2011年3月のブログ記事

2011年3月31日

桜もちらほら・・・

桜もちらほら

昨日あたりから、ようやく春らしくなって気温も上がってきた。

それに連れて、辛夷、花ミモザ、そして桜の花も早いものはだいぶ開いてきたようである。

  初花も落葉松の芽もきのふけふ     富安風生

 初花とは、その年の春に初めて咲く桜の花のことである。日本列島は長く、けっこう寒暖の差があるので開花の時期もまちまちだ。もちろん桜の種類にもよる。一般的には、初花はヒガンザクラが多いのかも知れない。

  まさをなる空よりしだれざくらかな      風生

 枝垂桜といえば、僕にとっては、京都の円山公園を思い出す。18歳から21歳まで、3年間を京都で暮らした。すでに40数年も前のことで、その頃の京都にはまだ市電が走っていた。

 デモの解散地点となっていた円山公園の下、祇園・八坂神社交差点は、当時の若い労働者・学生のスクラムによって、必ずジグザグデモが行われる場所でもあった。

  ガスタンクが夜の目標メーデー来る    金子兜太

 日本で最初にメーデーが行われたのが、大正9年、東京は上野公園である。三橋敏雄はその年に生まれた。

  大正九年以来われ在り雲に鳥       三橋敏雄

 この句は、芭蕉の「この秋は何で年よる雲に鳥」の本歌取りになっている句。「鳥雲に入る」は北に帰っていく渡り鳥のことで季語としては春だが、芭蕉の句の季節は秋。三橋敏雄の誕生日は1920年11月8日だから、芭蕉の句を踏まえれば晩秋。

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2011年3月30日

多仁 竝(たに・ならぶ)氏来社・・・ 

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本日の「今日の編集部」は、心細い少數精鋭?になった。

林編集長は、体調下降気味?で午前中は自宅作業のため留守、スタッフ松本は、これも佐高信の「甘口でコニチハ!有馬稲子対談」のテープ起こしのまとめで徹夜気味での自宅作業で留守・・・、結局はもう一人の若き優秀な美人スタッフ三東と頼りない顧問の僕。とりあえず、今日一日は乗り切ることになった。

そうこうしている内に昼近くになったら、多仁竝氏が突然来社。聞けば、林編集長は今日が誕生日(昭和40年生まれだから・・・?歳)だから、とお祝いにケーキをお土産にいただいた。

早速、みんなで切り分けて食べました(美味、美味・・)。

それにしても社員の我々が、編集長の誕生日、覚えていないのに・・・・・、

多仁竝氏は、坪内稔典氏の「船団」では別の名前で掲載されているらしい。もっとも「豈」最新号51号から同人参加もされている。

ともあれ、5月号入稿に向けてのラストスパートがかかっているのだ。

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2011年3月29日

『襲魂(そだましひ)』淵脇護・・・

 

インタビュー

 

「襲魂(そだましひ)」、けだし著者の心根を現わしている集名である。

由来は、角川春樹の次の句に拠るという。

  反逆の襲(そ)の魂や鷹渡る    春樹

襲とは熊襲、その昔、九州の地にあって、大和王権に反逆した一族のことである。

そのまつろわぬ民の栄光を負っている末裔が淵脇護であり、現在、鹿児島に居を構えている。

「あとがき」にも次のように記している。

  私は第一句集『襲の髭』を経て、第三句集でも、やはりまた私の魂の源流である

 『襲魂』に帰って来ざるを得なかった。定年後、故郷の山河に身をひたしながら生きる

私の大和魂とは、熊襲の末裔として優しくも猛々しい襲魂であったことに、今きづく

 淵脇護はかつて岸上大作の同志であったという。同志とあるからには単なる友人の域ではない。

そのことは、「若き日の『國學院短歌』の同志・岸上大作を思ふ」という前書の句に明らかである。

  岸上の破滅の恋よメーデー来

  岸上の縊死(いし)や道玄坂灼くる

 ぼくにも、かつて岸上大作「意思表示」を読んだ記憶がある。

   血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする     大作

  美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも

  白き骨五つ六つを父と言われわれは小さき手を合わせたり

 とはいえ、句集『襲魂』は、その名の醸す猛々しい感じではなく、じつは愛しみに満ちた句集である。 

 さらに言えば、父母そして妻、身近な人を恋うる詩で満たされているといっても過言ではない。

 存在の愛しみ・・それは生きとし生けるものへの愛惜をもとにする鎮めの詩でもある。

  羅の息うすすすと父おはす

  父の忌の四葩ひとひらづつ深む

  生き過ぎとのたまふ父に豆を打つ

  父の忌や沓脱ぎ石のすういつちよ

  父逝いて田のあるかぎり田を打てる

  母の忌の葱ねんごろに洗ひをり

  母がりに榾挽きをれば嶺々昏るる

  母いかに山畑に棉実るころ  

  夕端居母の口より死後のこと

  母の息ひと息ごとのつくつくし

  母病めば黄の蜜垂るるすひかづら   

  母の日の母におむつをすすめをり

  立て膝に粥食(を)す母や夕螢

  写経して母の八月十五日

  盆夕焼母の目が言ふもう行くの

  冬桜われに育ての母ふたり

  風孕むほたるぶくろや母病めり  

  妻恋へり水母の傘沈むとき

  かなかなや妻のみ蹤きし担送車

  妻と食べ妻と寝て起き日脚伸ぶ

  蜜豆を妻より貰ふひとすすり

  妻と越す砂丘の果ての冷やし汁

  妻と立つ湖よとんぼう翅鳴らす

  春宵や妻が所望の和菓子買ふ

 まだまだ多くの父母妻恋の句があるが、引用はここまでにする。

 なかでも「砂丘の果ての冷やし汁」の句は切ない感慨をもよおす。

 最後に、僕のとりわけ好きな句を上げさせていただきたい。

  すかんぽや酔へば源義の「馬鹿野郞」

 「源義」はもちろん角川源義、羨ましい師弟である。同人誌育ちの僕には、特定の師というものはない。

 いまさら、師にもつけないので、そういう羨ましさがある。

襲魂(そだましい)

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2011年3月28日

花韮?

 

いつものことながら、「俳句界」が発売されると、会社近くの芳林堂書店高田馬場店に行って、チェックする。

その途中で咲いていた花韮?(実は確信がもてない)があまりに美しく咲いていたので、パチリ。

花の名前合っていますでしょうか?ね・・・・

ところで、「俳句界」4月号は面挿しでしたが、すでに1冊しか残っていなかったので1冊はすで売れていますね(たぶん、毎月の入荷は2冊)。

で、写真にもあるように、となりに「短歌現代」4月号が「現代短歌の文体」特集をしていたので、手にとってめくると、わが「俳句界」編集長・林誠司の俳壇時評が載っているいるではありませんか。

編集長同門先輩格の・大木あまりの読売文学賞受賞について記してあった。

聞けば、連載だそうですから、今後も乞うご期待!です。

芳林堂書店へは5月号「夭折の俳人」の参考資料にと、ついでに住宅顕信『未完成』(春陽堂書店)を求めに行ったのだが在庫なしだった。5月号(4月25日発売予定)はたぶん総合誌では、初お目見えだと思うが、顕信の遺児(住宅春樹)が父を語る筆を取っている。お楽しみに・・・。

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2011年3月25日

第13回俳句界評論賞は依田善朗氏に決定

その1

昨年12月20日に締め切った第13回俳句界評論賞は、12編の応募をいただき、筑紫磐井、仁平勝両選考委員の審査(応募作はすべて無記名の上)によって、本年は「横光は波郷に何を語ったか」依田善朗氏に決定した。

速報の告知は本誌5月号で発表し、詳細は6月号で受賞作全文、選者の講評、受賞の言葉などが掲載される。

贈賞式は例年であれば、山本健吉文学賞と同時に、5月に行われていたが、本年は、山本健吉文学賞と同時に行われるのは変更なしだが、開催月は11月上旬を予定している。

依田氏は、昭和32年3月29日、東京生まれ、「未来図」同人。実は、第10回俳句界評論賞を「『病雁』・芭蕉と共に」で、戦時下の波郷の境涯と俳句について検証して受賞している。当時の選考委員は岸本尚毅、宮坂静生両氏である。今回も波郷についてだから、依田氏にとってライフワーク?かも知れない。

おめでとう御座います。

・その2

5月号「魅惑の俳人・富田木歩」について、俳句文学館が開館していることが分かったので、早速、書影を撮影するために出かけた。従って提供は俳句文学館。俳句文学館図書室に行くと、いつも誰かに会う。今回は「ににん」の岩淵喜代子氏だった。図書館だから話は出来ない。お互いの挨拶のみ。変わらずお元気の様子だった。

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2011年3月24日

明日4月号発売・・

 

2011年4月号

明日、25日(金)、4月号は流通が順調ならば、全国一斉発売日なので、店頭に並ぶか、定期購読の方には届いているはずだが、東日本震災の影響を受けて、お届けできないところがあると思われます。

まことに申し訳ありませんが、もし、届かないことがあれば、少し辛抱して、お待ちいただけるようお願いします。

本日は朝、菅原鬨也(「滝」主宰)氏からの句稿がFAXで届いたのだが、仙台市太白区にお住いなので、当然被害に遭われていて、とりあえず元気だが、疲れはピークのようで、余震もあり、家には長くはいられない。連絡もこんな中では十分できない。少し、足も痛いと避難生活の大変さをもらしておられた。それでも俳句だけは出来ているとのこと、それでも、限界が近いともいわれていた。愚生には、何ともかける言葉もなかったが、震災遭遇の句を多く寄せていただき、この中から選べとの指示をいただいた。感謝に耐えない。

また、「鬣」の中里夏彦氏は、福島原発の近くにお住いで、地震では無事だったものの、事故による放射能汚染地域で30キロメートル外に待避命令が出ているので、避難所生活になったとのことだ。

ともあれ、皆さんのご無事とご健康を祈ります。

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2011年3月23日

一期一会集

 

一期一会集

 5月号で「魅惑の俳人・富田木歩」特集のために、書影をなんとかしようと(俳句文学館は地震のため?当分休みなので・・)『決定版・富田木歩全集』全一巻(世界文庫)を求めて、会社近くの早稲田古本屋街に探しにでた。

 ネットで目星をつけて置いたので、ここなら在庫があるはずと渥美書房に入ってのだ。会社近くには近代文学で有名な平野書店もあるが(この店は丁寧にグラシンが全部かかっていて、保存状態はいい)、そこを飛ばして行っただけはあった。垂涎ものの句集も多くあったが(俳人協会の自選シリーズは日焼けして外に100円均一・・可哀そうに)。木歩は棚になかったので、仕方なく店番のご婦人に声をかけた。

「あの~」

「ちょっと待って下さい」。

目録を見ているから、てっきりウインドウに入っている何か、高価本の特別コーナーかと思いきや・・

「倉庫にあるので、今は店番が誰もいないから、今度、事前に電話をかけて来て下さい。出しておきますから・・」

「そうですか、じゃーそうします。ところで、いくらくらいするんですか?」

「六千円ですね」

「ああ、そうですか」

じゃー、といって店をでたら、またまた店頭日晒しの百円均一本に目が行き、折角だから、コーヒーを飲みながら一読する本を物色した(何しろ、昼の食事休憩を使ってきているのだから、ついでに腹ごしらえもしなくてはいけない)。

それで、買ったのが『一期一会集』荻原井泉水著。大扉には井泉水の桃の絵。発行は層雲社、昭和46年、非買品とある。早い話が、井泉水と会った俳人たちの句が掲載されているのだ。巻頭は日向野秀作(栃木県小山市)47句、次に松尾あつゆき(長崎)、被爆の句が有名だが、当然収録されていた。

  ケロイドからは汗もでない炎天はたらく      あつゆき

  原爆で身寄りなし原爆公園の草をぬく仕事     〃

先般、自由律俳句特集のときに、登場いただいた和久田登生(浜松)氏は一句載っている。それは、

  コップの水の無心青葉黙している         登生

僕の故郷山口県からは、近木圭之介(下関)11句。

  お骨のまだ熱い壺、膝の上に冷えきる       圭之介

巻末はもちろん、荻原井泉水だ。層雲作家一覧ということだろう。

 わが柑子の黄なるたわわなる足るを知る      井泉水

 一路国道九号線稲田一望                   

ところで、書影のための木歩全集・句集はまだ手に入っていない。

 

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2011年3月22日

福田葉子インタビューと、くまざわ書店武蔵小金井店

福田葉子インタビュー

6月号の魅惑の俳人は中村苑子。その中村苑子の常に側に居た人が福田葉子である。

福田葉子はれっきとした俳人で句歴も長く、中村苑子の色々と世話をする前は高柳重信の側近でもあり、高柳重信の俳句教室(特に西武)には欠かさずお供をされていた。重信急逝ののちは、その連れ合いであった中村苑子のお供を引き続きしたのである。

福田葉子〈高柳重信『日本海軍』録音テープの復元の周辺〉として講義録が『現代俳句の世界』(集英社)のムック本にも出ていたので、記憶されている方もあるかも知れない。

というわけで、中村苑子についての公私について、これほど詳しい人もいない。インタビューでは色々覗うことができた。

会場は中村苑子存命の時から句会場になっていた成城学園駅前の風月堂。3階は会議室(素敵な絵も掛かっている)になっていて、今でも月に2回はここで句会をされているという。

僕は初めて成城学園駅に降り立ったが、なかなかおしゃれな街である。早めについて昼食は駅ビルの4階に箱根・暁庵を見つけたのでそこで蕎麦を食べた。

実は、かつて、箱根の暁庵でも、また広尾に支店があったので、そこの暁庵でも食べたことがある。蕎麦は手打ちで美味。

その成城学園駅に三省堂書店があったので、早速偵察、「俳句界」3月号が一冊残って陳列されていた。

成城学園駅の三省堂書店

下の「俳句界」3月号の陳列写真は、武蔵小金井駅南口イトーヨーカドー4階にある「くまざわ書店武蔵小金井店」である(「俳句界」是非、買ってね!)。

通勤途中なので、よく寄るが、「俳句界」は開店当初は、2冊くらいおかれていたが、その後、見かけないので営業に行った。店長の松田さん(意外や若い女性だった)は快く、定期改正をして、毎月3冊を置いてくれることになった。深謝!

通勤途中とはいえ、なぜ、たまに寄ることになったかと言えば、さほど大きくないこの規模の書店にしてはめずらしく(もっとも、スーパーのなかなので児童書は揃っているが)、毎週の新聞書評に掲載された本をはじめ人文系の本も割合良く揃っていたので、きっとこの店には、それらのジャンルに詳しい人が担当でいるに違いないと思っていたのだ。

店長曰く、「お蔭さまで、お客さまもついて下さっていて・・・」とのことだった。

「俳句界」もきちんと置いてくれることになったし・・・、ということもあるが、最近でも、中原中也賞の辺見庸著『生首』(毎日新聞)をここで買ったし、前田英樹著『保田與重郎を知る』新学社も買った。今をときめく仁平勝が目からウロコとささやいてくれた内田樹もよく揃っている。

もちろん、立ち読みもする。高山れおなが「芸術新潮」編集部にいるので、「芸術新潮」もチェックの対象である。なかなかあざといキャッチコピーで「俳句界」より、よっぽど過激だ。

くまざわ書店武蔵小金井店

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2011年3月17日

枯草や住居なくんば命熱し   永田耕衣

計画停電001

1995(平成7)年、阪神淡路大震災、永田耕衣は夜中にたまたまトイレに入って、全壊の家から、トイレの手水の金タライをカンカンと打ち鳴らし、近所の青年にトイレの窓から助け出された95歳の時である。耕衣は震災を詠んだ。例えば、

    白梅や天没地没虚空没

中でも僕の好きな句は、

   枯草や住居なくんば命熱し

である。また、

  枯草の大孤独居士ここに居る

その後、避難所生活ののち、老人ホームで生涯を閉じた。享年97。

耕衣は常々「雑草の哲学」と口にしていたらしい。

ともあれ、朝日新聞は「東日本大震災を詠む」短歌・俳句を緊急募集するという。

それに倣ったわけではないが、小社月刊「俳句界」も5月号で緊急「新作3句・大震災を詠む」を現在、先生方に依頼中である。

本当は、メッセージとして復興支援と名打ちたいくらいだが、それでは、文学としての俳句の幅が狭くなる、あえて「大震災を詠む」のみ、いかなる詠み方が可能なのか、ご協力をお願いする次第である。

救援物資を送ることが出来る人は物資を、ボランテアができる人はボランテアで、義援金の可能な人は義援金を、些細でもいいから、自分に出来ることを、などという僕は祈ることくらいしかできないのだが・・・。

写真は、計画停電により、駅の灯りとビルの非常灯の灯りと月光のみ。

闇夜だったら、暗くて、自転車の無灯火、黒っぽい服の人はまったく見えなくなるという感じだった。

計画停電002

 

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2011年3月16日

計画停電・・・奮闘中!

 

計画停電・・・奮闘中01

わが「俳句界」編集長は、今朝は会社に泊まっていた。

横須賀のさらに先、海の近く(詳しい住所は知らない)から通勤している関係で、昨日は計画停電による午前中の停電の影響を受けて京急電車は運休。朝7時半から歩いて品川まで出て、会社に辿り着いたのが午後2時。というわけで、昨夜は帰宅することなく、会社にキャンプ。深夜三時まで、仕事ができた?と嘯いていました。

で、毎日、キャンプになるかと思いきや今日も計画停電によって午後4時には電車もストップするというので、自宅作業と称して原稿?を抱えて早め目に退社していきました。

不思議なもので、困難があると不謹慎にも、少し興奮気味になってしまい、年甲斐もなく、知らないうちに気が張ったりするのです(私はですが・・)。

こうして、編集長だけでなく、雑誌編集部、書籍編集部双方とも、幾多の困難にも屈することなく、仕事に日々奮闘しているのであります(何ヶ月続くのかなー)。

でも、もっと厳しい状況の人々も多い。

今日も数回地震があった。一番大きかったのは昼過ぎ、千葉県震源での千葉震度5弱、昨夜は静岡震度6の地震。なんだかフォッサマグナ以東は全体が揺れている感じだ。

このビルの8階は強風にも揺れているから、地震なのか風なのかいっこうにハッキリしなくなるから怖い。

放射能だって怖い。昨日は、雨の降らないうちに帰宅する人が多勢いて(会社命令で)、しかもかなりの人がマスクをしていた。花粉症ではなく、大気中の放射能濃度が上昇したせいだ。

放射能が怖いのは、体内といわず植物、動物すべてに蓄積されていくからだ。そして、子供たちはその影響をもっとも受けやすい。こんな中でも辛夷の芽ははふくらんできている。

辛夷の芽

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2011年3月15日

関根あつ子句集『冬銀河』・・・

著者の関根あつ子は、本名「惇子」、さいたま市在住、「紫」(主宰・山﨑十生)同人である。前「紫」主宰の関口比良男に入門、薫陶を受け、先師没後は引き続き山﨑十生に師事し、今日に至っている。

山﨑十生が丁寧な序文を寄せているので、これ以上のことは、屋上屋を重ねるので、遠慮したいが、僕の感じたところをあえて記すとすれば、母を詠った句の心に沁みることだ。

例えば、

   遠野火や死ぬまで母をまさぐりて

 下五「まさぐりて」は、実際にいじったり、もてあそんでいるのではない、探し求めてということである。それを手触りのある言葉として「まさぐる」を選んだ作者がいる。しかも、「死ぬまで」とは作者自身のことで、母はすでにこの世にはいない。遠くに野焼の火が見えていて、ふと、そう思うのである。

 その他にも、母を詠んだ佳句は多い。

  母を追ひ母を負はざる春の波

  この道をまっすぐ行けば母篝

  母離れできそうにない桜漬

  母越ゆる春一番と思ひけり

  山ぶだう母への挽歌ゆれやまず

  母だけが泣いてくれた日青嵐

  冬の鵙母性一直線なりし

  カンカン帽母の自慢のひとつが父

  夕日より今は遠くに稗引く母

  アマリリスたやすく母を泣かせけり

  そのむかし母が歎きし葎かな

  向日葵のどこかに母の目がありぬ

 掲出した最後の句、向日葵を眺めてさえ、母のことを思い出している作者がいる。 何かにつけ、母のことを思い出しているのだ。「母を追ひ」「母離れできそうにない」「母越ゆる」「母だけが泣いてくれた日」など、いずれの句もそうであろう。

 ともあれ、母の句以外での僕のイチオシは、

  忘れてはならぬを忘る極暑かな

この句には、どこか三橋敏雄「あやまちはくりかへします秋の暮」の換骨奪胎を見たような気がした。忘れられない句だ。

そして、なにげない表情の句ではあるが、なかなかの趣のある句として、集中、もっとも好きな句である。

  焚くほどはあらざる春の落葉かな

 常緑樹の落葉はめだたないが気がつくと新芽が出て、いつの間にか新しい葉と変わっている。「焚くほどはあらざる」が巧みである。

 序によると、句集名となった「冬銀河流れることを忘れている」には、作者の何か深い思い入れがあるようだ。ご健吟を祈る次第である。

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閑話休題。昨日鬼房顕彰全国俳句大会(21日・塩釜遊ホール)について、付近の俳人の方々が心配だと書いたら、偶然にも、「小熊座」高野ムツオ主宰はご無事との連絡が入り、編集長渡辺誠一郎、佐藤成之、関根かな各氏もご無事で、ライフラインの復旧を待つのみとのこと、また、ロータス発行人・志賀康氏もご無事とのことだった。まだまだ気になる方々がいらっしゃるが、ひたすらご無事を祈るばかり。

下の写真は高田馬場駅前芳林堂書店下の花屋さんのものである。

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2011年3月14日

健吉賞選考委員会延期・スーパーは長蛇の列・・

 

スーパーは長蛇の列

明日は、御茶ノ水・山の上ホテルで山本健吉賞評論部門の選考委員会の予定だったが、延期になった。

選考委員の宮坂静生先生は松本、中央本線あずさは運休、しかも松本付近は直下での地震が頻発しているらしい。大串章先生は千葉、JR総武線は運休している。千葉も東京に比べてもけっこう被害が大きい。

東京のスーパーはどこも長蛇の列で、庶民は水や食料品を買い求めて、プチ・パニック状態。しかし、どこも商品不足。

地震関連商品の家具倒壊防止器具、トランジスタラジオ、電池などもすべて売り切れ。

もちろんコンビ二のパンやインスタント食品も売り切れ。街はそうしたものを買い求める客で溢れている。

また、通勤時、電車の動いている駅に辿り着いたら着いたで入場制限、これまた長蛇の列。

東北地方の惨状には、言葉もないが、首都圏も計画停電完全実施で、4月下旬までこの事態が続けば相当なダメージではある。

「小熊座」・鬼房顕彰俳句大会(塩釜・21日開催)のことも気にかかるが、それ以上に、全く安否が分からないのが心配だ。

ともあれ、皆さんのご無事を祈るばかりである。

下の写真は武蔵小金井駅入場制限の列。右側に折り返して改札口に到達する。300メートルくらいか・・・。

武蔵小金井駅入場制限

 

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2011年3月11日

震度6弱???

 

110311社内画像01

長い地震だった。いまも時折揺れている。

もともとが強風でも揺れるビル・・・と思っていたら、だんだん揺れが激しくなって、とりあえずはパニックになる前に、みんなで本棚の側、ロッカーの側から離れて、倒れるものがない位置に移動した。ドアも開けて出入り口を確保し、揺れのおさまるのを待った。

その間、ついにというべきか、これは関東大震災の再来か?などと思ったが、テレビも何もなく、詳しい情報は全くない。編集長以下、近くの公園に避難。

しかし、外を歩く勇気のない私は、このビルとともに沈む?のだという根拠のない義務感?と会社を死守するという使命感で、一人社に残った。

そのうち、当然のことながら、心配した社長から、会社の死守命令???が出て?

私はここぞとばかり、私一人で確保していますから、ご安心を・・・、などと、これも根拠のない自信たっぷりの答えをしたのはいうまでもない。

結局、森澄雄の額が落ち、予定を記したボードが落ち、ついに本棚の本はもちろん、ロッカーも倒れた。

それにしても、不幸中の幸いというべきか、悪運強いというべきか、昨日で4月号が校了、このまま推移すれば、予定通り読者に届けられる。

その後、少ない情報ながら、東北が震源近くで大変なことになっているらしい。

とりあえずは、すべての人々の安全を、自身を含めて祈念しよう。

まだ、地下鉄・電車はすべて止まっているらしい。

110311社内画像02

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2011年3月10日

山本健吉賞選考委員会・・

 

山本健吉賞選考委員会01

本日は4月号校了日、最後の奮闘の時間が流れている。

と、言いながらも、ご報告をしたいことがある。

昨日は、山本健吉賞選考委員会「俳句部門」が山の上ホテルで行われた。

俳句部門は金子兜太、廣瀬直人両先生が選考委員だ。お二人とも元気いっぱい率直な意見が交換された。健吉息女・山本安見子氏も立ち会われた。

評論部門の選考委員は大串章、宮坂静生両先生。日程がどうしても合わず、評論部門は来週15日に行われることになっている。従って、対外的にはその日以後、評論部門の授賞と併せて発表される。

ともあれ、句集部門は加藤郁乎『晩節』に決まった。

いずれ、授賞式も俳句界評論賞と併せて、少し遅れるが、秋口に行う予定である。

上の写真は選考委員会を終わってロビーで雑談中の金子兜太・廣瀬直人・山本安見子各氏。

選考委員会が終わって、編集部スタッフと安見子さんは俳人協会総会・懇親会に出席するために京王プラザホテルに移動した。編集長・林はれっきとした俳人協会会員で、かつ、かつて新人賞受賞者。安見子さんは本年俳人協会新人賞・上田日差子氏への花束のプレゼンターなのである。

下の写真はその京王プラザホテルに飾ってあった吊るし雛。

山本健吉賞選考委員会02

 

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2011年3月 8日

沈丁花・・・

沈丁花・鯉001

 

本日で4月号「俳句界」の取次ぎ会社との部数交渉は終り。写真は取次会社最後の訪問先、栗田出版販売の前の通り咲いていた沈丁花。鯉は赤羽駅のショッピングモール。

  逃げ道を塞がれており沈丁花    山本敏倖

遠くからでも芳香に富む沈丁花は、香の漂いによって、道が塞がれている感じがしないでもない。

 いま、編集部は4月号の最終校正段階。一字の間違いもないように緊張感が漂っている。逃げ道はない。間違いがなくて当たり前、誤植を出せば・・・お叱りが。

最近『誤植』という句集を出された方もいるが、永田耕衣は誤植もわが作品と言ったという傑物である。さてさて・・・・

 

沈丁花・鯉002

     
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2011年3月 7日

都心は啓蟄過ぎの春の雪・・・

都心にも雪

昨夜からの雨は、予報通り雪に変わり、都心でも少し積もりました。

写真は4月号、取次ぎ・トーハンへの仕入れ部数を決めるための交渉に行く途中、神楽坂・赤城神社の近くで・・・

以前、東京は3月になってから雪が降ると書いたことがありましたが、全くその通りになってしまいました。

ともあれ、毎月行う取次ぎ会社との仕入れ部数交渉ですが、明日の日販、栗田出版販売の二社を残すのみとなりました。売り上げは皆さんのお蔭で好調を維持しています。

先日の某新聞では雑誌の時代は終り・・・とばかりに、雑誌業界全体ではここ15年くらいは前年比マイナス成長が続いているグラフが載っていました。確かに、雑誌は凋落し、ネットの情報力の方に傾いてはいるようです。それは、文芸誌、当然、俳句総合誌も例外ではありません。しかし、「俳句界」はもともとの部数規模が小さいとはいえ(角川「俳句」に比べ)、ここ1年半以上、前月比を落ちたことはありません。微々たるときもありますが、伸長し続けています。これも、読者の皆さんの応援のたまものです。

先々週でしたか、朝日新聞の俳壇時評で高山れおな氏が、総合誌の雑詠欄こそはネットに対抗しうるというようなことを述べられていたように記憶していますが、わが月刊「俳句界」も8月号より投句欄選者に新選者を迎えます。有馬朗人、池田澄子、泉田秋硯、大串章、加藤耕子、角川春樹、名和未知男、廣瀬直人、坊城俊樹など各先生方の豪華布陣です。さらなるご贔屓をお願いいたします。

雑詠欄に投句ハガキを導入したのは、高屋窓秋が「馬酔木」に挿入したのが始まりらしいです。

 

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2011年3月 4日

立春? 河津あきら『虜囚』・・・

立春とは名ばかり、全く真冬の気温である。

いまだ寒中といった具合だ。

「寒泉に一杓を置き一戸あり」と詠んだのは木村蕪城であるが、その蕪城に連なる「夏爐」(主宰・古田紀一)に拠る河津あきらは、〈寒柝〉の俳人と名付けてもいいような作品を生み出している。それは、河津あきらの節目、節目に登場すると考えてよいのではなかろうか。その気息は凛々しい。例えば、巻頭に据えられた句、

  寒柝の一戸を覚まし又闇に

寒中の夜回り、拍子木の響が、山中の一戸に燈しを灯させたのでもあろうか、火の用心の掛け声に安心して、再び、眠りについたのだろう、燈しが消えて、あたりは又、元の闇に包まれる。そうした情景もさることながら、句に宿っているのは作者の凛とした気息である。

  寒柝や深夜を灯す喪の一戸       (落鮎の章・平成7年以前)

  寒柝にうごめく真夜の厩牛        (小鳥罠の章・平成12年)

  寒柝に覚めて咳く深庇           (蒼鷹の章・平成17年)

最初の「深夜を灯す」の句は、前書に「平成六年四月『夏爐』入り」とある。従って「一戸」は蕪城の寒泉に一戸の句と呼応しているに違いない。蕪城は昭和40年から亡くなる平成16年まで「夏爐」を主宰した。忌日は昨日、3月3日である。

書名『虜囚』は、大正13年生まれ、今年で満87歳の著者の年代を考えれば、終生の句のテーマと成リ得るものであろう。

勝って来るぞと勇ましく、誓って故郷でたからは・・・「露営の歌」はいまだに、胸中深く刻まれているにちがいない。

  今に見る露営の夢や寒玉子

  木犀や戦旅の果に嗅ぎし香ぞ

  霾や黄河の哨に立ちし日よ

  書架に古る「わだつみのこゑ」春寒し

  会者定離戦友名簿さらしけり

  梵鐘は山に帰らず敗戦忌

  夏風邪や覚めては遠し虜囚の日

  虜囚よく耐へしと思ふ天の川

思えばいまは、親しい多くの人を見送られてもいる。

  何も彼も遠し晩夏の晒し舟

ひたすら、日々の平安と著者のご自愛、ご健吟を祈るばかりである。

 

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2011年3月 3日

桃の節句・雛節句(ひなのせっく)

桃の節句・雛節句

「五節句の一つで、三月三日の雛祭のことをいう。陰暦によると、丁度桃の花の咲く頃であるし、桃花を挿して雛に供え桃花酒を酌みなどするので、特に桃の節句、桃花節、桃の日などと称するのである。菊花節などというよりも、鄙びて優しく聞こえ、桃源なども連想され、伸びやかな感じがする」と改造社版『俳諧歳時記・春之部』(昭和22年刊)には季題解説として載っている。また、合せて「古書校註」のコーナーで俳諧指南書歳時記・北村季吟撰『山之井』に、「けふは曲水宴のまねびといひて、桃の花と柳の枝を銚子・瓶子などにつけつゝ、人にもこのさゝをもり内祝ひにも用ふ。是を俳諧には、桃の酒といひ伝へぬ」とある。「さゝをもり」は酒盛り。

例句には、つぎのような句が載っている。

  節句明けてはまぐり煮出す障子哉       鬼貫(俳諧七車)

  桃の日や蟹は美人に笑はるゝ          嵐雪(玄峰集)

  桃の日や下部酒もる蒸鰈             白雄(白雄句集)

  桃の日や雛なき家の冷じき           机菫(井家集)

例句の出典がいちいち記してあるところなど、現代の歳時記には見られない親切というものである。しかも、古い歳時記の校注も入って、単なる季語収集以上の楽しみがある一書だ。ただし、索引は付いていないので、季語が掲載されている項目を目次で探し出さなくてはいけない。桃の節句は春之部・人事。

現代俳人の句から、

  ひなあそび十津川渓谷白光塵(びゃっこうじん)    夏石番矢

  寂庵に雛の間あり泊まりけり              黒田杏子

  老人の遠きしはぶき雛飾る               藤岡筑邨

雛壇の写真は先だっての有馬朗人文化勲章を祝う会会場の帝国ホテルで。

 

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2011年3月 2日

高田馬場の馬

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東京支社、つまりは、私が勤務している場所は、高田馬場の馬場口交差点にあるビルの一室だ。

昔はといっても江戸時代は三代将軍・家光の頃に流鏑馬を行うためや遊技場としての馬場があったそうな。越後の高田藩の屋敷があったので高田馬場の名がある。

いまやラーメン店の激戦区でもある。馬場麺というらしい。

ともあれ、その一角に階段があって、写真のような馬の首像がある。

馬に関係して、赤尾兜子の馬盥の句。

  機関車の底まで月明らか馬盥   兜子

 第三イメージが実現した句と兜子自ら言っていた句である。さらに馬盥を「まだらい」と読ませたいと述べていたような記憶がある。

あるいはまた、次のような句もある。

  馬洗う原子力船『むつ』帰る   児玉悦子

「馬洗う」は夏の季語。

  風神をのせてたてがみ馬肥ゆる  井沢正江

「馬肥ゆる」は秋の季語。

下の写真は、東京農大厩舎の入り口。

東京農大厩舎の入り口

 

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2011年3月 1日

毎日俳句大賞

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昨日は午後2時から、東京神田神保町・如水会館で毎日は俳句大賞の表彰式と祝賀会か行われた。講評会もあわせて行われたが、有馬朗人、宇多喜代子、大串章、大峯あきら、小川軽舟、鍵和田ゆう(禾へんに由)子、金子兜太、黒田杏子、芳賀徹、長谷川櫂、廣瀬直人の各選者は錚々たる面々、各人が短いとはいえ、それぞれ講評を述べられるのだから、限りなく興味に加えて、魅力がある。

ともあれ、大賞には、沖縄の方が選ばれた。

  夏休み村の大樹を抱きにゆく    筒井慶夏

準賞には、

  初硯一滴の水まろび入る       岩井慶典

一般の部の優秀賞には、

 シベリアの氷柱となりし兵の列     田中 隆

 昼寝から覚め老人にもどりけり     宮島 敦子 

こどもの部・最優秀賞に、

 宇宙から地球を見たらシャボン玉   前岡知夏

それぞれが、栄誉に輝いた。そのほか国際の部や結社奨励賞もあり、今年は点字応募作品のなかから一般の部で、小林すみ子さんが入選した。

 大江山大瑠璃の声高らかに       小林すみ子

帰り道、久しぶりにふらんす堂・山岡喜美子さんとお茶などしましたが、その様子は、ふらんす堂編集日記で山岡さんが書かれているので、そちらを・・・・

思わず、自身の昔日を思い起こし、寄る年波で、涙もろくなっている?自分を発見!

それにしても、ん十年、山岡さんは、俳句の世界で、なかなか貴重な仕事をされてきたなあ・・・

写真は大賞の筒井さん、とこどもの部・最優秀の前岡さんです。

 

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