『現代句集』のこと・・・

昼にするのに、外に出ると、陽射しはあるものの、冷たい風にさらされて、けっこうな寒さである。
通りすがりの古本屋に無造作に100円コーナーに置かれている現代日本文學体系95『現代句集』(筑摩書房)に眼が止まった。会社の仕事用に買って置くことにした。解説は山本健吉。昭和48年刊。いくらなんでも100円はないだろうと思ったが、案の定線は引いてあるし、書き込みはあるし、もし、新古書店チェーンならすぐにでもゴミ箱に捨てられる代物だった。
ただ、小生の仕事柄、調べものに使えるし、引用句を確認し、校正にも使えるから文句はない。
中を開いてみると、表3の見返しに「昭和49年二月六日読了 堀口太无」とあった。ということは、この句集に収められている内藤鳴雪「鳴雪句集」、尾崎放哉「大空」、富安風安「草の花」、渡邊水巴「白日」、西東三鬼「今日」、飯田龍太「童眸」、秋元不死男「万座」、石川桂郎「竹取」、野澤節子「鳳蝶」、荻原井泉水「大江」までの36名の代表的句集を読破したということだ。
確かにその痕跡はしっかりとどめられている。たぶんだが、いいと思った句には○、◎がつき、ご丁寧にダメと思った句にも×がついている。
おのずとこの方の好み、句の評価も知れるというものである。
ちなみに最初の鳴雪の句で○が付いていたのは、
暖かや君子の徳は風なれば
であり、×が付いていたのは、
春雨や酒を断ちたるきのふけふ
なかなかの具眼の士かも知れない。
さらにページを繰ると紅葉葉が栞に使われておる。朴の葉もあった。茶色に変色し、少し黴の生えているところもある。当然ながら、色染みは紙に移っている。
大層な年期だ。
原石鼎の句にはたくさんの×が付いている。星野立子もしかり。富澤赤黄男は○が多く、×は極端に少ない。
この人は、一句の完成度を読んでいるのかも・・・赤黄男の×の句は、
蛇となり水滴となる散歩かな
高野素十の句には、ほとんど×がない。野見山朱鳥の句には◎がいくつもある。例えば、
蝸牛の角風吹きて曲がりけり 朱鳥
地に触れて落花と影とぶつゝかり
林檎むく五重の塔に刃を向けて
篠原凡、金子兜太の句にも◎がある。
書き込みまであって「感受性にたよる限りに於いては篠原凡に席をゆずらなければならない。ニ部、三部に於ける変化は、・・・性の深化によるもので観察からくる面白いものをもっている」と。◎の句は、
麦車雉鳴く森へ動き出す 兜太
森澄雄の句には◎が多い。最期の荻原井泉水の句には、×が一つもない。○と◎のみである。不思議な感じだ。◎の句は、
ここまで水がきた話ヘソに手をあてて言う 井泉水
ほんとうに寒かつた日が祥月命日
筑摩書房の「現代句集」と言えば、もう一冊、現代日本文學全集91『現代俳句集』に指を屈するが、現在、手元にあるのは、145ページから再度17ページになり、161ページから始まる落丁本だ。安かったはずだが、数十年前のことなので、どこで買ったかもまったく覚えていない。この本には、かの有名な神田秀夫の「現代俳句小史」が巻末にある(昭和32年4月刊)。この卷自体は各個人のアンソロジーとなっていて鳴雪から兜太までの主要な俳人が入集している。
今日も冷え込みの強い日だった。
愚生、先の日曜日に持病の腎臓結石の激痛にみまわれて、体は、まだ本調子に戻っていないようだ(ブツブツ・・・)。

100円でこのような俳縁に出会えるなんて、さすが東京ですね。
たいへんおもしろく読ませていただきました。
ありがとうございました。コメントがあると嬉しいものです。