2011年8月 9日

長崎原爆忌・暮石忌・・・

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  8月6日の広島に続いて、二度目の原子爆弾が長崎に落とされた。市民7万4000人が亡くなった。

 翌10日にはソ連が参戦し、御前会議が開かれてポツダム宣言の受諾が決定し、日本は降伏した。

 旧暦に」よれば、広島忌は夏で、長崎忌は秋。間に立秋があるからだ。しかし、人々の認識はどちらも真夏だ。後年金子兜太は、長崎時代に次のように書いた。

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン    兜太

 また、佐藤鬼房は、

  魔の六日九日死者ら怯え立つ     鬼房 

そして、一昨年現代俳句協会賞を受賞した前川弘明は、

  果実吸う原爆忌の妻蟹のように     弘明

ともあれ、その世界で唯一の被曝国に、皮肉にも福島忌(フクシマ忌)が加わった。核の平和利用という行き着く先が三度目の被曝だ。マスコミの論調はチェルノブイリよりも放射能汚染は小さいと楽観的だが、それでも広島型原爆の10倍の規模の放射能が排出されたとのことだ。広域に及ぶ放射能汚染の実態があきらかになるにつれて、それが不幸にも証明されてきている。

「ただちに健康に影響はない」ということは、「二十年、三十年後はわからない」と言っているのと同じである。

 9月号(8月25日発売予定)の東北特集のエッセイを執筆いただいた中里夏彦氏は、その福島原発事故の避難民である。いまだ家族と避難所を移動されている(原稿依頼をしたときは、さいたま市、原稿をいただいた時は、郡山のコンビニからのFAXでした)。

 また、本日は右城暮石(うしろ・ぼせき)忌である。暮石は1899年高知県生まれ。1995年8月9日に没した。古屋秀雄、細見綾子と松瀬青々(せいせい)門下の若手三羽烏と言われた。戦後47年、三鬼、静塔、多佳子と奈良日吉館句会をもっていた。誓子主宰「天狼」同人を経て「運河」を主宰した。現在は茨木和生が「運河」主宰である。

  いつからの一匹なるや水馬      暮石

小金井道花vol.3

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