2011年12月15日

八木裕子句集『無縫』・・・

 

無縫111215

 句集名は次の句に拠る。

   ひと尋の天衣無縫の蛇の衣      裕子

 以下、いささかの管見を恥ずかしくしておこうかと気取る。

 ならば、読み捨て御免とでもしておかれたいと思う。

 「無縫」は「無法」にして「夢法」・・・。

 門流をさかのぼれば、現在の師の懐のなかに、山口誓子・橋本多佳子の匂い袋が忍ばせてあるようでもある。

 数字「一」の多用はそれだけで誓子を、また蛇や火には多佳子の影をみてもよいのかも知れない。

 明らかなのは次の句あたりだろうか。 

    孫弟子として一本の炭をつぐ         裕子

    学問のさびしさに堪へ炭をつぐ        誓子

 みごとに誓子の志に呼応して書き留めているのではなかろうか。 

 あるいは、

     蛍火の一の火吾のこころの火        裕子

     炎天の遠き帆やわがこころの帆       誓子

 の二句を並べてみると、誓子の句の構造を借りて、一句をなしているところ、その根源の法にせまるとみるのが的を射ていよう。

 直接の師と思われる島村正を詠んでの句と思われる(勿論フィクションとしての師でもかまわないが)、

      青垣山師の懐にゐるごとし       裕子

の景、山容をして、たぶんに、「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし」を想起させるのも作者の薬籠中のものなのかもしれない。

 巻頭に置かれた、

     文机に椿一輪多佳子なし        裕子

 の句ばかりでなく、

     蛍火の一火多佳子の火と思ふ      裕子

     虹二重誓子と多佳子とぞ思う

 など、一句目に多佳子の「蛍籠昏ければ揺り炎えたたす」。二句目は、御門違いといわれるかもしれないが、虚子が愛子を詠んだ「虹立ちて忽ち君のある如し」「虹消えて忽ち君の無きごとし」を脳裏に浮かべれば、自ずと『無縫』一巻も相聞の趣を湛えてくるから不思議である。それが証拠の句を以下に上げておきたいと思う。もとより妄言の謗りは承知として。

    をみなにも周期のありて七変化        裕子

    純白のレースの胸の熱さかな

    月の身の女たること忘れたし

    あひびきの夜露に髪の濡れやすし

    露の世に露けき帯を解きにけり

    青蚊帳に衣ずれの音波の音

    埋火の芯の熱さのただならず

    虎が雨遣らずの雨となりにけり

    ひとの世のひと夜の縁単帯

    ふところに香水の香ののこりけり

    生身魂恋の噂のなくもなし

    来世までつづく恋あり寒夕焼け

    蛇衣を脱ぎ濡れ色の蛇身なり

    さくらんぼ口に含みて奸婦たり

    短夜の鼓動に合はす鼓動かな

    白妙の菊の枕を交はしたし

    年の瀬のひとときといふ逢瀬かな

 最後に、

   七転び八起きの裕子浮いて来い

   桜桃忌きのふの吾にグッドバイ

 桜桃忌の句には、「誕生日」の前書があるので、たぶん6月13日が著者の誕生日。太宰治晩年、未完の小説「グッドバイ」の名を配して句に仕立て、指示する意味を多様にしたところがあざといかもしれない。

 ともあれ、集中の次の句は、愚生の好みで捨てがたい。

    一の門二の門城の虎落笛

    落日に的礫として雪の冨士

 下の写真は本日、読者からメールで送られてきた富士山である。

富士山20111215

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