2011年4月 6日

水道端図書館に・・

 

夜桜 タンポポ

光陰矢の如し、早いもので、5月号の各取次会社仕入れ部数交渉の日がやってきた。

トーハン、太洋社と回ったところで午前中の受付時間は終了。午後1時開始の大阪屋まで、昼食を食べたり、時間をつぶさなくてはいけない。

そうだ、大阪屋の裏手に確か図書館があったはず・・そこなら退屈せずに時間はむしろあっと言う間に過ぎていくにちがいない。少し歩くとありましたね。文京区立水道端図書館・・・そこで、詩歌の棚を眺めていたら、小社社長・姜琪東の句集『身世打鈴』(シンセ・タリョン)があるではありませんか。さっそく携帯カメラにパチリ。

ぼくは、文學の森に入社する前、ある団体のホームページに毎月の一句をぼくなりに読んで載せてもらっていた。その時のものを、そのまま下段に転載させていただこう(4年前、2007年2月)。その後、ぼくが月刊「俳句界」に厄介になるなどとは夢にも思ってもいなかった。これも不思議な縁である。

寒の雨土中に五万の耳埋もれ

姜 琪東

掲出句の前書には「耳塚」とある。「耳塚」とは、昔、戦さで討ち取った敵側の耳を切り取って埋めた塚のこと。とくに京都市東山区豊国神社の耳塚(慶長・文禄の役)が有名である。姜琪東もその塚を詠み、「豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、戦功のしるしとして、朝鮮人五万人の鼻や耳をそぎ、大樽十五個に塩漬けにして日本に持ち帰り埋めて供養した」と注を付している。また、句集の「あとがき」に、姜琪東は次のようにも記す。「俳句という表現形式による一人の在日韓国人の自叙伝であり、パンチョッパり(半日本人)と呼ばれる男の抗いの記である。考えてみれば、韓国人の私が日本語で考え、話し、書くという行為は決して自然な姿ではない。だが、この不自然な姿こそが私の姿そのものであり、私の俳句なのである」と。

思えば,姜琪東の句は、世の多くの晴朗な俳人が日々産み落としている吟行句のようではない。むしろ、力業でもって言葉をねじ伏せるように書かれている。そこに、作者の憤りと悲しみを思って見ても、あながち的外れではないだろう。「『怨』(オン)は憤怒であり,『恨』(ハン)は悲しみである。怨みは火のように炎々と燃えるが,恨みは雪のように積もる」(『恨の文化論』李御寧著)のである。「『恨』と『怨』玄界灘に雪が降る」「帰化せよと妻泣く夜の青葉木莵」「選挙権なし銀杏を踏み砕く」「大山も姜(カン)もわが名よ賀状くる」「孫生(あ)れなば伽耶(かや)と名づけむ花木槿」。伽耶は朝鮮古代の国名。

37年高知県生まれ.『身世打鈴』(シンセタリョン)97年刊、所収。 F1000185身世打鈴.jpg

ようやく都は花も見ごろを迎えているが、どこも自粛気味で、静まり返っている。もちろんライトアップもないので暗い。そういえば、昼の取次会社回りのときもエレベーターは節電のために最低の台数しか動いていなかった。

上野公園からは、スカイツリーの灯りが遠くに瞬いていた。

スカイツリーの瞬き

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