2011年9月 5日

「麦」700号祝賀会・・・

麦700号・赤まま

 昨日、9月4日、東京・台場のホテル グランパシフィックで「麦」700号記念祝賀会が、会長・橋爪鶴麿氏が自ら挨拶されたように地味に行われた。すっきりした台風一過とはいかなかったもの、遠くは九州からも駆けつけられた松田耕作氏をはじめ、多くの同志・同人の方々が駆けつけられていた。

「麦」は、戦後すぐ、昭和21年9月に中島斌雄が創刊し、その創刊の言葉「麦は大地であり季節であり又生活である」というそのままに、実にわが道を行くという感じの雑誌である。中島斌雄没後は主宰制をとらず代表を田沼文雄、現・橋爪鶴麿会長が務め、その詩精神を引き継いでいる。

久しぶりに幾人かの「麦」の方々、平山道子さん、山崎せつ子さんにもお会いできた。

小生にとっては、衝撃的だったのは、攝津幸彦と同じ会社(当時は旭通信社)に攝津さんと机を並べて仕事をされていたという中村欣一氏にお会いしたことであった。中村氏は攝津幸彦を偲ぶ会、七回忌にも出席されている。もちろん、当時は俳句など作られてはいない。中村氏も攝津が俳人だったことを知ったのは、朝日グラフに紹介記事が現代俳人として載った(攝津さんが短い入院をしていたとき、仕事上で偶然そのページを開いたときに知ったとのことだった)からである。

攝津幸彦は会社では、俳句のハの字も出さず、内緒にしていた。もっとも俳人にも自分の仕事のことはほとんど語っていない。だから、雑誌広告業界きっての辣腕ぶりについては全く知らなかった。また、会社の仲間は攝津が現代俳句の雄だったことも知らなかった。それらが明らかになるのは攝津の死後である。攝津幸彦の一年後の偲ぶ会に攝津幸彦の全集が出て、かつ、旭通信の方々による攝津幸彦文集「幸彦」が出るのも、生前の旭通信社の仲間の団結力と実行力によるものが大きかった。その同僚の一人が中村欣一氏である。

  南浦和のダリヤを仮のあはれとす         幸彦

ともあれ、麦の会の橋爪鶴麿氏には、現代俳句協会の青年部員時代に大いにお世話になっているのだ。

  池めぐり来てまた触れる冬欅       鶴麿

本日は朝から10月号の搬入仕入れ部数を決めるために、取次ぎ会社を巡った。

それと、柿本多映の本2冊9月12日(月)午前納品の交渉も行った。

麦700号・赤ままvol.2

 

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