2011年4月28日

六角 耕『山百合』・・

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 六角耕(ろっかく・こう)は、昭和34年、栃木県鹿沼市生まれ。昭和54年に「雲母」に入会し飯田龍太に師事、その後、「雲母」の終刊によって「白露」に参加し、廣瀬直人に師事している。第二句集だという(第一句集は未見)。帯に上げられている、

  のがれやうなく釣堀に来てゐたたり         

  青柚子や雲ゆつくりと暗くなる

これらの句は、憂愁の気配を感じる佳句だと思うのだが、ぼくの好みを第一にすれば、

  父はみな赤子を高く山桜

  一切のみどりの中の実梅かな

  コック帽無菌の白に鰯雲

の清らかな愛しみを湛えた句を落とすわけにはいかない、と思う。あるいは、また、

  陽炎の踏切誰も無口なり

  青栗の目の高さなる原爆忌

  八月の暗き路地より野菜売り

  戦争のこと母に聞く心太

 「陽炎の踏切」は、誰も無口で、まるでかの世とこの世を区切っていながら、曖昧な境界を思わせ、

警鐘でうるさいはずの踏み切りも深閑としているように感じられるから不思議である。

「原爆忌」と「青栗」、まだ青いイガで包まれいる栗は、つい最近まで、強い香を発していた花に満たされていたに違いない・・・。

 八月は日本人にとっては、いまだに、特別な月である。その暗い路地は、もしかしたら、「故郷に知らぬ路地あり枇巴の花」かも知れない。また、八月は戦争の記憶と必ず繋がっている。その戦争のことを、母に聞いているのである。言いたいことも言いたくないことも、思い出したくないことも、それでも覚えていることはあろう。少なくとも伝えたいことが母にあるならば、今のうちに聞いておきたいのである。

心太の句では、「心太煙のごとく沈みをり」日野草城が有名だが、「酢に噎せて母の声聴く心太」石塚友二の母ものの句との趣の違いは、六角耕には歴史的な時間が詠み込まれていることである。

 書名の由来ともなった

  泳ぎ疲れて山百合の香に近し

について、廣瀬直人は「鮮度確かな感覚の作」と称揚している。いずれの句も味わいは清潔だ。

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