騒ぎ」にリアリティーを感じていた。もっとも少年だった僕がそれらの動物を本当に何から何まで世話をし、飼っていたわけではない。それでも、牛小屋の藁の匂いを思い起こしさえしたのである。

  敗戦忌いつも十四の夏想ふ

なぜ十四か、昭和6年生まれのみちのくたろうは十四歳で敗戦を迎えたのだ。終戦ではなく、あくまで敗戦、そのことに日本という国への認識がある。8月15日がくると必ず十四歳の夏を想い起こすのだ。どのような想いか・・・

メッセージとなって次の句に立ち顕われくる。

  つくづくといくさは大愚天の川

  戦争につながる葛は刈りませう

戦争に対する批判、それも反対の作者の姿勢は一貫している。そしてそれは、直接的ともいえる認識の言挙げとして句に書き留められる。

  一極支配憂しと声あり天の川

  あらゆる地獄とはどんな地獄か

  接吻できぬ大地また増え原爆忌

  いくさあれば原爆の日と思ふべし

最後の句は、「花あれば西行の日と思ふべし」源義のパロディーというもはばかられる換骨奪胎の諧謔に満ちている。とはいうものの、けっこう純粋真一文字の人ではなかろうか。でなければ、

  然り今年も絶唱として胡蝶蘭咲かす

という句を創るのは難しいように思える(作者は胡蝶蘭の開花世界最高記録保持者で胡蝶蘭生産の世界的権威と、塩野谷仁氏が帯に記している)。

ともあれ、

  三月十日言問橋の下のぞく

 昭和20年3月10日は東京大空襲、史上最大の虐殺といわれ、浅草と向島を結ぶ言問橋は避難民で立ち往生になった。川に飛び込んだ人は溺死か凍死(前日は雪がふっていたという)。その橋の下をのぞく。空襲での死者は「東京空襲を記録する会」によると10万人。

  絶滅種人間として柿食らふ

  大隕石となるか人類天の川

前掲2句はその人類の行く末を見通しているかのようだ。

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2011年1月13日

宮津昭彦氏逝く

 

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宮津昭彦(みやつ・あきひこ)、1月10日午前9時47分,肝硬変にて逝去、享年81。

1月12日(水)、セレモ京成佐倉駅ホールにて通夜、13日(木)告別式。喪主は次男・宮津秋爾氏。

俳句は、神奈川県立横浜商工実習学校商業部(現・横浜商工高校)4年生のとき、担任の大野林火(「濱」)に指導を受けたのに始まる。卒業の昭和27年、大阪住友海上保険(後の住友海上火災保険)に入社し定年まで勤めた損保マン。ほぼ同時に「濱」同人となった。

句集『遠樹』で第37回俳人協会賞を受賞。「濱」副主宰、俳人協会副会長でもあった。

ものの本によると弊社・月刊「俳句界」の「甘口でコンニチワ」佐高信が駆け出しの評論家だった頃、「当世ビジネスマン事情ー背広俳人ー」としてインタビューをし、雑誌「ビッグA」に掲載されたという。半世紀前のことだ。登場したもう一人の背広俳人は、当然ながら、句にサラリーマンの哀歓漂う草間時彦(三共製薬勤務)。

  冬薔薇や賞与劣りし一詩人       草間時彦

  西日を帰る鞄持つほうの腕伸びて   宮津昭彦

しかし、宮津昭彦は仕事上の句はほとんど詠まなかったという。

「ひかり」を思わせる句が多いのが特質かもしれない。合掌。

  空に咲く白のはじめの花辛夷      昭彦

  立つことをよろこびひかり冬欅

  今年竹年年にはるかなり

  ゆるやかに光琳模様泉より

  花筏行きとどまりて夕日溜む

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2011年1月12日

東京新聞1月11日夕刊「大波小波」に俳句界1月号が紹介されました。

東京新聞1月11日夕刊「大波小波」、ここで以前「俳句界」10月号を紹介していただきましたが、昨日は1月号を紹介していただきました。

内容は、1月号の目玉企画でもあった金子兜太氏と稲畑汀子氏の新春特別放談です。

 

筆者のやじ馬さんは、二人のやりとりの面白さなどを上げつつ、「話題性は十分」と評してくれました。

「放談に終始して実りは少ないが」と痛いところもつかれましたが、まあ、新春放談ということで、楽しんでいただければ・・・(笑)。

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2011年1月12日

ひろそ火 句会.com 創刊

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昨日、1並びの2011年1月11日、午後1時11分11秒(火)、ホテルメトロポリタン高崎に於いて、月刊俳誌「ひろそ火」句会ドットコムの創刊記念祝賀会が行われた。

誌名「ひろそ火(び)」は、英語のフィロソフィーから、語源から「知を愛する」ということらしい。サブタイトルの「句会ドットコム」は「ひろそ火」の火をインターネットを通して世界へ燃えひろがらせるための仕掛けという。

 主宰には、木暮陶句郎、顧問選者に木暮つとむ。(写真)

もともと、9人で出発した句会会場が哲学堂。いまや100人を越えた。

「ひろ」は本名の宏明の「ひろ」、そ火(そび)は鼠尾(そび)は筆の異称でもあり、いろいろ想像すると、縁起のよいつながりばかりらしい。

「ひ」は一、「ろ」は六、「そ」は十、すべて足すと十七音の俳句だー。

ともあれ、夢二記念館館長の父をはじめ、元市長など、遠く戦国時代に遡っての木暮一族の応援と団結力も目を瞠る。

ともあれ、40歳代の実に久しぶりの若き主宰誌の誕生である。

  火(ほ) 進め行かん凍て土を踏み砕き     陶句郎

 決意の一句である。

ひろそ火

ところで、帰路、高崎駅ビルの書店・改造社に寄って営業をと思い、雑誌棚を拝見したのだが、「俳句界」はもちろん、「俳句」もまた「短歌」も、つまり詩歌の雑誌が一冊も置いてなかったので、名刺も渡すことなく、電車に乗ってしまった。

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2011年1月 7日

早くも人日・・

早くも人日にして、寒の入りらしく、外は寒風すさぶばかり。

取次ぎ会社との2月号仕入れ部数交渉は本日で落着。

写真は最後に訪問した栗田出版販売、赤羽駅からバスで成増駅行きに乗り、小豆沢通りで降りる。

寒風ながら、雲一つない冬青空でした。

  青空に望み賜る寒の入      恒行 

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2011年1月 6日

定期購読キャンペーン中です。

 

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2月号の表紙案です。

 

月刊「俳句界」では3月まで定期購読キャンペーンをしています。

 

1年間定期購読をお申し込みの方には 小社特製携帯ストラップ

2年間定期購読をお申し込みの方には 小社特製ブックカバー

 

を差し上げます。

(えっ!そんなのいらないって?? そんなこといわないでお願いしますよ~)

 

今日は2月号を印刷所に入稿します。

表紙も一応出来上がって一安心。

あとは目次や自社広告を入稿して、ひたすら最終校正です。

 

編集後記も入稿しますが、今号からスタッフの三東夕紀が、後記に自作の俳句を発表します。

お楽しみに。

今朝、作品を読んだ社長から駄目出しされていましたが・・・(笑)。

 

今日はトーハンに行って来た大井顧問から、月刊「俳句界」の売り上げについて、とても嬉しい報告を聞きましたので、帰りにみんなで軽く祝杯をあげてきます。

 

 

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2011年1月 6日

2月号各取次ぎ部数交渉

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新年早々、今日と明日は、早くも2月号の各取次ぎ会社雑誌仕入れ窓口との部数決定交渉です。

少しでも、老舗の角川「俳句」に追いつきたいが・・・その道は、ひたすら、読者の皆様の店頭での購入部数の増大が不可欠、頼りなのです。

とか何とか言いながら、最大手のトーハン窓口で午前中の時間を使い果たし、次の太洋社では、午後一番の交渉順番を確保するため早めに到着し、待機。写真(トーハン)は、その太洋社五階の仕入れの窓から、ブラインドの間から待機中にパチリ。

 

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2011年1月 4日

あけましておめでとうございます。

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本年も月刊「俳句界」をよろしくお願いいたします。

お正月はどう過ごされましたか?

私はほとんど寝ているか、散歩しているか、Wiiでシェイプボクシングをしていました。

最近、運動不足で、太ってきたので、休みの日に集中して運動してみました。

お陰で3キロ痩せました。

 

写真は年明け早々の鎌倉鶴岡八幡宮です。

右にあるのは、去年か一昨年、落雷(だったかな?)で枯れてしまった大イチョウです。

最近、ここから新しい枝が伸びてきて、そのひたむきな姿に皆が感動し、今、大変な人気を呼んでいます。

ここは源実朝暗殺の場所で、このイチョウの側で実朝は二代目将軍源頼家の遺児・公暁に暗殺されたそうです。

水原秋櫻子でしたっけ。

 

頼家もはかなかりしが実朝忌

 

という句がありましたね。

 

鎌倉は湘南の地で、海もよく、デートスポット・グルメスポットとしても有名ですが、北条一族の集団自決跡や和田一族の集団自決跡、後醍醐天皇皇子・護良親王を監禁・暗殺したという土牢があったり、結構こわいんですよね。

奈良には神がいて、京都にはもののけがいて、鎌倉には怨霊がいる。

そんな気がします。

 

 

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2011年1月 4日

本年もよろしくお願いいたします。

片岡玉子浅間神社

明けましておめでとうございます。

本年もよろしく、お願い申し上げます。

小社は本日が仕事始め、全員出社で、今年もガンバロウ!という感じです。

皆さんは、どのようなお正月をすごされたのでしょうか?

他の編集部のメンバーはともかく、小生はじっと籠もっておりました。

2日目に、近くの浅間山(せんげんやま)神社といっても小さい祠があるだけの神社で、誰もいませんでした。

すぐ近くに多磨霊園があります。

標高80メートルの丘の上からは、富士山も見えるようです。

   初富士や富士見通りに富士見町

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