2011年1月14日

みちのくたろう『アマゾン創る想ひ』

「みちのくたろう」、この奥の細道にでも出没しそうな、面白い?俳人の名を記憶にとどめたのはいつのことだったかと、糸をたどってみたが、いっこうに思い出せなかった。しかし、たしかに懐かしい名前だった。それもそのはず、

著者略歴に「昭和45年 俳句研究第2回全国俳句大会第一席入賞。その賞金を寄付、東京原爆忌俳句大会、新俳句人連盟賞を設立をスタートさせる」とあったので、たぶん、ぼくはその第2回全国俳句大会に出席していたのだ、と思う。そのときの句は、この句集にも収められている

  霧の奥子牛が生まれくる騒ぎ 

であった。 ぼくが21歳のときだ。京都から東京に流れてきて、まだ間もない初夏の頃だったのではないだろうか。 市ヶ谷あたりの農協会館?のような場所だったように記憶している。記憶に間違いがなければ、となりに折笠美秋が座っていた。それまで、折笠美秋には、代々木上原の俳句評論の句会で数回しか顔をあわせておらず、とうてい話かける勇気もなく黙って座っていた僕に、二言三言、話しかけてくれもした。

ぼくが俳句大会なるものに出席したのも、この大会が初めてであった。

だからというわけではないが、みちのくたろうの名を明確に覚えたのは40年も前のことになる。

そのときの句に対する印象は、中七・下五の「子牛が生まれくる騒ぎ」と上五「霧の奥」のフレーズの絶妙な交感に、若いぼくにはまだ及ばないものだと考えていた。ぼくは少年の頃、親戚の家で、牛を飼ったり、豚や鶏の世話もしたことがあったし、子牛や豚の子が生まれる瞬間にもいたことがあった。そのせいか「生まれくる騒ぎ」にリアリティーを感じていた。もっとも少年だった僕がそれらの動物を本当に何から何まで世話をし、飼っていたわけではない。それでも、牛小屋の藁の匂いを思い起こしさえしたのである。

  敗戦忌いつも十四の夏想ふ

なぜ十四か、昭和6年生まれのみちのくたろうは十四歳で敗戦を迎えたのだ。終戦ではなく、あくまで敗戦、そのことに日本という国への認識がある。8月15日がくると必ず十四歳の夏を想い起こすのだ。どのような想いか・・・

メッセージとなって次の句に立ち顕われくる。

  つくづくといくさは大愚天の川

  戦争につながる葛は刈りませう

戦争に対する批判、それも反対の作者の姿勢は一貫している。そしてそれは、直接的ともいえる認識の言挙げとして句に書き留められる。

  一極支配憂しと声あり天の川

  あらゆる地獄とはどんな地獄か

  接吻できぬ大地また増え原爆忌

  いくさあれば原爆の日と思ふべし

最後の句は、「花あれば西行の日と思ふべし」源義のパロディーというもはばかられる換骨奪胎の諧謔に満ちている。とはいうものの、けっこう純粋真一文字の人ではなかろうか。でなければ、

  然り今年も絶唱として胡蝶蘭咲かす

という句を創るのは難しいように思える(作者は胡蝶蘭の開花世界最高記録保持者で胡蝶蘭生産の世界的権威と、塩野谷仁氏が帯に記している)。

ともあれ、

  三月十日言問橋の下のぞく

 昭和20年3月10日は東京大空襲、史上最大の虐殺といわれ、浅草と向島を結ぶ言問橋は避難民で立ち往生になった。川に飛び込んだ人は溺死か凍死(前日は雪がふっていたという)。その橋の下をのぞく。空襲での死者は「東京空襲を記録する会」によると10万人。

  絶滅種人間として柿食らふ

  大隕石となるか人類天の川

前掲2句はその人類の行く末を見通しているかのようだ。

アマゾン.jpg

 

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