2011年8月 4日

蝉の声・・・

さるすべり月見草

 今日は、日販と栗田出版販売に9月号の搬入部数交渉のために、朝は直行した。

 栗田出版に行くときは、赤羽からバスに乗るのだが、そのバス停で蝉の声を聞いた(たぶん油蝉)。

 昨日はトーハンに行く途中、神楽坂の赤木神社のところでも聞いた。

 先日、金子兜太さんのご自宅でも聞いた。庭には、蝉の殻が数個ころがっていた。

 今年は蝉の数が少ないという噂だ。数年前、多摩丘陵のある公園を通ったときは、木という木に、蝉が取り付いて鳴いていた。空蝉も数え切れないほどあった。

 神楽坂で蝉の声を聞いたときに、先般、編集部に贈られてきていた河野裕子歌集『蝉声』(せんせい)青磁社刊を思い出した。

 昨年、山本健吉賞の永田和宏『日和』のこともあって、小社に送っていただいたのであろう。

 河野裕子のいわば遺歌集である。

 「あとがき」に永田和宏は次のように記している。

   何か話していると思って耳を傾けると、それが歌になっており、慌てて原稿用紙を引き 

 寄せて写すということが何度かあった。私も、娘の紅も、息子の淳も、それぞれが口述筆 

 記によって歌人としての河野裕子の最後の場に立ち会うことができたことを、幸せなこと  

 だと思っている。意識して、そんな機会をそれぞれに残してくれたのかも知れない。

 河野裕子は、昨年、2010年8月20日夜に亡くなった。もう一年が経とうとしている。

   「どぎやんこつ無かばい」濁音の多き九州弁が今われを包む      裕子

 河野裕子は1946年、熊本県に生まれた。小生がまだ十分に若かった頃、

   森のやうに獣のやうに生く群青の空耳研ぐばかり      裕子

 の歌集『森のやうに獣のように』にでデビューした。

 夫・永田和宏は次の歌のようだった。

   今日夫は三度泣きたり死なないでと三度(たび)泣き死ないでと言ひて学校へ行けり

 再度、永田和宏の「あとがき」を引用する。

   歌集のタイトルは、淳の提案で『蝉声』とすんなり決った。病んでふせっている河野の  

 耳に届く八月の蝉の声は、この歌集でも繰り返し歌われているが、それはまた、初めて 

 の出産のときの歌

   しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ   『ひるがお』

 に遠く呼応しているだろうか。河野自身も自らの耳に届く蝉声を意識していたに違いな 

 い。

  最後にその蝉の声の歌を上げておこう。

   子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終る日にたちかへりこむ

   痛みどめが効きゐる身はこのままに眠りゆく蝉声の中

   遠ざかりまた近づける蝉のゑ寡黙なる娘(こ)が枕元にをり

   何でかう蝉はしづかに遠く鳴くものかされど夕蝉ふいに近づく

   母よ母かなかな鳴けばむやみにかうあなたが近い四時を過ぎれば

   夫はもう東京に向かひ発つといふ蝉声(せんせい)の中にわれは覚めつつ

   一日中眠りてゐるばかりなり目覚めれば必ず蝉が鳴きゐる

   すざりゆく蝉声の中にへまなやつも二つ三つゐる落ちながら鳴く

   目がまはりたちまち吐きてしまふ身をかなしみ寝かす蝉声に溺るるごとく

   雨?と問へば蝉声(せんせい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花

   やはり蝉声(せんせい)よとわれはおもふ湿りて咲きゐるひるがほの花

   身動きのひとつできぬ身となりて明けの蝉声夕べかと問ふ

   洗濯機の終了ブザーが鳴るまでにまだ少しあり夕蝉の声

   八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る

オブジェ

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