2011年1月27日

島谷征良句集『舊雨今雨』

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 句集『舊雨今雨』は島谷征良の第4句集、平成6年から13年までの8年間の作品から自選された350句を収載している(なお、本集はすべて、歴史的仮名遣いと旧正字であるが、ブログ記事上はその表記を実現できていないことをまずお詫びし、了承していただきたい)。

 ぼくの好みに偏しているかも知れないが、次の句にまず指を屈したい。

  紅梅と白梅の閒冷ゆるかな

  短夜や枕はづして子の熟寝

  敷きつめし石にも枯れの及びけり

  寝てをれといふに病父の年用意

  裸木よなきがらよりはあたたかし

  花はまだ吹雪かず父の百箇日

  無言とはいへず螢の戀の火は

 父を詠んだ句はいずれも切ないが、とりわけ、裸木の句は絶唱だと思う。

  初芝居すこし泣かせてもらひけり

 すこし齢を重ねたせいか、この感じはいいな、確かにそう思う。下句「すこし泣かせてもらひけり」に味わいが深い。

  眠れねば日合の冷酒かさねけり 

 ぼくは下戸だが、「日合の冷酒」とは、酒の好きな著者ならではのものだろう。日合が悲哀に通じているように思えるのも、上句「眠れねば」がその気分を誘い出しているからではなかろうか。

  「みたいな」とか「ぢやないですか」とか春著の子

  卒業生教師はげまし去りにけり

  秋晴や宙にゑがきて字を教ふ

  次の閒に冬の暮色の詰まりけり

 他に、島谷征良が広島生まれだからであろうか、誠実に詠み継いでいる次の句なども忘れがたい句である。

  廣島原爆忌秋思のはじめとす

  廣島忌烏だまつて頭上過ぐ

 それは第一句集『句集卒業』(昭和47年刊)の中の水俣病小児病室の句も同様である。、

  風船のぬけがら骨まで萎えし子よ

  これを病と呼ぶか春風を窻が斷つ

 すでに、40年ほど以前の作品だ。そして、

  三寒の四温の朱鳥なかりけり

 朱鳥こと、野見山朱鳥は、昭和45年2月26日に没している。「生命諷詠」をかかげ、当時魅力ある作品を発表し続けていたが、享年53。ぼくもまた大好きな作家だった。前書も何も付されていないが、追悼句に違いないと思っている。

 因みに『句集卒業』は、島谷征良と森岡正作の二人集で、二人の大學卒業を記念し「同じ大學で俳句に励んで来た者同士としての"別れの一献"の心算で」(後記)出され、後輩たちの支援もあり、国学院大學俳句研究会の発行となっている。文庫版でシンプルな造本が印象的だ(ブログ下段に書影あり)。

 それぞれが今は結社主宰であるが、島谷征良は27歳の若さで主宰誌を持ったのではなかろうか。当時、団塊世代としてはもっとも若い主宰であったような気がする。それは、ぼくのような、ほぼ同人誌しか知らない者にとっては、想像できない俳句形式に対する責任感の有り様であった。

さらに付言すれば、石川桂郎の序文には、島谷征良に対する期待が込められていた。当時、学生であったにもかかわらず、信頼の厚かったことが分かる。

「文法の正しいこと、格調を重んじる點で、『風土』の作者中この人の右に出る人はない」と述べ、「島谷君はまだ若いのだからもう少し思ひ切つた、八方破れな作品もたまには見せてもらひたいと思ふ。・・・中略・・・島谷君は外見に似合はず私と酒のつきあひもしてくれるし、明るく楽しい話題も豊富に持つてゐる。さういふ面が格調の正しさ、文法の精確さに加はれば鬼に金棒といへよう」と記している。

ともあれ、島谷征良はその後も頑固とも思える姿勢を貫いて来ている。しかし、その頑迷さと志は、実に信頼に足るものである。ぼくの記憶は定かではないが、最初に島谷征良に会ってから25年くらいが経つのかも知れない。その間、数えられるほどしかお会いしていないが、その姿勢は「人が句を作る。そして、句もまた人を作る」(『100人20句』邑書林刊)を、文字通り生きて来ているという感じを持ち、遠望し続けている俳人なのである。

最後になったが、句集『舊雨今雨』の後、つまり、平成14年以後本年までの句業は、まだ纏められてはいない。それらの句をまとめて読みたくなるのも人情ではなかろうか。

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