2011年11月14日

空は太初の青さ妻より林檎受く・・

草田男句碑 根岸界隈1114a

 先週の土曜日、12日は、中村草田男句碑除幕式があった。

前日までの冬の寒い雨も上がって、こよなく晴れた気持ちのよい青空になった。

 中村草田男は本名を清十郎といい、長い間成蹊学園において教鞭をとった。その成蹊学園が創立100周年を記念して「『心の力』を、未来へ」ー「教養ある豊かな人間性」で時代を開くというスローガンのもと、様々行われている紀念行事として句碑の建立が行われた。

記念講演は本館大講堂にて、草田男三女の中村弓子と小学校から高校まで成蹊学園に通った佐佐木幸綱が行った。そのあと懇親会が開かれたが、小生は所用で失礼した。

句碑の場所は、学園正面を左に曲がって欅並木のなかほどにあり、一般市民が通行できる径のそばにある。

 草田男句碑 根岸界隈1114b

 「空は太初の青さ妻より林檎受く」句碑の隣の碑文には、

   この句は「居所を失ふところとなり勤先きの学校の寮の一室に家族と共  

  に生活す」という前書があります。終戦後で食料も乏しく、住宅事情も良く 

  なかった時代に、疎開先から家族を呼びもどして、成蹊学園の寮で生活  

  を始めたころの作品です。

 と刻まれている。

句碑の石は真鶴の小松石、花崗岩の一種。碑文が刻まれているほうは伊勢ごろた石だそうである。

草田男句碑 根岸界隈1114c

 

草田男句碑 根岸界隈1114d

 上の写真は左・中村弓子、右・鍵和田ゆう(禾+由)子。 

 思えば小生が学生の頃、最初に読んだ俳句入門書が草田男の『俳句入門』(角川文庫)だった。だから有季定型の呪縛はそのときから長い間小生を捕えて離さなかった。もう45年近く前のことになるので大方は忘れてしまったが、その時の例句が「冬の水一枝の影も欺かず」だったことは覚えている。そして、21歳で東京に流れ着いたとき、一度だけ、武蔵野公会堂会議室で行われていた「萬緑」の句会に出たことがある。草田男は健在の頃である。当時の人気を物語るように100人近くはいたのではなかろうか。

 句碑開きには、小生がもっとも草田男直系の句を書く俳人として遠望していた竹中宏が京都から、横澤放川、奈良文夫、鍵和田(禾+由)子、また、角谷昌子、酒井佐忠などにも会った。

草田男句碑 根岸界隈1114e

草田男句碑 根岸界隈1114f

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コメント(2)

  

おはようございます。
今日のブログの文で「朱戦後で食料も乏しく」とありますがおそらく「終戦後」だとおもいます。気が付いたのでお知らせします。
間違っていたら御免なさい。

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