2011年9月14日

日下野仁美『風の扉』・・

風の扉

 風は、もともと神鳥のはばたきによって起こると考えられていた。

また、字形からすると凡+虫、その姿は、はためく舟の帆に代表されていた。いわば夏の象徴のようなものである。

神鳥のはばたきから思われることは、鳳凰であり、鳳とは鳥の王様という意味である。

日下野仁美の風の扉は、花野に開かれる。従って秋。

   風の扉を押して花野の人となる      仁美

風の扉を押して草原の花の美しさと共に在る人がいる(作者でなくてもいい)。

さらに、さまざまな風が吹いている。いや、一巻すべてに風が感じられると言ってもいい。

なにしろ、風は神の別名にほかならず、いつも自然と人との生活の媒介者となってやってきたのだから。

   冬薔薇の風の死角にひらきけり

   囲はれてより風を恋ふ寒牡丹

   山国の風に弾けて木の実落つ

   海荒れて風音尖る冬岬

 当然ながら風の言葉がなくても、風を感じる句もある。それはひそかなる風だが、背景でもある。

   翔ぶものの影あきらかに秋立てり   

   あめんぼう水の空より生まれけり

   扇置く思ひ出一つ置くやうに

   千枚の植田をつなぐ水の音

 翔ぶもの、水の空にも、扇のそれ、水の音には水の流れと風。

 そして、集中の私の一句は、

   父乞虫雨の降る日は母を恋ふ

だろうか。しかし、

   はるかより母の加はる手毬唄

も捨て難い。まだある。

   白といふ哀しき色や雪祭

思えば、白も青もこの句集の基調の一つにちがいない。

   林檎熟る空の青さをほしいまま

ともあれ、いくつかの印象深い句を上げておこう。

   足萎えの母を乗せ来よ茄子の馬

   抽ん出て孤独始まる今年竹

      由季

   その中に婚の日のある初暦

   死者生者闇を一つに流灯会

   去年の雪今年の雪となりて積む

前書の「由季」は、ご息女、日下野由季、嘱望される若手俳人の一人である。

因みに跋文の遠藤若狭男、懇切な一文であること、言を俟たない。

ソウロウ泉園vol.5

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