2011年8月のブログ記事

2011年8月31日

第19回夢二忌俳句大会・・

トルコ 0831

 明日9月1日は、竹久夢二の亡くなった日。それを記念して伊香保ホテル天坊で、毎年夢二忌俳句大会が行われている。

 本日の前夜句会、明日の俳句大会のために、わが編集長は、10月号の台割りを確認したのち、午後もだいぶ過ぎて高速バスに乗って出かけた。

 伊香保温泉は生前夢二が46歳(昭和5年)に一ヶ月滞在し「榛名山美術研究所」の構想をたてたところだ。夢二記念館もある。その館長の子息・木暮陶句郞氏が夢二忌俳句大会の遂行者である。

夢二は、明治17年岡山県邑久郡に酒造業の家に生まれた(山頭火と似ている)。17歳で単身上京、21歳のとき、友人の荒畑寒村の紹介で平民社の「直言」に挿絵を描きはじめる。「平民新聞」にも風刺画を描いた。

明治43年には、寒村の関係で大逆事件への関与が疑われて2日間拘留されている。

いわゆる夢二の美人画は大正ロマンの香りとともに一世を風靡した。

「宵待草」は、宮内省雅楽部のバイオリニスト多忠亮に作曲されて、大ヒットした。

夢二が浮名をながしたモデルの中には、本郷菊坂菊富士ホテルに滞在中、伊藤晴雨(責め絵、縛り絵・・)のモデルもつとめた東京美術学校の人気モデルお葉もいた。夢二「黒船屋」のモデルといわれている。

ソウロウ泉園

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2011年8月29日

古賀紙白(こが・しはく)句集・・・

古賀紙白句集

  叱られし思ひ出うれし鶯忌          紙白

句に「月斗忌」の前書がある。

「鶯忌」はいうまでもなく青木月斗の忌日で、辞世の句

  臨終の庭に鶯鳴きにけり    月斗

に拠っている。青木月斗は、紙白の直接の師・吉田南鷗、太田耕人の師であり、月斗の教えも受けている(著者年譜による)。月斗は子規によって「俳諧の西の奉行や月の秋」と詠まれた俳壇の一峰であった。

他にも、

  青嵐大河を分つ月斗句碑        紙白

  『月斗翁句集』の書名にもあるように、月斗もまた翁と呼ばれていた。

従って、次の翁の忌の、

  句に生きて迎ふる米寿翁の忌

  俳諧の道なほ遠し翁の忌

  薄雲を透かす日射しや翁の忌

  秋めくや句の道はるか翁の碑

  句などは、「翁の忌」=芭蕉忌とも読めるが、月斗翁のことを詠んでいると思われる。著者もまた、今年90歳翁である。

 紙白句集の真骨頂は妻恋の句であり、また、この世代には抜き去りがたく沈潜している戦争詠である。

  妻見舞ふ日課も失せし日脚のぶ

  亡き妻や里の大河も水温む

  わが胸に妻なほ生けり年は逝く

  病む妻へ誕生祝の桜餅

     硫黄島   

  玉砕の俤老いず終戦日

  涙はや老いしと憶ふ終戦日

  南溟に果てし戦友(ともどち)秋の雲

    斥候を命ぜらる。 昭和二十年八月十五日

  匍匐(ほふく)して斜面の弾雨終戦日

  今はなき戦友若し葉桜に  

そして、究極の人間詠とでもいうべきであろうか。

  海近き朧の橋を渡りけり

  人生はすべて雑事や大昼寝

  万緑の山河越えきし海遙か

    母、百六歳

   枕頭の検温グラフ蝉しぐれ

あるいは、集中初期の句、

   野の光り風に応へて山桜 

   藤垂れて真昼の影のなかりけり

などは、月斗翁の「句は味、句は調べ」の過不足ない明朗さをも現わしている句の世界ではなかろうか。

  

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2011年8月26日

突然の雷雨・・

くまざわ書店9月号

  荒尾根の雲へこだまの雷一過      河野南畦

険しい山間の雷は谺し、過ぎて行った。

  次に来るかみなりを待つ腕まくら     五島高資

若い二人なら、さもありなん。初々しいかぎりだ。

ところで、本日、スタッフの松本は夏休み。

編集長は雷の去るのを見計らって遅い昼食に出た。

雷は去っても、まだ、降っている。

小生はといえば、真っ黒い雲とともにパラパラときたときに、すばやく昼食を切り上げて社に戻った(古本屋で100円コーナー、『心の俳句 趣味の俳句』上田都史を手にして)。

もう一人のスタッフ・三東は激しい雷雨に昼食のタイミングを逸して、いまだに机に向かっている。

昨夜、帰宅途中で武蔵小金井のイトーヨーカ堂のくまざわ書店に寄った。

以前にも触れたかもしれないが、スーパーの中の本屋としては、まあ、良い品揃えの店だ。社会、哲学はこの規模の書店としては、緻密な品揃えだ。しかし、文芸誌・詩歌はよくない。それでも、「俳句界」は一度営業にうかがって、お願いしてから1冊は置いてある。角川「俳句」も一冊だから、よしとしよう。それでも全く売れないと、やがて取次のコンピュータは配本を中止してしまう。従って、たまによっては、売れたか売れていないか確認しているのだ。間全く売れないときは配本維持のために一冊買うこともある。

さらに、小生は気を使って、店長に分るように、たまに店頭にない本を注文して行く。というわけで、この日も先日注文しておいた鈴木健一編『鳥獣虫魚の文学史』第一巻・獣編(三弥井書店)を買った。

蕪村も載っている。猫犬の類なら江戸時代にはペットにもなっている。

和歌にも詠まれているが、ようするに生き物をタームに文学史を紡ぎ出すという面白い中身だ。

ならば、俳句の歴史だって、俳句に詠まれた鳥、獣、虫、魚を集めて「鳥獣虫魚の俳句史」が可能であろう。もっとも今でも、「猫の俳句」アンソロジーがあるくらいだから、別段新しいことでもないのかも知れない。

鴎外・新松子vol.0826

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2011年8月25日

俳句界、本日発売日・・・

 

高麗神社vol.3

 今日25日(木)、本誌は全国書店での発売日である。

特集のひとつが「東北俳句とは何か」ということもあってか、執筆陣も東北在住の方が多いせいか、東北の書店から注文が舞い込んでいる。嬉しいことである。

因みに7月号に続き、8月号も本日に注文を受けて品切れお礼!

また、本日は江戸時代中期の俳人・山本荷兮(かけい)の忌日。芭蕉の弟子で、出身地の尾張に蕉風を広めめたが、晩年は師に背いて連歌師になったと言われている。

   新らしき茶袋一つ冬籠        荷兮

   鹽魚の齒にはさかふは秋の暮  

(今日の編集部)も、いよいよ、10月号に向けて第三コーナーに差し掛かる・・・・。

トルコvol.0825

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2011年8月24日

延寿寺富美『大旦』・・・

大旦

 句集名は、

   大旦神は海よりきたりけり       富美

補陀落渡海の説からいけば、南海上に観世音菩薩が住んでいるわけだが、この句では、遙かの海から神が訪れるというのである。それも元旦、大旦に。

   母の手を離し春泥飛び越えし

この句集一巻に子どもの句があふれているのは序文で師の伊藤通明の記しているところだ。

掲句の手を離し、春泥を飛び越えていった主人公は誰だろう。子どもであろうか。あるいは作者自らが自分の少しは老いた母の手を離したのであろうか?

両様に読めるが、味わいは違ってくる。「幸せな人の幸せな句集」(序文)から想像すると子どもであろう。

とはいえ、中には、

   会ふことの叶はず蛍も見にゆかず

 の嘆きもないわけではない。

もっとも、

   すぐに母に替はられ父の日の電話

のように、ちょっぴりな不満も、幸せに違いないスナップとして詠まれている。

   サイダーになだめられたる程の鬱

サイダーほどの鬱だから、たいした鬱ではない。

 いずれ、

   ふるさとの花野は空へつづきけり

   どの山も雲従へて夏休み

の風景にたどりつくことができる。

高麗神社vol.2

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2011年8月23日

処暑・・・

トルコ

 本日は処暑(しょしょ)、暑気がやむの意である。

確かに2~3日降り続いた雨の御蔭か、かの猛暑は一段落している。

だが、明日からは、気象情報によると、夏の蒸し暑さは復活するらしい。

いずれにしても「変わりやすい秋の空は処暑の頃からはじまる」とものの本にはある。女心については書いてない。

歳時記には、ほぼ、処暑の例句はない。改造社版『俳諧歳時記』秋の部でさえ、

「月令広義に曰、立秋十五日斗巾に指すを処暑とす。」古書校註の一行を引いているのみで例句はない。

編集長は本日、対談テープ起こしのために自宅にて作業である。

鴎外・新松子 012

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2011年8月22日

9月号・・・

俳句界9月号

 本日、9月号(8月25日発売予定)が出来上がってきた。各取次会社へも午前中に搬入されているはずである。

 わが編集長は、秋葉久雄(「海光」主宰)氏ご逝去のため、通夜に出かけた。

小社からは、昨年5月、心に残る俳句作家シリーズで句集『河川』を上梓されている。

秋葉久雄氏はは昭和12年11月生まれ、俳句は、42年志水素秋「あびこうらなり」入会から始まる。金尾梅の門「季節」門下。

  白菊に恍惚と藁かかりけり    梅の門

以下は句集自選句より。

  虹消ゆるまでは点さず山女宿     久雄

  春逝くや落合橋と言うにあり

  傾げたる内の燃えおり白日傘

ご冥福を祈る。

  さて、9月号の内容だが、特集「名人から学ぶ俳句のテクニック」。名人とは高濱虚子・久保田万太郎・飯田蛇笏・中村草田男・上田五千石。それぞれ、岸本尚毅、寺島ただし、瀧澤和治、新海あぐり、松尾隆信が、その要諦を解説。その他、橋本直、天野小石、関悦史、今泉康弘、谷口麻耶、依田善朗など有望俳人による一句鑑賞テクニックも掲載。

第二特集「東北俳句とは何か」は俳人外から、伊奈かっぺい、赤坂憲雄、錦仁など東北に関わり深い方々にお願いしての真の東北に迫っていただいた。ミニエッセイも同時に味わって下さい。

特別作品21句は、眞鍋呉夫・高橋睦朗・村上護と豪華布陣。

「金子兜太大いに語る」は第2回目、聞き手は対馬康子。

その他、連載もお見逃しなく・・・

鴎外・新松子

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2011年8月19日

われらが風狂の師・・・

 風狂

 本日は昼頃から激しい雷雨。昨日は烈日・・

その昨日のことだ。

スタッフの三東は、来年からの本誌表紙絵を依頼するべく、社長の命を受けて、本年一番の猛暑をもろともせず、出かけて行った。

小生はといえば、昼食のために不請ながら馬場口から早稲田の古本通りの方へ出かけた。

あまりの暑さに、喫茶店で本でも読もうと思ったが、手ぶらで出てしまったので、古本屋の100円コーナーに、つい足を留めて眺めた。

「古書現世」の看板が現世的で少し嫌だが、ここはなかなか面白い品揃えの店だ。

値段で柵が区切ってある。

「1000円以下」「1000円以上」といった具合だ。

暑さでふらふらしてきたので、とにかく何でもいから100円コーナーの手ごろのを物色した。

青山光二という著者の名に惹かれてと、わが編集長はいつも、人生は風狂がいい、などとのたまうものだから、つい手が伸びたのが青山光二著『われらが風狂の師』だった。

側の喫茶店に入って、食事をと思ったが、メニューにはそれらしいものがなかった。

トーストもない、というので、仕方なく、クレープのようなものを注文して空腹を満たすことにした。

節電とはいっても、よくクーラーが効いている。

早速、表紙を開いたら、見返しに「花田紀凱様  青山光二」と署名が目に飛び込んできた。

詳しいことは分らないが、花田紀凱といえば、かつて、たしか「週間文春」の編集長。

いわば謹呈本が古書店に売られ流れているのだ。花田紀凱は、その後、敵ともいうべき朝日新聞に移って、物議をかもしたことがある。

ともあれ、『われらが風狂の師』のモデルは土井虎(ドイトラ)のニックネームで奇行はなはだしかった土井虎賀寿(どいとらかず)・三高教授の物語だ。まだほとんど読んでいないのでなんともいえないが、主人公土岐数馬(ときかずま)以外は、実名だ。西田幾多郎、小林秀雄、西谷敬治など関係の哲学者は目白押しだ。さらにフランス文学の粟津則雄など。

新潮編集部の女性編集者、筑摩書房の編集者などなど・・・・。

そのドイトラは三高教授・京大講師の職を捨てて東大仏文科大学院に入学したのが45歳。

ニーチェの訳本が多い。

小生にとって、活字は睡眠薬と同じだ。

うとうとと眠る。

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2011年8月18日

加藤静江『挨拶』・・・

挨拶

 8月は、今でも多くの日本人にとって、特別な月である。とりわけ、昭和一桁生まれの人にとっては、戦禍の直接的な記憶が、消しがたくあるに違いない。

  まなうらに父の慟哭終戦忌     静江

  敗戦忌海底の兄光り出す

一句目は、他にも

  敗戦日父の号泣あの日だけ 

という変奏の句を留めている。

二句目の兄は、

  青春のなかりし兄や新松子

  雪しまく戦後を知らぬ兄の墓 

の句として、思い起されているのだいずれも加藤静江の胸底に刻まれている光景である。次の句もそうした記憶と無縁ではない。

  暮るるまで母泣いて居し終戦日

そうした記憶のあれこれを、

  竹馬や競ひし頃の父若し

  遠雷や父と湯浴みし日も遠く

と回想する。夫を詠んだ句も多い。

  そこに夫ここに我ゐて冬ぬくし

  手術終へ夫残せば時雨来る

  夫病めばわれ心病む晩夏なる

  こだはりの夫の冬帽いつも黒

夫を見送ったのちには、  

 春眠の続きのやうに夫逝けり 

 夫の指示なきも淋しや障子貼る

 萩括る逝きたる夫を抱くやうに

いずれ、故郷は遠くにありて思うものだが、

  桃の里姉ゐる限り会ひに行く 

のであり、

  遠花火果ててふる里語り合ふ

のである。著者の故郷は甲府である。

  山粧ふ甲斐は一気に美しき国

  朱の橋を渡れば他郷春の園

さしずめ、次の句には、この句集一巻を流れる著者のやさしみが窺える。

  母の日や転びしことは子に言はず

このやさしみの芯には、

  案山子にもきっとある筈こころざし

がある。師の大牧広「春の海まつすぐいけば見える筈」の句を想起させる。

こうした志が、

  歩かねば影が貼りつくヒロシマ忌

  人寄れば人に傾く被爆の樹

の句を作らせ、また、巻末の、

  黄落や風の深さに扉なし  

の感懐を生み出しているのではなかろうか。

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2011年8月17日

夏休み終わり・・・

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 交替で夏休みをとっているが、印刷所その他もお盆明け・・

今日から始動という感じです。

今日の編集部もどこか慌ただしい。

小生は、今日まで、ひたすら蟄居?夏安居?

昨日などは昼頃、部屋の音度は34度を越して午後7時くらいまで続いた。

汗みどろになるたびにシャワーを浴びた。

老人には熱中症は恐い?

クーラーはもとより無い。

高麗神社vol.1

高麗神社vol.2

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2011年8月12日

野の朝日山の夕日を夏休・・・敏雄

 

トルコ

 本誌を印刷している印刷所は今日から夏休み。小社編集部は今日まで全員揃っている。

明日からは交替で休みを取る。というわけで今宵の月夜に、暑気払いのビールで乾杯・・かも知れない。

 秋とはなばかりの猛暑が続いている。それにしても「猛暑」ということば、季語というには少し品格に欠けるが、いつ頃より使われはじめたのだろうか。少なくとも小生の子どものころには聞いたことがなかった。ただ、広辞苑第六版には収載されているから、それなりの年月を経ているのだろう。気象庁は猛暑日と言って、熱中症に気を付けてと呼びかけている。

 手元の『図説俳句大歳時記』(角川書店)には極暑、炎暑、酷暑はあるが猛暑はない。『現代歳時記』(成星出版)には、傍題としてのっている。従って夏の季語。秋に猛暑とはこれいかに?

  急流にのめりてそそぐ炎暑かな    飯田龍太

  牛の身の山越えてゆく炎暑かな   桂 信子

  草むらも酷暑の夜勤もみな苛立ち  金子兜太

小生は明日から夏休み。皆さん、残暑お見舞い申し上げます。

鉄塔

 

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2011年8月10日

9月号校了・・・

CADR5ZH1百日紅.jpg  

 今日の編集部は、午前中に9月号の折丁校正をして、印刷所に戻した。文字通り校了日。

最後に、直しをしていたはずの箇所以外に文字などのデータが入れ替わっていることを、担当者が発見して、ことなきをえたが、コンピュータの発達に伴なって、実は、いつでも校正する以前の状態に戻る可能性がでてきているのである(当然、担当者は印刷会社に対応を厳しく申し入れていた)。

 かつて活版の時代は、活字を差し替えていくので、基本的には赤字の入ったところが正しく訂正してあれば、一段ずつ階段をのぼるように、直しが無くなっていくという過程をたどるが、パソコンのデータは操作を間違えれば、すべてが第一段階に戻る危険性があると同時に訂正も簡単になっている。両刃の刃のようなものだ。

 もちろん、活版時代の執筆側も心得ていて、著者校正の基本は、削った文字と書き換えた文字数は同数。さらに、ページをあらためて訂正するなどもってのほかだった。なにしろ1ページごと、活字を箱に入れて版を作っているのだから・・・。いまはキーにタッチするだけで、ページ送りも簡単になった。その分執筆者も訂正するのに躊躇をしない。つまり、完全な原稿にして、渡すのではなく、著者校正のときに直せばいいや、という私のような輩も出てくる。許してね・・・という具合だ。

おっと、話が脱線してしまった。

秋とは名ばかり猛猛暑だ。

皆さんのご自愛を祈ります。

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2011年8月 9日

長崎原爆忌・暮石忌・・・

 F1000126面.jpg

  8月6日の広島に続いて、二度目の原子爆弾が長崎に落とされた。市民7万4000人が亡くなった。

 翌10日にはソ連が参戦し、御前会議が開かれてポツダム宣言の受諾が決定し、日本は降伏した。

 旧暦に」よれば、広島忌は夏で、長崎忌は秋。間に立秋があるからだ。しかし、人々の認識はどちらも真夏だ。後年金子兜太は、長崎時代に次のように書いた。

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン    兜太

 また、佐藤鬼房は、

  魔の六日九日死者ら怯え立つ     鬼房 

そして、一昨年現代俳句協会賞を受賞した前川弘明は、

  果実吸う原爆忌の妻蟹のように     弘明

ともあれ、その世界で唯一の被曝国に、皮肉にも福島忌(フクシマ忌)が加わった。核の平和利用という行き着く先が三度目の被曝だ。マスコミの論調はチェルノブイリよりも放射能汚染は小さいと楽観的だが、それでも広島型原爆の10倍の規模の放射能が排出されたとのことだ。広域に及ぶ放射能汚染の実態があきらかになるにつれて、それが不幸にも証明されてきている。

「ただちに健康に影響はない」ということは、「二十年、三十年後はわからない」と言っているのと同じである。

 9月号(8月25日発売予定)の東北特集のエッセイを執筆いただいた中里夏彦氏は、その福島原発事故の避難民である。いまだ家族と避難所を移動されている(原稿依頼をしたときは、さいたま市、原稿をいただいた時は、郡山のコンビニからのFAXでした)。

 また、本日は右城暮石(うしろ・ぼせき)忌である。暮石は1899年高知県生まれ。1995年8月9日に没した。古屋秀雄、細見綾子と松瀬青々(せいせい)門下の若手三羽烏と言われた。戦後47年、三鬼、静塔、多佳子と奈良日吉館句会をもっていた。誓子主宰「天狼」同人を経て「運河」を主宰した。現在は茨木和生が「運河」主宰である。

  いつからの一匹なるや水馬      暮石

小金井道花vol.3

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2011年8月 8日

9月号校正戻し・・

 

小金井道花

 本日は9月号の校正ゲラをすべて印刷所に戻す日で、ホッと一息・・・・(上の花・何の花だろう?)

午後には編集長と一緒に、現代俳句協会に行き、安西幹事長と本間事務局長にお会いした。

企画についてのご相談、お願いをしたのだ。

いずれ、具体案をもって再訪することになった。

帰社したら、雑詠選者の池田澄子先生から新句集『拝復』が編集部宛に届いていた。

   俳句思えば徐々に豪雨の吊忍     澄子

   俳句思えば霞に暮れて朧月

   俳句思えば寒夜亡師に似て猫背

   俳句思えば元朝の海きらめきぬ

   俳句思えば稿に影おく木葉髪

  の各章末の句には、思わず赤尾兜子の「俳句思へば泪(なみだ)わき出づ朝の李花」を思い出した。切ないなあ・・・

 ともあれ、澄子調の佳句となれば、次の句などに指を屈する。

  初明り地球に人も寝て起きて

  行けぬ島は行かぬ島なりニセアカシア

  いつか死ぬ必ず春が来るように

あえて、亡師・三橋敏雄調なら、

  戦場に永病みはなし天の川

  立秋暑し昭和史写真集モノクローム

  怠るに似て頭を垂れて敗戦日

     風船爆弾放流地跡苦蓬

あたりだろうか・・・。

小金井道花vol.2

 

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2011年8月 6日

第8回現代ジュニア俳句祭・・・

 現俳協ジュニア俳句祭  本日(6日・土)、現代俳句協会ジュニア研修部の第17回俳句指導者講座「第8回現代ジュニア俳句祭」が、江東区文化センターで行われた。午前中は「第8回ジュニア俳句コンクール」の各賞が表彰され、大賞には、次の句が選ばれた(写真は宇多喜代子現代俳句協会会長)。

  ミニトマト赤いたましいおりてきた  大田区出雲6   福永舞子

毎日新聞社賞小学生の部には、

  夏つばめ幸せはこべ東北へ      江東区八名川小6  大澤州一郎

中高生の部は、

  軍艦の動きが速い雲の峰      江東区深川第七中2  中岡洸介 

が選ばれ、現代俳句協会賞には、小学生の部、

  学校の秘密の場所にツバメの巣  足立区六木小5  増田大輝

中高生の部、

  教室の窓いっぱいに八重桜  千葉市大宮中1  白木美多

恒例となった当日句会(互選)では、第一位(写真下中央)に、次ぎの句が選ばれた。

  夏休みゴーグルはずし目がパンダ    大田区出雲小 安東直美

ところで、江東区には芭蕉記念館と石田波郷記念館と二つも俳句関係の記念館があって、学校教育でも俳句に力を注いでいるそうです。

 

現俳協ジュニア俳句祭vol.3

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2011年8月 5日

栗林浩『続々 俳人探訪』・・

続々 俳人探訪

栗林浩は帯に「今度の続々俳人探訪』では、攝津幸彦と田中裕明を対比的に書き、寺田京子については札幌時代の親友であった「萬緑」の古参俳人に訊いた。佐藤鬼房と神尾彩史はそれぞれご長女と面談し、親しく父親の思い出を聞き取ることができた。本書はこれらの方々の俳句への理解と暖かい協力で成り立っている」と記している。

本著の特質は、何といっても、最初の『俳人探訪』以来、対象俳人とその関係者への取材や調査によって、それぞれの俳人の像や人生を描きだすという点において変わることがない、ということである。第一冊のラインナップからすれば、俳壇的にはマイナーポエットに傾いてきているが、実はそれだけ,未知の魅力に溢れてきているともいえる。

本著では神生彩史と片山桃史、野村秋介あたりだろうか。とりわけ、新右翼の重要な人物であった野村秋介に筆が及んだのは異色である。

実は小生は二十年近く前、野村秋介に俳句作品を依頼したことがある。その時、「私は俳人じゃないから、原稿料はいらない」と言われたことを覚えている。確か『銀河蒼茫』という獄中句集を出されたばかりのことだったと思う。

本著にも載っているが、

   俺に是非を説くな激しき雪が好き     秋介

思い出深いといえば、田中裕明と攝津幸彦である。双方とも夭逝であって、小生は田中裕明の訃報を聞いたときに「先に攝津幸彦を失い、いま田中裕明を失った」と思った。何しろ、同時代を生きてきて、ともに次代を担う俳人だったからである。

神生彩史は、もちろん塚本邦雄の『百句燦々』の、

   貞操や柱にかくれかがやけり    彩史

を忘れがたく覚えているのだ。

馬場の花

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2011年8月 4日

蝉の声・・・

さるすべり月見草

 今日は、日販と栗田出版販売に9月号の搬入部数交渉のために、朝は直行した。

 栗田出版に行くときは、赤羽からバスに乗るのだが、そのバス停で蝉の声を聞いた(たぶん油蝉)。

 昨日はトーハンに行く途中、神楽坂の赤木神社のところでも聞いた。

 先日、金子兜太さんのご自宅でも聞いた。庭には、蝉の殻が数個ころがっていた。

 今年は蝉の数が少ないという噂だ。数年前、多摩丘陵のある公園を通ったときは、木という木に、蝉が取り付いて鳴いていた。空蝉も数え切れないほどあった。

 神楽坂で蝉の声を聞いたときに、先般、編集部に贈られてきていた河野裕子歌集『蝉声』(せんせい)青磁社刊を思い出した。

 昨年、山本健吉賞の永田和宏『日和』のこともあって、小社に送っていただいたのであろう。

 河野裕子のいわば遺歌集である。

 「あとがき」に永田和宏は次のように記している。

   何か話していると思って耳を傾けると、それが歌になっており、慌てて原稿用紙を引き 

 寄せて写すということが何度かあった。私も、娘の紅も、息子の淳も、それぞれが口述筆 

 記によって歌人としての河野裕子の最後の場に立ち会うことができたことを、幸せなこと  

 だと思っている。意識して、そんな機会をそれぞれに残してくれたのかも知れない。

 河野裕子は、昨年、2010年8月20日夜に亡くなった。もう一年が経とうとしている。

   「どぎやんこつ無かばい」濁音の多き九州弁が今われを包む      裕子

 河野裕子は1946年、熊本県に生まれた。小生がまだ十分に若かった頃、

   森のやうに獣のやうに生く群青の空耳研ぐばかり      裕子

 の歌集『森のやうに獣のように』にでデビューした。

 夫・永田和宏は次の歌のようだった。

   今日夫は三度泣きたり死なないでと三度(たび)泣き死ないでと言ひて学校へ行けり

 再度、永田和宏の「あとがき」を引用する。

   歌集のタイトルは、淳の提案で『蝉声』とすんなり決った。病んでふせっている河野の  

 耳に届く八月の蝉の声は、この歌集でも繰り返し歌われているが、それはまた、初めて 

 の出産のときの歌

   しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ   『ひるがお』

 に遠く呼応しているだろうか。河野自身も自らの耳に届く蝉声を意識していたに違いな 

 い。

  最後にその蝉の声の歌を上げておこう。

   子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終る日にたちかへりこむ

   痛みどめが効きゐる身はこのままに眠りゆく蝉声の中

   遠ざかりまた近づける蝉のゑ寡黙なる娘(こ)が枕元にをり

   何でかう蝉はしづかに遠く鳴くものかされど夕蝉ふいに近づく

   母よ母かなかな鳴けばむやみにかうあなたが近い四時を過ぎれば

   夫はもう東京に向かひ発つといふ蝉声(せんせい)の中にわれは覚めつつ

   一日中眠りてゐるばかりなり目覚めれば必ず蝉が鳴きゐる

   すざりゆく蝉声の中にへまなやつも二つ三つゐる落ちながら鳴く

   目がまはりたちまち吐きてしまふ身をかなしみ寝かす蝉声に溺るるごとく

   雨?と問へば蝉声(せんせい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花

   やはり蝉声(せんせい)よとわれはおもふ湿りて咲きゐるひるがほの花

   身動きのひとつできぬ身となりて明けの蝉声夕べかと問ふ

   洗濯機の終了ブザーが鳴るまでにまだ少しあり夕蝉の声

   八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る

オブジェ

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2011年8月 3日

9月号搬入部数交渉・・・

道々の花

 瞬く間に、日々は去り・・

 今月もまた、トーハン・太洋社・大阪屋と次月号の取次ぎ会社との搬入部数交渉の日がきた。

 書店での売上げを伸ばすのはなかなか困難な時代だ。

 出版業界では雑誌の時代は終わった、と言われている状況のなかで、取次ぎへの搬入部数を維持すること、そして、さらには積み上げていくことは、さらに難しい時代に入っている。

 売上げや返品は各書店ごとにコンピュータで画面に表示される。

 数字はすべてデータ化されているので、昔のように、この特集は売りたいから・・○○部数を入れて下さい・・・というのが通用しない。

 しかし、雑誌受難の時代にも「俳句界」は少しずつだが部数を伸ばしてきた(もっとも、落ちるべき先がなかったのだが?)。

 まだまだ、圧倒的に引き離されている「俳句」との距離だが、大袈裟にいえば、残る目標は「俳句」に追いつきたいという激しい願望のみが、希望の病として編集部にはある(まあ、目標があるということは幸せなことかも知れない)。

 9月号の特集「東北俳句とは何か」は、わが編集部がひそかに期待している特集である。

なんと言っても、「東北学」の提唱者・赤坂憲雄氏と国文学者・錦仁両氏の論稿はたぶん俳句誌としては初登場ではないかと思う。真に東北俳句とは何かを考える端緒になれば幸いである。

道々の花vol.2

その他、好評の金子兜太インタビュー(聞き手・対馬康子)は二回目、いよいよ前衛俳句運動直前の「造型俳句六章」である。インタビュアーが女性ということもあって、しっかり同伴者としての金子皆子にも焦点があてられている。

特別作品21句は文人俳句特集のプレではないが、現代を代表する文人俳句(というと失礼だが)、眞鍋呉夫・高橋睦郎・村上護。

また、使いこなそう名人のテクニック!(小生案)ではなく、正式のキャッチは「名人達人に学ぶ作句のテクニック」の特集。

佐高信甘口でコンニチハ!の対談者は崔善愛(ピアニスト)。

文字のないエッセイは橋本照嵩「石巻の今」。

俳句界NOW・古賀雪江。気まぐれ俳書漫歩・中上哲夫。二人の母・山本安見子。

筝漏亭日常・矢島康吉。小説「受験巡礼」・今井聖。

新連載・大牧広。他にまだまだあります。

魅惑の俳人・菖蒲あや・・・と9月号も盛りだくさんです。乞うご期待!

道々の花vol.3

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2011年8月 2日

鬼貫忌・・

たでの花・朝顔

 旧暦ながら8月2日は上島鬼貫(うえじま・おにつら)の忌日だ。1738(元文3)年8月2日、今からおよそ270年前に没した。鬼貫の号は、和歌の紀貫之にならって、俳諧の貫之たらんとしたものである。槿花翁忌ともいう。

 

  飛ぶ鮎の底に雲ゆく流かな      鬼貫

  行水の捨(すて)どころなき虫の声

  あら浪や波を離れて秋の雲

  元日やくらきより人あらはるゝ

  憂き人のひたひにあてる火桶かな

 江戸中期の元禄の俳人で、摂津伊丹(現・兵庫県伊丹市)の人(1661~1738)、名は宗邇(むねちか)。芭蕉の名吟「古池や」の句に先んじること一年の貞享2(1685)年、25歳にして、「まことの外に俳諧なし」と悟ったと、ものの本にある。当時は東の芭蕉、西の鬼貫と並び称されたらしい。業俳にならず、門人をとらず、点者にもならなかった。

  によつほりと秋の空なる富士の山

はな.jpg

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2011年8月 1日

9月号印刷所へ入稿・・・

 編集長は横浜俳話会の取材のために午後から横浜に出かけた。

残ったスタッフは9月号のいよいよ第4コーナーを回って直線に入ったところ。

小生はそろそろ取次ぎへの搬入部数交渉を3日、4日で行うために少しずつ準備をしなければならないが・・・。

当面、短いながら編集後記を書こうかなと考えているところ。

和合亮一の詩を引用しようと思ったが、それだけで文字数を使い果たしてしまいそうだ。

 最新刊『詩の邂逅』(朝日新聞出版)は、最初に「きみは何をさがす//ふるさとのありかを/再生のありかを/詩のありかを//震災における喪失のすべてに捧げます」と献辞がある。この本は和合が3.11以後、震災後の福島にくらしながら、3月16日に家族を避難させてのち、余震と原発の爆発による避難とを、ツイッターに詩の欠片として投げ込みながら、(すでに『詩の礫』、『詩の黙礼』として刊行)、被災地の人々にインタビューし、その間に自らの詩を入れるという構成で、さすがに震災直後の既刊2冊とは、趣が少し変わって、客観的具体的な避難生活を、今後をいかに生きるのかという熱い心根が感じられる一書となっている。話に耳を傾けているだけで涙が溢れてくるという記述もある。たしかにすべての人々は、様々な風景、それが自然の美しい風景であっても、また震災後の悲惨な光景であっても、それらを目にするだけで、理由もなく涙もろくなっているという。

それは、仙台の俳人たちにも聞いた話でもある。

すべてが和合の住む福島のまごうことなき現実であろう。ともあれ、本書の「あとがき」は次のように結ばれる。

 「この書物を開くあなたの人生に、混迷した時代を生き抜こうとする魂と優しい心に、この〈再生の儀式〉がつながっていってほしいと願っている。その時、いま書かれるべき、社会の、人生の、詩の一行目が生まれる。詩人として、一人の父親として、未来に希望を託す者として、初発こそを信ずる」。

 9月号特集「東北俳句の魅力」に「相馬馬追と俳句」のエッセイを寄稿いただいた中里夏彦氏もまた、原発避難で埼玉、郡山を転々とされている中、やっと通じた携帯電話で執筆依頼をし、送稿は避難所近くのコンビ二からFAXしていただいたものである。大事に読みたい。

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