2011年7月28日

魅惑の俳人・清水径子・・

 

不明の花

 上の写真の花の名はなんというのでしょう。

通勤途中の路上で蔓の葉の先に咲いていました。

 ところで、本日は、これから10月号魅惑の俳人・清水径子のことを語っていただくために鳴戸奈菜氏にインタビューに出かける。

清水径子の義兄は秋元不死男。

  メーデーの濠に忽ち逆さの列    清水野笛

は、清水径子の実弟・本名、信衛の句(楠本憲吉『戦後の俳句』より)。「氷海」に連載された秋元不死男の「俳句入門」の副題は「俳句を始めた妹へ」だったという。

清水径子略年譜(「らん」32号、清水径子追悼特集)によると、

明治44年2月、東京下谷車坂(現在の上野)に次女として生れた。

昭和7年、22歳で結婚するが不幸にして失敗、離婚。

昭和12年、26歳2月、弟信太郎死去。心は死の思いに傾斜。哲学書など耽読。他方東京三(秋元不死男)にすすめられて、秋桜子、誓子、草田男を主軸とした新興俳句の作品、俳論に興味をもつ。

昭和39年、53歳、俳人協会事務局に奉職。47年退職するまで協会事務に当たる。

昭和52年、66歳。秋元不死男逝去。翌年「氷海」終刊。

ここからが俳壇で伝説的に語られていることである。

「氷海」同人でかつ「新葉集」選者でもあった清水径子が当然、「氷海」を主宰継承するものと思われていたが、昭和54年68歳でいきなり永田耕衣主宰「琴座」に一投句者として参加。そこに中尾壽美子もいた。以後平成9年、永田耕衣が死去し「琴座」終刊まで同人だった。

平成10年に鳴戸奈菜、皆川燈ら6人で同人誌「らん」を創刊。

平成17年、94歳でこの世を去った。

  野菊流れつつ生ひ立ちを考ふる       径子

  倒れたる板間の葱に似て困る

  鶴来るか夕空美しくしてゐる

  さびしいからこほろぎはまたはじめから

  眠たうてときどき蝶に押さるるよ

遺作は(平成16年2月、句帖より)、

  やがて消えゆくいのち秋風めくら縞

  生きている限りは老婆秋ふかし

魅惑・清水径子追悼特集

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この写真の花の名は「からす瓜の花」です。妖しげに闇に咲いている時はこの世の花では無いやうに思えます。こちらも8月になれば咲きはじめます。

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