2011年4月25日

久保るみ子『さふらんさふらん』・・

さふらんさふらん

 久保るみ子は本書名と同じ「さふらんさふらん」で第10回「俳句界」賞を受賞している。受賞の言葉に、これも本句集「あとがき」と同じ、ジョーン・キーツ『エンディミオン』からの一節「美なるものは永遠の喜び/・・・」抽いている。この言葉は俳句歴の原点なのだともいう。いわば、俳句形式を選びとったときから、すでに確信的に自身の世界を構築することに賭けているのだといってもいいように思う。

  さふらんさふらんクレオパトラの鬱を吐き 

 ならば、フレーズ「クレオパトラの鬱」とは、いかなる世界を想像させようとしているのか、美か醜か、それとも「サフラン摘み」吉岡實張りの四つんばいの少年を思い浮かべるのか、実に上句の「さふらん」のリフレインはよくその想像力を掻き立たせてくれる。それがもし「泪夫藍」と書かれていたならば、その鬱をあまりに早く引き出し、はやばやと美貌ゆえの反語とのみ理解していたかも知れない。

なぜ、小生がこのようなことをくどくどとしたためているかといえば、およそ、一句の多くの仕掛けの前に呆然としているからにほかならない。他の句においても、一筋縄ではいかないのだ。例えば、

  クリムトのように抱かれ麦の秋 

たしかに、クリムトの絵の色彩には麦の秋が相応しいだろう。しかし、そこに留まれるわけではない。

時代の反感をかったのもクリムト、甘美なエロチシズムも。

ぼくの好みの句を少し上げさせていただくと、

  蝉時雨黒き昭和が居座れり

  カンナより黒き手足が伸びており

  まず闇が光りはじめし七竃

  終戦日にわかに変わる海の色

  梟の胸を開けば虚無いくつ

智恵の象徴としてのミネルヴァの梟をすぐにも想起してしまうのは、ぼくような世代の悪い癖かも知れない。その胸は、確かに虚無に連なっていよう。

 七竃の句には、もうひとつの翼が付いている。

  光年を導いており七竃 

ここに救いを思うことができるかもしれない。

  光りから生まれてきたり露の玉

同時に、「龍の玉」のことでもあろう。

  哀しみをあまた預かり龍の玉

それでも、ぼくが一押しにしたいのは(どこにも選ばれていないようだが)、

  不揃いに刻む水菜の愛しかり

  白菜の芯より甘くなりゆけり

だったりするのである。

最後に「あとがき」には、とても甘い言葉が記されているのだが、それは、この句集を手にとった方々の楽しみにとっておくことにしよう。

るみ子さん、頑張らないで、頑張って下さい。 

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