2011年1月18日

『都会歳時記』古屋元 

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 毎日新聞の1面書籍広告の効果もあって、なかなかの注文が弊社に舞い込んでいる。何しろ『都会歳時記』というネーミングからして、この本が句集だとは気づかずにいる節もある。僕だって最初にこの書名を見た時には、句集とは思わず、歳時記だと、しかもこれまでの農耕文明主体の歳時記ではなく、モダンな都会を中心としたものではなかろうかと錯覚した次第だ。

歳時記というと、いかにも俳人必携の書という思い込みがある。したがって売れ行き良好になるという循環ではないだろうか。

 よくみると句集とあるので、それでやっとこれが歳時記ではなく古屋元の個人句集であると、改めて思ったのだ。

 能村研三の帯文にあるように「古屋さんは、都市、現代に視座を置いた作品を歳時記形式にして千句をまとめられた」とあるから、ページを開くと、確かにその通りである。

多くの句集が春夏秋冬、新年の四季別に配列されていることを考えれば、古屋元のように、徹底して歳時記諷にしてしまうのも卓見ではある。

 例えば、春季には、まさに歳時記の分類に沿った「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」の項目立て。

例句には、

  地下街に方位失ふ春の昼     「時候」

  つちふるや首都の上空明滅す   「天文」

  屋上に春の海見て転勤す      「地理」

  風船のゆくへ銀座の時計台     「生活」

  都電から見ゆる二階の飾り雛    「行事」

  お茶の水駅へ燕のブーメラン     「動物」

  江東に戦火のごとき桜かな      「植物」

といった具合である。 

 もちろん新年もある。

  初湯の児へタオルの翼広げけり    

こうして読むとそれぞれの項目の例句を読んでいくようで、千句あっても、まったく飽きない。しかも、都会という名を付されただけあって、句に清新の気が漂っている。

作者は若い頃、飯田龍太「雲母」に学ばれたこともあるという。その折の名は「古屋はじめ」。飯田龍太の選句の鑑賞文には「年令三十一才というが一応いままでの出句を調べてみても、特に作句経験を積んだひとのようにも思えぬ。しかし、

 レール二本つゆぞらにおきたく思う     はじめ

 冬の暮動かんとする壺見たる

 春疾風闇のうすするおもいかな

などの作品をみると句歴の深浅にかかわりなくその詩質のオリジナリティはハッキリと窺える」(昭和44年1月「雲母」)と作者の詩性にいち早く注目している。当時の作品は現代仮名遣いで、その作品の初々しさと詩情にうまくマッチしていたといえよう。

それでは・・・夏。

  ジャンボ機の青田の先へ着陸す    「夏・地理」

「青田の先へ」がよく効いている。

  八月の皇居ぽつんと車椅子        「秋・時候」

八月は、いまだ多くの日本人にとって特別な月である。しかもその皇居に「ぽつんと車椅子」。

その車椅子に乗った、たぶん高齢の人(もしかしたら戦傷の人かも知れない)の想いは、どのような想いなのであろうか。靖国でないところが複雑である。

  エレベーター開くぎつしりマスクの眼   「冬・生活」   

  外套の背中は閉ざしたる扉         「 〃 」     

栞に、川口あきを(早稲田俳句OB)「老朋友から」の心温まる一文とその縁によって「沖」に入会したらしいことが知れる。その能村研三主宰から「沖」に新風を吹き込んでくれる一人であると期待のエールを送られている。

 

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