2011年9月29日

現代俳句の新しい波・・・

芸大 白万寿沙花vol.1

 「ユリイカ」10月号は「現代俳句の新しい波」という特集を組んでいる。

 皮肉なのは、丸ごと一冊のこうした企画が(内容は別にして)本誌を含めて、俳句総合誌がなかなか取り組めていないことだろう。

 俳句の表現史はあきらかに曲がり角に来ている印象がある。

 平成も23年が経って、何も変わっていないという方が、見る目がないということだろう。

 期待の星・山口優夢の決意を孫引きしておこう。

 「有季定型も花鳥諷詠も関係ない。僕の知らない僕自身の真実がどこにあるのか、それをこの俳句という小さなナイフでこれからも切り取っていきたい」。

 高柳克弘は、山口優夢著『抒情なき世代』を、既成の抒情には縋らない世代と言い、「先行世代が、過去の文学的遺産を糧にしてきたのと異なり、自分たちはあえてその遺産を引き継がないという決断をしているように読める」と評している。

 そうした志こそは今後の俳句を語る資格がある、とだけ言っておこうか。

 本誌雑詠欄選者の角川春樹先生、池田澄子先生も登場している。

 角川春樹先生はもちろん「魂の一行詩」について、大いに語っている。多くの俳句作品が「半径50センチの身辺ー盆栽俳句と言うんだけれどー詠んだものでしかない」と辛らつだ。

 あと数日で角川春樹・震災句集『白い戦場』(小社刊)が刊行される。

  白い戦場となるフクシマの忌なりけり       春樹

  八月の海にいのちの帆を上げよ

 池田澄子先生は佐藤文香氏のインタビューを受けている。

 「毎回これが代表句って気持ちで書いてる」そうだ。

 「私の場合、(俳句を)作ってるときと句会のときは別人だもんね」。

 「孤独なんですよ。でもそのひとりに耐えているということが私に俳句を書かせていると思う」という。

 「豈」51号の「ファーストキッスあと立てなくて遠花火」はほんとのことらしい。18歳のときだって・・・。

芸大 白万寿沙花vol.2

そうそう、最後に一言。

神野紗希は「小熊座」に連載している富澤赤黄男も句をよく読み込んでいるが、今回の髙柳重信論は、ことさら新しい視点を展開しているわけではないが、句を丁寧に読んでいるし、髙柳の俳句形式についての志を描いて、最近の重信論としては出色である。

一句を読む際に、「よく季語がよく効いている」とか、「季語の本意をよく表している」とか、その実、何も言っていないに等しい句の批評が横行しているが、神野紗希に限ってはそういう安易な読みはしない。先人の句の読みもよく踏まえて批評を書いている。

ともあれ、いつの時代だって、新しい波こそが、俳句の表現領域を広げてきたことだけは確かなことだから、期待するところ大である。

 しかし、老生となったいま、新しい波に呑み込まれなように、溺れないように、静かに生きていきたい、とつぶきかねない小生であった。

芸大 白万寿沙花vol.3

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