2011年4月のブログ記事

2011年4月28日

六角 耕『山百合』・・

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 六角耕(ろっかく・こう)は、昭和34年、栃木県鹿沼市生まれ。昭和54年に「雲母」に入会し飯田龍太に師事、その後、「雲母」の終刊によって「白露」に参加し、廣瀬直人に師事している。第二句集だという(第一句集は未見)。帯に上げられている、

  のがれやうなく釣堀に来てゐたたり         

  青柚子や雲ゆつくりと暗くなる

これらの句は、憂愁の気配を感じる佳句だと思うのだが、ぼくの好みを第一にすれば、

  父はみな赤子を高く山桜

  一切のみどりの中の実梅かな

  コック帽無菌の白に鰯雲

の清らかな愛しみを湛えた句を落とすわけにはいかない、と思う。あるいは、また、

  陽炎の踏切誰も無口なり

  青栗の目の高さなる原爆忌

  八月の暗き路地より野菜売り

  戦争のこと母に聞く心太

 「陽炎の踏切」は、誰も無口で、まるでかの世とこの世を区切っていながら、曖昧な境界を思わせ、

警鐘でうるさいはずの踏み切りも深閑としているように感じられるから不思議である。

「原爆忌」と「青栗」、まだ青いイガで包まれいる栗は、つい最近まで、強い香を発していた花に満たされていたに違いない・・・。

 八月は日本人にとっては、いまだに、特別な月である。その暗い路地は、もしかしたら、「故郷に知らぬ路地あり枇巴の花」かも知れない。また、八月は戦争の記憶と必ず繋がっている。その戦争のことを、母に聞いているのである。言いたいことも言いたくないことも、思い出したくないことも、それでも覚えていることはあろう。少なくとも伝えたいことが母にあるならば、今のうちに聞いておきたいのである。

心太の句では、「心太煙のごとく沈みをり」日野草城が有名だが、「酢に噎せて母の声聴く心太」石塚友二の母ものの句との趣の違いは、六角耕には歴史的な時間が詠み込まれていることである。

 書名の由来ともなった

  泳ぎ疲れて山百合の香に近し

について、廣瀬直人は「鮮度確かな感覚の作」と称揚している。いずれの句も味わいは清潔だ。

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2011年4月27日

第1回北斗賞・川越歌澄『雲の峰』新刊委託・・

 

 今日は朝から、気温は上昇気味、強い南風。しかし、今(午後7時)、外に出たら、すでに雨が降っていた。

朝はその暖かい空気の中を、出来たばかりの川越歌澄『雲の峰』の新刊配本委託部数交渉の為に、日販とトーハンの書籍仕入れ窓口に直行した。

関西、それも川越歌澄の地元、兵庫と大阪あたりを厚めに配本してほしいとお願いしたのだが、ひとつの取次ぎはとりあえず了解しました・・・、もう一つの取次ぎは、委託部数が少ないのでそういうことは無理(コンピュータ一括指示の配本)・・。まあ、それでも連休明けの12日午前に取り次ぎに搬入することになったので、中旬には書店店頭につつましく並ぶはずだ。見かけたら買って下さいね。

本誌5月号には、川越歌澄新作16句が掲載されいる。タイトルは奇しくも「五月来る」。

  かげろふと歩む祖母まだ見えてをり      歌澄

  少年の靴の大きさ五月来る

  振り向けば道を失ふ竹落葉

  日を悼む泰山木の咲ききつて

  正論と分かつていても豆ごはん

〈少年の〉〈振り向けば〉は、いずれも下五のいわゆる季語の配し方も悪くはない。〈かげろふと〉は佳句。ただ最後の「正論と」「豆ごはん」は、上五・中七の感懐「分かっていても」を、どれだけ下五で支えきれているかは、一考の余地がありそうだ。しかし、北斗賞はその将来性に賭けられた賞だから、いわゆる季語の情緒に頼らずに、言葉で描ききることをめざせば、自ずと道は開かれてくると思われる。

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2011年4月26日

芳林堂書店高田馬場店「俳句界」5月号・・

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 いつものことだが、雑誌が発売になると高田馬場駅前の芳林堂書店に、「俳句界」の陳列状況を見に行く。芳林堂書店といえば、今はなき池袋の本店が有名だった。棚の品揃えもしっかりしていたし、現在のようなメガ書店が跋扈する前、つまり、ぼくが東京に流れ着いた約40年前は、本屋といえば、新宿の紀伊国屋か池袋の芳林堂だった。芳林堂の単品管理の精髄といわれた書店棚は当時、他の書店の追随を許さず、幾多の名書店員を輩出していた(もちろん、データはすべて手書きで集計されていた)。その生き残りの柴田信は元・岩波書店子会社の信山社ブックセンターの社長を今も勤めているはずだ。

思えば、後に多くの書店員に影響を与えた。従って、その棚作りの片鱗をいまだに残しているのが芳林堂高田馬場店なのである。当然ながら、詩歌の棚もこの規模の書店としては充実した品揃えである。昼休みにはたびたびお邪魔する所以である。

 さすがにその片鱗が・・・さっそく東日本大震災のコーナーが書店入り口に設けられていた。明日は、7月号、佐高信の甘口でコンニチハ!の稲畑汀子との対談が行われることになっている(担当の松本と編集長が行くことになっている)。そこで、佐高信の情報ネタを仕入れるために震災コーナーにあった佐高信が編集員を務める「週間金曜日」増刊号「原発震災」(すべての原発をなくすために)を買った。

 先週号の再掲載ながら、「電力会社に群がった原発文化人25人への論告求刑」と題して意気軒昂である。

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お待たせしました第一回北斗賞・川越歌澄『雲の峰』の見本が出来上がった。明日はその書店委託の交渉のために午前中はトーハンと日販に行くことになった。

五島高資が帯に「俳句の骨法をきちんと踏まえた上で決して気負わず、しかも独自の世界が展開されている。『闇』や『影』に暗示される存在の不可思議へと迫る詩性は、自他を超える大自然や宇宙の淵源に根ざしている。また、季題における美意識の上に独自の詩境が展開される方法は芭蕉の俳諧精神に通じて頼もしい」と記している。

  春うれひドーナツの穴永遠に          歌澄

  この道でいいと云はれて雲の峰

  どこからが空なんだらう虫しぐれ

  着ぶくれてやさしき町を通りけり

雲の峰

 

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2011年4月25日

久保るみ子『さふらんさふらん』・・

さふらんさふらん

 久保るみ子は本書名と同じ「さふらんさふらん」で第10回「俳句界」賞を受賞している。受賞の言葉に、これも本句集「あとがき」と同じ、ジョーン・キーツ『エンディミオン』からの一節「美なるものは永遠の喜び/・・・」抽いている。この言葉は俳句歴の原点なのだともいう。いわば、俳句形式を選びとったときから、すでに確信的に自身の世界を構築することに賭けているのだといってもいいように思う。

  さふらんさふらんクレオパトラの鬱を吐き 

 ならば、フレーズ「クレオパトラの鬱」とは、いかなる世界を想像させようとしているのか、美か醜か、それとも「サフラン摘み」吉岡實張りの四つんばいの少年を思い浮かべるのか、実に上句の「さふらん」のリフレインはよくその想像力を掻き立たせてくれる。それがもし「泪夫藍」と書かれていたならば、その鬱をあまりに早く引き出し、はやばやと美貌ゆえの反語とのみ理解していたかも知れない。

なぜ、小生がこのようなことをくどくどとしたためているかといえば、およそ、一句の多くの仕掛けの前に呆然としているからにほかならない。他の句においても、一筋縄ではいかないのだ。例えば、

  クリムトのように抱かれ麦の秋 

たしかに、クリムトの絵の色彩には麦の秋が相応しいだろう。しかし、そこに留まれるわけではない。

時代の反感をかったのもクリムト、甘美なエロチシズムも。

ぼくの好みの句を少し上げさせていただくと、

  蝉時雨黒き昭和が居座れり

  カンナより黒き手足が伸びており

  まず闇が光りはじめし七竃

  終戦日にわかに変わる海の色

  梟の胸を開けば虚無いくつ

智恵の象徴としてのミネルヴァの梟をすぐにも想起してしまうのは、ぼくような世代の悪い癖かも知れない。その胸は、確かに虚無に連なっていよう。

 七竃の句には、もうひとつの翼が付いている。

  光年を導いており七竃 

ここに救いを思うことができるかもしれない。

  光りから生まれてきたり露の玉

同時に、「龍の玉」のことでもあろう。

  哀しみをあまた預かり龍の玉

それでも、ぼくが一押しにしたいのは(どこにも選ばれていないようだが)、

  不揃いに刻む水菜の愛しかり

  白菜の芯より甘くなりゆけり

だったりするのである。

最後に「あとがき」には、とても甘い言葉が記されているのだが、それは、この句集を手にとった方々の楽しみにとっておくことにしよう。

るみ子さん、頑張らないで、頑張って下さい。 

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2011年4月22日

11・8(火)は文學の森・感謝祭・・・

 これまで、山本健吉文学賞と俳句界評論賞の贈賞式は5月頃に行われていたが、今年から、つまり第11回山本健吉文学賞は、俳句部門と評論部門に新しく衣替えをして、第13回俳句界評論賞と第1回北斗賞も合同で、かつ、読者、執筆の先生方への感謝祭のなかで、贈賞式も行うことになった。

 因みに、俳句部門は加藤郁乎『晩節』、評論部門は岩岡中正『虚子と現代』、俳句界評論賞は、依田善朗「横光は波郷に何を語ったか」であり、第1回北斗賞の川越歌澄『雲の峰』は今月下旬に句集として出来上がる予定である(もうすぐ)。

その感謝祭の日時・場所は11月8日(火)午後4時から午後7時まで、第一ホテル東京シーフォート(天王洲アイル)です。皆さんのご参加を楽しみにお待ちしている。

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2011年4月21日

山本健吉文学賞評論部門決定・・

 昨日は、震災の影響で延期されていた山本健吉文学賞評論部門の選考会が山の上ホテルで午後一時から行われた。昨年は山下一海氏逝去のため、評論部門の選考がなく、従って評論部門の授賞がなかったのだが、今年は選考委員も変わり、新しく、大串章、宮坂静生両氏を迎え、対象ジャンルが俳句部門と評論部門のみになって、最初の選考会であった。

 最後に候補となって議論されたのが、『子規とその時代』坪内稔典(沖積舎)」と『虚子と現代』岩岡中正(角川書店)、結果、『虚子と現代』岩岡中正の授賞に決定した。贈賞式は来る11月8日(火)、(会場・未定)に、俳句部門の加藤郁乎『晩節』と「俳句界」評論賞・依田善郞、北斗賞・川越歌澄と一緒に行われる予定である。

 実は、選考会に行く前に、6月号のためのジュニア俳句の資料探しと営業を兼ねて新宿紀伊国屋書店に行き、そして、先日、「俳句界」4月号の納品が遅れたジュンク堂新宿店(担当・山本さん)にお詫びと5月号の案内チラシをもって営業に行った。

 ジュンク堂では、入荷遅れにもかかわらず、キチンと棚の面陳列がしてあった(写真)。紀伊国屋書店からも5月号は「俳句界」を平積みできるだけの注文もいただいた。陳列されていた各文芸総合誌の多くが震災特集だったので、同じスペースに平積みされても遜色はないと思う(ジュンク堂は加えて原子力関連の棚が早速創られていた、さすがに棚作りに関しては積極的だ)。ところで、5月号震災を詠むの緊急特集で、少し事前のリークをしておくと、山﨑十生の俳句作品にいち早く新季語とでもいうべき造語、「原発忌」の句が発表されている。ものごとは名付けられることによって初めて明らかな在り様を示すものであるということを、改めて考えさせられた。

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2011年4月19日

「俳句界」5月号・・・

 

「俳句界」5月号

 

「俳句界」5月号(4月25日発売予定)の見本誌が刷り上ってきた。

今月号は、緊急特集で「3.11大震災を詠む」を金子兜太、稲畑汀子、角川春樹、黒田杏子、小澤實など約70名の俳人に、文字通り、1週間ほどの間に、各人3句を執筆いただいた。深謝するのみである。

従って通常号のページ数がそのまま増ページされたので、368ページの大冊になってしまった。乞う、ご期待!

もともとのメイン特集は「夭折の俳人たち」であった。俳句史に閃光を放って去った俳人14名を採り上げた企画だ。野村朱鱗洞、海藤抱壺、などの自由律俳人、とりわけ、住宅顕信の遺児・住宅春樹のエッセイを収録しているのは手前味噌だが、納得。もっとも、俳壇的には無名だった川口重美、加本泰男、新桐子の収載も珍しいものだろう。もちろん、攝津幸彦も田中裕明も・・・

そして、「昭和の事件簿②」は「草田男と楸邨」、第2次大戦直後、日本全国戦争責任論が沸騰する状況のなかで、再生日本のためには、という当時としては真剣に「楸邨氏への手紙」を草田男は書いた。それに誠実に返信したのが楸邨の「俳句と人間に就いてー草田男氏への返事」だった。昭和21年のことである。当時の「俳句新聞」の記事を転載し、臨場感溢れる内容となっているはずだ(これも手前味噌?)。その後、一気に「第二芸術」桑原武夫の論に俳壇は揺り動かされることになるのだ。

・「魅惑の俳人」は富田木歩。歩けなかった木歩は関東大震災で亡くなっている。

・佐高信の甘口でコンニチハ!は女優の有馬稲子、川崎展宏の俳句が好きだというのでビックリ。

そうそう、特別作品21句のお一人は、今回の震災で被災された高野ムツオ。早くも、投句料はすべて義援金にするという俳句大会(選者・高野ムツオ)を企画されている。小社も後援する。

明日は、地震で延期されていた山本健吉文学賞・評論部門の選考委員会が行われる予定。

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2011年4月18日

大高芭瑠子『朱夏』・・

 

芭瑠子さんはお元気なのだろうか。といっても、ぼくは、親しくお話しをしたことはない。

いつもご主人の大高弘達(こうたつ)さんとご一緒だった。弘達さんが病を得られてから、いつも側で気遣っておられたのを覚えている。何かの会合でお会いする弘達さんと二言、三言、言葉を交わしているとき、いつも側で、にこやかにしておられた。それでぼくは、いつも安心していたのだ。

先だって、その弘達さんの訃報を風の便りに聞いた。

お二人は西東三鬼の弟子である。だから「断崖」「面」といった三鬼系の雑誌で、松崎豊、山本紫黄(しこう)、三橋敏雄、三橋孝子、津沢マサ子などと道を同じくされていた。

  夏立ちぬ猫は三和土に薄目して         芭瑠子

  三叉路のいづれを行くも青岬      

 「三叉路」の句には、序文の松崎豊が名鑑賞を寄せているので、次に引用する。

「路が三つに別れている。行く先は海であるが、いずれも下り勾配になって暗い松林を抜けると、眼のさめるような青い空の下白い波頭の立つ景色が広がっていて、明るく華々しく、魅力的である。この絵のような光景は一人一人が、青春を顧みるときあの三叉路が人生を暗示している幻想のように思えてくる」。

  探梅のいつか高みに来てをりし

には、「かねて芭瑠子さんには小賢しくない句品を感じていた」と称揚している。また、「三橋敏雄長逝」と前書が付された追悼の句、

  長濤に乗りて発ちけり冬月夜

三橋敏雄の『長濤』(ちょうとう)という句集名に言寄せてのものである。

因みに大高芭瑠子1932年東京生まれ、弘達氏は、1928年千葉県佐原生まれ。

  三鬼忌の森海鳴りの音を出す        弘達

因みにこの句集『朱夏』は、2005年上梓だから今から6年前のことである。

恙無いことをお祈りしている。

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2011年4月15日

石栗草女『梅あかり』・・

石栗草女(いしぐり・そうじょ)は、大正15年9月に東京都目黒区柿の木坂に生まれ,もうすぐ85歳になられる。句歴も長い。昭和35年に皆川白蛇主宰「末黒野」に入会されているので、半世紀を越えて句作を続けてこられたことになる。本名は俊子。

第2句集『野点』(平成20年)も小社刊で、続けて第3句集『梅あかり』を上梓されているので、縁が深いといえば縁が深い。

月刊「俳句界」の投句欄でも、入選をくりかえしておられた。第二句集『野点』の書名にもある通り、茶道も指導されている。年齢を重ねられても、エネルギーは衰えていない、多力の人である。

句歴もさることながら、ひたすら、自在に句が生み出されくる感じもある。永田耕衣は、米寿を越えたあたりから「衰退のエネルギー」と名付けて、ある種、自在な風狂の句を創り続けたが、それに劣らない未来を展望できるかも知れない。もちろん、永田耕衣の破天荒さではなく、正統な句作りとしてである。

ぼくの好きな句をいくつか上げたい。

  海底のごとき幕間や白扇          草女

  猿の腰掛け特大であり河童の忌

  ご神体磐を離れぬ穴惑ひ

  恵方なり灯台の名は裕次郎

  湯たんぽの口の堅さや策不足

  山門を出れば駅なり花八手

  降る蛍空舞ふ蛍歓喜天

  空はキャンバス冬木自づと裸婦になる

最初の句の上句のフレーズ「海底のごとき幕間や」は観劇の折など、確かにそういう感じを呼び起こされる。大胆な措辞だが、よく言い当てている,と思う。断定のよろしさであろうか。

二句目、「猿の腰掛特大であり」というのもユーモラスである。それも河童の忌である。芥川龍之介の「河童忌」にストレートにしないところが巧みであろう。いや、むしろ「河童忌」ではなく、あくまで「河童の忌」であって、面白さが増すというものかもしれない。

「湯たんぽ」の句は、使われて熱が冷めてしまうと、湯たんぽの口はたしかに堅く、なまはんかな力では開かない。最近では、その「策不足」を補うために口を開ける道具まである。

最後に上げた「空はキャンバス」の句については、大木あまりの丁寧な跋文に「この無垢の詩情はどうだろう。感性の冴えもさることながら、詩としての普遍性が読む者を不思議な世界へと誘う」と記されている通りだと思う。

  句にはげむ子は芭蕉の子青き踏む       草女

さらに、草女さんは、子供たちの俳句に絵を描いて「こども俳句カルタ」も作られている。この句集に、口絵写真でいく枚かが紹介されている。心が和む。

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2011年4月14日

中里夏彦氏(原発から避難)からの便り・・

去る3月24日のブログに俳誌「鬣」同人の中里夏彦が福島原発被災による避難をしている、という情報を掲載したところ、昨日、コメントが寄せられた。20日近くは以前の記事なので、そのコメントを以下に掲載させていただく。

 

ご心配を頂きましてありがとうございます。
このたびの震災に加え、原発事故によって現在も避難生活を
強いられております。
詳しくは「鬣」39号に書く予定です。
避難所生活も3か所目で現在は埼玉県加須市の旧騎西高校にいます。
先日訪ねてきてくれた知人から「中里さんの句集名『流寓のソナタ』が
文字通りになってしまいましたね」と言われ、なるほどと感心しました。
そういえば今年の年賀状に採用した自分の一句が
「前代未聞の/光量/そそぐ/頭蓋かな」であり、
これまた何かを予知していたのかも知れないと思いました。
きわめて暗示的な一句ですよね。
この間、多くの方々の支援や暖かい言葉を頂き感謝してもし切れないです。
とりあえずは家族ともども元気に生活できているのでご安心ください。
このたびの事態によりフクシマがヒロシマ、ナガサキと並称されようとは
夢にも思いませんでした。まだ現実感がなく、半覚半睡の状態ではありますが、
国により推進されてきた原子力行政に対する怒りはそれとして、
それに翻弄されてしまってはいけないと強く考えているところです。
 
 文中にある中里夏彦の句は、「鬣」38号(2011,2月)に「眼球の夢」と
題されて、多行俳句、総ルビ付きで掲載されている(カッコ内はルビ)。
    前代未聞(ぜんだいみもん)
    光量(くわうりやう)
    そそぐ
       頭蓋(づがい)かな        夏彦
 
その他の句に、
    (おも)ひ出(だ)
    
    氷(こほり)の墓標(ぼへう)
    月面(げつめん)
もあった。この句も予言的と思えば、予言的である。
昨日の報道によると原発30キロ圏外の土から、ストロンチウムを検出
たとあった。ぼくはかつて、書店勤務のおり、原発の本ばかり集めて
(推進派も反対派も含めて)ブックフェアをやったことがある。
20年は前のことだ。
そのとき、覚えたのは、ストロンチウムはカルシウムに似て、体内の骨に
取り込まれやすく、放射線を出し続け、白血病や骨のガンの原因になる
恐れがあるとういうことだった。
半減期も何十年と長期にわたり、危険度の高い放射性物質である。
中里夏彦氏は原発避難ゆえ、相当長期に渡る避難所生活になるに違いない。
ひたすら、彼とご家族、そして、被災の皆さんのご自愛、ご健康を祈るばかりである。
 
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2011年4月12日

5月号校了まであとわずか・・

本日の夕刻、5月号の折丁(雑誌の印刷された紙をページ順になるように折ったもの32ページがい1単位になっています)、が印刷所より来て、それを校正すれば、文字通り校了だったのですが、印刷所からの連絡で、明朝になるとのことで、スタッフは待機せず、今日に限っては、余震もあり、早々と皆、帰宅していきました。

あとは、このブログをアップして、小生も帰路につく予定です。

昨日の福島泰樹絶叫コンサートの続きを少し・・・

久しぶりに現代歌人文庫『続・福島泰樹歌集』(国文社)を引っ張り出して表紙を開いたら、「はるかなる花吹雪かな山河かな 恒行」というサインが目に飛び込んできた。すっかり忘れていたのだが、この本を買ったときの即吟を書き付けたらしい(俳句は打坐即刻、我ながらいい句だ??馬鹿な・・)。

ともあれ、東日本大震災より一ヶ月、東北は余震というには、あまりに大きな地震に次々と見舞われている。ここも、それよりは微細ながら共に揺れている。

いまだ治まらない一撃である。

  まことのことばはうしなはれ

  雲はちぎれてそらをとぶ
  ああかがやきの四月の底を
  はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
          
 「春と修羅」宮沢賢治

 

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2011年4月11日

福島泰樹・曼荼羅絶叫コンサート

 

福島泰樹・曼荼羅絶叫コンサート

福島泰樹は吉祥寺の曼荼羅で毎月10日、午後7時半から短歌絶叫コンサートを行っている。

27年間休むことなく舞台に立ち続けている。

曼荼羅のステージでは、毎回福島短歌の新作が発表される。

従って、今回は東日本大震災を詠んだ短歌絶叫だ。パーカッションは石塚俊明、ピアノ永畑雅人。

石塚俊明はロックバンド〈頭脳警察〉のトシ。ピアノの永畑雅人は作家・永畑道子の子息だったか?(よく覚えていないが、スミマセン)。

  天罰であるなら首都を襲うべし無辜なる民のひたひたと来よ     泰樹

  ワイシャツは波に洗われそこにいた人の姿をしておったのだ

  これからにやって来るもの目を覆い耳を塞いで待てというのか

想定外・・、休日をもろともせずに観客となり陣取った「俳句界」編集部スタッフ、並びに林編集長と小生に絶叫そのままの生原稿がひらりと投げ渡されたのだ(ありがとうございます!)。これらを含む7首は、小誌「7月号」(6月25日発売予定)の角川春樹特集の角川春樹との対談とともに掲載される予定である。

実は小生、福島泰樹の第一回短歌朗読(この時はまだ、絶叫ではなかった)を観ている。さすがに第一回の観客は歌人が、ほとんどで、現在とは異なる観客だった。ほとんど忘却しているのだが、下北沢の某場所で行われたことだけは覚えている。初期はシンガーソングライター龍、そして友川かずきとのパフォーマンスだったように記憶している。

「中也断唱」の中原中也は小生の故郷でもある。

  たったひとりの女のためにあかあかと燈しつづけてきたるカンテラ    泰樹

  鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い三月四月を終えて

  中也死に京都寺町今出川 スペイン式の窓に風吹く

藤原龍一郎はかつて、福島泰樹のことを「現代短歌の誇りをになった全身短歌表現者の姿」と述べていたことがある。久しぶりの短歌絶叫のステージにぼくもまた、そのことを改めて感じたのであった。

会場で、思わぬ人に会った。声をかけられ、まさかの俳人でした。その人の名は阪西敦子(ホトギトス)、ラフなジーパンが素敵でした。お互いビックリでした。

阪西敦子とラフなジーパン

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2011年4月 8日

本日・釈迦の誕生日・・

 

4月8日は釈迦の誕生日、仏生会(ぶつしょうえ)、降誕会、灌仏会、これを記念して花祭、甘茶の日でもある。

  灌仏やふぐり包みて佇ちたまふ     阿波野青畝

  仏母たりとも女人は悲し灌仏会     橋本多佳子

  仏生会鎌倉の空人歩く          川崎展宏

  胎内に母音のこだま花祭         橋口 等

因みに、山本健吉は「昔は陰暦で夏の季語であった。近年花祭というのは、浄土宗で言い出し、子供中心の祭にふさわしいので一般に用いられるようになったもの。花時の感じが強いが、花御堂の花は元来躑躅、卯の花などを用いたのである。『毛吹草』『初学抄』『増山の井』以下の連俳書に、季題として掲げられている。芭蕉以下、古句は夏の句として味わうべきである」(『基本季語五〇〇選』)と述べている。

古句として上げられているのは、

  灌仏の日に生れあふ鹿の子かな     芭蕉

  花御堂月も上らせ給ひけり        一茶

  雲のあゆみ水の行くかたや仏生会    白雄

 昨夜、わが編集部は印刷所へ、5月号の入稿を済ませ、墨堤に出かけ、5月号魅惑の俳人・木歩の句碑がある三囲(みめぐり)神社に訪ねたが、あいにく夜は、門扉が閉ざされていた。墨堤の桜は満開、しかし、自粛のため、ライトアップもされおらず、夜桜見物の人もいなかった。閑散とした桜、スカイツリーが望めたのが慰めだった。反対の空には三日月が風に吹かれていた。

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2011年4月 7日

山桜はまだ、ソメイヨシノは満開・・

 

都内の桜は満開宣言が出た。

染井吉野は満開だが、山桜はまだ咲き始めたばかりのようだ。

公園の桜の下では、デイサービスであろうか、車椅子のたくさんのお年寄りが花見を楽しんでいた。

取次ぎ会社の仕入れ窓口は今日は、なぜか賑わっていた(混んでいた)。

最後に訪れた栗田出版販売の門の側の桜も満開だった(写真上)。

取次ぎのデータによる「俳句界」の好調だった売り上げ率は、3月号に限ってダウン・・・、うなっていたら、3月11日の震災以後、さらに関東では計画停電、節電などによる書店営業時間の短縮などの影響が出ているので、後半の売り上げが伸びなかったのではないか、とのことだった。しかし、わが「俳句界」は不屈だ。4月号の発売日、最初の週、初動の売り上げ率は高く、期待できそうな勢い・・・。

 

  よく見れば薺花咲く垣根かな       芭蕉

 

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2011年4月 6日

奈良文夫、奈良比佐子 俳壇夫婦対談

俳壇夫婦対談

 

蓮の骨なほ重きもの掲げたり      奈良文夫

 

買ひ忘れに夫走らする大晦日    奈良比佐子

 

ひさびさ、編集長・林がアップします。

昨日は、アルカディア市ヶ谷で、6月号の俳壇夫婦対談収録を行いました。

今回は「萬緑」の奈良文夫さんと奈良比佐子さん。

以前から親しくさせていただいている大好きな先生なので、楽しみにしていました。

いつものように司会は坂口昌弘さん、撮影は赤羽真也さんです。

 

お二人の出会いや、それぞれを俳句作家としてどう見ているか、などのお話いただきました。

お二人とも「萬緑」なので、自然と中村草田男の話になったので、収録後、

 

「草田男はストリップを見て、20句作った、というのは本当ですか?」

「草田男は「あと一句が浮かばない」といって、たった一句のために青梅まで出掛けていった、というのは本当ですか?」

 

など、草田男の都市伝説をいろいろ聞きました。

答えは全部・・・イエスだそうです(笑)。

凄い真面目で、執念の人だったのだな、と思います。

 

この対談の内容は6月号(5月25日発売)に収録されます。

お楽しみに。

 

 

 

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2011年4月 6日

水道端図書館に・・

 

夜桜 タンポポ

光陰矢の如し、早いもので、5月号の各取次会社仕入れ部数交渉の日がやってきた。

トーハン、太洋社と回ったところで午前中の受付時間は終了。午後1時開始の大阪屋まで、昼食を食べたり、時間をつぶさなくてはいけない。

そうだ、大阪屋の裏手に確か図書館があったはず・・そこなら退屈せずに時間はむしろあっと言う間に過ぎていくにちがいない。少し歩くとありましたね。文京区立水道端図書館・・・そこで、詩歌の棚を眺めていたら、小社社長・姜琪東の句集『身世打鈴』(シンセ・タリョン)があるではありませんか。さっそく携帯カメラにパチリ。

ぼくは、文學の森に入社する前、ある団体のホームページに毎月の一句をぼくなりに読んで載せてもらっていた。その時のものを、そのまま下段に転載させていただこう(4年前、2007年2月)。その後、ぼくが月刊「俳句界」に厄介になるなどとは夢にも思ってもいなかった。これも不思議な縁である。

寒の雨土中に五万の耳埋もれ

姜 琪東

掲出句の前書には「耳塚」とある。「耳塚」とは、昔、戦さで討ち取った敵側の耳を切り取って埋めた塚のこと。とくに京都市東山区豊国神社の耳塚(慶長・文禄の役)が有名である。姜琪東もその塚を詠み、「豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、戦功のしるしとして、朝鮮人五万人の鼻や耳をそぎ、大樽十五個に塩漬けにして日本に持ち帰り埋めて供養した」と注を付している。また、句集の「あとがき」に、姜琪東は次のようにも記す。「俳句という表現形式による一人の在日韓国人の自叙伝であり、パンチョッパり(半日本人)と呼ばれる男の抗いの記である。考えてみれば、韓国人の私が日本語で考え、話し、書くという行為は決して自然な姿ではない。だが、この不自然な姿こそが私の姿そのものであり、私の俳句なのである」と。

思えば,姜琪東の句は、世の多くの晴朗な俳人が日々産み落としている吟行句のようではない。むしろ、力業でもって言葉をねじ伏せるように書かれている。そこに、作者の憤りと悲しみを思って見ても、あながち的外れではないだろう。「『怨』(オン)は憤怒であり,『恨』(ハン)は悲しみである。怨みは火のように炎々と燃えるが,恨みは雪のように積もる」(『恨の文化論』李御寧著)のである。「『恨』と『怨』玄界灘に雪が降る」「帰化せよと妻泣く夜の青葉木莵」「選挙権なし銀杏を踏み砕く」「大山も姜(カン)もわが名よ賀状くる」「孫生(あ)れなば伽耶(かや)と名づけむ花木槿」。伽耶は朝鮮古代の国名。

37年高知県生まれ.『身世打鈴』(シンセタリョン)97年刊、所収。 F1000185身世打鈴.jpg

ようやく都は花も見ごろを迎えているが、どこも自粛気味で、静まり返っている。もちろんライトアップもないので暗い。そういえば、昼の取次会社回りのときもエレベーターは節電のために最低の台数しか動いていなかった。

上野公園からは、スカイツリーの灯りが遠くに瞬いていた。

スカイツリーの瞬き

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2011年4月 5日

中山幸枝句集『龍の玉』・・

 

龍の玉

 

句集名は集中の一句、「冬の章」に収められた、

  中空にすこし風あり龍の玉          幸枝

からである。上句「中空にすこし風あり」は、読み切るにはなかなか難しいところを含んでいる措辞、フレーズではなかろうか。「中空に」を空そのものの中空だと読んでも、そこに、心の動きが投影されているように思われるからだ。どうしても、少し落ち着かない心、気持が伴う。それは、中七「すこし風あり」が重ねられて、読者に引き出させてくる感慨だからであるからかも知れない。それら一句全体のイメージを座五「龍の玉」が支えている。青い実は冬青空のもとでも濃く輝いている。

 著者(なかやま・さちえ)は、昭和31年、福岡県生まれだから、俳句の世界では、まだ若く、これからを嘱望される世代に属している。師は伊藤通明(句集題字も)。著者の「あとがき」には、「伊藤主宰の言葉『故郷や父母を詠む姿勢は常に大切にまた謙虚でなければいけない』をいつも心して作品に臨むようになりました」と述べている。

人は年齢を重ねれば重ねるほど、母や父を思う心、恋う心は深くなってくる。青少年時代のそれとは少し趣を変えて来るようである。句集『龍の玉』にも父母を詠んだ佳句が多くある。

  春の服母のかたちに裁断す

  母とすぐわかる鍬音花なづな

  野良にゐる母が好きなり桃の花

  うぐひすや母の煮炊きの小さき鍋

  母の日の一日母のそばにいし

  母のみの家となりけり百日紅

  盆踊母の後ろに付きにけり

  母の畑手伝つてゐる盆休み

  父に不満残りし母の門火焚く

  抜け道を母に教はる十二月

  柿右衛門に濁らぬ母の生姜湯

  日向ぼこ母が抜ければちりぢりに

  母の手をしみじみ見たり春隣

  蛍見に来よ泊まりにも来よと父

  籠枕父は眉より老いてきし

  桃葉湯担ひ瘤ある父の肩

  蚊帳吊りて生家に伯父も父もなし

  今生の温みまだある父や冬

  働いて来し父納棺する師走

  蝋梅薫る父の焼かれてゐるあひだ

  父の死後少し太りて鷹の空

また、夫を詠んだ、

  病床の夫とストロベリーアイス

  夫の声いつもしづかや星迎え

  銃保管検査に行く夫猟期前

いずれの句にも、家族の精神的な至福の時間が感じられる。

最後に、著者の眼のありどころに共感した句のいくつかを上げさせていただこう。

  勝ち鶏の方に傷みのひどかりし

  水中の魚も蛍火を見てをらむ

  いい人になるまじ鬼の子を飼うて

 

上野公園桜

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2011年4月 4日

府中市立中央図書館・・・句紙「夜河」

 F1000184府中図書館.jpg

借りていた本を返しに図書館に行った。引っ越した所が、府中市立中央図書館に近いので(10冊まで借りられる)、たまに行く。いつも大きな図書館なのだが、いつも混んでいて、落ち着けないないのであまり好きになれない。

反対方向だが、ほぼ家から同じ距離にある府中市美術館は気に入っている。展示をみるわけではない。一階に美術図書室というのがあって、いつも静かで、あまり人もいない。図書室だから、毎月の美術雑誌は揃っているし、豪華本の美術書の山、眺めているだけで、ゆっくりした時間も過ごせ、あっと言う間に半日は過ぎる。しかも、図書室(貸し出し禁)だから、料金は取らない。疲れればコーヒーだって飲むスペースが近くにある(府中の森公園の木々を眺めながら)。

ともあれ、中央図書館で、わが月刊「俳句界」はありや否や・・・と探したら、ありました。となりには宿敵?「俳句」も鎮座していました。俳句雑誌はこの2誌だけだった。そこで、携帯カメラに納めたというわけです。

この図書館の凄いのは、屋上に太陽光発電用パネル?を敷き詰めていることで、飲料水の自動販売機の上にも各個別に電気メーター(各家庭でよく見るあれ・・)が付いて回っていることだ。つまり、太陽光エネルギーによって電気を補っている。

原発破損事故によって、いまや放射能の垂れ流し状態、人災である。すでに原発事故では世界最大級の被害をもたらしている。土壌が汚染されれば、もちろん農地にもならない(避難民は数年間は帰ることが出来ないだろう、いや、もっとかもしれない)。古里が無くなるに等しいのだ。国策によって、発電エネルギー政策を転換して、未来の地球全体に安全なものにしなくていけない。

句紙「夜河」(月犬工場)第6号

 

図書館の帰りに、少し足を延ばして、府中郵便局本局近くの、目星をつけておいた手打ち蕎麦屋(千寿)に入った。大盛りせいろを注文して、斜め向かいの席を見たら、長谷川裕氏がどなたかと置酒歓語。とりあえず挨拶をした。

長谷川氏は最近の句紙「夜河」(月犬工場)第6号(4月5日発行)に、

   被爆とはこんなに眩しい犬ふぐり       

という、なかなかワサビのきいた句を発表している。句紙「夜河」という名に現れているように、長方形の大形ハガキ通信である。同人は、月犬こと三宅政吉、皆川燈、長谷川裕、三枝ことり各氏。第6号は客人に白鷺坊、子青、苑を、麻里伊各氏の名があった。これまでも、五十嵐進、振り子、東人、斉田仁、游火、Cocom Peech,山本加人などという名が連なっていた。

先週土曜日は上野公園で少し早い花見?忍ばずの池では、桜に、枯蓮、スカイツリーの三点セットをパチリ。

本日は、5月号の印刷所入稿も最終段階にさしかかる。編集長は奈良文夫・比佐子、夫婦絆対談の収録でアルカデア市ヶ谷に出かけました。市ヶ谷土手の桜はどのくらいの咲き具合でしょうか・・・。 

市ヶ谷土手の桜

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2011年4月 1日

角川春樹・福島泰樹対談収録

角川春樹・福島泰樹対談収録

小社近刊予定の角川春樹新句集『白鳥忌』の出版に合わせて、5月号の特集「角川春樹よどこへ行く」(仮題)の企画で福島泰樹との対談収録が、市ヶ谷アルカデアで行われた。「白鳥忌」とは、昨年8月18日に、91歳で亡くなった森澄雄の忌日を角川春樹が名付けたもの。

  除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり      澄雄

そして、森澄雄最後の句集『蒼茫』にも、

  白鳥とは湯浴みの妻よいまは亡き    澄雄

の句がある。

 アルカデアに行く途中の市ヶ谷の土手の桜は少しほころんでいた。小誌編集長の林は、かつては角川春樹主宰の「河」に所属して、その薫陶を受けた時代がある。

そのせいか、編集長は、数日前から、少し緊張気味であった。いつもより口数も少ない。

それでも対談は上々で、思わず、良かった・・・。と、一転にこやかな編集長に戻った。

対談は、この二人ならではの迫力あるものだった。6月号発売の折は、ご期待下さい。

内容は、当然、現在の東日本大震災にも話が及び、かつ「魂の一行詩」運動との関連も話された。熱く語られたのは詩歌のもつ言葉の力のことである。

角川春樹氏は、昭和17年富山県生まれ、誰知らぬ者とていない出版界、映画界、俳句界の寵児である。福島泰樹氏は昭和18年東京生まれ、『バリケード・1996年2月』という歌集でデビュー以来、短歌絶叫コンサートを行い、短歌界では異端にして正統なる歌人である。

  亀鳴くやのつひきならぬ一行詩         春樹

  日本に米軍がいる暑さかな            〃

  白鳥の妻に呼ばれし森澄雄            〃

  百日紅わけてもいのち遥かなり          〃

  樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群ゆらぐを       泰樹

  ここよりは先へゆけないぼくのため左折してゆけ省線電車        

  六月の雨は切なく翠なす樺美智子の名はしらねども           

  中也死に京都寺町今出川 スペイン式の窓に風吹く            〃

  そして、ぼくには「酒飲んで涙を流す愚かさを断って剣菱 白鷹翔けろ  泰樹」を限りなく愛唱した時期がある。

 そうだ、今日は4月1日、エイプリルフール、西東三鬼、三鬼忌だ。

 辞世の句は、

  春を病み松の根つ子も見飽きたり    三鬼

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