2011年3月29日

『襲魂(そだましひ)』淵脇護・・・

 

インタビュー

 

「襲魂(そだましひ)」、けだし著者の心根を現わしている集名である。

由来は、角川春樹の次の句に拠るという。

  反逆の襲(そ)の魂や鷹渡る    春樹

襲とは熊襲、その昔、九州の地にあって、大和王権に反逆した一族のことである。

そのまつろわぬ民の栄光を負っている末裔が淵脇護であり、現在、鹿児島に居を構えている。

「あとがき」にも次のように記している。

  私は第一句集『襲の髭』を経て、第三句集でも、やはりまた私の魂の源流である

 『襲魂』に帰って来ざるを得なかった。定年後、故郷の山河に身をひたしながら生きる

私の大和魂とは、熊襲の末裔として優しくも猛々しい襲魂であったことに、今きづく

 淵脇護はかつて岸上大作の同志であったという。同志とあるからには単なる友人の域ではない。

そのことは、「若き日の『國學院短歌』の同志・岸上大作を思ふ」という前書の句に明らかである。

  岸上の破滅の恋よメーデー来

  岸上の縊死(いし)や道玄坂灼くる

 ぼくにも、かつて岸上大作「意思表示」を読んだ記憶がある。

   血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする     大作

  美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも

  白き骨五つ六つを父と言われわれは小さき手を合わせたり

 とはいえ、句集『襲魂』は、その名の醸す猛々しい感じではなく、じつは愛しみに満ちた句集である。 

 さらに言えば、父母そして妻、身近な人を恋うる詩で満たされているといっても過言ではない。

 存在の愛しみ・・それは生きとし生けるものへの愛惜をもとにする鎮めの詩でもある。

  羅の息うすすすと父おはす

  父の忌の四葩ひとひらづつ深む

  生き過ぎとのたまふ父に豆を打つ

  父の忌や沓脱ぎ石のすういつちよ

  父逝いて田のあるかぎり田を打てる

  母の忌の葱ねんごろに洗ひをり

  母がりに榾挽きをれば嶺々昏るる

  母いかに山畑に棉実るころ  

  夕端居母の口より死後のこと

  母の息ひと息ごとのつくつくし

  母病めば黄の蜜垂るるすひかづら   

  母の日の母におむつをすすめをり

  立て膝に粥食(を)す母や夕螢

  写経して母の八月十五日

  盆夕焼母の目が言ふもう行くの

  冬桜われに育ての母ふたり

  風孕むほたるぶくろや母病めり  

  妻恋へり水母の傘沈むとき

  かなかなや妻のみ蹤きし担送車

  妻と食べ妻と寝て起き日脚伸ぶ

  蜜豆を妻より貰ふひとすすり

  妻と越す砂丘の果ての冷やし汁

  妻と立つ湖よとんぼう翅鳴らす

  春宵や妻が所望の和菓子買ふ

 まだまだ多くの父母妻恋の句があるが、引用はここまでにする。

 なかでも「砂丘の果ての冷やし汁」の句は切ない感慨をもよおす。

 最後に、僕のとりわけ好きな句を上げさせていただきたい。

  すかんぽや酔へば源義の「馬鹿野郞」

 「源義」はもちろん角川源義、羨ましい師弟である。同人誌育ちの僕には、特定の師というものはない。

 いまさら、師にもつけないので、そういう羨ましさがある。

襲魂(そだましい)

| コメント(0)

コメントする