2011年6月のブログ記事

2011年6月30日

未来より瀧を吹き割る風来たる  番矢

 瀧.jpg 

 瀧は切り立った断崖から落ちる大瀑布から小さな瀧まで様々にある。

読者の方が昇仙峡での瀧の写真をメールで送って下さったので、暑気払いを兼ねて、

ブログにアップさせていただいた。

掲出した夏石番矢氏の瀧の句は、いかにも彼の若い時代を象徴すような未来を感じさせてくれる句だ。

例のあまりにも有名な句、

   瀧の上に水現れて落ちにけり    後藤夜半

とは、まったく趣を異にしている。志賀重昂の『日本風景論』がすぐにも思い起こされるが、それはそれで、風景それ自身が単独で存在しているのではなく、時代を反映した眼差しよって描きだされている、ということを印象づけるものであったような気がする。

随分昔に読んだので、もし間違いであったら勘弁してほしい。

ベストセラーになったようだ。確か、日本の風景が他国のものに比べて美しいという基調がナショナリズムの高揚に寄与したのではなかったろうか。日本独自の風景の美しさ・・・・これを手放しで称揚する俳句は眉唾かもしれない。もっとも、上に掲げた句には、そうした手放し感はない。

  樹や岩や女ら眠り夜の瀧       鈴木六林男

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2011年6月29日

「俳句界」7月号売り切れ御免・・

日テレ001

 先日のブログで、7月号は高田馬場芳林堂書店で、取次からの入荷分が、完売したのではないかと報告をしたが、もはや、小社手持ちの在庫も本日で品切れになってしまった。小生が入社してからも、数度売り切れ御免という号があったが、今回は最速の売り切れ御免だ。発売わずか4日後である。残念!確かに事前の執筆者購入もこれまでになく部数が多かったので、その多い分は、折込みで刷り部数を決定したのだが、それでも少なかったということ。部数の決定はなかなか難しいものだ。あとは書店からの返品が1ヶ月後くらいにくるので、注文に応じられるのが、返品待ちということになる。

 売り切れ御免で思い出したことがある。小生がかつて(4半世紀前)書店に勤めていた頃、プロレスのブックフェアーを退職直前のk氏と企画し、書店にはめずらしく、グッズ、タイガーマスクのマスクとか、「ファイト」などのプロレス新聞も直接取引で仕入れて販売したことがある。

猪木・馬場のプロレスブームが到来する直前のことだ。

売れに売れて、地方からプロレスファンだという人が、わざわざ上京してくる事態も生んだ。熱狂的といえば熱狂的だった。

当時はパソコンもなく、データは書籍目録などからピックアップをして、関係者に会い、フェアー扱い品の一覧パンフレットなども作った。その売れ行き好調の様子を見て、取次会社のトーハンはプロレスブックフェアーのためのセットを作って、全国の書店に提案した。だからというわけではないだろうが、プロレスブームを創ったのは、私たちのブックフェアーが切っ掛けだったと言ってくれる人もいた。

その企画段階で『私、プロレスの味方です』の著者・村松友視氏にもK駅ビルの喫茶店でk氏ともども会って打ち合わせをした(村松氏はたぶんお忘れだと思うが・・)。もちろん、彼の『私、プロレスの味方です』はベストセラーになった。

その村松氏の本で伝説の編集者ヤスケンこと安原顯(あきら)のことを書いた『ヤスケンの海』が、昼休み散歩中の早稲田馬場口下(わが社の近く)の古本屋で、余りに安く売られていたので、つい買ってしまった。思えば、中央公論社、竹内書店時代のヤスケン編集の本は、トリスタン・ツァラ、デュラス、サルトル、ヘンリー・ミラーなど綺羅星のようだ。「パイデア」という雑誌もそうだったのだ(その頃「本の手帖」もあったなあ・・)。すべてを読んだわけではないが、書店の棚でいつも眺めていた。

「マリー・クレール」の書評欄は有名で、女性誌でありながら、その書評を読むために男性読者が3割もいたという噂だった。小生の、世にいう柳生新陰流=新陰流の師範代であり、当時、上泉伊勢守に帰れという思想をもって共に学んだ若き武道家の前田英樹の第一作『ソシュールの彼方へ』を吉本隆明が絶賛したのは記憶に残っている。丸山圭三郎の弟子であった前田英樹はその後、言語学、批評家として一家をなして多くの著作を送り出している。

村松本

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2011年6月28日

武宮至『祈念』・・・

武宮至著『祈念』

 「祈念」という集名からも察しがつくように、「祈」を含む句が多く詠まれている。煩をいとわず上げてみよう。

  青葉若葉深き祈りのいろをなす      

  祈るがごとくはつ夏の海深し

  祈りのいろに夕日入る冬の海

  地に祈りあり天上にいわし雲

  しづかなる祈りに深き冬の天

  春夕焼祈りは言葉ゆるさざる

  生き死にの祈りひとすぢ夕焼くる

  寒月しんとつつがなき日を祈る

  秋夕焼深き祈りはひざまづく

  祈りあり紅葉濃き日のしづけさに

  かなしかりけり蒼天の冬の虹

 これらの祈りの句群のなかでは、最後から三番目の「秋夕焼深き祈りはひざまづく」が、祈りそのものを詠んで訴求力があるように思える。最初から4番目の句には、ぼくの勝手で、どうしても楸邨「鰯雲人に告ぐべきことならず」を思い起こしてしまう。それは「地に祈りあり」が沈黙のさまを想像させるからだが、楸邨句の通俗性を抱え込むように思った瞬間「天上に」で拒否されてくる(悪い意味で言っているのではありません)。そのことは、一巻が清澄さに貫かれている印象をもたらしていることにもつらなっていよう。さらに言えば、祈りとともに、この句集の特質はなんといっても「ひかり」に包まれているということではないだろうか。その「ひかり」の因ってくるところは、巻頭扉に掲げられた「国破れて山河あり/城春にして草木深し/時に感じては花にも涙を濺ぎ/別れを恨んでは鳥にも心を動かす―杜甫―」の詩行にも由来するかも知れない。

実に様々の「ひかり」に出会うことが出来る。そこでは、「ひかり」が直接詠み込まれていなくても、「ひかり」を感じることができる態のものである。例えば、

   野ぶどうの瑠璃みほとけのいろをなす

   咲くということひとすぢに冬すみれ 

   二月くる遠きひかりの澄むように

   蛇笏忌の裏山に日の移りゐる

   早春の山河はあるがままに光る

   菜の花明かり日輪は空深く

   花あぢさゐ生死のあはひ淡くあり

   月光にコスモスの野の果てなし   

   一病に今日の海あり花芒

   残照といふはるけさの年の暮

   ちちははの浄土恋しき冬の月

   雉子の眼のまことを見つむひかりあり

   ゆく夏の白雲遠く浮く日かな

   みほとけの淡きひかりも秋の暮

   水といふきらめくものにさくら咲く

   みどり濃き母の忌の灯をたてまつる

   生者より死者あきらかに冬の月

 まだまだ多くの句が抽出できるのだが、その余は、読者の楽しみとして読んでいただくことにしよう。

   風しづかなり万緑のしんとあり

そして、前掲句の副詞「しん」を加えれば(「しん」もいくつか出てきます)、まさに武宮至の世界が彷彿とする。

ともあれ、ぼくのもっとも好きな句を最後に上げておこう。

   移るともなく行く雲も年の暮

 

ひまわり02

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2011年6月27日

芳林堂書店高田馬場駅前店では・・・

 戸山小01

 本日の天気予報は曇りだったが、外れて梅雨のしとしと雨が降っている。いかにも黴雨という感じだ。

   天龍の黴雨や白髪の渡し守     許六

   降音や耳もすうなる梅の雨      芭蕉

 昼休みに例によって、発売日直後の「俳句界」の様子を見に、高田馬場の芳林堂書店まで、偵察に行った。発売日から2日も経っているので、いつもならお店に2冊配本があって、一冊は売れて、一冊は棚に残っているというのがパターンなのだが、今日は売り切れ?で一冊もなかった。角川書店の「俳句」は残っていた。本誌の今月の大特集「日本伝統俳句協会」、俳句総合誌ではどこもこのような特集はやらないので、珍しがられて、出足の売上げは好調なのかも知れない。

 あと一冊、立ち読みしたのは、「短歌現代」のわが編集長・林の「俳句時評」である。こちらも、興味のある方はご一読あれ!今月は長谷川櫂『震災歌集』に触れてのものであった。

戸山小02

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2011年6月23日

竹村シゲ子『桜さがし』・・

竹村シゲ子『桜さがし』

 集名は次の一句より、

   耳順なる桜さがしは近江より       シゲ子

 耳順はもとより60歳の異称であり、句は作者の還暦以後を見つめようとする感慨であろうか。論語にあるように「六十にして耳順(したが)う」である。「老いては子に従え」の俗的なたとえとは別に、いささか、品のいい、修養の先に自ずと開ける道筋なのかも知れない。

そのことを佐藤麻績は、「句集名『桜さがし』は、生涯の『俳句さがし』に相応しいと思い選んだのである」と口寄せている。

  きやうだいは水のごとしよ七日粥

  鉾巡行見尽くしてまだ揺れの中

  今の今詠まねば消ゆる雪解音

など、好もしい句は尽きないが、僕の冷奴好きからいうと、文句なしに、

  不機嫌の理由は聞かず冷奴

  山直ぐに控えし洛中新豆腐

の句が上がろうというものである。冷奴を食べながら、夫婦だろうねぇ、とにかく他愛ない相槌を交わすか、黙っている。理由を聞けばなおさら、不機嫌をかこつことになるから、あえて聞かない。いい思いやりである。

この句集には、もう一つ大きな味わいがある。絵画に取材した句の多いことだ。

例えば、

  万緑や写楽は十指ひらきけり

  ちから溜む写楽の双手めく冬木

  北斎の浪に爪あり雁渡し

  北斎の気炎小布施の葉鶏頭

  鳥引くや志功の女人臍まるき

  ダ・ヴィンチの横顔昏るる朴落葉

  大津絵の鬼の手の出て柏餅

  解きのべて鳥獣戯画の涼しかり

  ピカソ描く女の多面大くさめ

  モネの絵のむらさきが好き水澄めり

 確かに、写楽に描かれた十指は開いていることに気づかされる。それぞれにそれらの特質を描いていて妙である。その他、いちいちあげないが、多くの文人の名も句に散見されることから、作者の教養を感じさせもするのである。が、そのほうは、読まれる読者の方々の楽しみとして残しておきたいと思う。ご一読あれ・・・

 

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2011年6月22日

「俳句界」7月号・・・

「俳句界」7月号

 月刊「俳句界」7月号が出来上がってきた。別冊付録「現代カタカナ語俳句集」が付いている。

取次ぎにも今朝納品なので、25日(土)には全国主要書店にには並ぶはずである。

大特集「日本伝統俳句協会」という特別バージョンなので、連載を除いてほぼ丸ごと一冊日本伝統俳句協会関連記事ということになる。

「佐高信の甘口でコンニチハ!」のコーナーも稲畑汀子ホトトギス主宰。巻頭3句など作品欄もすべて伝統俳句協会員である。

 特別作品21句は稲畑廣太郎、坊城俊樹両氏、今後の日本伝統俳句協会を背負う期待のかかるお二人である。俳句界NOWは山田弘子氏の急逝を受けて,昨年「円虹」主宰を継承し、日本伝統俳句協会賞を受賞した、これも期待の山田佳乃氏。

 その中で、まったく別の趣で、長谷川櫂氏への緊急インタビュー「詩歌の力」が掲載され、グラビア写真がかっこいい。江ノ電の過ぎると同時にカメラマンのシャッターが切られている。本文記事中の写真も海辺を歩く動的な櫂氏が、これまたかっこいい。

紗羅ほか

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2011年6月21日

夏至・・

 タチアオイ.jpg 

 北半球では一年中でもっとも昼が長く、夜がもっとも短い日。暦によると今年は明日22日だそうだ。長い年月にはずれる。2056年からは20日の日もあるようだ(過去には1903年に1日だけ23日があったらしい)。

   海は目の高さまで満つ夏至夕       各務麗至

   夏至もまた梅雨の隠微に倣ふなり    相生垣瓜人

   山高く雲下がりをり夏至白夜      石原舟月

 本日、編集長は朝から直行で高幡不動句会に取材で出かけている。

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2011年6月20日

第22回日本伝統俳句協会賞・新人賞・・・

第22回日本伝統俳句協会賞

 昨日、6月19日(日)、東京・都市センターホテルにおいて、(社)日本伝統俳句協会第24回通常総会が開催され、同時に、第22回日本伝統俳句協会賞、新人賞、第23回花鳥諷詠賞の表彰が行われた。

協会賞には、『木挽町』佳田翡翠(よしだ・ひすい)、新人賞には『六分儀』竹岡俊一の各氏が受賞された。また花鳥諷詠賞(平成22年度)には、

  春を待つ吾が詩心と旅鞄     坂本あかり

が受賞となった。会場では稲畑汀子、稲畑廣太郎、坊城俊樹、、大久保白村、深見けん二、辻桃子、山田佳乃各氏のほか、今年度山本健吉賞評論部門の岩岡中正氏も上京されていて、ご挨拶をした。

なにしろ7月号(6月25日発売予定)では、ほぼ、「一冊まるごと伝統俳句協会」特集で登場される方ばかりだ。

そうそう木暮陶句郞氏にもお会いした。7月号では伝統俳句協会若手による座談会で、立村霜衣、阪西敦子、相沢文子各氏とともども元気のよいところを見せていただいている。こちらも乞う!ご期待というところ・・・

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2011年6月17日

三輪初子個展・・

 三輪初子個展

 6月15日(水)~20日(月)まで、早稲田の夏目坂にあるGallery 「ころころ」で三輪初子個展が開催されている。本日は中日にあたるが、小生の昼休みの時間と合わせて、お邪魔した。「春耕」の蟇目良雨氏が先客としておられ、挨拶をした。

 もちろん、三輪初子さんはにこやかに迎えて下さった。最終日20日(月)は打ち上げが銀漢亭で行われるとのことだった。こちらは林編集長が伺う予定である。色紙・短冊など多くの書が掛かっていたが、記念に一句、書き捨てと言われて、帳面に挨拶句

  起きあがるカウント8夏目坂    恒行

 と初子氏の色紙のなかから、言葉をちゃっかり拝借した。元の句は、

  夏立つやカウント8で起きあがる  初子

 初子ボクサーシリーズの中の一句だ。その他、

  引退のボクサー抱く冬薔薇        初子 

  リングサイド肩の怒れる皮ジャケツ     

 この調子だと、今日は一日、しとしと雨のようだ。

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2011年6月15日

芭蕉・異説特集(8月号)・・・

 本誌8月号の特集の予告をします。嵐山光三郎『悪党芭蕉』にもいろいろ書かれておりますが、俳聖芭蕉ならぬ堕天使芭蕉、軽みもそうなら悟りにも遠く、実存者芭蕉を追い求めてみよう・・・という特集です。

その中身はともかく、『芭蕉の恋句』(岩波新書・東明雅)によると、恋は和歌伝統の題なので、当然ながら、連歌俳諧の時代は、月の座、花の座があるように恋の座があるので、恋の呼び出しもあります。「奥の細道」の道中でもたくさん詠まれています。しかも、芭蕉は恋句の名人。

俳句で恋は詠えないというのは、もっともらしいデマゴグーかもしれません。

歌仙俳諧は36句が並んで、この最初の句を「発句(ほっく)」といい「立て句(たてく)」と言われたことは、ご承知のとおりです。36番目が「挙句の果て」の挙句(あげく)です。

36句並んだなかで恋の座を2~5句を詠むルールになっているらしい。そのほか、式目(ルール)は約束事で色々決っているんですが、小生あたりには、細かすぎて覚えていません。

貞門の俳諧においては、「恋の詞(ことば)」というのが決っていて、その詞を入れると恋の句になったということです。例えば、「俳諧恋之詞」には夫婦、二世の契、ひよくの中、連理の中、偕老洞穴、寝物語、ささやく、ふりのよき、情けぶり、うしろがみ引く、身をこがす、小指切り、恋やせ、口紅、男狂、涕ぐむ、やくそく、子をおろす、離別、おとし文・・・などなど。

「狂句こがらし」の巻(貞享元年)では、

  髪はやすまをしのぶ身のほど     芭蕉

  いつはりのつらしと乳をしぼりすて  重五

 

また、連歌の時代には「連歌恋之詞」というのもあったという。契、きぬぎぬ、えにし、よすが、恋すてふ、ぬれ衣、かたおもひ、恥かはし、思川、みやびをかはす・・・すこし雅でしょうか。

ともあれ、芭蕉の恋の付け合い35編(元禄4~7年)が明雅著には選びだされています。

 こうした企画を、編集長以下編集部員が、ああでもない、こうでもない、と意見を言い合っているのは、ほかならぬ(秘密、未公開、他言無用!見てはいけません、)編集長の席の後ろに貼られた社長の檄です(自主的に貼っているのです。うまく見過ごしてください、秘密ですから・・・)。この言葉を胸に刻んでいるのです。そういえば「胸に刻む」も恋の詞でした?

社長の檄

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2011年6月14日

兜太に聞く・第2弾・・・対馬康子

「金子兜太に聞く・第2弾(聞き手・対馬康子)」

 午後2時から市ヶ谷・アルカディアで9月号掲載、「金子兜太に聞く・第2弾(聞き手・対馬康子)」の収録を行った。

お聞きする内容は、金子兜太「造型俳句六章」を中心に前衛俳句の時代、アニミズムに至る過程を対馬康子さんは詳細なレジメも用意して下さって、しかも、

   銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく     兜太

の兜太疾風怒涛の関西・神戸在住時代を支え・俳句創作を始められた金子皆子夫人にも話しが及んだ。

すでに論の発表から半世紀にもなるが、「造型俳句論」再びの趣きがあった。

震災以後、現在のあいまい化した(創る主体)を呼び醒ます方法としての「造型俳句六章」。その行方やいかに・・・というところであろうか。

 

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2011年6月13日

三輪初子『火を愛し水を愛して』・・

『火を愛し水を愛して』

 遠ざかる記憶の果ての六花かな     初子

 先日、「や」の会の15周年、55号記念祝賀会では、隣に座ってお相手していただいた三輪初子さん。聞けば出身は北海道帯広市。

上記の句「立花」は、雪の異称だから、生まれ育った雪の北海道の風景が思い出される。それもこれも長い年月では薄れる記憶もあろう。しかし、さまざまなことを忘却したとしても、立花(雪)だけが鮮やかに思い起こされるのだ。それが「記憶の果て」なのだ。

掲句を巻尾に搭載した句集『火を愛し水を愛して』は小社平成19年3月刊。4年前のことになる。小生が入社する前である。しかし、三輪初子の名は彼女が所属していた「童子」時代から記憶にある。もちろん「や」でも。

なぜかというと、小生の母方の姓が三輪だったので、他人のように思えなくて、いやもなく覚えてしまったのだ。

その三輪初子さん、6月15日から20日まで、「三輪初子俳句展」を「Galleryころころ」(地下鉄・早稲田駅2番出口徒歩7分・若松河田駅徒歩5分)で開催される。

小生も何とか時間を作ってお伺いしたいと思っている。

なかなかピリリと心ににくる句が(小生の好み・・・)ある。

  広島忌朝餉の後の茶の熱き

  敗戦忌一番風呂のピリピリと

  月の下泣くより笑ふむづかしき

  初鏡はじめに笑顔つくりけり

  見にゆくいふより逢ひにゆく桜

  八月やメモする前の白き紙

  木枯しの戻らぬ長い長い橋

  いくさ無き国の真ん中蟻地獄

  火を愛し水を愛して葱洗ふ

  人間はにんげんのまま去年今年

因みに本句集は第3句集というから、多力の作家である。この伝でいくとそろそろ第4句集も近いのかも知れない。

F1000207yuri.jpg

 雀上野忍ばず

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2011年6月10日

時の記念日・・

 6月10日は時の記念日、無添加の日(六=ム)、(10=テン)でもあるらしい。無糖(六=ム)、(10=トウ)茶飲料の日でもあるらしい。いずれもメーカーの語呂合わせだ。

ものの本によると、「東京天文台と生活改善同盟会が1920年に、『時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう』と制定。『日本書記』の天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦換算671年6月10日)の項に、漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。とあることから。『漏刻』とは水時計のことである」とある。

 時間をきちんと守り、欧米並みというのは、たぶん、当時は時間が守られたためしがなかったからだろう。近代化とは、そういうこと???にちがいない。世の中、コンピュータがどんどん便利にしたが、世の中をどんどん忙しくしてしまった。

 ともあれ、本日、本誌7月号は印刷所に校正戻しをした。小生が入社した2年弱前以来、定時(6時前)に初めて校正のすべてを戻した。

 編集長は最終チェックをして、原和子先生との句集の打ち合わせに出かけた。

よってもって、本日は編集部全員定時退社可能日となりました(バンザイ)。

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2011年6月 9日

ひたすら校正の一日・・・

 本日は、編集長は使用した写真の返却に直行して、出社は午後の予定だ。残った編集部員は明日の印刷所への校正戻しのために、ひたすら7月号のゲラ校正をメインに働く。校正は誤植がなくて当たり前の世界の作業だ。実に地味な仕事だ。校正を仕事にしておられる方にはそれだけで敬意を表する。扉のレイアウトやリード文の主要部分は、社長のオーケーを得るために九州本社に電送して、確認する。もっとも、大新聞社や大出版社には校閲部という専門部がある。

ふと、窓に目をやると晴れて陽差しがある。昨日の天気予報では一日曇りだったので、気分も少し晴れやかになる。ふと、ふと、下の句を思い出した。

  花うつぎどのみち曇る父の道     攝津幸彦

さらに、ふと、ふらんす堂の新事務所への移転は(慶賀)、と気に名なってブログを見たら、

 低き門くぐりてもどる草刈女   山口昭男

の句について、田中裕明が記したという以下の文に遭遇した。

「草を刈っている時は草刈女ですが、家に戻って別の仕事をしている時にはもう草刈女ではありません。その境界が低き門であるようにも思われます。
 などと、こむずかしいことを考えるのではなく、作者の言いたかったのは草刈女のくぐったのは低き門だったという事実だけです。家のたたずまいなども想像されて、事実が詩的真実に変わっていきます。 (二〇〇二・八)」

実に裕明らしい文だが、最後あたりに「詩的真実」ということばが出てきて、これまたふと思出したのだ。小生はかつて、「先に攝津幸彦を失って、今また田中裕明を失った」と言ったことを・・・。そして、つい「詩的真実」に反応してしまった。そういえば、攝津幸彦と田中裕明の違いって何だろう?と・・・・。

それは、田中裕明は「詩的真実」を信じたが、攝津幸彦は「詩的真実」さえも疑っていただろうなあ、ということだった。

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2011年6月 8日

本日は7月号の・・・

 

 今日は、昨日に続いて、日販と栗田出版販売の7月号仕入れ部数交渉に行った。その結果を受けて、7月号全体の刷り部数を決めるのだが、「俳句」の約2万部以上には到底及ばない(残念!)。本誌「俳句界」の厚さではすでに「俳句」誌を凌駕しているのだが、さすがに半世紀以上の歴史の「俳句」は重い(紙の重さでは負けていないが・・・)。というような恨み言はさておいて、本日は別冊付録「現代カタカナ語俳句集」の色校正見本が出来上がってきた。

1ページに平均すると6句、60ページだから約360句以上が収録されている。

2009年1月から2011年5月まで約2年と少しの期間「俳句界」に載った句で複数のものをほぼ収録した。できるだけ多くの作者を入集しようとつとめたので、是非、手にとって見ていただければ幸甚。いわば、ただいまのカタカナ語の入った句の実態のようなものが垣間見られるはず・・・

6月25日発売であるが、もちろん、定期購読者の方々には1日か2日くらい早くお手元にとどくかも知れない。お楽しみに・・・

  またまた、話しが横道に逸れるが、昨日ブログに書いた被災地の書店がまだ再開していないことに関して、栗田出版販売では「俳句界」が定期配本されている店のなかで2店舗が再開されていないと教えてくれた。一つは福島原発の避難区域に当たっているための休業らしい。

再開の目処はまったくたっていないとのことだった。

たぶん零細書店の多い地域を抱えているのは、二大取次ぎのトーハン・日販よりも他の取次ぎ会社であろう。ここでも格差による影響の大きさが違っている。どこまで行っても小が生き延びるには 

現実が厳しく立ちはだかっているようだ。

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2011年6月 7日

7月号・取次会社仕入れ窓口へ・・・

あじさい

 日々は去り、月日は流れ・・・ではないが、早くも7月号(6月25日発売予定)の仕入れ部数交渉の日がきてしまった。7月号には別冊付録「現代カタカナ語俳句集」が付くので、少しは期待して窓口交渉に向かったが、トーハンでは帰り討ちに合ってしまい、仕入れ部数を伸ばすことが出来なかった(残念!)。まあ、そうそう、右肩上がりの絶好調というわけにもいかないでしょう。雑誌の時代は終わったとまでいわれている状況ですから。それにしても、書店実売では、特に震災後は伸び悩んでいる(もっとも安定購読に寄与していただいている定期購読については皆さんのご支援の御蔭で順調です)。

というわけで、先日(6月4日)の日本出版取次協会の調査発表記事をぶつけて取次仕入れ窓口に質問してみたのだ。

その記事というのは「東日本大震災で全半壊した書店が9県で104店に上った」というものである。しかも「営業を再開できていない店が5月23日現在で99店あるほか、2店は経営者と連絡が取れていない状態で、このうち2店が廃業を決めた」というものであった。調査対象は17都道府県の1568店、県別の全半壊は宮城38店、福島26店、茨城23店、岩手10店で、4県で9割以上を占めたという。浸水や水漏れ被害は10都県の53県。震災で商品の破損したのが600店以上で損害額は約50億円と見込まれているらしい。

さすがに、某大取次ぎ会社は、もうほとんど影響はありません、と嘯かれた。大手六社といわれる取次ぎでもたぶん零細書店を多く抱える某取次ぎは、いまだに影響を受けていますと正直に答えてくれた。郡山ジュンク堂も再開しましたし・・・と、もともと東北に弱い某取次ぎはそれなり・・という答えでした。

みつばち

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2011年6月 6日

俳人九条の会&兜太に聞く・・

俳人『九条の会』・2011年新緑の集い

 昨日6月5日(日)、午後一時半から、東京港区芝・専売ホールにて、「俳人『九条の会』・2011年新緑の集い」が開かれた。

東日本大震災の犠牲者に黙祷の後、開会の挨拶は、大牧広氏。司会は望月たけし・折原あきの両氏。講演は二つ、一つは「憲法九条をめぐる新しい情勢」平井正(憲法会議事務局長)で、東日本大震災・福島原発事故について、憲法13条(生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利)と第25条(すべての国民は健康で文化的な生活を営む権利)の理念にもとずく復興をめざすことと、原子爆弾と原発は同根のものであるなど、また米軍との「トモダチ作戦」の実態とは何かについて、示唆的な話しがあった。

 休憩をはさんで、冨士眞奈美氏(女優・俳人)による「私と俳句」(写真上)と題した講演で、自分の生い立ちを含めて句友の大切さ、有難さをユーモアを交えて、しみじみ話された。最後に持参されたハーモニカで「ふるさと」を演奏され、合唱の渦となった。閉会の挨拶は諸角せつ子氏。

 平井氏のの演のなかで印象的だったのは、12年前の臨界事故に関して、加藤周一「夕陽妄語」(1999年10月20日・朝日新聞)の「核戦争の起こる確率は小さいが、原子力発電所に大きな事故がおこる確立は小さいがゼロではなく、もしおこればその災害は予測しがたい。東海村に事故がおこれば『ヒロシマ』を思い出すのが当然だろう、と私は考える」。その通りのなったのだ。ヒロシマはウラン型の、長崎はプルトニウム型の原子爆弾。なんのことはない、福島原発と同じだ。あまりにリスクが大きすぎる。

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 本日は、午後よりアルカディア市ヶ谷で8月号のための金子兜太インタビューがあった。聞き手は今井聖氏。この企画は、3ヶ月連続で金子兜太に、俳句の出発当時から現在までを語り尽くしてもらおうということで企画された特別インタビューだ。今回は師・加藤楸邨と「寒雷」、戦争、敗戦直後のことなどを、大いに語る内容になっている。乞うご期待!二回目は戦後の前衛俳句時代を聞き手・対馬康子氏で、三回目は「海程」創刊、現代俳句協会の組織とともにの歩みを水野眞由美氏に伺っていただく予定になっている。

92歳の金子兜太氏ますますお元気で、記憶力も全く衰えていない。話しておきたいことは山ほどあるという感じだ。

金子兜太氏

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2011年6月 3日

森田峠句集『甲山』・・・

 森田峠句集『甲山』

 その姿甲に似たる山眠る    峠

『甲山』は森田峠の第8句集である。著者「あとがき」に、「高齢になって作風が淡白になってきたと自分でも思います。/数へたくなる鶏頭に出合ひけり/複雑な着想と淡白な表現のこんな句が出来たことに自分で驚いています。ただし、この句は今回の句集には入っていません。次の句集に入れる予定です」。とある。

「数へたくなる鶏頭」とは、いわずもがなだが、子規の鶏頭の句である。

森田峠86歳、心持は自在である。ぼくが思い出すのは(森田峠氏は、お忘れだと思うが)、ある仕事で阿波野青畝にインタビューをすることになって、宇多喜代子さんに仲介とインタビュアーをお願いしたのだ。その折、色々とお世話していただいたのが、当時「かつらぎ」の編集長だった森田峠氏だ。昭和も最晩年のことである(もう23年前)。

その折、まだ十分に若かったぼくは、阿波野青畝に「俳句で一番大切なものは何ですか?」と最後に聞いたのだった。答えは予想もしなかった「言葉です」というものだった。今もその言葉を折りにつけ思い出す。有難い指針だった。

青畝の庭には万両の赤い実がなっていた。ただ一度だけしか、お目にかかったことはないが、大人・青畝という感じは、忘れられない。もちろん、今のぼくの年齢に近い森田峠氏も、体躯といい、すでに、青畝に続く大人の感じをもった人であった。

句集本題にもどると、甲山は兵庫県西宮市近郊にある火山らしい。形はもちろん甲をかぶせたような形である。この句集が師・阿波野青畝に捧げられれいることからも、この近くに墓所もあるそうだが、甲子園には青畝の自宅もあった。その師を詠んだ、

  尼寺の句碑はちひさめ万両忌    峠

万両忌は青畝の忌日。忌日は暮もせまった12月22日。

  数へ日のうちに先師のご命日

  

先に心持ちは自在と書いたが、目に写るもの、即、心に映るというか、俳句に生るという佇まいである。おのずからユーモアも生まれてくる。

帯の自選10句には入っていないが、心動かされたいくつかの句を上げたい。

  一斉に一枚を脱ぐ遍路かな

  親鳰の首よく回る浮巣かな

 

  秋高し水車は何も搗いてゐず

  刃物向けられ鮟鱇笑ひけり

  本館に居て別館へ初電話

 

  啓蟄や羽あるものは空を飛び

  一つとて悪貨はあらず社会鍋

  四阿もながめのうちや花菖蒲

  日向ぼここの場誰かに譲りたし

  向ひ家の干せばわが家も布団干す  

最後になるが、自選の句にある

 木の芽ありキリンの舌の届かざる

には、

 冬空やキリンは青き草くはへ      句集『葛の崖』(平成15年刊)

の句を思い起こした。

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2011年6月 2日

テントウムシ?

テントウムシ

 辞書によると天道虫と書かれているが紅娘というのもある。

紅娘・・なかなか良い名だ。そういえば小林貴子句集に『紅娘』というのがあったなあ。

わが編集部は7月号の入稿に向けて、第三コーナーを回って、いよいよ直線コースに差し掛かってきた感じだ。

7月号別冊付録「現代カタカナ語俳句集」に思わぬ削除や追加が入って、馬で言えば、追い込み直前のコーナーで掛かった感じになった。末足を期待したい展開だ。

ともあれ、今日は朝から雨にたたられて重馬場にはちがいない。

明日朝、編集長は星野光二絆対談のために浦和に直行である。

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