2011年10月のブログ記事

2011年10月31日

「朱夏」100号記念祝賀会・・

朱夏100号記念祝賀会

 昨、10月30日(日)、東京八王子・京王プラザホテル八王子に於いて、「朱夏」創刊100号記念祝賀会が開かれた。

 「朱夏」(主宰・酒井弘司)は平成6年8月に創刊され、雑誌の主張は、「海程」系らしく、伝統を現代に生かし、俳句の「深」と「新」を追求するもの、という志をこの祝賀会でも改めて確認していた。創刊当初は季刊、現在は隔月刊で刊行されている。詩人の井川博年が挨拶で述べていたように、隅から隅まで(38ページ)で大雑誌でなく、読みとおすことができる俳誌。内容がいい、句もいいというように、隅々まで主宰の気息が浸み透っている雑誌である。

 来賓の半分は八木忠栄、八木幹夫、清水哲男などの詩人だった。これは、酒井弘司若かりし頃に詩を書き、短歌を書き、俳句を書いたという出自からのものだろう。

 予期しない挨拶が回ってきて、いつもの癖でつい思い出話をした。

 それは、かつて攝津幸彦や仁平勝や酒巻英一郎と、俳壇の三コージと呼んでずっと注目していた時代があった。その三コージとは、今は亡き大岡頌司と秋田の孤高の俳人・安井浩司、そして酒井弘司である。彼等は寺山修司が高校生俳人を集めて、牧羊神やユニコーンを同時代として生きたきた世代である。

  ともしびや

  おびが驚く

  おびのはば            頌司

 

  昼すぎの小屋を壊せばみなすすき       浩司

  長い休暇のぼくら復活の丘をめざし      弘司

  水飲んで天上くらき夏あした          〃

 祝賀会は川嶋隆史同人会長の開会の挨拶ではじまり、酒井弘司主宰、乾杯は、望月たけし、来賓挨拶のトップは森田録郞神奈川現代俳句協会会長と続いた。俳人では前田弘現代俳句編集長、「亞」代表青木啓泰、「海程」同志であった内野修、さらに女性陣では、余白句会の土肥あき子、三宅やよい、そして「豈」の恩田侑布子。

 

柿 蜘蛛などvol.1

柿 蜘蛛などvol.2

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2011年10月28日

橋本照嵩トークショー・・・

橋本トークショーvol.1

 本誌「俳句界NOW」のカメラマンとして、お世話になっている橋本照嵩氏が、10月28日(金)午後7時から東京東中野・ポレポレ坐で3.11トークショーを行なった(写真上は橋本照嵩実兄)。

同場所に於いて、10月25日(火)~30日(日)まで「橋本照嵩と石巻のこどもたち青空写真展」が開催されている。

橋本トークショーvol.2

 橋本照嵩は1996(平成8)年から2009(平成21)年の夏休みまで、石巻の子どもたちと青空写真展を行なってきた。

長面浦の「のんびり村」の村長の呼びかけで始ったのだ。

3.11東日本大震災では、その子供たちが犠牲になった。だから今回の会場のこどもたちの撮った写真約250点は大震災前の青空だ。

橋本照嵩は、震災以後、毎月、自分の故郷の石巻の今を撮りつづける。

あたかもそれが、故郷への鎮魂の行為でもあるかのように・・。

今回の展示で震災以後のものは、わずか18点、そのうち「俳句界」で発表した写真も含まれている。

かつて、橋本照嵩は4年間旅から旅へ門付けする盲目の瞽女(ごぜ)を撮った写真集『瞽女』で日本写真協会新人賞を受賞。さらに写真集『北上川』で石巻と北上川の民俗的情景に迫った。2008年には俳人の素顔を撮りつづけた功績によって文學の森大賞特別賞を受賞している。

トークショーでは瞽女の唄った地藏唄を哀愁のこもった声で披露した。

津波で亡くなった子どもたちの名前を一人ずつ思い出しながら喋っていたときには、最後の数人の名を呼んだとき、少し声を詰まらせていた。たぶん最初に子どもたちの消息を知らされたときには絶句したにちがいない。

津波には直接会わなかった橋本照嵩は、津波の顔を観るために、6月には石巻市役所、まだ200人の遺体がそのままですという安置所にたどり着く。ありのままの世界を見届けるために・・・そうせざるを得ないのだ。

橋本トークショーvol.3

 橋本照嵩は終戦時、国鉄仙石線の車内で、進駐軍の米兵たちが靴をはいたまま 女たちの太ももを枕に寝そべって、口紅のついた煙草を咥えさせてもらう様を目撃した。子ども心ながら、その時の感情をいまだに引きずっているところがある。

いま、またそのカメラ・アイは何を見ようとしているのであろうか。

橋本トークショーvol.4

会場では、甘口でコンニチハ!の写真でお世話なっている樋口一成、また前文學の森社員・現角川書店の北大路翼に会った。

 

 

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2011年10月27日

佐高信の甘口で・・ゲスト・村山富市

 

佐高・村山対談vol.1

 2012年新年号の「佐高信の甘口でコンニチハ!」のゲストは村山富市元首相。その収録に山上ホテルに担当の松本に同行した。

長い眉毛がトレードマークの村山富市は大正13年生まれだから、87歳。まだまだ元気で気さくな素敵な人だった。政界を引退したとはいえ、現社会民主党の名誉党首である。1994年4月、自社さ連立政権の成立によって、55年体制以後、自民党籍のない唯一の内閣総理大臣となった。95年1月阪神淡路大震災、3月地下鉄サリン事件、8月15日の戦後50年の記念式典では、歴代首相としては初めてアジアの「侵略」「植民地支配」について公式の場で謝罪した(いわゆる村山談話)。

現在、大正生まれ最後の総理大臣は確実の状況だ。当時の社会党では右派として活動していたが、マスコミが自社さ政権を支持する勢力を「社会党左派」と呼称したためにいまだに村山富市が社会党左派であるかのような誤解を生じさせている。

ともあれ、対談を無事終わって、松本と神保町で昼食、神田古本まつりが行われていた。神保町駅に行く途中の文献書院(現・ブンケンロックサイト)に寄って、店の隅に追いやられてわずかとなった句集の棚を物色した。大岡頌司の端渓社本には、さすがに良い値段を付けていた。

佐高・村山対談vol.2

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2011年10月26日

佐高信『電力と国家』・・・

 

芳林堂11月号.jpg

 (上の写真は高田馬場芳林堂書店に並べられている本誌11月号)。

 明日27日(木)、編集長は関西出張からようやく帰社する予定。で、仕事が山積み状態になっている。そのせいか、急遽、小生が担当の松本と佐高信・村山富市対談「甘口でコンニチハ!」に同行することになった。偶然といえば偶然、昼休みに、佐高信の新刊『電力と国家』(集英社新書)をパラパラと捲っていた直後だ。。

さて、明日は、いかなる「甘口でコンニチハ!」になるのでしょうか?

ニューサウンズギターコンサート

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2011年10月25日

11月号、本日発売・・・

11月表紙

 本誌11月号は本日が全国書店での発売日である。

今月の第一特集は「俳句における'通俗'と'品格'」。総論は横澤放川、江里昭彦。いずれも通俗と品格の本質に切り込んでの優れた論になっている。

その他は、具体的に著名俳人の個々についての論が、展開されて興味深い。

 第二特集は、昨年10月号で好評だった「文人俳句特集」の第2弾。中でも児童文学者瀬田貞二が余寧金之助という俳号で活躍した俳人だったこともあっての文人俳句として初登場。

 その他、3.11後の追っかけ企画「被災地よりの実作+ミニエッセイ」と角川春樹震災句集『白い戦場』発行記念の辻井喬との対談。

魅惑の俳人シリーズは地味ながら、その存在が気にかかっている野村喜舟。

などなど、いずれも読んでそれなりに面白いものになっていると思います。是非、手にとってご覧いただきたい。

写真グラビアの俳句界NOWは鈴木鷹夫・鈴木節子夫妻。

雑詠欄、メ~ル一行詩、写真俳句なども投稿者の増加で嬉しいことこの上ない。今後も読者の方々のさらなるご支援を是非!是非!と、厚かましくお願い申し上げます。

九州本社1025

横浜トリエンナーレ

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2011年10月24日

第48回現代俳句全国大会・・・

第48回現代俳句全国大会

 10月22日(土)、東京上野東天紅に於て、現代俳句協会(会長・宇多喜代子)の第48回全国俳句大会と大震災で延期になっていた各賞の顕彰が行われた。

 現代俳句協会のもっとも権威ある賞の第11回現代俳句大賞に小檜山繁子、

   針・刃物・鏡・ひかがみ熱沙越ゆ      繁子

   引出しの中にも渚桜貝

 第66回現代俳句協会賞に渋川京子、

   足裏よりも遠きてのひら椎咲きぬ       京子

   涅槃図の中ひとすじの風の道      

 第31回現代俳句評論賞に神田ひろみ、受賞作は「加藤楸邨ーその父と『内部生命論』」。昨年の佳作に続き、加藤楸邨一筋の論でついに賞を射止めた感がある。

 第12回年度作品賞に田中朋子、

   月までの距離梅干を裏返す        朋子

   新緑や塗り替えている壁と夢

 また、第48回全国俳句大会の応募作品は、応募料を被災地への義援金にするという取り組みも行われ、16668句と前回を上回る応募がったという。

大会賞は、

  枯れてゆくものの一つとして歩く     小林夏冬

  昼寝する足の先まで日曜日       大森千恵

毎日新聞社賞に、

  苦瓜は憤怒のかたち沖縄忌       由田欣一  

がそれぞれ選ばれ表彰された。

第48回現代俳句全国大会vol.2

 記念講演は「短歌と俳句」と題して歌人の佐佐木幸綱。俳句から短歌にいかに技法を盗みとるか、作歌工房を垣間見せながら、短歌と俳句の動詞の数とオノマトペについて有意義な講演となった。

 実は小生の第二句集『風の銀漢』の句集評を最初に書いてくれたのが佐佐木幸綱、今は無き「俳句とエッセイ」という雑誌だった。30年も前のことだ。厳しい批評文だったが、実にありがたく、その後、肝に命じていることでもある。

 当時の小生は佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』青土社刊に心酔していた。

 

秦夕美楯 現俳不足分

 また、懇親会では、小社から句集『第一線』を出されている佐藤二千六(にせんろく)・(本名、ふじろく)(写真下)にお会いした。小生が入社する前のことだが、手代木唖々子に師事したとある。

小生の記憶では「合歓」を主宰して、「夕焼けは草負いかぶりても見ゆる」など東北の地煮あって魅力的な作品を書く作家であった。その「合歓」の編集長をされていたようである。その句集から、

    きさらぎの妻に言の葉なかりけり      二千六

    雪掻いて樹の裏側を明るくす

  今回の上京は、俳句大会特別選者特選句に入賞されたからである。

    木枯や骨の音して村がある

佐藤二千六

 

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2011年10月23日

九州本社へ・・・

 本社へvol.1

本社へvol.2

 編集長と橋本照嵩カメラマンは、11月19日(水)からの倉田紘文インタビューへ、翌日、福岡に廻っての林十九楼・伊藤t通明などのグラビア撮影などの仕事をし、小生は21日(金)の秦夕美インタビューのために前日20日夕刻に福岡入り、というわけで、合流して、夜は姜社長(写真上)、寺田部長(写真女性)、林編集長(煙草の・・)、橋本照嵩との会合。小生はご馳走になった。

翌朝は編集長と小生ともども、社長の来年度の月刊「俳句界」の企画について、本社での打ち合せに出席した。「俳句研究」が休刊するなど、総合誌の置かれている状況は楽観できない。しかし、その中でも生き残りをかけて、さらに本誌を充実させ、俳句界のいかに梶取りにいくのかについて、社長の構想は尽きることがなかった。

中でも、具体的にインターネットテレビの試験放映を今年末、さらには来年早々の本放送に向けて社員を増強して臨んでいること、それと本誌の企画内容の連動を何がなんでも実現するというものであった。

 

本社へvol.3

 今後さらに、一人でも多くの、執筆の先生方、読者の皆さんのご支援、ご協力をお願いしなければならない。期待にも応えていかなければ・・・・

本社へvol.4

 

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2011年10月19日

12月号、俳壇夫婦対談・特別編・・・

 

夫婦対談特別編vol.1

 昨18日(火)、アルカデア市ヶ谷で「俳壇夫婦対談・特別編」ということで、これまでにご登場いただいた俳壇おしどり夫婦の奥様4人にお集まりいただいて、気楽に主宰の悪口でも聞けたらという、愛情溢れる裏企画?になるはずでしたが、さすがは、現俳壇に知らぬ者とてない鴛鴦たる由縁、それが証拠に、皆さん揃ってご主人(主宰)様をこの上なく尊敬してます・・愛燦々の雨霰で、愚生などは小さくなってしまった。

 羨ましいといえば、この上なく羨ましい幸せぶりなのでありました。

 詳しい実況中継は、12月号を乞うご期待!というところです。

 その名も高き4人の方々は、有馬ひろこ・鈴木節子・日下野仁美・大石香代子の各先生方であます。お幸せなご夫君を記しておきますと順に有馬朗人・鈴木鷹夫・高橋悦男・石嶌岳の各先生方。

 それにしても、主宰業、結社運営のご苦労、忙しさはどうも想像を絶しているようであります。まして、俳句を作る時間をどのように確保するかは、いきおい睡眠時間を削ってなどとお年を召してくるとそれなりのシンドサが伴うようでもあります。

 座談のテープが止まってもなお幸せ談議は続いたのでありました。

 ともあれ、座談を仕切った編集長・林は、飛行機で九州大分まで飛ぶために羽田に向かったのでありました。

小生は明日別件の取材で、これまた、福岡まで行くことになっております(こちらは大好きな新幹線で・・)。

横浜トリエンナーレvol.1

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2011年10月17日

「万象」創刊10周年記念祝賀会・・・

万象10周年vol.1

万象10周年vol.2

 10月16日(日)午後1時より、東京新宿・京王プラザホテルで「万象」創刊10周年記念全国俳句大会・祝賀会が行われた(写真は前列左より田島和生・大坪景章主宰・宮田正和・千田一路。後列左内海良太、右端山田春生各氏)。

 午後4時からの祝賀会は、実行委員長・内海良太氏の開会の言葉で始まり、大坪景章主宰の挨拶、来賓祝辞は僚誌の「雉」主宰・田島和生氏、「風港」主宰・千田一路氏、「山繭」主宰・宮田正和氏と続き、乾杯の音頭は徳島から来られた福島せいぎ同人副会長の発声で行われた。

   寒潮の飛沫の中に点る家       千田一路

   能登凪げり越の雪嶺総立ちに

 小社から文学の森ベストセラーシリーズ『千田一路句集』を出版していただいている。日常のほとんどを旅に過ごされて入る様子だった。石川県珠洲市の俳人である。

   螢の水水面より起つ夢淵(ゆめのわだ)     山口素基

   雨催ひ神の旅立つ日なりけり

 素基氏は、奈良県吉野の生まれで、現在は埼玉県入間市にお住い。小社より俳句界叢書6句集『夢淵』(ゆめのわだ)を出されている。初めてご挨拶した。

  乾杯の挨拶をされた福島せいぎ(写真下)氏は、小社から第5集『天蓋』、第6句集『虎の陶枕』の二句集を出されている。本職は真言宗万福寺ご住職(福島誠浄)、俳句誌「なると」主宰である。九州本社は近い・・一度徳島にいらして下さいと仰っていただいた。第五句集『天蓋』より、

   仏弟子の朝寝赦せよ鍬はじめ      せいぎ

   熱き湯に臍をうかべて年つまる

 第六句集『虎の陶枕』より(骨董趣味もあるらしい)、

  新牛蒡新聞紙より泥こぼす

  人込みにマスクの妻を見失ふ

 さらに、小社ベストセラーシリーズで句集『旅鞄』を出されている。 句集名は、大岡信「折々の歌」に取り上げられた句、

  鰻食ふ手にもてあます旅鞄     せいぎ 

 からのもの。既刊句集『台湾優遊』『青春』『沙門』から300句の精選である。昭和31年に「風」に入会され,沢木欣一に師事されている。

  くちづけのあとの恥ぢらひ夏氷

  水かけて泥鰌はげます泥鰌売 

 「あとがき」には「俳諧の諧の世界に遊びたいと願っている」とも書かれている。

 万象10周年 028.jpg  

 祝賀会も終盤近く、各総合俳誌の挨拶となって、角川学芸出版・石井隆司氏、「俳壇」の渡邉誠司氏と、本来であれば小社編集長・林誠司の、いわゆる〈「司」三兄弟〉の、長男、次男、末っ子の挨拶で終わるところ、林の代理である小生は、一応の心積もりはして行ったものの、悪い癖でいつもの出たとこ勝負になった。というのも編集人としては先輩の、他社の編集部の挨拶が、格調高い俳句觀を披瀝をされていたので、その点では勝負にならないので、結局は小生は思い出話で、かつて、沢木欣一主宰「風」の句会に一度だけ出たことがある。それも40年前、小生がまだ紅顔の美少年?だったころ、東京に流れついた頃、〈巷では「東京流れ者」が流行っていた〉などと喋ろうと考えていたことはすっかり忘れて、極めて短く、出たとこ勝負の即吟(さすが俳人?)で大坪氏の名と、誌名を詠み込んだ句を作って発表した。その句とは・・・

   大きつぼに万の象(かたち)のかがやける     恒行

 実は、大坪景章名吟「かがやきてくちなは枝を移りけり」の句を下敷にしたパロディーいうか本歌取りにもなっていることには、だれか気づいてくれたかな~・・・・下五はそのまま「かがやきて」だった方が良かったのかな~。今となっては遅いが・・・・。

万象10周年vol.3

 万象10周年vol.4

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2011年10月14日

野葡萄もさてがまずみも秋の昼・・・

 F1000226の葡萄.jpg 

 11月8日(火)、第一東京ホテル東京シーフォートの「(文學の森〉読者の集い」まで一ヶ月を切った。どこか慌ただしい感じがするが、それは日時がせまったからだけではない。

 その日はどうやら12月号の印刷所への校正戻しの日になっているらしい。ということは、8日はまったく編集のための時間はとれないので、前日7日までには何とかしなければならない、ということ。

 となると、老生などは別にしても、他のスタッフにとっては、前日の日曜、そして土曜、さらには、3日の祝日である文化の日も、ゆっくり休んでいられるかどうか、今から不安になるのも無理はない。

 実は老生も今週は掃除当番、といってもたいしたことをするわけではないが、ビニールのゴミ袋に皆さんのゴミ箱からゴミを集めて、有料事業用シールを貼って、ビルの下までもっていくことと、木曜日には分別されたビン・カンを捨てるくらい〈水曜日のダンボール類と週の始め、初日は当番を失念・・〉。

 当番の最終曜日にはフロアーの掃除機をかけるが、本日は終業時間,即退社のため(残念ながらデートではない所用で・・)、昨日残業が終わったときに掃除機をかけて置いた。まあ、どちらかといえば、家でやっていることとたいして変わりはないが、掃除機は家よりも丁寧にかけている。ゴミの分別は東京都内の方がアバウトなので、家の方が細かい分別をしている、という調子だ。

 実は11月号は余りにページ数が多くなりすぎるというので「全国の秀句コレクション」はお休みになったので、12月号にほとんど流用記載となる(もちろん、いくつかは差し替えて・・)。その作業を終えたところだ。果たして今月は如何に・・・。

 実らない努力というのは、一見無駄なようだが、老生はむしろひそかに好きなのだ(仕上げ時間などの制約が無ければ・・・)。

 発表するあてのない句を作る。発表するあてのない文章を書く。本当はそういうことをしていたいと、ふと、思う(さぞかし優雅だろうなア・・)。

 

トルコvol.1

トルコvol.2

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2011年10月13日

倉田紘文『高野素十「初鴉」全評釈』・・・

 竹村カラオケvol.1

 今日は朝から、倉田紘文『高野素十「初鴉」全評釈』の新刊委託配本の部数決定のために、トーハン、大阪屋、日販と回った。10月20日(木)午前に各取次に搬入するので、翌日以後に全国主要書店に並ぶはずである。

 本書は、俳誌「蕗」第7巻1月号(昭和53年)から第32巻7月号(平成15年)まで、300回にわたって連載されたものを集成した大冊である。

 巻末には「余論」として高野素十の第一句集『初鴉』の正誤の章が設けられている。

 それによると『初鴉』全657句中重出があり、掲載句は実質654句だそうである。つまり、この657句に長年にわたる精緻をきわめる評釈が施されているのである。

 その項目は、各掲出句について、[発表年次][句の季語][句の異同][語釈][句意][評考]である。この評釈をもって「素十の写生は『心の写生』である。一句の奥深くには、素十の心と結びついた『生命』が脈打っている。・・・(中略)・・この尊い『生命の躍動』が『初鴉』の句の根元なのではなかろうか」と断じている。労作である。

 ところで、この本の重さは1冊900グラムで、余りに大冊ゆえに、心優しいスタッフの三東が同行してくれた。三東は小社入社以来、初めての取次窓口交渉であったのだが、たぶん、いつリタイヤするかも知れない老生のあとにキチンと取次にも行けるように心構えを実践したものであろう。

泣けてきますねえ・・・。

竹村カラオケvol.2

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2011年10月12日

秋山素子先生来訪。。星永文夫『倭国』・・・

秋山素子

 秋山素子先生(「まがたま」代表)が午後、今度作られる句集の相談にわざわざ訪ねて下さった。

秋山素子先生は故秋山巳之流氏夫人で、『魂のはなー評伝原コウ子』がある。

   薔薇一本包ませてをりおのがため      素子

 爽やかな笑顔が素敵だった。

F1000225路傍の乙女.jpg

星永文夫句集『倭国』はB5判箱入りの大きな本である。

活字も十分に見やすく大きい。

弊社・姜琪東が懇切にして、情の溢れる序を寄せている。

その異彩の句集の名「倭国」の冒頭には「倭国はわが原郷、わが祖国である。河に愛憎の渦はあるが、南風(はえ)が吹けば、野に繚乱と花ひらく。・・(中略)・・されど、漂泊の身にそれはただの夢、確たる〈何〉があったろう。その永遠の不在に、篳篥(ひちりき)の楽の音は空しく天上を奔るのみ」と記されている。

序章は(リチャード・ギルバートの英訳付きの句)、

   シテぽんと踏む 九月の導火線    文夫

第一章は「荒野」。第一句は、

   風五月 その荒野(あらの)に放つべし    

終章は(これも序章と同じ氏の英訳付き)、

   禽(とり)ほど静かに朝(あした)死すべし 雪

 作者はおよそこの序章と終章のあいだに愛憎の渦ならぬ物語を語らせているのである。各句の一字空き表記による空白こそ、星永文夫の想いが消されることなく、溢れている間なのである。

それは一行の詩の言語力学を活かそうとする苦難の方法ともいえる。そのことをかつて坪内稔典は、「散文的」と評したのではなかったかと思う(あまりに記憶は不確かで申し訳ないが)。

 そんなことはほんとは詩にとってたいしたことではない。

  もう寝なよ おふくろ 明日はたぶん雪

  母にしぐれ 父に木枯 ぼくに雪

如上の終章前、第18章の句群は、父母を書きながら、その実、自分自身のことと読める。いささかの覚悟というべきであろう。

  姥捨へ霧を担いではないちもんめ

 担げるはずもない霧を担ぐ、その行為こそは自ら追い求めた「倭国」に続く何かであったはすだ。その「倭国」もいまや幻。永遠の不在とはまた永遠の不可能性のうちに存在し続けるということである。それは、人に与えられた担保なきアイデンティティではないのか。その存在において、すでに幻想の「倭国」は超えられているのだ。

倭国vol.1

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2011年10月11日

「円錐」20周年記念シンポジウム・・・・

円錐vol.1

 一昨日、10月9日(土)、アルカデアにおいて「円錐」創刊20周年(50号)記念シンポジウム「『俳句の現在』について」が開催された。会場には「戦後派俳人の作品」(昭和20年~40年)のレジメが配布され、戦後俳人の具体的作品の読みを通して、俳句の現在を語る足がかりにしようということ。さらに「円錐」は今後、数年をかけて誌上においても検証していくようである。

パネリストは、「円錐」同人の山田耕司氏が進行を務め、恩田侑布子、高山れおな、岸本尚毅各氏と現在の俳句を牽引している生きのいいメンバーである。

主に戦後派俳人の作品と読み、さらには読者とメディアの関係などについて、活発に意見が交わされた。

シンポジウムもさることながら、「円錐」の同人誌としての力は、糸大八第三句集『白桃』を刊行したことである。

それは、数年前から闘病生活を続けている同人の糸大八を励ますとともに、その良質の俳句作品を少しでも読んでもらおうという気持ちで、句集刊行委員会を作り、協賛金を募って、つい先日上梓したことに象徴されている。

続いて祝賀会に移り、小生にとっては、実に多くの久しぶりの方々にお会いした。

下の写真の前列中央ベレー帽は、フーちゃんこと、いまだに笑顔の可愛いい高柳重信の息女、第一句集名『蕗子』の高柳蕗子氏。

高柳重信のことをパパと言いながら、シンポジウムの意見も懇親会の話もされていた。

円錐vol.2

その他、小社には縁の深い最近『続々俳人探訪』を出した栗林浩氏、また句集を出され関根誠子、雑詠選者の池田澄子、そして筑紫磐井各氏などにも会った。

味元昭次氏は高知で姜琪東に会ったので、よろしくとのことだった。

円錐vol.3

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2011年10月10日

柿本多映の俳句入門『ステップ・アップ』・・

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 本書は平成13年4月から一年間、隔週で産経新聞文化欄に連載されたものと、他に2編のエッセイを収めた瀟洒な新書版の一冊である。表紙の挿画は五木玲子(五木寛之夫人)。

およそ入門書など書きそうもない柿本多映の俳句入門の書である(それだけにレベルは少し高いかも・・・)。ステップ・アップもさもありなんというわけである。

それは帯に「初心者から、ワンランク上を目指す人まで/俳句の本質をつかめる必読の俳句入門書」と惹句するように、いわば柿本多映流の入門書と思えば、それはそれで味わいはまた格別なのである。

しかも、親しみやすい名句を例に・・・とあるが、じつは各ページ(テーマが変わるごとに)に掲げられている柿本多映の俳句が、また良いのである。

最初は、   

   出入り口照らされている桜かな        多映

さらに任意に抽出すると、

   洞の木や蝶の骨など重なりて

   青葦原つめたき昼を通すなり

   うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉

     悼 三橋敏雄氏

   君逝くや曲りても曲りても黄落

   真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ 

   隠沼に空席ひとつあるにはある

 前掲の「隠沼に」の句は、当然ながら「字余り・・・独特の文体リズム」の項目の前に置かれているし、「悼三橋敏雄氏」の前書のある句には、「慶弔贈答句・・・力まず、素直に」の項目の前ページに掲げられている。

 つまり、柿本多映の句作の機微におのずと触れることができる、なかなかに行き届いた構成になっているのである。

 他に、具体例を挙げてみる。例えば、昭和3年生まれの柿本多映の世代には、いまだに戦争と平和という問題は避けて通れない生きる上での大切な問題である。

「戦争・・・重い事実を只今の視点から」という項目では、長崎で書かれた金子兜太「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」の句に、ピカソの「ゲルニカ」を思い、「原爆許すまじ」という希望の思考を展開させる。三橋敏雄「いつせいに柱の燃ゆる都かな」には東京大空襲下で詠まれたことを重視して、句の持っている時代性んじ、注目し、「戦争を知る方も知らない方も、この重い事実があったことを念頭に置いて、只今の視点から自由にこのテーマに取り組んでみるのも意義あることではないでしょうか」と結び、小学六年生の句「原爆や僕の知らない夏がある」で締めくくっている。入門書でこうしたことをキチンと表現するよう、伝えて行こうとする姿勢は極めて大事なことである。というのも、俳句入門書の多くは、ごく一部を除いて、こうした時事的なシリアスな句作の方法を避けて、掲載しないからである。

 その他、目次の幾つかをひろうと「吟行」「季語の現場へ」「自然を詠む」「比喩」「諧謔と滑稽」「現代俳句の可能性」など多岐にわたり、俳句への志が随所にちりばめられた俳句の根本を理解させてくれる手頃な一冊となっている、と言えよう。

是非一読を願いたい所以である。

 この本の最後のエッセイ2編、いずれも橋閒石俳句に関するものだが、これも閒石俳句の周辺を語りながら、同時に柿本多映の俳句観が示されている魅力あふれるものだ。それは、人間存在の哀しみや知性にいろどられた諧謔、ユーモアであったりする。それを橋閒石の日暮れの思想としてまとめている。

  銀河系のとある酒場のヒヤシンス     閒石

  階段が無くて海鼠の日暮かな

季の時空へ.jpg 

 さて、 同時発売のもう一冊は柿本多映『季の時空へ』である。

 『ステップ・アップ』とは兄妹本ともいえる見栄えで、両書とも髙林昭太装丁である。

 こちらの挿画はレオナール・フジタこと藤田嗣治。昭和11年柿本多映の父君と交遊があって、柿本家で「マドレーヌと揃って呉市に来られた折、父の自画像と共にお二人のものもスケッチして下さった」ものだという。

 従って、この素描絵は、この本によって初めて世間に公開されるといった貴重なものだと思われる。

 『季の時空へ』は平成16年から2年間、京都新聞に連載された「季節のエッセー」と同人誌「白燕」に発表されたものが収録されいる。

 新聞連載が基礎になっているので、月々の表情が変わっていく楽しみがある。それは「きさらぎ」からはじまり、「十二月」まで続く。

 小生には「小田切秀雄さんのこと」と題された章はことさら感銘深かった。それは、山ノ上ホテルで中村苑子が生前に俳壇引退を披露した生前葬のような会「花隠れの会」出席の翌日、柿本多映は上京した機会に(実兄との交遊があったと知って)小田切秀雄宅を訪ねていく。小田切秀雄著『私のみた昭和の思想と文学の五十年』に実兄・福家(ふけ)守彦が触れられおり、昭和13年当時、半月ほど福家家(三井寺)に逗留したときのこと。柿本多映にはその記憶はない。その小田切秀雄に会ったとき「守彦君が亡くなった時にね、お父上から電報で知らされたんですよ。だのに僕はお葬式に行けなかった。何があっても一番に行くべきだったんです」という件りがある。それを詫びている小田切秀雄。その守彦氏は昭和14年5月に亡くなっている。死の前年、柿本多映に宛てた手紙(昭和13年10月4日消印)には「私は富士山麓に演習に来て居ます。よく勉強なさい。兵舎にて兄」、享年21だったという。すでに70年以上前のことだ。

蝶 001.jpg    

    

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2011年10月 7日

角川春樹震災句集『白い戦場』・・

芸大 白万寿沙花vol.1

 句集「あとがき」に「今回の東日本大震災は『天災』と『人災』が引き起こした戦後最大の出来事である。東日本の被災地は、敗戦直後の日本そのものであり、福島原発の大事故は広島と長崎の原爆に直結する。今、東日本大震災後の日本の詩歌は、改めて、「何を、どのように詠む」べきかが問われている」とメッセージされている。

    八月の海にいのちの帆を上げよ   春樹

「帆を上げよ」は切なる祷りである。いわば、この句集全体が祷りの句集と言ってよいと思う。

今日で『白い戦場』の取り次ぎの書籍仕入れ窓口との交渉も一段落した。

角川春樹事務所営業の前面的な協力もあって、全国主要大型書店の注文短冊も揃い、指定配本の依頼もできた。他の書籍に比べて委託部数は多くはない(もちろん、句集としては多い)が、それでも仕入れ窓口では、あと200部増やしてもらいたい・・などと初めて言われた(残念ながら、刷り部数の限界で、それほどは増やせない)。

10月18日発売予定である(直接の予約注文も受け付けています)。

このあと倉田紘文「『初鴉』評釈」も来週には書店配本の部数交渉を予定している。

 

ところで、今日の編集部の皆さん、早い退社だ(もう誰もいない)。

金曜日でもあるし、若い人たちにはいろいろ予定があるらしい(羨ましくはないが・・・)。

明日は「春耕」(棚山波朗主宰)45周年、明後日は「円錐」(代表・澤好摩)創刊20周年の祝賀会。小生の同人誌「豈」ですか?それは昨年30周年だったけど何もしませんでした(時代になかなか乗り切れません)。

いよいよ俳句の世界は、錦秋の時節柄、祝賀会、記念大会が目白押しの月に突入した。

当分は編集長は土日の休みはない・・・。

鷗座10周年 天野小石vol.2

 

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2011年10月 6日

取次ぎ廻り2日目・・

かまつかvol.1

 今日は、本誌11月号の取次ぎ仕入れ窓口交渉2日目、日販と栗田出版販売を廻った。

ついでといっては語弊があるが、角川春樹震災句集『白い戦場』も日販書籍仕入れ部数依頼交渉をした。

昨日、本日と雑誌の窓口が混んでいて、年末並みだった。

あと少しで午前中のタイムリミットで、『白い戦場』は、明日出直しかと覚悟したが、なんとか書籍仕入れ窓口にたどり着いたのは、ぎりぎり12時10分前。

 しかし、これだと、栗田出版の午後1時開始には間に合わない(移動に一時間はかかる)。というわけで、帰社は3時過ぎになってしまった。

窓口での待ち時間だけは、やたら長かったのだが、のんぶり休憩とはいかなかった。こうなると、昼は決って立ち喰い蕎麦だが、最近赤羽駅エキュートにできた「蕎麦一」は座るところもあって、まあなかなか美味い更級そばだった。

 

かまつかvol.2

 ところで、今日は贈られてくる雑誌の中から「GA」(秦夕美個人誌)を・・・・

60号で15年たったと書かれているから、季刊ペース。

小冊子ながら、すべて秦夕美の手作りであり、秦夕美の趣味に貫かれている。

表紙も質素に彼女の庭にある葉をコピーしたもの。味わいがある。

今号の表紙はグレープフルーツの葉で「孫が幼い頃、一緒に食べた種を蒔いたもの」という。

お幾つになられたのだろうか。「あとがき」に、

「昨日出来なかったことが今日出来るのが子供なら、昨日まで出来たことが急にできなくなるのが老人だ。情けない、心細い、だが、近くに住む息子には意地でもSOSは発したくない」と、秦夕美には珍しく嘆きが入っている。

こうした、嘆きは秦夕美にはこれまで無縁のように思われていたから、少し気になる。

この個人誌にはエッセイ、短歌、俳句、評論など、すべてに秦夕美のエッセンスが溢れている。

現在は蕪村が連載されているが、かつて赤黄男が連載されていて、それは『赤黄男幻想』として一本になっている。

今回の俳句は、

   ひかがみに水たまりゆく月夜かな         夕美

   寄せては退く腕の疼きも秋の景

   月光に坐骨神経よぢれけり

   さりとても炎症ひどき百日紅 

   萩すゝきやけにおもたきぼんのくぼ

   もつて瞑すべし五体もつとに冬隣

   今生のみのりのごとく病む秋よ

また、「覚悟もついた。病もまた人生のもたらす『みのり』なのだろう」と記す。

これほど境涯性をあらわに詠んだ秦夕美は初めてのように思われる。

いずれ、本復をなして、「GA」の61号がまた届けられるに違いない。

ご自愛を祈念する。

かまつかvol.3

かまつかvol.3

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2011年10月 5日

取次ぎ廻りに雨の薔薇・・・

雨の薔薇vol.1

 本日からは11月号の搬入仕入れ部数決めのための取次ぎ各社廻り。

 明日からは、10月18日発行の角川春樹震災句集『白い戦場』の部数交渉も入る。

 取次ぎ会社は久しぶりに大混みで、トーハンで午前中の時間を使い果たし、昼食に蕎麦屋を目指していたら、コンクリートの壁のそばで、かの大手拓次の薔薇連祷の肉色の薔薇ならぬ雨の薔薇に会った(上の写真)。

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 さて、贈られてくる雑誌で小冊子だが「弦」(遠山陽子発行)がある。

 創刊以来、「したたかなダンディズム 三橋敏雄」が連載されているのだが、そろそろ終盤に差しかかっている。実によく資料にあたり、丁寧に書かれている。今号が34号だから、34回目の連載(9年目かな?)。

 三橋敏雄の盟友の一人だった富沢松雄の手紙にあった、

   よりかかる不思議な日陰ありにけり      まつを

 この句が記されたとき、松雄は胆管癌の末期だったらしい。

 そして、遠山陽子は「この日陰は、松雄が生涯かけて畏敬した師三橋敏雄膝下のことであろう。絶唱である。こんな凄い師恋の句を作った彼を、私は嫉妬した」と書いている。

 さらに、平成十二年七月二十二日朝、「自分の意思で点滴を止め、静かに息を引き取った、(中略)その松雄からの手紙が同封されていたのである。『このたびは、なんのご挨拶もなくお別れいたしました。ご無礼を、なにとぞお許し下さい。思えば永い間、身に余るご厚情をたまわりまして、有難うございました。(中略)これからは日本の四季よりも美しい浄土に定住致すことに相成りましたので、皆々様には暇な折には、ぜひお立ち寄りください。飛雲に乗ってお迎え申し上げます。遠くより皆々様の幸を、ひたすらお祈り申し上げます。

  さようならを名残の空に書きつづる    松雄』

 最後までダンディーでありつづけた松雄からのあまりにも格好良すぎる手紙であった。不思議な日陰からの手紙だ、と私は思った。一年の後、この手紙に応えるかのように、敏雄も浄土に旅立つのである」。

 遠山陽子のこの連載が一本にまとまれば、三橋敏雄を知る貴重な資料となるに違いない。

月と蝙蝠vol.3

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2011年10月 4日

「街」十五周年記念号・・・

 金木犀vol.1

 本誌に連載の小説・「受験巡礼」の著者、今井聖主宰「街」が創刊15周年記念特集「俳句進化論」を掲載している。

 高山れおな・今井聖・竹内宗一郞の鼎談「韜晦と洗練を超えて」は、辛らつな現代俳句批判だ。高山れおなは「ゼロ年代の俳句100句選、今井聖は「現代俳句秀句二十句」を選び、具体的な句の評価をめぐって随分と違う姿勢ながら、それだけに作家としての姿勢があらわにうかがえて面白い。

 他に友岡子郷「不易流行のことなど」、中岡毅雄「俳句退化論」、依光陽子「にこにこ笑いながらバッハを弾く」、など、進化そのものに懐疑的な論も並ぶ。

 もっとも、新「街宣言」(あらたに書き替えられた)には、「俳味、滋味、軽み、軽妙、洒脱、飄逸、諷詠、諧謔/達観、達意、熟達/風雅、典雅、優美、流麗/枯淡、透徹、円熟ではないものを私たちは目指します」とあり、さらに「肉体を通して得られる原初の感覚を私たちは基点に置きます。私たちは『私』を露出させ開放することをめざします」とある。

 これまでの街の成果として「街の百句」今井聖撰も掲載されている。

具体的な作品こそが雄弁に語っているという自負があるのだろう。

 おおよそ,現在の結社誌のスローガンが「生きている証を」とか「大自然の美しさを詠もう」とか「写生の追求」とか大人しめ、微温的なものが殆どのところへ、まるで喧嘩でも売っているような意気込みである。

 先般は小澤實主宰「澤」の創刊11周年記念特集・永田耕衣もそのページ数の多さと内容の緻密さでは、俳句総合誌をしのぐという新聞評まで出たくらいだ。

 そう考えると、俳句も何処に向かうのかはっきりしないけれども変革の時代を迎えているのかもしれない。しかも、それを事実上領導しているのは、こうした、明確な方針を具体化するバイタリティーのある主宰者のもとに結集し始めている若手俳人である。

 インターネットによって新たに出現しつつある世代、その俳句とメディアとの関係。

 思えば子規だって、当時はもっとも新しいメデアである新聞を根城にしたのであった。

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 閑話休題。

 ところで、全く意識してはいなかったことだが10月号魅惑の俳人・清水径子の命日は10月18日。

いい供養になったかもしれない。その句セレクションの中の、

  桃のスープ人はやさしきことをする       径子

 この句の人とは、阿部九鬼男のことである。阿部鬼九男が、何かにの折りに、桃のスープを手作りして、清水径子をもてなしたのである。

金木犀vol.2

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2011年10月 3日

印刷所入稿日・・

 月と蝙蝠vol.1

 昼頃、多仁竝(たに・ならぶ)氏が編集部に見えた(写真は前回アップしているので、今回はなし)。

 来たる11月8日(火)の文學の森読者の集いにも参加されるという(加藤郁乎氏に会いたいそうだ)。

 お土産にパンをもって来られた(東京支社全員の人数分あった)。

 美味しくいただいた。

 何くれとお話している間に、栗林浩『続・俳人探訪』『続々・俳人探訪』の2冊を買っていかれた。

 そうそう、メール一行詩の投句が9月は700句を超えていた。

 佳作を含めて41句の掲載だから、なかなかの難関だ。

 ところで、今日の編集部は、11月号入稿日。バタバタとしている。

 下の写真は月と蝙蝠。

月と蝙蝠vol.2

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2011年10月 1日

訳あって...

こんばんは。

こんな時間に更新です。

色々と事情がありまして...

 

金曜日、何とか入稿までの山を越え、みんなが清々しく(少し疲れた顔で)帰社した後、

ふとある友人の顔が浮かび...

 

だめもとで連絡したところ、友人も悩みがある時期だったようで、

飲もう!

ということになりました。

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もうすぐ高騰するという噂のユッケをバッチシ食べてきました。

 

とにかく気の合う友人で、いつか一緒に開業しよう!とまで計画中です(恐ろしい計画ですね...)

 

努力すれば報われる仕事でないので、とても辛い思いをしているようですが、

何かあったらすぐに駆けつけるつもりでいるので、

がんばってね、T子ちゃん★

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