2011年6月 9日

ひたすら校正の一日・・・

 本日は、編集長は使用した写真の返却に直行して、出社は午後の予定だ。残った編集部員は明日の印刷所への校正戻しのために、ひたすら7月号のゲラ校正をメインに働く。校正は誤植がなくて当たり前の世界の作業だ。実に地味な仕事だ。校正を仕事にしておられる方にはそれだけで敬意を表する。扉のレイアウトやリード文の主要部分は、社長のオーケーを得るために九州本社に電送して、確認する。もっとも、大新聞社や大出版社には校閲部という専門部がある。

ふと、窓に目をやると晴れて陽差しがある。昨日の天気予報では一日曇りだったので、気分も少し晴れやかになる。ふと、ふと、下の句を思い出した。

  花うつぎどのみち曇る父の道     攝津幸彦

さらに、ふと、ふらんす堂の新事務所への移転は(慶賀)、と気に名なってブログを見たら、

 低き門くぐりてもどる草刈女   山口昭男

の句について、田中裕明が記したという以下の文に遭遇した。

「草を刈っている時は草刈女ですが、家に戻って別の仕事をしている時にはもう草刈女ではありません。その境界が低き門であるようにも思われます。
 などと、こむずかしいことを考えるのではなく、作者の言いたかったのは草刈女のくぐったのは低き門だったという事実だけです。家のたたずまいなども想像されて、事実が詩的真実に変わっていきます。 (二〇〇二・八)」

実に裕明らしい文だが、最後あたりに「詩的真実」ということばが出てきて、これまたふと思出したのだ。小生はかつて、「先に攝津幸彦を失って、今また田中裕明を失った」と言ったことを・・・。そして、つい「詩的真実」に反応してしまった。そういえば、攝津幸彦と田中裕明の違いって何だろう?と・・・・。

それは、田中裕明は「詩的真実」を信じたが、攝津幸彦は「詩的真実」さえも疑っていただろうなあ、ということだった。

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