2011年12月28日

忘年会は望年会・・・

忘年会vol.1

忘年会vol.2

 昨日は、年末進行の印刷所への大分の入稿を済ませ、東京本部は忘年会だった(九州本社は前日に行われた)。

 本誌は社長の下命により1月号は初の400ページ超えの厚さとなった。

 ようやくというか、やっとというか、これまで、それなりの部数を伸ばしてきた月刊「俳句界」も、さらに伸ばしていくためには、もう一段も二段も誌面の充実はもちろん、営業的にも戦略、戦術を練らなければ、さらなる飛躍は望めない。

 その年の苦労を忘れるために催す年末の宴会が忘年会ならば、それがそのまま、来年の抱負につながる望年会になるのがベストである。

 それぞれの今年一番良かったことを上げていくことになったが、酒も入り、編集長の句集『退屈王』の出版が第一というところで、盛り上がり、あれやこれやの話題と俳人協会賞の最終選考に、何故残れなかったかを総括しているうちに、アルコールもまわり、あっと言う間に時間が過ぎ、他の人の今年一番を聞く間もなく夜は更けてしまったのだ。嗚呼・・・・

忘年会vol.3

 今日の昼ご飯に最近愚老がよく行く蕎麦屋がある(早稲田馬場口から古本屋街に下って行く途中)。早い話が立ち食いに少し毛が生えたくらいと思っていたが、手打ちのせいか、毎日食べていると、日々微妙に味が違い、蕎麦の茹で具合が違うことに気がついた。

 もっとも、蕎麦の基本はもり蕎麦ときめているところがあって、他の味が入り込む余地が無いというだけのことにすぎないが・・その店が東北は鹿角のテナントショップふうなのである。店の名は「花び」。鯛焼きも一緒に売っている。

そば花び.jpg

忘年会vol.4

 会社に(愚生宛)藤森建二著『洋泉社私記』(写真上)が贈られてきた。寄る年波で全く忘れていたが、先日雑誌の部決交渉に日販に行ったとき、廊下で偶然に藤森氏に会い、お互い急いでいたので、名刺だけを渡していたのだ。さらにサラの葉書が入っていて、「一言」と書いてあった。

 パラパラとめくると、藤森氏の出版業界における苦闘の歴史が刻まれている。藤森氏が未来社を辞め、洋泉社を立ち上げた頃は、愚生もまだ書店員だったので、それ以来というわけだ。洋泉社は昨年は約160点以上の新刊を出している。立ち上げ時が9点だから、その奮闘と成長は著しい。ページを繰ると、宝島社との強い連携があるようだ。彼自身も昨年退任にして今は「3.11大津波被災地他・〈大槌町の子どもとおかあさん〉へ本をおくる支援NPO」の代表をつとめている。社長退任の弁の最後は「出版を業とする皆さんがあらゆる権威、権力におもねることのなきようあわせてお願いしておきます」と結ばれている。肝に銘じたい。

 年表に記された名前の数々に思わず懐かしさが込み上げてきたが、鬼籍に入られた方も多く、はるかな時の流れを感じた次第。

 わざわざこの本を贈って下さったのはたぶん、中の記述のなかに愚生の名が留められていたからだろう。37ページ、1988年(昭和63)の10月の項目「吉祥寺弘栄堂相川克治と懇談する。彼は弘栄堂の最後を看取った店長だ。初期の頃の弘栄堂には、四戸純一、小用茂夫、岡名輝夫、大井恒行氏ら優れ者の書店人が梁山泊のごとく集まっていたのが懐かしい」とあった。

 藤森氏は未来社を含め出版業界のために48年・・・、業界を引いたとはいえ、まだまだ未来を見つめる眼差しは曇っていない。愚生もまだクタバルわけにはいかない・・・ねえ。

 クリスマスメタセコイヤ忘年会

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コメント(4)

  

こんばんわ。美味しそうな鍋料理ですねー。一番上の写真のウドンらしきものに注目しました。(私は香川県人です)

  

人生にはいろいろなご縁があって楽しいものです。勤めてきた商売柄人との縁を大事にすることを座右としている一人です。

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