2011年8月18日

加藤静江『挨拶』・・・

挨拶

 8月は、今でも多くの日本人にとって、特別な月である。とりわけ、昭和一桁生まれの人にとっては、戦禍の直接的な記憶が、消しがたくあるに違いない。

  まなうらに父の慟哭終戦忌     静江

  敗戦忌海底の兄光り出す

一句目は、他にも

  敗戦日父の号泣あの日だけ 

という変奏の句を留めている。

二句目の兄は、

  青春のなかりし兄や新松子

  雪しまく戦後を知らぬ兄の墓 

の句として、思い起されているのだいずれも加藤静江の胸底に刻まれている光景である。次の句もそうした記憶と無縁ではない。

  暮るるまで母泣いて居し終戦日

そうした記憶のあれこれを、

  竹馬や競ひし頃の父若し

  遠雷や父と湯浴みし日も遠く

と回想する。夫を詠んだ句も多い。

  そこに夫ここに我ゐて冬ぬくし

  手術終へ夫残せば時雨来る

  夫病めばわれ心病む晩夏なる

  こだはりの夫の冬帽いつも黒

夫を見送ったのちには、  

 春眠の続きのやうに夫逝けり 

 夫の指示なきも淋しや障子貼る

 萩括る逝きたる夫を抱くやうに

いずれ、故郷は遠くにありて思うものだが、

  桃の里姉ゐる限り会ひに行く 

のであり、

  遠花火果ててふる里語り合ふ

のである。著者の故郷は甲府である。

  山粧ふ甲斐は一気に美しき国

  朱の橋を渡れば他郷春の園

さしずめ、次の句には、この句集一巻を流れる著者のやさしみが窺える。

  母の日や転びしことは子に言はず

このやさしみの芯には、

  案山子にもきっとある筈こころざし

がある。師の大牧広「春の海まつすぐいけば見える筈」の句を想起させる。

こうした志が、

  歩かねば影が貼りつくヒロシマ忌

  人寄れば人に傾く被爆の樹

の句を作らせ、また、巻末の、

  黄落や風の深さに扉なし  

の感懐を生み出しているのではなかろうか。

img110818b.jpg

| コメント(0)

コメントする