2011年5月のブログ記事

2011年5月31日

昼咲月見草・・

ヒルザキツキミソウ

 ヒルザキツキミソウ(写真)、北米原産の帰化植物とのことだ。名前の由来は宵口に咲く月見草ではなく、昼にも咲いているからだそうな・・・・。

昼休みに歩いていたら咲いていた(わざわざ名前のプレートが施してあった、でないと小生などは知るわけがありません)。

わが編集部も7月号編集作業の終盤戦に突入しつつあります。

スタッフ全員が忙しく黙って机に向かって作業をしています。

小生ですか?もちろん、それなりに忙しくしています(もっとも、老人ですから、余裕はありません)。

そうそう、7月号には別冊付録「現代カタカナ語俳句集」が付きます。

現代カタカナ語というくらいですから、実際に、現在ただいまの俳句の中で使われたカタカナ語俳句を収集しました。

付録ですから、分厚い辞書なみというわけにはいきませんが、本誌掲載の2009年1月号から2011年5月号まで2年半弱を、全句をデータにして、複数の例句があったものを優先的に掲載することにしました(これに、けっこう時間を費やされました)。

7月号メインの特集は「花鳥諷詠、まるごと日本伝統俳句協会」です。

その他、緊急ですが、長谷川櫂『震災歌集』への直撃インタビューあり。乞うご期待!

昼咲月見草

 

| コメント(2)
2011年5月30日

第7回東京自由律俳句会・・・

第7回東京自由律俳句会

 昨日、東京自由律俳句会が、江東区深川芭蕉記念館で開催された。台風2号接近のなか約20名の出席、自由律句の結社の枠を超えた会である。

今回は事前に投句された句を三班に分かれて、総合獲得評点で選ばれたベストテンから、各班独自のベスト1を選び、さらにそのベスト1以外からも推薦句を各2句選び、最後にベストテンに入らなかった句から、自由律らしい可能性を秘めた句を2句選んで、議論しようというものであった。

第一位は、

  命日と日記に書くそれだけの法要       森 命

第2位は、

  がらんどうの棚に地震が座っている      荒木 勉

第3位は、

  春の駅で借りる 太郎のパレット      白神美佐子

 その他、当日即吟一句の句会が行われ、これには、小生も一句投じさせられた。開いてみれば、当然といえば当然だが、小生のみ有季定型句。無選にはならなかったものの獲得票ということでは勝ち目はない。そこで、ひそかにぼくは自由律俳句の会でも、たとえ定型の句であろうと、良い作品は選ばれるはず・・・と嘯きながら、句を投じたのである。

いかがでしょうか?句を出せといわれて3分で作った句です。芭蕉記念館の入り口に、雨に打たれて咲いていた山法師。

  水滴のふるえの風の山法師    恒行

有季定型こそが自由です。自由律は難しい。とても3分では作れません。

| コメント(0)
2011年5月29日

「船団の会」初夏の集い・・・

「2011年度船団の会初夏の集い」

 5月28日(土)~29日(日)、東京・アルカディア市ヶ谷で、「2011年度船団の会初夏の集い」が開かれた。小生は、国語学者・金田一秀穂氏の講演を聞きたいと思っていたが、さすがにわが同人誌「豈」の2ヶ月に一度の定例句会(しかも、初めて参加される人もいらっしゃったので)と重なっては断念せざるを得ない。翌日も第7回東京自由律俳句会の取材と重なっていたので、やむなく懇親会のみの参加とさせていただいた。

 挨拶があったので、「俳句界」へのご支援とご協力をということと、つねに現代俳句のシーンを戦略的に実践されてきた坪内稔典氏とほぼ同時代を共に歩んできた一員としては恩義があるということを、改めて表明させていただいた。

実は、小生は「船団」創刊時の会員でした(作品は発表しませんでしたが)。友人も多い。実に久しぶりに元気な小西昭夫、東沙逍(英幸)とも合うことができた。そして大本義幸、攝津幸彦の話しもできた。

池田澄子、三宅やよい、鳥居真里子、そして、初めて会う火箱游歩、中原幸子、芳野ヒロユキ各氏、みんな古くからの知り合いだ。ただ「船団」初期と違うのは、各地で組織された句会を集めて多人数、若い人も多くなっていた、ということだ。

第3回船団賞の発表も行なわれた。受賞者は星野早苗。

| コメント(0)
2011年5月26日

旅は日を急がぬごとく山法師・・・

やまほうし

  先週末あたりから編集長は関西出張などで、ようやく、昨日から編集部全員が、顔を合わすことができた。

社長からの指示やなにやかやで結局、編集企画会議を二日間、それなりの時間を費やして行った。若いスタッフの斬新な切り口のほうが、小生のごときロートル世代の発想より、新鮮で良い。そうなると、さしずめ小生などは思念的でオタク?と罵られるはめに陥る(オタクでは売り上げにつながらない?)。

まあ、下手な考え休むに似たり。読者の皆さんの判断に待つしかない。

ニ~三日前から、通勤電車の窓によりかかっていると(軽いラッシュ)、中央線・武蔵境駅の高架から、山法師の花が見えるのに気づいた。

そういえば、定年退職する以前の職場が吉祥寺にあったので、よく三鷹駅から井の頭公園を経る風の道を歩いた。その街路樹が山法師だったので、この季節になると気分がよかつたのを思い出した。

風の道も随分歩いていない。途中に山本有三記念館があり、その庭は無料で解放されていたのでよく休んだ。

風の道は、昔、太宰治が入水した付近でもある。もはや溺れるほどの水量はない。

タイトルにした「旅は日を急がぬごとく山法師」の句は、森澄雄である。

ひるがお

 

| コメント(0)
2011年5月24日

角川春樹『白鳥忌』6月1日発売・・

角川春樹『白鳥忌』

  本日は、角川春樹一行詩集『白鳥忌』の委託配本のために、取次ぎ各社を回った。

6月1日に発売することが決まった。

『白鳥忌』は、扉に河野裕子「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」の歌を献辞として、「森澄雄先生重篤の報に接す」の詞書を付した

   限りあるいのちを生きて花の雨    春樹

の句から始まる。録された多くの句は、森澄雄の句と対峙しながら句が生み出され、それが「魂の一行詩」として現出して、世界を創造する。例えば「目ひらきて櫻吹雪の中にをり」澄雄の句には、

  閉ぢし眼の裏にも花の吹雪きけり       春樹

が配される。

以前、吉本隆明が『詩の力』という本のなかで、「俳句という表現」の項で、「俳句の発生を考えるには、短歌が壊れていく過程が問題になると思われる」と述べたのちに、「現在の俳句と短歌の違いをいえば、やはり俳句のほうが様式として新しく、ひとりでにモダンな要素を醸し出すひょうげんであるといえるのではないか」「俳句のほうがモダンな感覚を盛り込みやすく、現在の感性でも容易に入っていけるのだと思う」と結んでいたことを思い出す。そうして、角川春樹(俳人で論じられたのは西東三鬼と夏石番矢と角川春樹のみだった)については、「角川さんの俳句の新しさは、平明な口語調で書かれていることと一見すると俳句らしくなく受け取られるような作風にある」、また「作品の特徴は、俳句の常道である客観と主観の交代する組み合わせによらず、主観だけ、あるいは客観だけでできているような句によく表れている」としていたことである。

 そういえば、5月号小誌の「大震災を詠む」の、

  地震(なゐ)狂ふ荒地に詩歌立ち上がる    春樹

の句を「読者の声」・「今月号のよかった句を教えて下さい」の便りに上げられていた読者の方がおられました。

| コメント(0)
2011年5月23日

「顔」40周年・第22回国際俳句交流協会・・

<

 先週末、5月21日(土)に横浜国際ホテルで「顔」創刊40周年記念祝賀会が行われた。まず、東日本震災の犠牲者への黙祷からはじまり、大山蒼明同人会長の開会の挨拶、来賓祝辞は山崎聰、田中不鳴と続き、お祝いの謡曲「鶴亀」(和泉泰司)、乾杯の音頭は前田吐実男の各氏によって進められた。謝辞は、平成18年より主宰を継承された瀬戸美代子氏。なんといっても圧巻は牧石剛明前主宰(84歳)の度重なる癌を克服されての元気な姿の登場であった。会の終りには「星影のワルツ」の流れるなか、仲間の皆さんと手を繋いで、咽頭癌のよる声は失われたものの、口を開けて唱和されていた。

 中締めは諸角せつ子氏、かつて二十年程前?古澤太穂氏とご一緒させてもらったことが懐かしい。

 小生、牧石剛明氏、田中不鳴氏とも十数年ぶりの再会で懐かしく、不鳴氏には「年、取ったな・・君が若いときのイメージしかないよ」と思わず、「不鳴さんこそ、よくいらっしゃいましたね」と答えていた。そういえば、同じ頃、お世話になった津根元潮、阿部完市、村井和一各氏などみな鬼籍に入られた。若く美しい瀬戸美代子主宰にも久しぶりでお祝いを云うことができた。

 テーブルの隣に座ったのは鹿又英一氏、終了後、横浜の夜を案内しようと誘われたが、「俳句」編集長・鈴木忍氏はその夜のうちに、仕事で名古屋入というので、軽く小一時間、鹿又氏と三人でカラオケでさっさと切り上げることになった(お世話になりました)。

たぶん小社の林編集長と翌日から一緒でしょう・・・。

 そして、本日は第22回国際俳句交流協会の総会、その後の有馬朗人講演「子規と外国文化の受容と批判」を聴講した。俳句革新にいたる、当時の社会情勢、大學の歴史などを、スクリーンを使って、丁寧に説明されていた。

 ここでも、加藤耕子、木村聰雄、永田龍太郎、大高霧海、嶋田麻紀、富田敏子各氏など多くの人にお会いしたが、総合俳誌各誌の編集長はたぶん全員関西出張だったようで、小生を含め、代理出席でした。

 震災の自粛ムードも解禁の様子で、各地で各俳誌の記念会もこれから目白押しになるかも知れない。

| コメント(0)
2011年5月20日

仁平 勝氏と会う・・・

兜太氏の膝の上に乗る仁平勝氏

 昨日、仁平勝氏(写真は一昨年、兜太氏の膝の上に乗る仁平氏)と会った。仁平氏に第13回「俳句界」評論賞の選評を改めて依頼したのだ。というのも、今年は山本健吉文学賞の評論部門の選考委員会が地震直後で延期され、受賞作の掲載日などをやむなく変更したために、そのほかの賞関係の原稿締切が大幅に変更され、ずれ込むことになったからだ。

 仁平氏とも、長年の付き合いで(実は、彼が俳句を始める以前からの・・)、色々ブログなどには公開できない本音トークができるので、嬉しい。もちろん、厳しいこともある。がしかし、生き方や意見が違っていたとしても、それは全く気にならない。どこが、違っているのかを確かめ合うことができるからだ。

 かつて攝津幸彦と「豈」に一緒に同人で居た頃、本質的なところで「時代には乗らない」という意志を僕(ら)は持っていた、と思う。時代に乗らないということは、より深く、時代を直視することでもあった。たぶん、それはいまでも変わらないはずだ(だが、ぼくらも老いたから??)。

まあ、話のついで、と言ってはなんだが、今年の「群像」新人文学賞・評論当選作の彌榮浩樹「1%の俳句ー一挙性・露呈性・写生」も話題に上がった。

 どう、上がったかは、ご想像にお任せする。その彌榮浩樹は「翔臨」(竹中宏発行人)の最新号第70号に「竹中宏の俳句観をさぐる1『わたくしたち』考~『俳句開口』私論を寄稿している。

その他にも中田剛「飴山實ノート/その抒情について」は、連載19回目、上野遊馬は「ナンダこれゃ俳句?」と題して短句「七・七」の詞書付き13句を発表している。

色々、自由、誠実な試みがなされている魅力的な雑誌である。

上野遊馬氏の名が出たからというわけでもないが、小社がある高田馬場には、下の写真のように馬頭観音が当然のごとくある。

願いが叶うこと間違いないらしい。 

F1000205馬頭観音.jpg

| コメント(0)
2011年5月19日

長谷川櫂『震災歌集』インタビュー・・

 林編集長は、本日朝から直行で、鎌倉にある長谷川櫂氏の仕事場でのインタビューに出かけている。7月号のための緊急・特別インタビューである。

このたび、俳句ではなく短歌で『震災歌集』(中央公論社)を出されたいきさつなどを伺うものと思われる。この歌集は「巨大な地震と津波、つづいて起こった東京電力の福島第一原子力発電所の事故からはじまった混乱と不安の十日間の記録」と「はじめに」で書かれている。その夜から「荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきたのは。私は俳人だが、なぜ俳句ではなく短歌だったのか、理由はまだよくわからない」と一応は韜晦されている。そのあたり、本日の編集長は聞くかもしれない・・・いずれにしても7月号で公開される記事にご期待いただきたい。

  かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを

  降りしきるヨウ素セシウム浴びながら変に落ち着いてゐる我をあやしむ

  火の神を生みしばかりにみほと焼かれ病み臥(こや)せるか大和島根は

  「日本は変はる」「変へねばならぬ」という若者の声轟然と起これ

  復旧とはけなげな言葉さはあれど喪(うしな)ひしものつひに帰らず

「あとがき」に相当すると思われる「歌の力」の一文には、「もし、あなたが詩歌が無力であると思うのなら、さっさと捨てればいい。しかし、それはあなたが平安の時代に詠んできた短歌、あるいは俳句が無力であるということなのだ。決して詩歌が無力なのではない」とある。

img110519b.jpg

| コメント(0)
2011年5月18日

日本文藝家協会創立65周年懇親会・・

 今年から公益社団法人となった日本文藝家協会の総会の後、創立65周年記念懇親会が行われた。懇親パーテーに入る(乾杯前)前に恒例の講演会が毎年行われ、今年は渡辺淳一氏(昨年は確か落合恵子)。定年以後の老後のあり方、仕事を失ってからの男性の惨め?な有り様などユーモアを交えて、魅力あるお話しをされた。

 高橋悦男氏が、夫人の日下野仁美同伴で出席されていたが、最近の新入会員では、俳人が相当数に増加しているはずだが、俳人の出席が少ないことを嘆いておられた(ちなみに、悦男氏は長寿会員で表彰されていました)。

講演の後は篠弘会長の音頭で乾杯、歓談とあいなった。

その他、知り合いも少ないのだが、健吉息女の山本安見子さん、「豈」同人の恩田侑布子さんにお会いした。恩田さんは鷹羽狩行氏としっかりシューショットをお願いして、にこやかにカメラの前に立っていただいた(下の写真)。また、日本近代文学館事務局の上田光生氏(上田日差子実弟)にもご挨拶した。

 また、初めてお会いした眉村卓氏(下の写真)に、先般、小誌にご執筆いただいたお礼を直接お伝えした。聞けば眉村氏はかつて赤尾兜子の洋行に同行されたとか、さらに、いまだ俳誌「渦」に現役で所属しておられるとのことだった。小生がまだ二十歳頃、「渦」に居たことがありますというと、洋行後の兜子の話を少しされていた。

なんとなく、懐かしい感じだった。

| コメント(0)
2011年5月17日

河内静魚先生・尾崎人魚さん来社・・

河内静魚先生・尾崎人魚さん来社

 二日前、小生が終業のタイムカードを押そうとしていたところに、河内静魚先生と、今度小社で句集を上梓されるという尾崎人魚さんが見えられた。早速、句集制作担当スタッフの青木が相談相手となって、色々お聞きした。

小生はといえば、図々しく、来社の記念に写真を撮らして下さいと頼んだった。

静魚先生も人魚さんもにこやかに写真に納まっていただいた。

静魚主宰誌「毬」5月号には、「季節のことば」と題して・・「鳥帰る」、

   津波残す瓦礫の上を鳥帰る        静魚

の句とエッセイが載っている。

次のページの終りの句に「育ちし地相馬震災」と前書があって、

  春の闇泣かさうとでもするやうに

の句が置かれている。前号の「毬集転々3月号」・秀句として(静魚選)、

  初鴉平らかなりし一丁目    人魚

の句が目に飛び込んできた。それにしても、静魚に人魚、「毬」には、やはり「あべ 毬」という人もいらっしゃる。俳号まで魚づくし、毬づくし にしようと企んでおられるのかどうか?そこは聞き忘れてしまった。

ともあれ、いつものことだが、句集を出されるということを聞くだけでも、何か新しいことが、いいことが起きそうな気持がして、関係ない小生までが、少し心が浮き立つから始末に終えない。

| コメント(2)
2011年5月16日

「や」15周年・・、高濱朋子インタビュー

仏蘭西厨房「かえりやま」にて

 昨日、林編集長は関西まで宇多喜代子、茨木和生両氏の句碑開きに出かけて、東京を留守にしてしまったので、小生は編集長代理(仕方なく、喜んで・・)で、「や」15周年・55号記念会に、溜池山王にあるレストラン・仏蘭西厨房「かえりやま」に出かけたのだった。来賓には石寒太、池田澄子両氏と俳句研究編集部吉田章子氏。ごく最近、「や」「炎環」同人・関根誠子氏句集『浮力』を小社から上梓されたばかりで、実質的なお祝いの会にもなった。しかし、会そのものは、戸松九里氏の挨拶と今震災の犠牲者への黙祷で開始され、自己紹介を兼ねた三陸気仙沼出身の菊田一平氏の実家は津波に流されて無くなったことの報告や、その後の現地でのお話を聞くと想像を絶する事態であることが、小生のような貧しい想像力しか持ち合わせないない者にも、少しは考えるきっかけを与えてくれたかも知れない。〈頑張ろう!日本〉の呼び声の底にうずくまっている現実の姿のことである。

 ここから、少し個人的な話題に移らせていただくと、「や」創刊当時から毎号載っている「や」の吟行記事には、圧倒されていた記憶がある。しかも、最初の自分に「『や』を読む」という立派な企画に、思い返すも恥ずかしい駄文を草したこともある。などなど、常に眼中に入っていた雑誌にの一つなのだ。麻里伊氏によると、当初、「豈」発行人の筑紫磐井に同人誌発行の相談をしたらしい。「豈」は今年で創刊31年目、まだ、51号しか発行していない。それをわずか半分の年月で55号という数字を積み重ねて、「豈」を追い越してしまった。当初、「豈」を追い越すことが目標だったということらしいから、その志は、早くも達成されたことになる。慶賀。

小生の隣には三輪初子氏、小社から、句集『火を愛し水を愛して』を出されている。その初子氏は来る6月15日(水)~20日(月)までギャラリー「ころころ」(早稲田)で俳句展を開催されるとのこと。この詳細は後日にでも・・・。

三輪俳句展

 

ed_emoticon_userblogにこ顔.gifそのニ 父・年尾を語る=高濱朋子インタビュー

 林編集長は、句碑開きの関西行きハードスケジュールと気温の変化に付いて行けず、風邪気味・・・それでも、高濱朋子(写真)へのインタビュー(7月号掲載)を行うために、インタビュー会場・アルカデア市ヶ谷に自宅から直行。

高濱年尾は1900年、東京神田区猿楽町生まれ。父・虚子と母いとの長男。年男は子規によって名付けられた。虚子待望の男の子であった。星野立子は実の妹。開成中学入学の頃からホトトギス発行所に寝泊り、句を作った。あまりに句作に熱中するので、虚子に禁じられたほどで、それでも、変名でホトトギスに投句した、という。中学5年のときの句に、

   秋の蚊の灯火下り来し軽さかな       年尾

長唄や荻江節の趣味があった年男には雅な句も、

   睡蓮の水を切つたる蕾かな

  すと立ちて帯が光りぬ春著の妓

  秋風や竹林一幹より動く

高濱朋子インタビュー

| コメント(0)
2011年5月13日

関根誠子句集『浮力』・・・

 『浮力』は、関根誠子の第一句集『霍乱』に続く第二句集。装丁はコスギ・ヤエ。栞は石寒太に池田澄子。集名は、

   かなかなの声の湧きわく森の浮力     誠子

からのもの。座五の「森の浮力」が中七「声の湧きわく」をよく支えている。「森の力」ではなく「浮力」としたところが作者のネライか。力と浮力ではまったく違う。「声の湧きわく」から「森の浮力」への言葉の斡旋は、周到である。蜩のかなかなの声は確かに湧く感じがある。ここでも「湧きわく」と書いたところは作者自身の手の特徴であるかもしれない。

このあたりの事情については、「言葉のくり返し(リフレーン)も誠子俳句の特色のひとつ」と石寒太が栞に記していることからも伺える。ぼくの好みの句から、

  少しだけ流離ほんの少し秋雨

  今日は今日の記念日であるつくしんぼ

もっとも、かなかなと鳴く蜩には、その〈日暮らし〉が通奏してしまうのはぼくの悪い癖かもしれない(失礼!そこも、勝手に逸れて読む魅力なのだが)。

もう一人の栞文・池田澄子は、いつもながら、「誠子は手を抜かない。この句集の中の俳句はみな一所懸命だ」と作者の人柄に触れながら、一挙に句の有り様に転筆させてゆく。

   走つて走つて走つてゐるけれども芒

には、「俳句の言葉の我慢をも知っていて、作者が秘めた思いは、それ故に読者にじわじわと伝わる。『けれども』は、一句を散文化させがちな措辞だが、理窟として働かせようとせず且つ叫んでいないから、淋しさを倍加させる力をもった。訴えるのではなく謙虚に無心の呟きで終わらせているから、読む人は引き込まれるのである」と言い当てている。もし、この句が「走って走って走っているけれども芒」と池田澄子のように現代仮名遣いで書かれていたら、この句の淋しさの趣は変わって来るのだろうか。もし、変わるとすれば、促音「つ」と「ゐ」の表記の効き方の違いに由来するように思えるのだが・・。ここまでくると、句を書く際に「仮名遣い」をいずれに選択するのかという命題は、俳人にとってけっこう重大な要素を含んでいるのではなかろうか。

(話題が逸れてスミマセン)

実は批評精神の明らかな句もけっこう多い。ぼくの好みの句を揚げさせていただきたい。

  原爆資料館出て唖蝉に囲まるる

  わくら葉が散る人間に過去・未来

  父祖の地の青き嵐も売り渡す

  雲だけが少し秋めく基地の街

  太郎を眠らせ産業廃棄物場に雪

  軒風鈴けふ英霊のひしめける

  八月十五日眼鏡がひどく汚れてゐる

ともあれ、さまざまに楽しめる句群であることは言を待たない。

とはいえ、人間の「さびしさ」は詩歌の根を刺戟して止まない。

   しあわせさうと幸せ違ふポインセチア

   リベルタンゴ初雪のすぐ雨に

   もう褒めてください堅香子はこれで満開

 堅香子(片栗)の写真は佐藤知継。

| コメント(0)
2011年5月12日

兜太ばかりがなぜもてる?

兜太ばかりがなぜもてる

 本誌2009年10月号の特集のキャッチフレーズが「兜太ばかりがなぜもてる?」だった。俳壇ではますます兜太一人勝ちの人気である。小誌昨年9月号の「俳句で120歳まで長生き!」と合わせて、俳壇限定流行語大賞?の感があったと自画自賛を許していただきたい・・・。金子兜太については、俳壇のみならず、高齢の著名人のなかで、人気は日野原重明に次ぐといっても嘘にはならないマルチなもてようである。

とにかく、言いたい事を素直に発言し、それが、なかなか真実を突いているものだから、世の人気者になっているのであろう。つい先日も、編集部宛に『悩むことはない』(文藝春秋社)の本が届けられた。帯には「『抱き合いなさい』九十一歳の自由人、溢れ出るいのちの言葉」とある。

三橋敏雄もそうだったが、この世代の人には、自分の感じたことのみが頼り、そして、どこかで時流に流されない少数派が好き、というところがある。戦争で生死を分けて、生き残ったという体験からきているのかも知れない。南島の遺骨収集の話のなかで、「樹木がしっかり繁ったところの遺骨は収集すべきではない。そのままやすらかにしておきたい。けれども硫黄島のような岩石の固まりみたいな島。これは話が別だ」と述べた件に「菅直人のことを、おおぜいが寄ってたかってぶっ叩いているから、私は逆に弁護したい。やつは先般、硫黄島に行きましたね。帰ってから『遺骨収集を国の仕事にしたい』と言っておりました。あれは立派な即物的行為だと思う」と続けている。

そういえば先日、菅首相の浜岡原発停止の英断も立派だった。まだまだ見捨てたもんじゃない。この伝で頑張ってもらいたい。すべての核(原子力)には、日本だけでなく、地球、人類の未来がかかっているのだから。

ともあれ、この本の最後の章「戦争と俳句」も圧巻の内容だった。

 よく眠る夢の枯野が青むまで     兜太

この句は、芭蕉の句を念頭において詠んだ句で「俺はあんたのように悩まないよ」ということらしい。

小誌8月号では、その兜太に「兜太自身の全て、俳人・俳句史」についてインタビューし、掲載する予定である。必読、乞うご期待!

ブロンズ

| コメント(0)
2011年5月11日

6月号校正戻し・・

F1000189馬場下宿.jpg 

 6月号の校正紙を印刷所に戻す日です。校正は間違いがなくて当たり前の世界ですから、ぼくなどにはあまり向いていません(誤植だらけの人生?ですから)。

勿論、ぼく以外に優秀なスタッフが複数で見ますから・・・・大丈夫!それでもその天網をかいくぐって、座敷童子のように、現れてくるのが誤植童子という、あまり褒めてもらえない童子なのです。そういえば最近『誤植』という名の句集を出した御仁もいらっしゃいます。その俳人の名は島田牙城(しまだ・がじょう)。中の使用字は旧字、もちろん、牙城氏は散文も旧仮名遣いで書く正統派旧仮名派です。これが、また「家族に捧ぐ」などと献辞があるから、涙ぐましいじゃありませんか。

  夕方をさみしくなりぬ男の手     牙城

  ひるまずに降る雪さては雪の戀

  さびしらに木々は立ちをり夕焼けて

 句も涙ぐましいのであります。でも、心意気は並じゃーありません。

  文學の丸ごと反古の立夏哉

  そうそう、こんなことをブログに書いてる場合じゃ・・ありません。校正・・・校正・・・

外は激しい雨が降っています。

編集長とスタッフの三東は、7月号の特集のために座談会の収録にでかけました。もうすぐ帰社するとの連絡がありました。

何の座談会?日本伝統俳句協会の若手俳人、木暮陶句郞・立村霜衣・阪西敦子・相沢文子各氏による伝統俳句の未来を存分に語っていただこうというものです。

閑話休題

わが社の近くには早稲田大学が近いせいか、いまだ賄い付きの下宿があるらしい(写真)。

そういえば、ぼくの若い時は、4畳半、共同トイレで風呂は銭湯。もしくは、三畳一間(それでも、立って半畳、寝て一畳、下天のうちを比ぶれば・・・などと嘯いていたっけ)。

花に嵐のたとえもあるぞ・・嗚呼・・・。

馬場こでまり.jpg

| コメント(0)
2011年5月 9日

栃の花・・

 本日は、6月号「俳句界」の仕入れ部数交渉のために、朝、日販に直行し、次に栗田出版をめざした。バス乗り換えのために赤羽駅西口に降り立ったところに、栃の木があり、見事な花を咲かせていた(上の写真)。秋には実がなり、栃餅やら栃粥になる。

  栃咲くやまぬかれ難き女の身    石田波郷

  あつまれる神ほとけかも橡の花   山崎 聰

  仰ぎ見る樹齢いくばくぞ栃の花    杉田久女

  栃の花大志を抱く男居て       谷内 茂

 昨日に比べると過ごしやすい気温。昨日は夏日だったので(立夏が過ぎたとは、早々と・・・)、少しうんざりしていたが、今日は薫風という感じだった。

 

 

| コメント(0)
2011年5月 6日

6月号取次会社部数交渉へ・・

大型連休の谷間、またまた今月も、「俳句界」6月号の取次ぎ会社搬入部数交渉の日がきてしまった。さすがに谷間とあって、この日は空いていて、思わずとんとん拍子に、トーハン、太洋社、大阪屋と回りきって、普段よりもはるかに早い時間に会社に辿り着いた。

 残りの二つ、日販・栗田を9日(月)に回らなければならないが、たぶん、この日は大混みになるのではなかろうか・・・という予想をたてた。

上の写真の君子蘭はトーハンへからの帰路、赤城坂を上りきったところの角に咲いていたもの。

   君子蘭蟻頭をふりて頂に    楸邨

| コメント(1)
2011年5月 2日

くまざわ書店武蔵小金井店・・・

 

くまざわ書店

 「俳句界」5月号は、写真のように「俳句」よりも前面で陳列してありました(エヘン・・)。

ぼくの通勤途中駅なので、たまに寄る店です。

イトーヨーカドーの3階にあるのですが、いわゆるスーパーの中にあって、しかも100坪未満?の書店としては、なかなかたいしたお店です。書店員として優れた店長、担当者がいるにちがいありません。書棚の品揃えがしっかりしていて、関連商品のジャンル分けもなかなかしっかりしているのです(もっとも詩歌の棚はまだまだですが・・)。

たまに寄ることがあって「俳句界」を置いてもらうようにお願いして、その後もキチンと商品管理がなされている・・・のを確認しています。

今度寄ったときに、お礼に新書でも一冊買っていくことにしましょう。

人形の写真は辻村寿三郎です。

目黒雅叙園の百段階段で5月22日まで、「東北地方太平洋沖地震チャリティー企画」となっています。テーマは「安土桃山花の宴」人形師・辻村寿三郎展。

この百段階段は、展覧会もそうですが、各部屋に描かれた日本画が素晴らしいのです。各間は絵師の名が付けられています。たとえば、十畝(荒木十畝)の間、清方(鏑木清方)の間、草丘(磯部草丘)の間、静水(橋本静水)の間など、東京都の指定文化財になっています。

 人形師・辻村寿三郎展

 ところで、連休の谷間の今日の編集部は6月号(「特集・俳人角川春樹はどこへゆく」)の印刷所入稿の最終段階に差し掛かっています(連休のため特別進行で殺気?だっています。

 

| コメント(2)