2012年3月のブログ記事

2012年3月31日

「豈」句会・・・

豈句会vol.1

 今日は、強風と雨の中、電車の遅れも出る荒れ模様の天候だったが、奇数月の最終土曜日、つまり、二ヶ月に一度ながら、第106回の豈句会が港区白金台福祉会館(旧名)で行なわれた。

点が散ってしまったがともかく、最高点句は同点で次の2句だっだ。

   水かげろう

   母いて招く

   三隈かな        福田葉子

 

   関節をゆるめて刻を待つ桜          中戸川奈津実

 次点句は2句とも福田葉子氏だった。さすがに大ベテランの俳人にして、高柳重信、中村苑子の両人の側にいつも居られただけの技量の持ち主だ。

   ときどきは生国に来て若菜摘む        葉子

   ゆるやかな流れのダ・カーポ春ぞ来る      〃  

 以下は参加者の1句のみ挙げておこう。

   山椒の芽とげ芽とげとげ芽とげ芽         鈴木純一 

 

   生玉も

   幾久しくも

   彌生盡         酒巻英一郎  

 

   隆明死す白玉椿かげろえり            早瀬恵子

   豈(たのしむ)や摂津永愷(ながやす)秋の旅    多仁 竝

   山ひとつ隠しておいた春がある           小湊こぎく

   永久の詩というべきかトロツキー          川名つぎお

   番地のみ変はる引つ越し春愁ひ           中田陽子

   春陰のゴリラの孤独森遥か              脇田千鶴子

   人にのみ祈りのありや春の昼             恒行 

 

つばき120331

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2012年3月30日

小川濤美子氏にインタビュー・・・

小川濤美子自宅インタビュー vol.1

 7月号、魅惑の俳人・中村汀女について小川濤美子氏にお話をうかがいにご自宅にお邪魔した。

 編集長・林に変って、急な代理で、予備の勉強もままならず、いつものでたとこ勝負になってしまった。

 ご自宅と主宰誌「風花」発行所が同一と勘違いした愚生は、発行所に行って、インターホンも電話をしてもお出にならないので、留守だな~、急用でもできてお留守にされたのかな~と思って、約束の時間より30分は発行所前に春の陽を浴びて、日光浴で眠くなっていた。

 仕方なく、駅の近くの喫茶店に入って、時間をつぶして、もう一度お邪魔しようと、置手紙を書いてポストに入れた。喫茶店でお茶を注文をしようとしたそのとき。会社から携帯電話に「まだ、お見えにならないけど・・と、濤美子先生から電話があったけど、何してんの?お怒りよ~」。

 「え~、そんなばかな・・お留守???」といいながら、改めて電話と住所を聞いたら、番号は違うし、住所もわずかに違っていた。

 とにかく、ご自宅に電話をして、自宅は通りが一本違うことを教えていただいて、なんとかたどり着いたが、まったく迂闊だった。

 結局、インタビューは、予定時間をオーバーして、中村汀女に関して色々お話いただいた。

 その内容については、本誌7月号をお楽しみにしていただきたい。

 愚生は小社入社以前にどこかの会の折に一度だけ名刺をいただいたことがあったが、全く初対面に等しい。それでも濤美子氏からどこかでお会いしたことがありそうね・・と愚生の遅参を咎めるふうもなく、聞きたいことは自由にどうぞと仰っていただいた。

 小川濤美子氏は母・中村汀女を長年に渡って補佐、汀女の死去により、「風花」を継承された。編著書に『汀女俳句三六五日』、エッセイ集に『中村汀女との日々』などがあり、とにかく汀女を支え続けた方であり、ご本人も汀女に関わり続けた一生ね、と仰る。

 で、愚生の最初の質問が「濤美子先生はいつ頃俳句を始められたんですか?汀女に習われたことはあるんですか?」だった。すかさず、「汀女が私に俳句を作れと言ったことは一度もありません。主宰を引き継いで、初めて俳句を作ったのよ」。「だって、1000人以上のお弟子さんたちを放っておけませんでしょ・・」。しかし、汀女のそばで、日常生活を含めて、原稿整理、執筆など長年に渡って汀女を支え、厳しくも教えられてきたから、いざというときの対処もきちんと立派に行ったにちがいないと想像した。

 今年6月10日には米寿のお祝い会も開かれるとのことっだった(米寿とは思えない若さを感じさせられました)。米寿といえば汀女の没年である。

 明日からは滋賀・近江八幡にお出かけとのこと、全国を飛び回って超多忙のご様子だったが、どうやらそうして「風花」会員の方々と会うのが元気の源のようだった。その「風花」は昭和22年5月、中村汀女が創刊。モットーは「今日の風、今日の花」その時心新しく俳句すべし、との汀女の言があり、題字は、かの「暮らしの手帖」の花森安治である。

 

風花

 帰りに第3句集『来し方』をお土産にいただいたので愚生好みの句を少し紹介したい。

 因みに平成14年から18年にかけて369句が収載されている。

     山笑うふまでに至らず富士裾野            濤美子

     夕待たで花ほつかりと月見草 

        若布刈公園の汀女句碑「延着といへ春暁の関門に」

     母ここに在ますや句碑の辺薄紅葉

     折れ伏してなほ万の花富士桜

     一瞬に木々みな隠し春の霧

     眼にあふる涙見ぬふり夕薄暑

     風生も眺めし湖や丘花野

     暖かや朝より鳥の来て弾む

     ふり返る春夜の伽藍輝けり

     母の文字力漲り冬暖し

     春寒し引戸重たき母の家         『富士薊』

     和紙明りかすかにゆらぎ灯涼し       『和紙明り』

 インタビューを終えて、渋谷の書店のいくつかを「俳句界」4月号の動きをチェックしに回った。

 紀伊國屋書店渋谷店、ブックファースト渋谷文化通り店には、店頭在庫があったが、啓文堂書店渋谷店、有隣堂書店恵比寿にはなかった。         

書店多仁こぶし

 

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2012年3月28日

「麻」3月号・・・

「麻」3月号

 小社に送られてくる結社誌から、びっくり仰天の「麻」を取り上げたい。

 「麻」(主宰・嶋田麻紀・つくば市)では、もともと「芭蕉革命ー芭蕉キリシタン類族説への道」という長期連載(すでに111章)が松浦敬親氏の連載があって、無学な愚生には活字を追うだけで精一杯のところがあるのだが、この3月号には、氏が「黙示の松」と題して232句一挙掲載をされているのだ。実に一つの句集が収められていると言っていいものだが、ましてやすべてが大震災を詠んだ句なのである。題の「黙示の松」は復興の象徴とされている陸前高田の松のことである。

 巻頭の句は「註・陸前高田市の高田松原。岩手県の南東端にある」と詞書が句の後に付されている、

    春眠や七万本の松の楯         敬親

二句目は、これも註書きに(『旧約聖書』創世記第7章。ノアの箱舟)とあって、

    杖振つてノアが沖指す春の夢

こうして、多くの註が付されて句が展開されていく。 

タイトルは次の句からだろう。

    一本の松を黙示に奮ひ立つ 

黙示は黙示録の略だろうと思う。ならば神の国の到来と地上の王国の滅亡を幻想してもいいだろう。

    核蛇が穴出ればもう黙示録

 この句の註には「炉心本体の爆発ではないが、溶融した核燃料は悪魔の龍へ」とある。

    神ほとけなく被災して目刺食ふ

かつて小林多喜二が虐殺されたとき、多喜二の母は、祈りながらも「神も仏もない」と神に怒り嘆い

た。

   除塩九度種を余せる田植かな

         (註・平地の田は全滅)

   血涙の陽の橋を架け盆の波

   無原罪ならば聖書は聖胎祭

         (註・マリアが母の胎内に宿った日、無原罪とされる。12月8日)

   津波忌や舐めて塩つぱき海の水

         (註・東日本大震災の犠牲者を追悼して)

  ほかにも「東日本大津波大震災」特集(麻ではとくに大震災をこう規定しているようだ)で、エッセイ・坂本多津子「宮古に帰省して」、北川霞洋「ふるさと富岡町」など、誌として3.11以後を地道に表現することを積み重ねられている。    

「麻」3月号vol.2

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2012年3月27日

まだまだ寒い・・・

さんしゅyu.jpg

 午後7時過ぎに一服(お茶)しようと外に出たら、北風と西空にちょうど金星・木犀・月が弓なりに輝いていた。

 事務所は8階にあるのだが、一階のラーメン店の側のコンビにが閉店してから空家だったのだが、

やっと、というべきか、ようやくというべきか「カフェ ド プリン」という店がオープンした。

 早速、ケーキ50円引きのチラシをもって、入店したがすでに売り切れだった。

 皆さん、考えることは同じのようだ。

 ところで、今日の編集部は、編集長は「隗」(主宰・大山雅由)の清瀬吟行に取材ということで、朝から直行して本日は一日不在となった。

 頼りにされているスタッフの女性諸氏は奮闘中である。

 愚生は・・、朝の社長からの電話に「元気が無いね~」と言われて、思わず「妻は病床に臥し、子は飢えに泣いておりますゆえ・・」と小説的フィクションで応えてしまった。

 ともあれ、人生わずか五十年、下天のうちを比ぶれば・・・ではないが、かの西鶴も「定年の五十を過ぎて末もニ年」と言って事切れた。

 江戸時代より現代は寿命が延びているとはいえ、春が近いと愁いも生じてくるのである。

 嗚呼・・・・

夢まぼろしの如くなり

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2012年3月26日

現代俳句協会通常総会・新春懇親会・・・

現俳協総三人vol.1

 3月24日(土)、東京上野・東天紅において、平成24年度通常総会と新春懇親会が開催された。

 昨年は3.11東日本大震災で、急遽中止されたので、今年は人事も一新されての節目の年であることが強調された総会となった。同時に第12回現代俳句大賞受賞の芳賀徹氏、第67回現代俳句協会賞・前田弘氏の表彰も行われた。

 また、新会長に宮坂静生氏が選出され、会長だった宇多喜代子氏は特別顧問となった。副会長には新たに安西篤、加藤瑠璃子、高野ムツオ各氏が就任した。幹事長に前田弘氏など、節目の年にふさわしく、多くの新役員、新幹事が誕生して、若返りが印象付けられた人事だった。

俳協総会二次会vol.1

 芳賀氏は大賞受賞挨拶のなかで(まるで講演でしたが)、専門の分野で、フランスの著作家・詩人にして、一時期駐日大使もつとめたポール・クローデルの短唱(ハイカイ詩?)を紹介された。

 水ここに 水の響き

 葉ここに 葉の影

 比較文学者らしく「世界の言葉と結び合う俳句」「俳句の国際化、俳諧のグローバル化」とも話された。

 

現俳協総会二次会vol.1

 また、前田弘氏(写真上)は、協会賞受賞挨拶のなかで「俳句に生きるのではなく、俳句に生きたい人との縁を生きる」「俳句の底辺には底辺なりの俳句の楽しみがある」とも述べられた。

 新会長・宮坂静生氏は「3.11以後、俳句を作る意味を常に問い続けている。人の命、思いやり、やさしさ、しかも人間中心に考えるのではなく、宇宙に存在するすべてに与えるやさしさ、俳句を通して、新たに生き直すこと」を訴えられた。

現俳協総会二次会vol.2

 夕刻からの懇親会では多くの方々にお会いすることができた。まず小社から句集刊行が予定されている伊藤希眸氏に京鹿子社、野風呂記念館の鈴鹿均氏を紹介していただいた(上の写真・右)。また、若手の橋本直に杉浦圭祐(下の写真中央)各氏。 

 

現俳協総会二次会vol.3

 さらに、「麦」前編集長・望月哲士氏と現編集長吉田功氏。

 

現俳協総会二次会vol.4

 会の最期には本年10月27日、大阪で行われる第49回現代俳句全国大会の実行委員長・豊田都峰氏から、昨年を上回る投句と金子兜太氏の講演に全国から参集するよう訴えていた(下の写真)。 

 

現俳協総会二次会vol.5

 懇親会のあとは、東天紅地下で誘いあって二次会になった。メンバーは豪華でしたよ・・・

高野ムツオ、高岡修、山下女史、武馬久仁裕、福田弘明、山崎十生、前川弘明、栗林浩、橋本直、高橋比呂子、関根誠子、池田澄子、桑原三郎などの面々。隣室では何組かおられた様子で、帰りに宇多喜代子、後藤章各氏にも会った。

 ともあれ、ニ年ぶりの開催となった総会、懇親会は久しぶりの大賑わいでした。

  会もお開きに近い、9時ころ、この場所を嗅ぎつけて、「俳句」編集長・鈴木忍氏が「天頂」の会から引再度の顔見せでした。

 下の月刊「俳句界」の写真は、上野駅構内エキュートの書店・ブックエクスプレスにてチェック。

現俳協総会二次会vol.6

現俳協総会二次会vol.7

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2012年3月23日

4月号、明日発売・・・

俳句界2012年4月号

 月刊「俳句界」4月号は、25日が日曜日なので、明日24日(土)が全国書店発売である。

 特集は「密教を詠む」、特別エッセイは宗教学者山折哲雄氏、武道家にして批評家の前田英樹氏。山折氏は自作の句がさりげなく末尾に添えられている。

 2月のもっとも寒い時期に高野山吟行を塩川雄三、名村早智子、鳥井保和、山田佳乃各氏に行っていただいた。作品10句は黒田杏子、豊田都峰、伊藤通明、涼野海音、川澄祐勝、細谷亮々各氏。

 さらに「エロスを詠む」(春の夜やいやですだめですいけません 井伏鱒二)では、土肥あき子、新海あぐり、鳥居真里子、佐々木六戈各氏が、なかなか趣深い作品を寄せていただいている。

 また、大正100年企画としての「知られざる黄金の大正俳句」では、わずか15年間だった、大正元年から15年までの各一年ごとに、その時に活躍、出版された句集を中心にホトトギス雑詠集を加えた、真の大正時代の俳句の姿を浮き彫りにしている。中でも、芥川龍之介が「僕は、『獄窓から』を読み、遠い秋田の刑務所の中にも天下の一俳人がゐることを知った」と賛した和田久太郎は俳句総合誌では本誌によって初登場だろう。

img120323b

 佐高信の甘口でコンニチハ!はねじめ正一氏。最近、坪内稔典氏の「船団」で俳句を発表されている。私ごとだが、28年前、愚生の『本屋戦国記』の出版記念会で、ねじめ氏に詩の朗読をお願いしたことが思い出される。当時はまだ、吉祥寺の駅ビルのねじめ民芸店のお店に立っておられた頃である。氏の父上・ねじめ正也氏は俳人だった(「増殖する歳時記」に句があります)。

 そのほか、「おとなのエッセイ」は伊奈かっぺい、小嵐九八郎、喜多昭夫各氏など、読みどころ満載の号である。

 さらに、特別作品21句は棚山波朗・徳田千鶴子。第三回全国方言俳句の入選作品発表。魅惑の俳人は右城暮石などなど・・・・・

ひいらぎ.jpg

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2012年3月22日

加藤郁乎賞・戸恒東人『誓子ーわがこころの帆』・・・

郁乎賞戸恒vol.1

 昨夜、3月21日(水)午後6時より、東京會舘において、平成23年度・第14回加藤郁乎賞の授賞式が行われた。

 授賞作は、戸恒東人氏の『誓子ーわがこころの帆』である。

 加藤郁乎氏の選考審査の弁によると「戦前出版の『黄旗』の跡を尋ねて旧満州を探り、学問の淋しさは俳句の淋しさである誓子俳句の特質を随所に解き明かしてある。その不遇の晩年はいまなお俳壇無理解のまま論じられることすら稀れ、著者はそうした非を難じるかたがた公憤の気概を吐く」と讃えて次の一句を献上している。

    東風の人こゝろに帆もて鹿島立ち       郁乎

 

郁乎賞戸恒vol.2

 戸恒氏は、郁乎賞の趣意「志あるにもかかわらず世に表われぬ人材少なしとせず。依って才また識また学にこだわることなく、徳あるいは義にすぐれ世に資益するであろう精神をすすんで推重顕賞するものである」に感激し、戸恒氏の父・恒男氏が68歳で歌誌「雙峰」(そうほう)を創刊したときの言葉「無名人に発表の場は与えられない。無名たる戸恒の短歌と散文を発表する場を戸恒自身が造る」を引いて胸が熱くなったと語っていた。

 ともあれ、愚生は、誓子の消された句を戸恒氏が現地・旧満州の遊里を尋ねる件りを、まるで推理小説でも読むようなスルリングな気分を味わった。 

 祝辞は、授賞式に駆けつけた歴代の授賞者、辻井喬、辻桃子、伊藤勤、坂口昌弘、阿部元気各氏らが述べた。

 戸恒東人主宰「春月」の同人、会員の中から弁護士の大澤鷹雪(孝征)氏は篠笛を披露され、また作家の山崎洋子氏は、遊里の件では女性差別ではないかと怒りのメールを主宰に送ったというエピソードを話されていた(この本ではカットされている部分らしい)。 

 授賞式はなごやかにかつ満面に笑みを浮かべた戸恒氏を祝福しながら進行したが、唯一残念なことは、加藤郁乎氏自身が入院加療中のため出席されなかったことであった。会場の皆さんすべてが本復を祈って散会した。

 今日の編集部は林編集長とスタッフ松本は山本安見子さんと著書刊行と「二人の母」連載100回の区切りの打ち合わせで朝から出かけている。

郁乎賞戸恒vol.3

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2012年3月19日

「門」創刊25周年・300号記念祝賀会・・・

門25周年300号vol.1

 先週3月17日(土)、17時半より、上野精養軒・桜の間において、「門」(主宰・鈴木鷹夫)の創刊25周年・300号記念の会が催された。

 当日は、冷たい雨だったが、会場は来賓・門同人・会員の方々を含め、300人以上の賑やかな面々の集いとなった。

 鈴木鷹夫主宰の挨拶のあと、来賓の挨拶は有馬朗人、山崎ひさを、鍵和田袖(正しくは禾偏)子、宮坂静生各氏。乾杯は能村研三氏。

 折から、上野寛永寺の暮六つの鐘が鳴りい響いてきた。

 アトラクションは今風にいうマジック、江戸の「手妻」。手妻師は藤山新太郎氏、会場は驚きと溜息のこもごに包まれた。

 因みに今日の編集部、林編集長は仙台へ、柏原眠雨のグラビア撮影、そして、明日は鬼房俳句大会へ行くことになっている。

門25周年300号vol.2

門25周年300号vol.3

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2012年3月16日

長谷川櫂句集『古志・天球』・・・

高島屋

 今日の編集部は編集長が5月号セレクション結社の撮影と取材で「海」高橋悦男氏のところへ、

 また、スタッフ三東は、俳句界NOWで、檜紀代(遠矢主宰)氏のところへ撮影、取材に出かけている。

 愚生は例によって、昼を食したあと、ふらふらと、会社のある高田馬場・馬場口から早稲田方面に坂を下って、古本屋100円コーナーを物色。

 ありましたねえ、句集や歌集や詩集、また詩歌の評論集など、思わず手が出てしまいそうになりましたが、愚生がかつて生活費の足しに処分した塚本本まで(さすがに100円コーナーではないが、ひょっとしたら、2~3日すれば分りません、値付けなく、積み上げてありましたからね)。

 なかに長谷川櫂氏の『古志・天球』(花神社)もあった。

 今や天下の長谷川櫂句集がこれではあまりに気の毒と、100円を出して求めてきてしまいました。

 (すでに所蔵本もあるので、山ノ神の怒髪が目に浮かんだが・・・)。

 改めて言うまでもなくなく、初期の長谷川櫂氏の句はなかなかいいのです(懐かしいです)。

 この句集には、「夜の風鈴」と題した石田波郷論、「柿」と題した正教寺文暁の芭蕉もの『花屋日記』について記したエッセイも収録している。100円でのお得感は十分だ。

 一文と句を引いておこう。

  「俳人は無邪気にも俳句を自分の表現手段だと思っているが、俳句という生き物からみれば、俳  

 人のほうこそが表現の手段なのである。この生命体の幼虫は、個々の俳人に目を奪われるあま 

 り、俳句全体の姿を見失いがちな近代の俳句を再び反転させる力を秘めているはずだ」(柿)。

    春の水とは濡れてゐるみづのこと     櫂

櫂古志天球vol.1

夢座・上野vol.1203161

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2012年3月15日

奈良比佐子自註句集『忘れ潮』・・・

自註句集『忘れ潮』

 「あとがき」に「私のこれまでの五十年以上に及ぶ俳句との係わりの中では、幾多の波風もありました。その中で、忘れ湖の小魚を覗いたように心に残るいくつかに、その折りの心情を綴った小文を添えてみました」とある。

巻首の句文は、

   一裸灯濃霧の海へ向きゐたり        昭31

       十九歳、東海村の療養所で俳句を始め、「馬醉木」の篠田

        悌二郎をむかえての句会で天賞となり色紙を頂いた記念の句。

 とある。一方巻尾には、

   哲学書読みやる朱夏の看取妻          平23

        九十にあと半年で兄が逝った。最期までしっかりしていた

        兄に、愛読書を読んでやる兄嫁に感謝するばかり。

 この間の年月の節目、節目に約280句と小文が収められている。たしかに奈良比佐子の人生模様なのだが、そこには、夫の句も、子の句も、孫の句も、概ねは幸福な面影をとどめている。どこか心温まる風情なのである。もちろん「あとがき」に記されたように、波も風もあったにちがいない。でもそれは、わざわざ人様に語ることもない、と観念されているのだろう。そこに気品がある。

 そして、日常の一こま一こまが句と文にさりげなく浮かんでくるのである。

   蝌蚪の水はたちの感傷すでに去る         昭37

      早稲田俳句研究会へ入り、郊外へ吟行した折の句。ここで

      夫となる奈良文夫を知る。背が高いが口下手だった。

 のろけを聞いているようだが、それは二十歳の頃のことだ。いいではないか。次の句「母と子の無言のゆる枇杷を剥く   昭37」の小文も泣かせる。いちいち上げるのも芸が」ないので、是非、手にとって、本書を読んでいただくのがベストである。

 いずれも句と小文は見事に照応し、句のみからでは伺いしれない背景を知ることもできる。それも、この句集を読む楽しみだろう。

  もう一つだけ例を上げてみよう。

    わが町のメーデーの列すぐ尽きぬ      昭53

          大きな工場も団地もなく人口十万人台の市だった。メーデ

          -の歌もなく照れくさそうに目を逸らして去って行った。

  最期に句のみを上げておこう。

    つひに戦火爛れしやうな寒没日         平3

    スピード籤硬貨でけづり秋曇           平4

 毎月二千円以内で籤を買っておられるようだ。ご本人はけづることに快感と言われているが、これもささやかながら楽しみなことにちがいない。

   娘を託す若者すぐ酔ふ生ビール         平7

   パパママの次は何言ふ今年竹           平12

 どうやら、自分たちのことは「オーパ、オーマ」と呼ばせているらしい。勝手な?ものです。まだパパママしか言えないのに・・・。

   見ゆる日は見倦かぬものに雪の冨士       平19

   八月六日二十五万へ鳩放つ             平20

 なるほど、そうです。そうよ・・・と言いたい。感謝と祈りの姿が思われる。

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2012年3月13日

川嶋隆史句集『知音』・・・

句集『知音』

 『知音』は、川嶋隆史氏の『流速』『青山河』に次ぐ第3句集。自序には「傘寿の自祝というより、妻への鎮魂に位置づけたい」とある。前句集『青山河』の古稀の記念から10年の句業がおさめられている。

 跋は酒井弘司氏。句集名は、次の句から・・

    うぶすなの葡萄ひとつぶずつ知       隆史

 両隣の句に、

    祥月命日鷺草の花すべて発つ

    三回忌済みひぐらしの中にいる

    合掌のかたちは解かず秋の蝶

 が置かれているが、いずれも絶唱である。「三回忌」の句は、既出の、

    かなかなはかなかなかなかな妻の忌や

 に、照応しているが、中句「かなかなかなかな」はここに上手く表記できないのは残念だが、「かな」の文字が少しずつ小さくなっている。それは目に入る活字の大きさが小さくなるつれて、声を、遠ざかる声をも聴かせてくれる感じを伴うものである。下五「妻の忌や」におさまることで、なお心情がはかられるのである。

 そういう意味では『知音』一巻は、妻の鎮魂もさることながら、多くの肉親、師、知人、友人への永訣への思いの詰まった句集である。いくつかを抄出する。

   いもうとはもう痛くない合歓の花  (悼 妹・川西弘子)

   三十三才翔ぶ夭折の一羽毛 (悼 姪・岡知美)

   宙(そら)をとぶあまたの中の夏落葉 (悼 兄・川嶋仁志)

   挿してある鎌と遺品の麦藁帽 (悼 義姉・近藤スイ子)

   根の国の便りのように草雲雀 (悼 義姉・大竹キヨ子)

   天翔けよまなうらに棲む緋連雀 (悼 白井房雄)

   冬欅その上に父母待ち給う (悼 妹・岡美智子)

   あかあかと喜八浄土の帰り花 (悼 和知喜八先生)

 そして、東日本大震災では川嶋氏の生まれ故郷・福島いわき市は被災し、もともと社会詠もある作者には、ひとしお辛いものだったと推測できる。

   ふるさとに激震はしるさくら東風

   放射線とぶ日は呆と葱の花

   セシウムと風評揺るる豊の秋

 また、酒井弘司氏の跋文によると、故郷の歌人・天田愚庵の評伝も近く出版の用意をされているという。 

    解けぬ字の愚庵の遺偈冬の虹 

 愚庵は、幕末の武士にして、戊辰戦争を戦い、禅僧となり鉄眼とも号したという。清水次郎長の養子だったこともある人物。

 川嶋氏の愚庵評伝も楽しみだ。

    はらからの忌日つぎつぎ沙羅の花

    花筏妻が紛れておりぬかと

    ちちははと妻がゆらゆら酔芙蓉

    草の実はいそぎつつあり義民の碑

夢座・上野

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2012年3月12日

「夢座」300回記念句会・・・

夢座・上野vol.1203121 

夢座・上野vol.1203122 

 25年前、新宿紀伊国屋書店の地下のカレーショップ・ニュー永井のカウンターで始まった句会が「夢座」(代表・椎名陽子)句会である。

 あれから、毎月欠かすことなく四半世紀、月に一度、早仕舞いをした店のシャッターを半分下ろして、カウンターでの句会は続けられた。 

 趣味人も多く、そのうち「夢座」という雑誌も出すようにようになった。

 句座の仲間にデザイナーもいたので、おしゃれな装丁の同人誌は上の階の紀伊国屋書店にも並べられ、(紀伊国屋の役員らしき人も出入りしていた)店頭販売も・・・。

 句会はアルコール付き、さらに料理の得意な人はカウンターのなかでその腕前をふるった。

 そのうち、人数も増え、手狭になったのと、趣味から脱して、俳句とは何ぞや?という難しい課題に挑戦するようになって、会場を移して現在に至っている。

 愚生は4,5年前、「夢座」の招きで書家の上田みゆき氏とのコラボレーションで福井・越前和紙の里に一緒に行き、翌年は東京青山?でのコラボーレーションにも参加させていただいた。

  現在の同人誌「夢座」に寄稿し続けている江里昭彦氏も一緒だったように思う。

  その「夢座」300回記念句会が、昨日3月11日(日)、東京は明治公園そばの日本青年館ホテルで行われた。                                                        

 句会途中2時46分には全員で北の方角に頭を垂れて黙祷をした。 

 句会の最高点(4句選、並選1点、内一句は特選2点)は、絶品の挨拶句となった、三行多行表記を実践した師・大岡頌司からの唯一の継承者である酒巻英一郎氏の次の句だった。 

      夢の座に 

      花鳥を撒きて 

      遊ばしむ         英一郎

 最高点者には、天賞として若き陶芸家の小川土偶氏製作の「水滴」が賞品として手渡された。 第二位以下は普通の一行書きの俳句作品、以下に一人一句を上げておこう。

    かつてありし乳房のかたち春の雪       山根ひとみ 

    削除キー打ち菜の花畑にいる          渡邊樹音   

    うるう日や島の地形をゆるぎける       城名景林  

    黄沙降る世にたくさんの好きな人       山下つばさ 

    ここからは鉛筆画です夕桜           山本敏倖 

    ロバの耳ぱくりと傾ぎ春を踏む         森 英利  

    ぎりぎりを楽しんでいる蕾            鴨川らーら 

    大寒の一人夜更け手て白ココア       友納あけみ 

    寒の雨棺を塞ぐ釘の音              門田草介 

    退屈が山ほど生まれ水温む           杉本青三郎  

    悔い入ればまたさらわれる春の虹       市川恂々   

    嬉しくも寂しくもなくふたり            ささのさら    

    先生の話犬きてねそべって           渡部伸一郎  

    青き踏む肩を抱かれていたりけり        伊達甲女   

    被災者にこんな件で櫻咲く            照井三余   

    ハーモニカ忘れじ春の埃吸ひ          白銀畑二   

    藤房の軟着陸を眠りけり             佐藤榮市  

    曲曲と暗闇睨む座敷雛              金田 列   

    老残の診察券や春の虹             江良純雄 

    氷雨にも花弁膨らむ椿かな           森井緑朗  

    万物のふれあう桜咲きました          大井恒行 

 句会では選者に迎えられた江里昭彦、齋藤愼爾両氏の講評が行われた。

 句会の後の懇親会では来賓で駆けつけられた宗田安正、福田葉子、早瀬恵子、上田みゆき、北大路翼、筑紫磐井各氏などの挨拶があった。

夢座300回

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2012年3月 9日

「鬼瓦版」・・・

鬼瓦vol.1

 「鬼瓦版」は中嶋鬼谷氏の個人紙である。ご恵送いただいた。

 その記事中に「俳句界」3月号の池田澄子氏のエッセイ「あの日から一年」に触れられた部分がある。

 それは、三橋敏雄「今や有り余るプルト二ウム秋の暮」の句についてだが、池田澄子氏の「優れた芸術は未来を予兆すると言われるが、本当にそうなった時に初めて、成程そういうことであったかと意識するのである」を引いて、中嶋氏は至言だと述べ、その前段に「三橋敏雄は、この句において、日本という国が核兵器製造の可能性を秘めた国であり、その準備は疾うに完了していることを言っているのだ。日本は何基もの原発を可動させ、原爆の材料となるプルト二ウムを作り続け、すでに核兵器1250発分に相当する10トンのプルト二ウムを貯蔵しているといわれている。(中略)三橋敏雄は、核の平和利用の蔭にある原発の正体を見抜いていたのである」と記している。

 小生の印象では強面の印象がある中嶋氏だが、マブソン青眼の「花の上に花散る吾子よごめんなさい」の句に寄せて「原発事故の後、東京の水道水が汚染され、私自身、七歳、四歳、二歳の孫に、心の内で『ごめんなさい』とつぶやいていた」という件には、思わずホロリとした。続いて「大人たちが、日本という国をこんな事にしてしまった。その大人の一人に私もいる」とあったのは切ない。

井上伝蔵vol.1

 その中嶋鬼谷氏に10年ほど前、中嶋幸三著『井上伝蔵ー秩父事件と俳句』という一本がある。小生は本著によって井上伝蔵とは誰か、を知った。帯文には「暴徒にあらず、国事犯なり!」とあって、そうだ!と思ったのだった。国事犯とは、政治犯である。さらに帯には、秩父困民党関係の著書も多い井出孫六が「秩父事件の会計長井上伝蔵は 欠席裁判で死を宣告されながら、北海道に逃れ、柳蛙の名で数々の句を遺していた。秩父生まれ事件に浅からざる縁を持つ俳人中嶋鬼谷が、謎に包まれた伝蔵の境涯を、それらの句を通じて見事にとらえた渾身の作品だ」と賞揚しているが、まさに至言。

 少なからぬ縁とは、本著によると鬼谷氏祖父・中嶋多次郎こと太次郎である。官憲は「不和随行セシ輩」として「罰金二円五十銭」。しかし、これらを調べ上げた鬼谷氏は、「万余の参加者には万余の意思があった」と、暴徒にあらず、秩父自由党の公憤がそうさせたのだ、竹槍をつかみ農民軍として自らの意思をもって戦ったのだ、と思ったのだ。

井上伝蔵またの名を伊藤柳蛙。

    扱ひも行届(ゆきとどき)けり梅の宿     柳蛙 

    梅雨晴や手向けの水に立つ煙 

    思ひ出すこと皆悲し秋の暮 

 他にも、現在、鬼谷氏は、俳句誌「燐」に「鬼の系譜」と題して、様々な鬼について連載されている。

京都日販vol.3

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2012年3月 8日

4月号校正戻し・・・・

4月号校正戻しvol.1

 上の写真は、昨日「花冠」発行所・日吉に伺うために、初めて乗った横浜地下鉄、全車両が優先席だった(正しいあり方だよな・・)。 

 今日は、印刷所に校正ゲラを戻す日、朝から、編集部はひたすら校正に没頭した。

 これが済めば4月号の山は越すことになる。

 また、今朝ほど、昨日、インターネットTV収録に同行した「花冠」高橋信之、正子両氏からフェイスブックなるものにお誘いをいただいたので、よくはわからないけれど、エイ!ヤツ!とばかりに、フェイスブックに登録し、「お友だち」になったら、信之氏に連なるたくさんのお友だちが現れて、これも、知っている方々には片端から友だちボタンを押したら、どんどんリクエスト承認メールが入ってきて、恐れ多くも返事をするのかしら・・・とおどおどと考えている状態になった(あまりのスピードだったので・・・ビックリ?)。

 ともあれ、どのようなシステムになっているのか、成り行きを見守ってみることにしました(悪しからず)。

皆さん、よろしく、ご指導下さい!

4月号校正戻しvol.2

 

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2012年3月 7日

「花冠」ネットTV取材同行・・・

花冠vol.1

 本日は朝から小社インターネットテレビの取材同行で、「花冠」の高橋信之名誉主宰と高橋正子主宰の発行所にお邪魔した。

 小生はただのTV取材者のお供だから、その様子を見守っているだけ。

 ところが、取材を終えると昼食をということで、ワインを振舞われたり、限りなく下戸に近い愚生は、お供の立場も忘れて、高橋両氏との長い歓談にのめりこんで、ここには書けない俳句状況の認識や今後の俳句界のあり方などに話が及んでしまった。

 さらに、ほぼ30年前、高橋信之氏が松山に居られたころの若きやんちゃな弟子であった小西昭夫や東沙逍のことや彼らの発行していた「花綵列島」の話、「花冠」の前身「水煙」のことなどに及ぶと、攝津幸彦、坪内稔典、沢好摩、大本義幸など懐かしい思い出が尽きず、初めてお会いしたにも関わらずすっかり無中になってしまった。

 ともあれ、現在の「花冠」はインターネットのフェイスブック句会と月々の雑誌発行を両輪にしてすでに340号に達しているという。高橋信之氏は80歳ながら、インターネットの世界に踏み込まれたのは、1995年からというから、俳句の世界におけるネットへの参入の嚆矢の人である。

 現主宰の高橋正子氏も信之氏と同じく、これから日本が迎える超高齢化社会と情報化社会の融合について、とりわけ、高齢者、障害者、女性の参加、活動にインターネットによるコミュニケーションについて熱く語っておられた。

「花冠」が目指しているのは、「明るく 深い句」だそうである。

 また、外国との俳句交流のさきがけだったこともあり、「花冠」はユネスコの詩の部門に日本では初めてのサイトを設けて紹介されたそうである。信之氏は中国語、ロシア語、ドイツ語にも堪能らしい。それは、幼少時を中国で過ごされ、かつ終戦を大連で迎えて、当時のソ連軍の占領下に置かれたことによる。いわば、日本の戦後出発の苦難が横たわってもいたのだ。

 インタビューの模様は小社インターネットTVで、遅くとも、4月頃には放映されることと思われる。

下の写真は篠原梵の揮毫。高橋邸にあったものを写させていただいた。

 篠原梵は旧制松山高校時代、川本臥風(臼田亞浪門)に俳句指導を受けた。「扇風機止り醜き機械となれり 梵」があるが、臥風はまた信之氏の俳句の師でもあったのだ。

花冠 俳人協会50周年

花冠 俳人協会50周年vol.2

花冠 俳人協会50周年vol.3

 閑話休題・・・

 昨日は、俳人協会創立50周年記念式典、祝賀会が盛大に、東京新宿・京王プラザホテルで行われた。

めずらしく?小社社長・姜も出席した。

下の写真は、新人賞受賞・押野裕としなだしん氏。

花冠 俳人協会50周年vol.4

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 上の写真は左から村上護、宗田安正、中岡毅雄、黒田杏子、間村俊一、齋藤愼爾各氏。

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2012年3月 6日

4月号部決・・・

京都日販vol.1

本日は朝から日販、栗田出版と取次ぎ会社を回って4月号の搬入部数を決定した。

 因みに4月号の特集は「密教を詠む」「エロスを詠む」「大正100年

 忘れがたき珠玉の俳人たち」。佐高信甘口でコンニチハ!は 

 ねじめ正一」

 「おとなのエッセイは方言で伊那かつぺい・小嵐九八郎」「魅惑の俳人・右城暮石」などなど・・・ご期待下さい・・・

京都日販vol.2

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2012年3月 3日

詩歌梁山泊第2回シンポ「詩型の融合」・・・

詩客vol.1

  本日「詩歌梁山泊三詩型交流企画による第2回シンポジウムが、東京・神楽坂の日本出版クラブ会館で行なわれた。

 基調講演は藤井貞和氏(上の写真)。

 東京大学が原子力研究、原子力産業の推進に果たした力は大きく、その倫理の堕落と・・・・、といきなり、脱線気味だったが、詩人は、とりわけ、現代詩を書くというときに、「かた」「かたち」を考える。乳と血(ちとち)、かたち・・ここち、きもち、平仮名で表記すると、そのいずれにも(ち)が入っているなど・・

 震災以後の和合亮一の詩の仕事の成果に言及した。

 もちろん、俳人の具体的作品レジメには記されていた。

 講演の後半では、現代詩、短歌、俳句の違いを「定型詩か」「音数律か」「自由詩か」「口語詩か」「日本語か」とそれぞれに○×△を付して、いささか挑発的に論争が起きるきっかけを与えるような調子で語った。

 さらに、最近の吉本隆明の言説、岡井隆の原発推進の言説にも疑義を呈した。

詩客vol.2

 この基調を受けて、第二部では、司会は詩人の森川雅美に、パネラーに歌人の江田浩司、笹公人、俳人の筑紫磐井、対馬康子、藤井貞和を加えて、刺激的な論が交された。

 

 具体的に最近の藤井貞和の『東歌編ー異なる声 独吟千句』(カマル社扱い)の試みについても話が及んだ。

 これについては来る3月11日、藤井貞和と参加者が朗読を行い音は高橋悠治、港大尋14時から、スタジオイワオというところでやるという。

 これら、シンポジウムの成果については、たぶん「詩客」サイトでも引き続き検証されていくと思われる。

 シンポジウムのあとは、懇親会で熱心に続きに話が会場のあちこちで行なわれていた。

 途中の挨拶では、俳人からは高原耕治が「みんなは生き延びるための話ししかしない。ホントはそれでは生きていけない。滅びの話しもされなくてはならない」と熱く注文をつけていた。歌人からは髙柳重信の息女・髙柳蕗子氏など、参加者の多彩ぶりが印象に残った。

 ともあれ、詩人・歌人・俳人たちは、3.11以後の作品をどのように紡いでいくべきか、膂力を振り絞っているのだ。

詩客vol.3

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2012年3月 2日

4月号取り次ぎ回り・・・

新潟芭蕉最上川vol.1

 例月より、少し早めだが、来週の初めに小生の用事があって、早めだが、本日、トーハン、太洋社、大阪屋を搬入部数決定の交渉に回った。

少し早めとあって、書店での売れ行き(消化率)の最終数字の確定ではないものの、ここ数ヶ月の動向の推測で、とりあえず、小誌は堅調を維持、取次会社も、昨年震災以後の打撃を回復し、復興ブームに乗って部数を回復、さらに上乗せしていきたい意向もあって、小誌も前月に 

 続き、部数増となった。

 ものの本によると、関東大震災、近年の阪神淡路の復興景気、とりわけ、関東大震災はその後の新興時代を招来した。

 閑話休題・・・

 昨日の暖かさとは打って変って、寒い日の雨が朝から降っている。

 今日は吉田一穂の忌日でもある。

 吉田一穂は加藤郁乎の師であり、1898年北海道に生まれている。

 大正・昭和の少年文学や童謡作家、孤高の詩人には、かの有名な「母」の一節・・・

 ( )内はルビ。

 

   ああ麗しい距離(ディスタンス)

   常に遠のいていく風景・・・

 

   悲しみの彼方、母への

   捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。  

没したのは、1973(昭和48)年、3月2日、74歳の生涯がだった。

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2012年3月 1日

これって類句・・・・

雪だるまvol.02

 読者の方から、本誌昨年12月号特集「これって類句!?~類句判定します~」の反響はいかがですか、というお便りをいただいた。

 内容は涙ぐましくも、その方の入賞句が類句として、最近になって入賞取り消しの通知が来た、という経過を記したものだった。本人は、そのことよりも、それにまつわる思い出話を聞いてほしいというようなものだったから、安心した。

 もとより、この方が、最初から入賞を狙って、類句を作ったということではないことは分った。しかし、その元句となった俳人にはなみなみぬ思い入れと思い出が詰まっているのだった。

 秀逸に入賞した句は、

    水打って女将の貌となりにけり      英夫

 である。一方類句と指摘された元句は、

    水打つてそれより女将の貌となる     真砂女

 で、真砂女第六句集『都鳥』の昭和63年作の句とあるので、先行している句でもあり、入賞取り消しそのものは止むを得ないところだろう。

 俳句大会事務局の方も粋で、昨年10月の大会だったことから、随分月日も経っており、取り消しにしたものの、商品などの返却はしなくてもいいという通知を本人にしている(本年2月14日)。

 英夫氏は15年ほどまえに定年退職後に地元の小料理屋で開かれる句会に参加して、その縁で真砂女さんの「卯波」に行って、句集にサインをしてもらったり(それが宝だそうだ)、今度の類句問題も、小誌特集の加藤瑠璃子「・・大した句でなければ問題にならないと思う」を読んで、「問題になったのだから大した作品だったのかな~」と思ったり、嬉しいやら嬉しくないやらと複雑な心境なのだという。

 ともあれ、便りの最期には、「ボケ防止のために、俳句が駄目なら、川柳へ、それも駄目なら、七七付けて短歌はどうか、今後もめげずにチャレンジしていくつもり」と前向きである。

 そういわずに、俳句もまだまだ頑張って下さい。

 愚生などは、大昔「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」秋桜子に、「春菊のまとふはおのがひかりのみ」などと句会に出したり、「冬の波冬の波止場に来て帰す」加藤郁乎に、これはジョークだが、攝津幸彦は「冬の波春の波止場に来て帰す」の方がいいなどと嘯いていたこともあるくらい。

 5・7・5は余りに短く、人の考えることは、結構似ている。従って、類句、類想を免れるには相当の努力がいるし、万一類句だということが判明したら、それは先行作品を残せばいいだけである。先行句があれば、潔く句を捨てるだけのことだ。それでいいと思う。

そこに玄人と素人の別はない。

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