2011年2月18日

底冷の一番電車汽笛ふむ 長塚健&写真家・林義勝

「長塚さんが電車の運転業務に携わっていた時分の句である。人命を預かる者の決意、朝の寒気を突いて鳴る汽笛が心に響く」とは、句集『稲の花』に序文をしたためた菊地淳の言葉である。作者は昭和44年に帝都高速交通営団」(現・東京メトロ)に入団し、今年、定年退職するまで、運良く事故に会うこともなく勤めあげている。そのわずかな運命の差に、感慨を深くし、さすがに地下鉄サリン事件には筆を割いて言及している。

実は、この句集には、巻尾に2篇のエッセイが収められている。その一つが「一九九五年のことなど」である。それがサリン事件に触れているのだ。死者12人、入院999人、通院者4643人。その死者のうち2人が地下鉄職員の同僚である。その日、長塚健は上野駅の手前のトンネルで事件の第一報を聞いたという。銀座線勤務で霞ヶ関駅とは接続しておらず、難を免れたのだ。

 ぼくの知り合いにも、霞が関駅への通勤者がいたが、わずか数分の差で難を免れている。まことに人の運というものは分らない。しかし、生き残った側の長塚健は、その後、この事件をたびたび思い出し、句にもしている。

 彼岸寒サリンの記憶よみがへり

 癒されぬままに六年春の闇

 殉職して七年の日や涅槃西風

 サリン事件黙して十年朧かな

 春の星霊さまよひゐたりけり

 俳句を始めたのは、職場の労働組合活動に関係している。「私鉄文化」という私鉄総連の機関紙に投稿し、自分の作品が活字になる喜びを感じてかららしい。やがて、地元の「俳句講座」で取手市在住の大井戸辿を師として選ぶことになる。

しかも、年少時に遊びまわっていたところが軽部烏頭子(かるべ・うとうし)の生家であり、さらに、その近くには高野素十(たかの・すじゅう)の生家もあったのだという。これも因縁といえば因縁である。軽部烏頭子はといえば「ホトトギス」に投句していたが、水原秋桜子が「馬酔木」を創刊し、独立する際に秋桜子に従っている。高野素十はホトトギスに残るわけだからこれも因縁である。

 初雁のまぎれなかりし夜の雨    烏頭子

いずれにしても、長塚健にとっては、郷土に、それも近所に、これほどの俳人がいたということが、ちょっと誇らしいし、自慢であり、自分もそうした俳縁に繋がって、俳句を作り続けて行こうと思っている。

 スト前夜差し入れ届く夏みかん

差し入れがあると、意気も盛んになる。僕にも経験がある。

 靴底に筍出づる気配かな

どこか、むずむずした感じにもなる。それが靴底だから面白い。

 ひよつとこもおかめもありし瓢かな

ちょっとユーモラス?

 牛蛙夜の病棟に母逝きて

 浴衣着の母へ黄泉への紅をさし

切なさが極まる。

先生の昔ばなしや小六月

亡くなった先生ともまたお話がしたいものである。そういえば、大井戸辿先生には、

少女らは小鳥のごとし更衣    辿

という句があった。

装丁の写真は著者。

img110218b.jpg

と、ここまでブログを書いてきたところで、写真家の林義勝氏が来社された。

来月4月号「文字のないエッセイ」に登場していただくのに、わざわざ、写真を携えて来社してくださったのだ。

林編集長が取材で出かけて留守なので、担当の松本に付き添って、ご挨拶した。

ついで、と言っては恐縮だが、写真家にカメラを向けて、来社記念にパチリ。

現在、「NHK短歌」の表紙・花の写真を毎月連載されているとのこと。ご自身の興味というかテーマは、中国南北朝時代の訳経僧・鳩摩籮什(くまらじゅう)だそうである。従って、こんどの写真はそれを中心にしたものになりそうである。期待して下さい。因みに籮什の父はインド人だったそうです。母は?亀茲(ぎじ)国王の妹。

写真家/林義勝

| コメント(0)

コメントする