2012年2月17日

安吾忌・・・

牡丹園・横尾忠則vol.02171

 2月17日は、1995(昭和30)年に、小説家の坂口安吾が亡くなった日。49歳。本名・炳五(へいご)、新潟県新潟市の旧家にして富豪の家に生まれた。13人兄弟の12番目に生まれた。丙午年生まれの五男だから、炳五と名付けられたらしい。

 かつての文壇バー「クラクラ」は安吾の妻、坂口三千代がマダムだった。

 子息の写真家・坂口綱男は1953年生まれだから、小生より5歳下。

ともあれ、檀一雄とおなじく無頼派と呼ばれた作家。

「堕落論」を書いて、時代の寵児となった。

 かの有名な書き出しは、

  半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といで 

 たつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者立は花 

 と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ね

 がはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で

 男を見送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずく 

 ことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に

 宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人

 間は本来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのこと

 だ。

 こうして、敗戦に打ちひしがれていた多くの日本人は開き直って生きて行く勇気をもらったのかも知れない。

 

 戦後、ヒロポンなどによる薬物中毒でうつ病になったり、一時期は小田原に転居したり、競輪に通いつめたこともあるらしいから、本誌連載「筝漏亭日常」の矢島康吉氏ともどこかで関連があるかもしれない。

伊東競輪不正告訴事件(不起訴)も起している。

牡丹園・横尾忠則vol.02172

閑話休題・・・

 本日の編集長は、午後から、横浜俳話会の幹事会に出かけてしまった。

牡丹園・横尾忠則vol.02173

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