2011年3月15日

関根あつ子句集『冬銀河』・・・

著者の関根あつ子は、本名「惇子」、さいたま市在住、「紫」(主宰・山﨑十生)同人である。前「紫」主宰の関口比良男に入門、薫陶を受け、先師没後は引き続き山﨑十生に師事し、今日に至っている。

山﨑十生が丁寧な序文を寄せているので、これ以上のことは、屋上屋を重ねるので、遠慮したいが、僕の感じたところをあえて記すとすれば、母を詠った句の心に沁みることだ。

例えば、

   遠野火や死ぬまで母をまさぐりて

 下五「まさぐりて」は、実際にいじったり、もてあそんでいるのではない、探し求めてということである。それを手触りのある言葉として「まさぐる」を選んだ作者がいる。しかも、「死ぬまで」とは作者自身のことで、母はすでにこの世にはいない。遠くに野焼の火が見えていて、ふと、そう思うのである。

 その他にも、母を詠んだ佳句は多い。

  母を追ひ母を負はざる春の波

  この道をまっすぐ行けば母篝

  母離れできそうにない桜漬

  母越ゆる春一番と思ひけり

  山ぶだう母への挽歌ゆれやまず

  母だけが泣いてくれた日青嵐

  冬の鵙母性一直線なりし

  カンカン帽母の自慢のひとつが父

  夕日より今は遠くに稗引く母

  アマリリスたやすく母を泣かせけり

  そのむかし母が歎きし葎かな

  向日葵のどこかに母の目がありぬ

 掲出した最後の句、向日葵を眺めてさえ、母のことを思い出している作者がいる。 何かにつけ、母のことを思い出しているのだ。「母を追ひ」「母離れできそうにない」「母越ゆる」「母だけが泣いてくれた日」など、いずれの句もそうであろう。

 ともあれ、母の句以外での僕のイチオシは、

  忘れてはならぬを忘る極暑かな

この句には、どこか三橋敏雄「あやまちはくりかへします秋の暮」の換骨奪胎を見たような気がした。忘れられない句だ。

そして、なにげない表情の句ではあるが、なかなかの趣のある句として、集中、もっとも好きな句である。

  焚くほどはあらざる春の落葉かな

 常緑樹の落葉はめだたないが気がつくと新芽が出て、いつの間にか新しい葉と変わっている。「焚くほどはあらざる」が巧みである。

 序によると、句集名となった「冬銀河流れることを忘れている」には、作者の何か深い思い入れがあるようだ。ご健吟を祈る次第である。

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閑話休題。昨日鬼房顕彰全国俳句大会(21日・塩釜遊ホール)について、付近の俳人の方々が心配だと書いたら、偶然にも、「小熊座」高野ムツオ主宰はご無事との連絡が入り、編集長渡辺誠一郎、佐藤成之、関根かな各氏もご無事で、ライフラインの復旧を待つのみとのこと、また、ロータス発行人・志賀康氏もご無事とのことだった。まだまだ気になる方々がいらっしゃるが、ひたすらご無事を祈るばかり。

下の写真は高田馬場駅前芳林堂書店下の花屋さんのものである。

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コメント(2)

  

私が、冬銀河 で一番好きな 句は

紙一重 ほどの疎遠や べったら漬け    です。

毎年、日本橋、小伝馬町あたりでひらかれる

べったら市 を思い出します。

職場のすぐ近くでひらかれていたべったら市。

楽しかった会社員時代がよみがえります。

そんな 30年も 昔の事ですが

その時代の同僚とは いまでも 交流があります。

服部 和子より

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