明日9月1日は、竹久夢二の亡くなった日。それを記念して伊香保ホテル天坊で、毎年夢二忌俳句大会が行われている。
本日の前夜句会、明日の俳句大会のために、わが編集長は、10月号の台割りを確認したのち、午後もだいぶ過ぎて高速バスに乗って出かけた。
伊香保温泉は生前夢二が46歳(昭和5年)に一ヶ月滞在し「榛名山美術研究所」の構想をたてたところだ。夢二記念館もある。その館長の子息・木暮陶句郞氏が夢二忌俳句大会の遂行者である。
夢二は、明治17年岡山県邑久郡に酒造業の家に生まれた(山頭火と似ている)。17歳で単身上京、21歳のとき、友人の荒畑寒村の紹介で平民社の「直言」に挿絵を描きはじめる。「平民新聞」にも風刺画を描いた。
明治43年には、寒村の関係で大逆事件への関与が疑われて2日間拘留されている。
いわゆる夢二の美人画は大正ロマンの香りとともに一世を風靡した。
「宵待草」は、宮内省雅楽部のバイオリニスト多忠亮に作曲されて、大ヒットした。
夢二が浮名をながしたモデルの中には、本郷菊坂菊富士ホテルに滞在中、伊藤晴雨(責め絵、縛り絵・・)のモデルもつとめた東京美術学校の人気モデルお葉もいた。夢二「黒船屋」のモデルといわれている。








































