2011年7月のブログ記事

2011年7月29日

『千葉県現代俳句集成2010』・・・伊藤希眸氏

千葉現俳

  本日午後、伊藤希眸さんが来社された。

 希眸さん塩釜がご実家らしい。今回の震災では、津波ですべて流されたとのこと。これで家ガ水につかったのは三度目とおっしゃっていた。

 ご自身ではようやくお盆前に様子を見に行かれるそうである。

 どうやら、旧家らしい。偶然とはいえ、研ぎに出していた刀二振りが手元に真新しい白鞘に収まって残ったとのこと。

 ゆっくりお話しできたのは今回が初めてだが、知り合ってからの付き合いは長い。

最初の句集『希眸』(平成4年)上梓の直前のことであったろうか。

バレーボールの全国大会で優勝されたことや、地元でバレーボールのコーチをされていたこと、バレーボール以外の時間は本を読むのが大好き少女だったらしい、ということも今回初めて知った。

  白百合の白秘む海軍兵学校       希眸

 お兄さんは海軍学校だったので、たぶんその頃の思い出の句だろう。制服姿は格好良かった。

 お嬢さんで自由に大事に育てられたらしい。俳句はご主人のお仕事の赴任先で、丸山海道「京鹿子」で研鑚を積まれ、現在は豊田都峰に師事しておられる。

 実は小生は二十歳の頃、京都で3年間を過ごし、鴨川岸にあった「詩の家」樋本詩葉?・・・たしか「京鹿子」だったような、お邪魔したことがあったような記憶がよみがえった(希眸さんとお話ししているとき)。

 今度、第三句集を出される気持ちがおありだというので、相談方々来訪されたのだが、その折、出版されたばかりの『千葉県現代俳句集成2010』を持参され、いただいた。

 このアンソロジーは千葉県現代俳句協会創立三十周年の記念事業のひとつで、232名の方が収録されている。この合同句集刊行委員会委員長が伊藤希眸さん。因みに千葉県現代俳句協会会長は山中葛子氏。

  芽吹く枝うすむらさきに壺の耳       希眸

  山なみや百萬噸の桜咲く

  風はクリスタル紅葉は赤い音たてて

  みらい願望糸瓜ずどんと垂れてをり

戦後俳句の行方 004.jpg

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2011年7月28日

魅惑の俳人・清水径子・・

 

不明の花

 上の写真の花の名はなんというのでしょう。

通勤途中の路上で蔓の葉の先に咲いていました。

 ところで、本日は、これから10月号魅惑の俳人・清水径子のことを語っていただくために鳴戸奈菜氏にインタビューに出かける。

清水径子の義兄は秋元不死男。

  メーデーの濠に忽ち逆さの列    清水野笛

は、清水径子の実弟・本名、信衛の句(楠本憲吉『戦後の俳句』より)。「氷海」に連載された秋元不死男の「俳句入門」の副題は「俳句を始めた妹へ」だったという。

清水径子略年譜(「らん」32号、清水径子追悼特集)によると、

明治44年2月、東京下谷車坂(現在の上野)に次女として生れた。

昭和7年、22歳で結婚するが不幸にして失敗、離婚。

昭和12年、26歳2月、弟信太郎死去。心は死の思いに傾斜。哲学書など耽読。他方東京三(秋元不死男)にすすめられて、秋桜子、誓子、草田男を主軸とした新興俳句の作品、俳論に興味をもつ。

昭和39年、53歳、俳人協会事務局に奉職。47年退職するまで協会事務に当たる。

昭和52年、66歳。秋元不死男逝去。翌年「氷海」終刊。

ここからが俳壇で伝説的に語られていることである。

「氷海」同人でかつ「新葉集」選者でもあった清水径子が当然、「氷海」を主宰継承するものと思われていたが、昭和54年68歳でいきなり永田耕衣主宰「琴座」に一投句者として参加。そこに中尾壽美子もいた。以後平成9年、永田耕衣が死去し「琴座」終刊まで同人だった。

平成10年に鳴戸奈菜、皆川燈ら6人で同人誌「らん」を創刊。

平成17年、94歳でこの世を去った。

  野菊流れつつ生ひ立ちを考ふる       径子

  倒れたる板間の葱に似て困る

  鶴来るか夕空美しくしてゐる

  さびしいからこほろぎはまたはじめから

  眠たうてときどき蝶に押さるるよ

遺作は(平成16年2月、句帖より)、

  やがて消えゆくいのち秋風めくら縞

  生きている限りは老婆秋ふかし

魅惑・清水径子追悼特集

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2011年7月27日

金子兜太に聞く・・・

半夏生

 昨日は、金子兜太に聞く(第3回・聞き手、水野真由美)のインタビューを行うために、熊谷のご自宅にお邪魔した。10月号に掲載される予定である。第3回目は主要には現代俳句協会や主宰誌「海程」について伺うという、水野真由美氏にとっては、いささか哲学、文学的でない現実的なことについて尋ねてもらうという無理な注文を受けていただいて恐縮している。水野氏は連続3回行ったうちの過去のお二人(今井聖・対馬康子)と違って、唯一直接の金子兜太の弟子であるが、歯に衣着せない清しい志の真由美節は、師・兜太に向かっても健在だった。 

 けっこう踏み込んでいました(期待して下さい)。金子兜太氏も「おう、何でも答えてやるから聞いてこい」という世代を超えての真剣相撲のようでした。

兜太邸の庭は広大というわけではありませんが(それでも広いです)、様々な樹で森のようでした。対談中も野鳥が次々に飛来し、鳥の声は絶えなかった。

 最後に庭で写真撮影をお願いしたが、その折、「これは皆子が植えたんだ、少し花期は過ぎてるけどな・・」と半夏生草を指さされた。そのとなりには桔梗があざやかな紫をとどめていた。

桔梗

 聞き忘れましたが、「海程」って名前の由来は、意味はなんですか?

「九州から、瀬戸内海を船で神戸かな・・海の道のりだよ、だから『海程』、その船に乗っている間に100句以上の句ができたんだよ」と。

下の写真は「海程」創刊号から3号まで。創刊は昭和37年4月、兜太43歳の時。

半夏生 vol.2

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2011年7月25日

まごころ 東日本へ「色紙短冊頒布会」・・

俳人協会頒布会vol.1

 朝は直行して、(社)俳人協会主催の「まごころ 東日本へ 『色紙 短冊頒布会』」の取材、記事にして9月号トピックスへ。紙面では文字数制限のために何も書けなかったので、少しだけ書いておこう。

・期間は7月23日(土)~27日(水)の午前11時~午後三時半。

・場所は俳句文学館

小生はほとんど開く時間と同時に、ゆっくり写真も撮らせてもらうつもりで入ったのだが、すでに来訪者もあって、取材中に来場者もあっと言う間に増えた。

俳句文学館に伺うと、いつも誰かにお会いするのだが、最初に嶋田麻紀女史にお会いした。

さらに、主催者側で来客対応に当たられていた、角谷昌子、稲田眸子、山田真砂年各氏にもご挨拶。そうこうしているうちに棚山波朗、根岸善雄、徳田千鶴子各氏、事務局の井越芳子氏にも・・・

 この「色紙短冊頒布会」は被災地支援のために(社)俳人協会が「東日本大震災対策委員会」(委員長棚山波朗)を4月の理事会で立ち上げ、義援金を日本赤十字社に寄託することにしたもので、その義援金は7月20日現在で1770万円超ということであった。さらに色紙短冊の頒布の売上げを義援金にするというものだ。

 

俳人協会頒布会

 とりわけ、物故者の色紙短冊には垂涎ものがたくさん、それもすべて今回のよびかけに際して、寄付されてきたものだそうである。しかも、賛助会員の色紙(1万円)、色紙(3万円)と同額である。おもわず、軍資金を集めて、古本の背取り男爵に変身しようかと思ったくらいだ。

因みに賛助会員・結社主宰者の色紙は約200点、短冊は90点。物故俳人は50名。特別出品の鷹羽狩行会長・有馬朗人顧問・後藤比奈夫顧問などの軸、額などは別途係員に値段の交渉。

というわけで、高浜虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」軸については、すでに10倍を越える競争率になっていた。

小生は西東三鬼短冊に触手が・・・しかし、すでに10倍近くあるらしかたった。だって1万円は安い?

物故俳人については、人気のある作家がたちどころに分かってしまうらしい(ということは人気のない作家も・・)。

現役俳人はどれくらい売れたか、売約スミのマークが気になるだろうなあと、下世話に想像した。

俳人協会頒布会vol.3

また、俳人協会関西支部でも8月18日、19日に頒布会を開催予定とか。

明日は、金子兜太ご自宅へ水野眞由美(聞き手)氏・編集長ともどもお邪魔する予定。

編集長は今頃大牧広先生の撮影を終わっている頃かも知れない。

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2011年7月22日

明日は大暑・・

郁乎賞 葱などvol.1

 二十四節気「大暑」、つまり、暦の上ではいよいよ晩夏である。そして初秋を迎える。

 桐始結花〈日本では桐の実が生り始める〉。

 というわけでもあるまいが、逸れて行った台風のお蔭で、本日も気温は低めで心地よい風がある。

 従って、節電などは行わず,普通に編集部の窓は大きく開け放たれている。

 日々、この程度の涼風があるのであれば、エアコンなどいらない。

 エアコンを使わなければ、暖かい空気を外に放出することもない(貧しく、美しい?我が家にエアコンはない)。

 都会のアスファルトジャングルに、さらに戸外への熱風を送ることもない。

 原発もいらないわけだ。

 そうすれば、これからの未来ある青少年、子どもたちだって、豊かな風を感じながら成長できるはずだが・・

 さて、都会の砂漠に自然の風で暮らせ日々が再び訪れるときがくるのであろうか。、

郁乎賞 葱などvol.2

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2011年7月21日

一週間前の暑気払い・・

文學の森酒豪列伝

 一週間前のある日の夕べ、8月号の打ち上げを兼ねて、雑誌の編集部全員でビアガーデンに行った。

 瀟洒な庭園であった。半蔵門にあって、ふくおか会館という名からして福岡県の関係者のための宿泊施設、リーズナブルなお値段と、なぜか虫除けスプレーが特徴。

 小社の本社が福岡です・・といったが、ボーイはそうなんですかと関心は示したものの、県関係者の特別割引10%にはならなかった(残念)。

 小生は限りなく下戸に近く、編集長も女性には強い?がアルコールには弱い。

 とはいえ、スタッフの女性2名は酒豪?に近い。何はなくても酒があれば、エンジン全開。仕事もスイスイ~?。従って、酒席のお相手には十分の資格がある。しかし、仕事のほうは日々、忙し状態で、残業で遅くなると、デートはおろか、呑みに行く暇も時間もない!と、時折、獣に近い叫び声を上げている(失礼!)。その脅迫的叫び声を背後にしては、心優しき編集長と小生は、打ち上げというこれ以上はない名目をもって、スタッフへのサービスにこれ努めたのでありますという次第(眉に唾しないで下さい)。

img110721b.jpg

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2011年7月20日

「俳句界」8月号出来・・・

「俳句界」8月号

 明日21日(木)各取次ぎ会社搬入に向けて、「俳句界」8月号(25日発売予定)が出来てきた。

主要な目次を紹介しましょう。

・第一特集は「芭蕉異説」-アウトロー伝説を追うー。芭蕉晩年の境地「あらび」についてを宮坂静生、辞世の句についてを今瀬剛一、謎多き芭蕉について高橋悦男、「兵どもの夢」とは何かについて今泉康弘、芭蕉出生の謎についてを宮田正和。

 ・金子兜太「大いに語る!」短期集中連載(3回予定)、第1回(親父と「寒雷」と戦争)の聞き手は今井聖。

 ・東日本震災の影響で、選考などが遅れていた第11回山本健吉文学賞(本年から俳句部門と評論部門)、第13回俳句界評論賞の発表。

 ・魅惑の俳人は井上井月。

 ・芸能人・著名人競詠。

 ・佐高信の甘口でコンニチハ!はスルガ銀行社長の岡野光喜。

 ・文字のないエッセイは池本さやか「パラオの戦跡を訪ねて」。

 などなど、盛り沢山の内容だが、なんといっても、読者投句欄の一層充実した選者陣による増ページ。選者は、

 俳句ボクシングが、石田郷子、坊城俊樹。

 兼題が、伊藤通明、大高霧海、佐藤麻績、名和未知男、橋爪鶴麿。

 雑詠が、有馬朗人、池田澄子、泉田秋硯、大串章、加藤耕子、角川春樹、辻桃子、奈良文夫、能村研三、廣瀬直人。

 選句、講評、ここを直せば入選など、個性的な、興味のもてる見解が満載されている。

 ページ数も376ページと記録的厚さ。手にとるには、少し重いかも知れませんが、少なくとも体力増強のストレッチだと思って手にとって見て下さい。

さるすべり

ひまわり

 

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2011年7月19日

第13回加藤郁乎賞授賞祝賀会・・

郁乎賞 葱など vol.1

郁乎賞 葱など vol.2

 先週の土曜日、7月16日、ハイアットリージェンシー東京で、第13回加藤郁乎賞授賞祝賀会が行われた。当初は3月23日に行われる予定だったが、例の天変地異によってこの日まで伸びたのである。授賞したのは安部元気句集『一座』。安部元気氏の第三句集にあたる。

 第一句集が『水鉄砲』、第二が『稲子麿』、そして今回の『一座』。

 すなわちお祝いの拙い一句を即吟献上。

  水鉄砲稲子麿なる一座かな     恒行

 稲子麿(いなごまろ)はショウリョウバッタのことらしい。安部元気は「童子」副主宰。辻桃子主宰も大活躍なら、副主宰・安部元気も七面六臂の活躍である。辻桃子主宰は「俳句界」表紙の書を毎号掲載させていただいている。さらに大扉のミニエッセイもである。

 来賓の挨拶は、加藤郁乎賞の受賞者のなかから仁平勝、伊藤勲、坂口昌弘、川名大各氏など。乾杯は大久保白村氏、小生のテーブルの右隣は岡安仁義氏、その先に小島健氏。左隣は佐怒賀正美氏、斜向いに立花藏氏。

 会場は160名を越す来賓、童子連衆で溢れ、青野早々氏の祝謡で始まり、薗部庚申氏の祝踊、さらには桃子主宰の『一座』の朗読が佐藤明彦編集長のギター伴奏で披露された。童子連衆の芸達者な面々によって会は大いに盛り上がった。

 

 壇上には、安部元気御家族も勢揃いし、孫の真洋ちゃんから花束を受け取っていた(下の写真は挨拶する元気氏の次男)。

 最後の締めは第一回受賞者の手島泰六氏の万歳三唱でめでたく散会。

郁乎賞 葱など vol.3

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2011年7月15日

河野薫『あざみ日和』・・・

あざみ日和

 句集名『あざみ日和』は、

  雅也忌もあざみ日和と南畦が      薫

の句から。前書に「平川雅也同人会長が逝かれて早や一年 二句」とあり、「聞きたしやあの雅也節昭和の日」の句が前にある。

 語り口か、披講の際の名調子かいずれにしても雅也氏の風貌とともに思い出されることばかりだろう。忌日の昭和の日とともに、ともに歩んだ昭和という時代相までも思い起こさせるから不思議である。句友の連中は晴れ男たちの集まりだから、ほぼ晴れるのだ。それを名付けて「あざみ日和」と「あざみ」という結社名とともに誇りにもしている様子が伺える。

 次に来る句が、

  夏来る三鬼おそれし乳房かな

 当然ながら三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」に想を得て挨拶している句だ。

さらに、憲吉の「掌にあれば乳房胡桃(くるみ)のごと痛し」の影も匂う。

 あるいはまた、詞書「伊丹三樹彦先生より手紙あり、『楠本憲吉の〈汝が胸の谷間の汗(傍点あり)や巴里祭〉の句の誤植事件(汗→汁)は事実なり」と、とあり次の句が掲げられている。

  憲吉師三樹彦翁居る巴里祭   

 憲吉と三樹彦の縁は深い。昭和18年、憲吉が学徒兵として入隊し、伊丹三樹彦を識ったことが俳人への一歩だった。菱山修三は、憲吉の句を評して「彼の詩句は、その癒えるともない傷口から滴り落ちた血にほかならぬ。ここにはサタイアの雨を浴び、アイロニイの風に吹

かれながら、ひとすぢの道を行く彼がゐる」と憲吉第一句集『隠花植物』の序に記した。   

 師・楠本憲吉を詠んだ句も多い。「昭和六十三年十二月十七日、楠本憲吉先生急逝、祐天寺に眠る 三句」の中から、

  酌みし日よ墓石も痩身憲吉忌

 さらに、

  遠周(えんしゅう)と楠憲(くすけん)の秘話沈黙忌

 「楠本憲吉師は、遠藤周作と席も隣同士の同級生とか」、の詞書がある。次の句も前書があるが「十二月十七日、楠本憲吉師の忌また来る 四句 /『野の会』創刊号の師の一句〈天にオリオン地には我等の靴音のみ〉」。

  オリオンへ靴音遠し憲吉忌

  賛美歌のいま背後よりオリオン忌

  槿花一日(きんかいちじつ)この世変はらぬ憲吉忌

  世はすべて加減乗除や憲吉忌

 その他、

  師との距離また一つ詰めオリオン忌

 憲吉といえば、ずいぶん世話になった俳人も多いと聞く。句会の会場として「灘萬」を句会場に貸してくれたとか、さまざまな伝説がある。小生の世代などは、確か文春?『俳句入門』とか、なんといっても今は無き社会思想社の教養文庫『戦後の俳句』は格好のテキストで何度も読み返した記憶がある(山本健吉著『現代俳句』よりも親しんだ)。俳恩厚き俳人の一人だ。

 「あとがき」によると十二月十七日は奇縁の日で、「初孫の結希(ゆき)を授かり」「楠本憲吉先生のご逝去」「母の多希女のくも膜下手術・入院、という三大事が、いずれも十二月十七日」だと記してある。

  以下、小生の好きな句をいくつか上げさせていただきたい。

  天空より銀杏落葉といふ密書

  亡父と同じ道をあゆむか木枯と

  花あざみ戀句の艶へ多希女の歩

  あの世婚熟年離婚四月馬鹿

  見ておくれ来ないでおくれと螢火が

  貫くはわが道抒情南畦忌

  虚子忌来る追つかけ和子英いづこ

  開戦忌今も何処でもある奇襲

  痩身銀髪「俳鬼(はいき)と思ふ憲吉忌

 句集帯には村上護が「父南畦、母多希女の声を耳にしながら、独自の抒情俳句を目指す。『あざみ』新主宰として満を持しての句集である。期待は大きくまさに『あざみ日和』だ」と寄せている。

 思い起こせば、35年前、『現代俳句の新鋭』全4巻の第一巻に、河野薫は収載されている。窪田般彌の解説には短いながら、加藤郁乎を例にあげて「河野薫は御両親が俳人、(中略)私の友人加藤郁乎も俳句一家の人間だった。加藤は俳句を壊しながら、俳句の本堂に戻っていった。私はなぜか加藤を回想しながら河野氏の句を読んでいた」と記して、

  あぢさゐも半円救の核家族

  中年近し余白の厚さ河豚の骨

  など5句を挙げている。河野薫まさに不惑を迎える直前の句行であろう。小生はといえば、すっかり忘れていたが、次の句にチェックの印がついていた。

  8・15いつもの歯痛持ち歩く

  マスクはずす潜水夫の息をして

  獣臭充つ園家族といふ恐怖

  春愁の花瓶に詰める過保護の詩

 

三内丸遺跡vol.1

 因みに句碑の写真は十二湖(青池)近く「あざみ」六十周年(平成16年)の親子句碑で二年ほど前、小生が文學の森に入社する前に、旅先で、偶然写真に収めたもの。句碑建立委員会委員長に新谷ひろしの名があった。

 句碑の句は、

 どの径も湖へさだかに森も秋    南畦

 秋風裡樹根みちびく湖の霊     多希女

 森は春神の息なる湖の風      薫

三内丸遺跡vol.2

三内丸遺跡vol.3

三内丸遺跡vol.4

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2011年7月14日

詩歌の国?・・・

渋谷・金次郎

 詩歌の国・日本?どこの国のことだろう。前にも少し書いたが、今日も、別件の用があって、少し書店を回ったが、「詩歌・俳句」の棚は貧弱どころか、ほとんどないという実情だ。

大型と思われる書店ですらそうなのだから、いわゆる金太郎飴の品揃えにならざるをえない中小書店は推して知るべし、というべきか。

それでも、東京駅前・八重洲ブックセンターの詩歌棚のスペースと内容は断トツの品揃えである。しかし、広さの割にはオアゾ丸善は、まあまあというところだが、合格点には届かない感じだ。

しかし、「俳句界」が置いてあったので合格・・・・にしよう。

これも、詩歌を贔屓目に見ているせいなのかも知れない。

 八重洲ブックセンターは親会社・鹿島建設が書店業界に対して他産業資本として進出した皓矢である。当時、全国2万3000店といわれた書店のほとんどが加盟していた日本書店組合は出店反対で八重洲ブックセンターの品揃えも規制された。結果、八重洲ブックセンターでは、当初、週刊誌・雑誌・文庫は置けなかった。

大店舗法が健在だった規制緩和以前のことだ。書店の取引正味を引き上げるためにブック戦争と呼ばれる交渉が難航し、岩波文庫が書店店頭から消えたこともあった。

何しろ、書店の卸正味が約8割、利益は2割しかなかった。しかし、それは、日本独自の委託配本システムによって支えられていた分部もあろう。ブック戦争後、少し正味があがって利益が出るようになって、鉄道資本などの書店への参入や対抗するように紀伊国屋・丸善など大型書店が全国チェーン展開するとともに、中小書店は相次いで閉店した。結果、強かった書店組合も加入店の減少とともに力を失っていった。当初、経営者(書店のおやじ)と書店労働者の労働条件・賃金の引き上げが大義名分だった正味戦争も、結果としては、メガ書店の進展を生み出したのみで、現場の書店労働者は相変わらずの劣悪な労働条件下におかれているrというのが現状だろう。

 閑話休題。俳句で単にイモといえば,サ里芋のことである。収穫は秋。衣被(きぬかつぎ)は皮付きの小芋を茹でたもの。大きなハート型の葉が風に揺れる。

  鎌倉に残る畑の芋の秋     石塚友二

  八頭いづこより刃を入るるとも  飯島晴子

いもぢ

 

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2011年7月12日

豆腐の日に育児の日・・・

 オシロイバナ

 毎月12日は豆腐の日(10と2の語呂合わせ・日本豆腐協会が制定)、かつ、育児の日(1と2の語呂合わせ・神戸新聞社が制定)であるという。

今の季節、豆腐といえば冷奴。小生は大好きである。蕎麦に冷奴は、毎日でも食べられる。

 

  山中や朝しらたまの冷奴    上田五千石

 

冷麦・素麺もこの時期は美味い。

 

  そうめんの淡き昼餉や街の音    草間時彦

  冷麦を水に放つや広がれる     篠原温亭 

 

 今日の編集部は、予定通り、午前中に8月号の折丁を印刷所に戻して、ホッと一息つく間もなく次号へととりかかった。 

毎月12日は豆腐の日02

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2011年7月11日

10月号「俳句界」NOW撮影に・・・

栗・むくげ

 本日も朝から暑い。編集長・林は10月号俳句界NOWの長島衣伊子(「朴の花」主宰)のグラビア撮影のために、橋本照嵩カメラマンと現場に直行している。

 「子規新報」第2巻32号(6月30日発行)に関根誠子句集『浮力』(小社刊)の書評が、坪内稔典「句集の新風」の欄と小西昭夫「読書日記」に書かれている。

 坪内氏は、

  ビールないビールがない信じられない   誠子

 という句引用して、「『ビールない』と事態を認識し、『ビールがない』とその事態の大変さを強調、一転して『信じられない』とその事態を判断する。その認識の動きに律動があり、律動にビール好きの心情が重なっている。つまり、高度に俳句的な表現が実践されているのだ」。と延べ、「『 曲がり胡瓜切りをり顔の曲がり来る』 これは今や私の愛唱句である」とまで語っている。

 また、小西氏は、「あめんぼう吹いて五センチほど流す」の句について、「ぼくは関根さんの『あめんぼう』に参ってしまった。『あめんぼう』の句は数々あるが、この『五センチ』は見事だ。今までだれもこのように詠んだ人はいない。実にリアルな五センチである。そして、この五センチが余力な力を抜いてくれる」と賞賛している。

 本日の編集部は、夕刻に、8月号の折丁(印刷された紙をページ順になるように折ったもの)が印刷所から届いて、それをチェックすれば文字通り校了となる。ヤレヤレ一段落ということになる・・・・。

栗・むくげvol.2

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2011年7月 8日

校正戻し・グラビア打ち合わせ橋本照嵩・・

藤田個展 むくげ

 今日は、8月号の校正を終えて、印刷所にすべて戻す日だ。

 朝からひたすら校正作業・・・

 午前中に編集長は七田谷まりうす氏の見舞いに・・

 編集長が出かけた直後に、グラビアの写真を撮っていただいている橋本照嵩氏が来社。

 橋本氏は石巻出身の写真家・震災後、ことあるごとに故郷に帰って写真を撮っているということで、本誌9月号の「文字のないエッセイ」に津波の地からの写真が掲載される予定になっている。

 小生、いつものように昼休みを早稲田方面の古本屋に散歩。

 今日も何気なくのぞいた古本屋の棚に、あろうことか橋本照嵩写真集『小野十三郎の二日間』(1999年「澪標」刊)があった。副題に「傘寿を迎える初春」にとあるので十三郎最晩年の写真集だ。

 値段も手ごろだったので買った。昼休みが終わって帰社したときに橋本照嵩氏がまだいたらサインをしてもらおうと思ったが、残念ながら、すでに帰られたあとだった。

 写真集の扉に掲げられた言葉はいまなお新しく、胸を打つ。

 「悲しみと怒りの極まるところで新しい方法を持て」

 「詩とは偏向する勁さのことだ」

 かつて奴隷の韻律として日本の抒情詩を問いただし、詩を生き方とした十三郎の晩年の優しい表情を照嵩氏のカメラがよくとらえていました(今度会ったらサインしてもらおう!下の写真が照嵩氏)。

橋本照嵩氏

橋本写真集

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2011年7月 7日

藤田三保子個展&ブックファースト・・・

藤田個展

 8月号の芸能人俳句特集に登場いただく藤田三保子さんの個展に取材をかねて伺った。

 銀座第一岩月ビル一階のギャラリーGKで9日(土)まで開催されている。今回は俳句絵(俳画ふう)ではなく絵画展、キャンバスへ描いた大作も掲げられていた。

 校正ゲラのFAXが上手く届かなかったらしく、8月号の著者校正の期日が過ぎていたので、ゲラを持参して、図図しくも、その場で著者校正をしていただいた。

 絵もさることながら、7月13日(水)には「エトワール」でパリ祭。7月24日(日)には同所でROJIAS&三保子二人会でシャンソンライブ。こちらも興味のある方はどうぞ。因みに藤田三保子さんの俳号は出身地が山頭火と同じなので「山頭女」。

 昨日は帰路に吉祥寺ブックファースト、本日は藤田三保子個展の帰路に銀座コアのブックファーストに立ち寄った。写真は吉祥寺駅ビルのブックファーストに面陳列されていた「俳句界」7月号。

ブックファーストに面陳列「俳句界」7月号

むくげ

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2011年7月 6日

読みたい雑誌から買いたい雑誌へ・・

へくそかずら

 本日は8月号、各取次ぎ回り2日目・・・日販を終えたところで、別件のために丸善御茶ノ水店に寄った。

 「俳句界」も「俳句」も「俳壇」も文芸誌の棚にはなかった。

 よせばいいのに、ついでに詩歌の書籍棚に廻った。書店規模約230坪からすると、やはり俳句関係書は少ない。

 それでも、つい『知識ゼロからの俳句入門』金子兜太著・古屋三敏画(幻冬舎)を買ってしまった。

 僕は、俳句入門書は大切だと昔から思っていて、自分でも入門書を書くときに一通りは読み漁った。ハウツーものの入門書は、一般的にいえば、過去の入門書より、最新のものが、便利で読み易くという努力がされている。

 僕が入門書を書き進めていた当時(2004年頃)、ハウツーでは『20週 俳句入門』藤田湘子著と辻桃子著『俳句って楽しい』という入門書が、もっとも優れていると思ったことを記憶している。

 なぜ、俳句入門書が大切かというと、動物の子どもの刷り込み現象と同じで、特に初心の人は、入門書によって、俳句の何たるかを知るからである。俳句形式の認識において歴史的、客観的な史実と間違ったことが書かれてあっても、それを信じるからである。

 因みに僕が読んだ最初の入門書は中村草田男『俳句入門』だったために、その呪縛から自由になるために十年近くを費やすはめに陥ったのだ。

 ともあれ、俳句の道もまた、歩めば歩むほどはるかに遠い、困難な道であることにちがいはない。

 さて、丸善のあとは新宿のジュンク堂、紀伊国屋書店と回ったのだが、詩歌の棚の充実ぶりは、他の書店の追随を許さないといっていい。書店回りをすると「俳句界」の力不足を痛感する。「俳句」誌の平積みはもちろんのこと、紀伊国屋本店の詩歌の棚には「俳句」のバックナンバーも常備されている。

 日々わが編集部は読者が読みたい雑誌とはどのようなものか、追求しているつもりなのだが、読みたい雑誌から、読者が買って手元に置きたい雑誌というにはまだまだ力量不足なのだ。

少なくとも書店の棚の「俳句」の側には、必ず「俳句界」も置いてあるというレベルにまで上げないと先はない・・・。

へくそかずらvol.2

 

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2011年7月 5日

取次ぎ仕入れ窓口・・・

白夾竹桃

 8月号の各取次ぎへの部数決定交渉が、今月も始まった。

 出版業界は、夏場はもともと売れ行きも落ち、老舗の書店は意外に8月に決算月が多かったり、そのせいで、書籍などは金融返品があるとまで業界用語で囁かれた時代もある。取次ぎの送量規制の意向もあって、なかなか厳しい出だしとなった。

 ともあれ、別の目的があって、取次ぎからの帰路に池袋の三つの書店を廻った。

 まず、東武デパートの7階の東京旭屋書店に寄った。文芸雑誌の棚に行って「俳句界」を探したが見当たらず、売り切れたかな・・とおもったが、「俳句」も「俳壇」「俳句四季」も見当たらず、俳句関係の雑誌ではわずかにNHKのみであった。

 たぶん全体では300坪くらいある広い売り場面積で、総合文芸誌の棚は、全体で、いわゆる三尺棚で三本しかない。詩歌の本の棚になってもその程度しかないので、店の方針として、売れ行き部数の少ないジャンルは店頭には並べないという方針になっているのかもしれない。

 ちょっと淋しいというか、これでは、詩歌の幸ふ国の未来は無いも同然のような気がする。まあ、読者がついていないのだから仕方の無いところだろう。書店側には高い家賃を払ってまで、回転率の悪い商品を置いておく余裕などないはずだから・・・

栗田・界隈、池袋ジュンク

 次にリブロ池袋本店。ここはかつて書店業界にリブロの時代を築いただけあって、棚作りはその名残りを留めている。約1000坪。だが、かつての熱気は棚からは消えている。しかし、「俳句界」はしっかり6冊で平積みしてあった。となりに「俳句」は12冊。

次にジュンク堂池袋店、さすがに2000坪、図書館のような本屋の詩歌の棚の品揃えは充実していた。それでも、俳句関係の雑誌は弱いらしく、「俳句界」は売り切れ、「俳句」も残り一冊だった。

下の写真は月下美人。

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2011年7月 4日

「朴の花」15周年・市川俊徳句集出版祝賀会・・

 朴の花その1

 7月2日(土)、横浜・桜木町ブリーズベイホテルで「朴の花」創立15周年記念祝賀会・第6回七夕の集い並びに市川俊徳句集『たんぽぽのポポのポポさん』(小社刊)出版記念が行われた。

 司会の家吉幸二氏が開会を宣言され、「朴の花」の15年の歩みを佐藤正八氏が述べられ、長島衣伊子主宰は、苦難の中にも、今しかない今を詠う俳句を縁にして「他人の幸せを共に喜べる仲間と歩めたことや仲間はわたしの弟子ではなく宝物。ここには生徒はいず、先生ばかり、わたしは生徒会長のつもり」などと熱く語られ、かつ、「先師・沢木欣一は、かつて、わたしのことをジャンヌ・ダルクだとおっしゃったことがある。俳句界のジャンヌ・ダルクとして歩み続けたい」と決意もあらたに、今後の「朴の花」の躍進を誓っておられた。

 会場には夫君、長男、長女氏ら、長島一家あげての協力が、心温まるものにしていた(会場も節電モードで、皆さんの熱気の上に熱気でヒートアップしていた)。

朴の花 ほか 069.jpg

朴の花その2

   同時に行われた市川俊徳句集『たんぽぽのポポさんのポポ』は著者が幼稚園の園長さんで童話作家ということからうかがえるように、幼児ことばがそのまま句になったものもあり、読者をハッとさせる。集名になった、

  たんぽぽのポポのポポさんゆたんポのポ      俊徳

  朝顔は宇宙の渦の色となり

  子どもらに遊んでもらう夏帽子

  大声の「いただきます」の秋刀魚かな

  豆打つや鬼は園長「福は内」

 乾杯の音頭は秋山甲斐氏。

朴の花その3

 「第6回七夕の集い」では同人の皆さんが認めた短冊・色紙が架けられ、気に入った句に点を入れ、色紙・短冊がいただけるという趣向だが、高点になった句の短冊などは、ジャンケンで争うことになり、小生といえば、本誌連載・人気の高い「筝漏亭日常」矢島康吉氏の句に点を投じ、競争相手なく、まんまといただくことになった。下の写真はその矢島康吉氏。

因みに最高点は秋山甲斐、第2位に平林てるお、第3位は同点で前澤チズヱ、奥園迪、宮原正子、中村町子の各氏。小社より賞状、記念品を贈呈した。

朴の花その4

会の締めは 、川越加寿子、島村いさお両氏の美声の歌でめでたく解散となった。

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2011年7月 1日

明日は・・・

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 本日は、早くも8月号の印刷所への入稿日。

 明日は、編集長・林は北海道は旭川の西川徹郎文學館第一回文學館賞の授賞式(小社刊『白鳥忌』角川春樹が受賞)出席のためにお出かけ。

小生は「朴の花」創刊15周年記念&市川俊徳句集『たんぽぽのポポのポポさん』の出版記念会、七夕の集い俳句大会のために横浜に行くことになっている。

「朴の花」は発行人・長島衣伊子氏が、平成8年10月に創刊した俳句とエッセイの季刊誌。編集人は「俳句界」に「筝漏亭日常」を三年間に渡って連載をしている矢島康吉氏。「筝漏亭」とは、「筝(こと)の音が漏れ聞こえてくるあずまや」のことだと、わざわざ上品を記してある。もちろん永井荷風「断腸亭日乗」からのパクリである。あれやこれや・・・連載は達意の文章でフアンも多い。

著書に小社刊の『古本茶話』がある。

 

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