2012年5月のブログ記事

2012年5月31日

湯殿より人死にながら山を見る・・・・

 

花2つ

 今日の編集部は7月号の明日の入稿に向けてなかなか忙しい・・・

ところで、今日は昨日に続いて忌日の人。

1990(平成2)年の5月31日に亡くなった詩人吉岡実。享年71.

先日の加藤郁乎の告別式の帰路に、書肆山田鈴木一民氏と吉岡実のよく通った渋谷の駅前地下トップによってしばらく思い出を話したばかりだ。

氏もお酒は飲めなかった、という話から入った。氏の装丁はシンプルで気品があった。短歌も俳句も作った。

詩人であって句集も出されていた。本誌一昨年10月号の文人俳句特集にも掲載した。

タイトルの句「湯殿」は風呂のことであるが、清水哲男「増殖する歳時記」によると湯殿山のことでもあるという。

それは、北方舞踏派の公演を山形で見たおりの羽黒山参拝のときに作られた句らしい。

それには芭蕉「語られぬ湯殿に濡す袂かな」に挑戦した句であり、芭蕉句を凌駕していると記されている。

     春雨や人の言葉に嘘多き       実

     ゆく春やあまき切手の舌ざはり

     星とぶや橋ゆく人の影の上 

花2つvol.2

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2012年5月30日

井上光晴没後20年・・・

 

今日の花.jpg

 平成4年5月30日、「全身小説家」井上光晴の忌日である。

 没後20年。井上光晴は福岡県久留米市生まれ。佐世保市で育った。

 大腸癌で亡くなった。享年66。

 「全身小説家」は「ゆきゆきて神軍」の原一男監督の撮った井上光晴のドキュメント映画だ。

 「ゆきゆきて神軍」は皇居で天皇陛下に向かってパチンコを撃った奥崎謙三のドキュメント映画である。

 井上は、かの瀬戸内寂聴の出家仏門入りにも関係があったといわれている作家だ。

 戦後共産党を除名になっているが、埴谷雄高、谷川雁らとの交遊も有名だった。

 児童文学翻訳家の井上荒野(あれの)は、光晴の長女である。

 没後20年、どの文藝総合誌にも名が見当たらない。

 少し淋しい感じだ。

沖500号と花vol.4

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2012年5月29日

国際俳句交流協会第23回総会・・

国際俳句交流協会総会vol.1

 本日(29日・火)午前11時から、世界貿易センタービル内の浜松町東京會舘39階ゴールドルームで、第23回総会が行われ、同時に芳賀徹氏(写真上)「『もののあわれ』の系譜ー小さきものに輝くいのちー」の講演が行われた。

 総会議長は有馬朗人氏、議事は滞りなく進行し、講演には金子兜太氏も駆けつけられた。

 機関誌「HI」は隔月刊ながら100号を迎えた。懇親会も賑やかで盛会だった。

 本年秋11月24日(土)に、アルカディア市ヶ谷で俳句大会とラーシュ・ヴァリエ氏(駐日スウェーデン大使・俳人)の講演も行われる予定。

沖500号と花vol.5

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2012年5月29日

五島瑛己氏来社・・

五島瑛己・牧野十寸穂vol.1

 昨日、28日(月)昼頃、「海程」50周年記念祝賀会に出席された翌日、わざわざ小社編集部を訪ねてこられた。

現在、五島氏のお弟子さんの句集を作らせていただいているので、その打ち合わせも兼ねてということだった。

句集は小谷野三千世句集『紫のワルツ』である。打ち合わせは制作担当の室伏がお相手をして、小生は、金子兜太インターネットTVの立会いがあって、途中で失礼した。

 五島氏は歌手として数年前まで世界を歩き活動され、国内では、金子兜太、齊藤愼爾、攝津幸彦など俳人の句を唄われていた。

最近は静岡の地元で教室をひらいて「奥の細道を暗誦する」講座や俳句実作指導をされているとのこと。

写真の左は、ご一緒にお見えになったかつて「国文學」の編集人で俳句関係の特集をされた牧野十寸穂(ますほ)氏。

沖500号と花vol.6

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2012年5月28日

「沖」500号記念祝賀会・・・・・

 

沖500号と花

昨日27日(日)、東京・浅草ビューホテルに於いて、「沖」創刊500号記念大会、祝賀会が行われた。

「沖」は1970(昭和45)年に先代主宰の能村登四郎が、林翔とともに創刊し、11年前に現主宰の能村研三氏が継承し、現在「沖・ルネッサンス」を掲げて「伝統と新しさ」を追求している。

 主宰の挨拶では500号とは言いながら、内内の会と自讃されて、俳句総合誌関係者と、文字通り、「沖」とともに併走、歩まれてきた鈴木鷹夫、節子、今瀬剛一、森岡正作各氏など、アットホームな、しかし、今後の「沖」の俳句を築き上げようとする熱気に満ちた会であった。

 閉会の辞の上谷昌憲氏は、「これまでは沖も遺産、これからはその遺産を食い潰すのではなく、新たな遺産を築く、それには、いままでにない俳句、新たに出会う俳句を創る」と述べられた。

   沖をゆく500の船の行方寿ぐ    恒行

 今日の編集部の当日は「海程」50周年や「橘」祝賀会、秩父俳句大会など、行事が重なったので、それぞれが分担した。

沖500号と花vol.2

沖500号と花vol.3

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2012年5月25日

6月号発売・・・

6月号

本日は、本誌の書店発売日。

いつもの癖で昼食時に高田馬場駅前の芳林堂書店に足を延ばす。

1冊は棚ざし、あと一冊は面さし。合計2冊の入荷らしい。

定期で買われている読者の方が必ず一人はいらっしゃるようで、夕刻に行くと一冊になっている場合が多い。

小生が若い頃、芳林堂書店といえば、池袋西口の芳林書店のことだった。

単品管理の行き届いた店で、品揃えにも定評があった。

その本店は今はない。それでも、かつての本屋らしい伝統の筋を残しているのが芳林堂書店の棚だ。

詩歌の棚もこの坪数(500坪くらいだろうか?)の店としてはよく揃っている。

ともあれ、6月号の特集は「風狂の俳人たち」「現代俳句のフロンティア」、「名句集に名序文あり」などなど・・

おとなのエッセイ「嘘」は、大林宣彦、羽仁進、山本容子、宗田理、中上紀、東直子など多彩だ。

佐高信の甘口でコンニチハ!はクミコ。

手にとって見て下さい。

(定期購読者の方には、たぶんお手元に届いていることでしょう、有難うございます!)。

 

花と天道虫

 

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2012年5月24日

加藤郁乎告別式・・・

加藤郁乎告別式01

加藤郁乎告別式02

 

 昨日5月23日(水)午前10時より、東京品川区の桐ヶ谷斎場において、加藤郁乎氏の告別式が行われた。

氏は去る16日(月)午後1時19分心不全で亡くなった。享年83。喪主は妻・、通江(みちえ)氏。

 俳人・加藤紫舟を父に、早大卒業後、父の逝去で俳誌「黎明」を主宰。日本テレビに勤務。俳句・詩・評論を書く一方、江戸俳諧の考証、研究にも取り組んだ。吉田一穂・西脇順三郎に師事。1966年『形而上學』で室生犀星詩人賞、2005年随筆『市井風流』、11年句集『晩節』で山本健吉賞文学賞を受賞。弊社からは句集『實』を刊行。

    冬の波冬の波止場に来て            郁乎

    昼顔の見えるひるすぎぽるとがる

    春しぐれ一行の詩はどこで絶つか

 加藤郁乎は崇教真光の人でもあり、生前に氏の「手かざしの業」を受けられた方も多いだろう。

 従って、告別式は真光の三代教え主の岡田光央氏が奏上文を読み上げられた。岡田氏は第一回加藤郁乎賞を書家・手島泰六として『手島右卿伝』(てしまゆうけい伝)で受賞している。

 別れの言葉は愛知大学教授で郁乎句の翻訳書を出版されている伊藤勳、辻桃子の両氏。その他、歴代の郁乎賞受賞者の方々も参加されていた。

 花は生前の幅広い交流で政財界、俳優、俳人、詩人など多岐に及んだ。

 会葬お礼に次の句がしたためられていた。

    晩節と云ふは易けれ日を算ふ    郁山人

 

加藤郁乎告別式03

 帰路に、小社「俳句界評論賞」の選者でもあった筑紫磐井、仁平勝、書肆山田社長鈴木一民各氏と食事歓談、郁乎氏との交流の思い出話や武勇伝中の人であった郁乎伝説、加えて、現今の詩歌俳句のあれこれについて久しぶりに語りあった。

愚生はさらに午後に代休をとったので、夕刻には、渋谷の戸栗美術館の招待券をいただいていたので、開館25周年記念特別展「柿右衛門展」を観た。

 もっとも愚生に特別に焼き物・磁器の趣味があるわけではない。伊万里焼、とりわけ柿右衛門四代目の赤は現代的な鮮やかさであった。

 

   郁乎に献ず・・・

    落丁一騎斧一振りの別れかな          恒行   

 ブラシの木↓

加藤郁乎告別式04

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2012年5月22日

第12回山本健吉文学賞決定・・・・

 5月21日(月)、駿河台・山の上ホテル本館で第12回山本健吉文学賞の選考委員委員会が開催され、俳句部門、評論部門の授賞作が決定した。実行委員として、山本健吉息女・山本安見子委員も立ち会われた。

 贈賞式は、少し先になるが来春(2013年)の弊社創立10周年記念祝賀会・読者の集いにて行う予定(会場未定)。

 選考委員は俳句部門が金子兜太・黒田杏子。評論部門は大串章・宮坂静生。

第12回山本健吉文学賞

下の写真は左に金子兜太委員、右に黒田杏子委員。

第12回山本健吉賞vol.1

俳句部門 山陰石楠著 句集『天心』(金剛俳句会)

やまかげ・せきなん

大正12(1923)年11月、和歌山県高野山生まれ。本名・智也(ともや)。

昭和15年、ホトトギス同人・森白象により俳句入門。その後「山茶花」(田村木国)、「青玄」日野草城、「天狼」(山口誓子)、「若葉」(富安風生)を経て、平成17年俳誌「金剛」創刊。

句文集に『俳句曼荼羅』など、著書に『絵本高野山』『史書高野山』、など多数。句集に『山陰石楠全句集』など。平成元年より毎日新聞紀州俳壇選者。

img120522b.jpg

下の写真は左に大串章委員、右に宮坂静生委員。

第12回山本健吉賞vol.2

・評論部門 鈴木豊一著 『俳句編集ノート』(石榴舎)

すずき・とよかず

昭和11(1936)年9月、山梨県上野原市生まれ。
昭和35年、明治大学文学部卒業、角川書店入社。「俳句」「短歌」「月刊カドカワ」「俳句研究」編集担当のほか、『図説俳句大歳時記』『現代俳句大系』『山本健吉俳句読本』『飯田蛇笏集成』『飯田龍太全集』『角川俳句大歳時記』『鑑賞女性俳句の世界』などの企画、編集に携わる。
平成22年角川学芸出版を退社。

俳句編集ノートvol.1

下の写真手前は立会いの山本安見子実行委員。

第12回山本健吉賞vol.3

花と天道虫vol.1

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2012年5月21日

「阿夫利嶺」15周年記念祝賀会・・

阿夫利嶺15周年vol.1

 5月20日(日)、小田急ホテルセンチュリー相模大野で、「阿夫利嶺」(主宰・山本つぼみ)の15周年記念俳句大会と祝賀会が開催された。

大塚和光氏の開会の言葉に続いて、実行委員長の神山宏氏の挨拶。

祝辞は山本一歩、平柳草子、森田緑郎、大和靖宏各氏のあと乾杯の音頭は梶原美邦氏。

「阿夫利嶺」の師系は日野草城に八幡城太郎。

「俳壇抄」38号をみたら、山本つぼみ氏が引用された句に、

   たまさかに雨ふり夜に雨ひかる   浩文

があったので、草城系ときいて「浩文」とは、中川浩文のことですか、とつぼみ氏に尋ねた。

そうだ、と仰ったので、愚生は二十歳のころ京都にいて、京都学生俳句会のあつまりで100人近くのなかで、愚生の句は、誰もとってくれなかったが、選者としてこられていた中川浩文先生にのみただ一人、特選にとってもらい、先生の短冊をもらったことがあることをお話しした。

40年以上以前ことだ。

ちなみに愚生の左側には松尾隆信、右には島谷征良、西山睦各氏。別のテーブルにいらっしゃった飯村寿美子氏にはわざわざご挨拶をいただいた。恐縮・・・。

写真は影絵のパフォーマンス。

阿夫利嶺15周年vol.2

阿夫利嶺15周年vol.3

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2012年5月21日

「犀」30周年記念祝賀会・・・

犀30周年vol.1

 5月19日(土)、「犀」(代表・桑原三郎)の創刊30周年記念祝賀会が、アルカディア市ヶ谷で行なわれた。

 かつて赤尾兜子主宰「渦」での兜子急逝ののち、同人誌として創刊されてから30年が経過し、かつての「渦」連なる俳人や同人が集った。

 開会の辞は岡田一夫氏。司会は金子弓湖氏。

 来賓の祝辞は和田悟朗氏、乾杯を高橋龍氏が行なった。その他、池田澄子、柿本多映、星野光二、山﨑十生、三森鉄治、今坂柳二各氏。

 実は愚生も20歳の頃、「渦」会員でったことがあるので、誌上では40年前から友人だったという方々(西村智治、寿賀義春各氏)とも、今回尊顔を拝すことができた。

 初期の同人には秦夕美、柿本多映、藤原月彦(現・龍一郎)三森鉄治各氏の錚々たる名が「犀」181号記念号には見受けられた。

 また、小社から句集を上梓されている谷古宇久子、和田うた江、高木智恵子各氏の名もあった。

 上の写真は向かって左より星野光二、和田悟朗、桑原三郎、澤好摩、山﨑十生各氏。

犀30周年vol.5

犀30周年vol.3

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2012年5月18日

『佐高信の読書日記』・・・

佐高本vol.1

 昼頃、一転し黒雲に覆われ雷雨となったが、今は青空である。

 まだ風だけは強く吹いている。

 例によって、昼をさっさと済ませて、馬場口を早稲田方面に下った。

 ある古本屋の百円コーナー、『佐高信の読書日記』に目が止まった。

 社会思想社の教養文庫から出ていた本である。

 佐高信は言わずと知れた本誌「甘口でコンニチハ!」の主人である。

 自ら「改めてこの本が私の原点となっていると思った」とある。

 教養文庫には数々の思い出がある。

 廃業してしていまは出ていない本なので値が高くなっている本も多い。

 『戦後の俳句』『戦後の短歌』『日本の映画』や『芭蕉名句』『現代詩を求めて』など、

 けっこう世話になったことは覚えている(中味はすべて忘却・・)。 

 『読書日記』の最初の部分に、カバンの中に弁当のほかにいつも三、四冊の本が入っていて(種類が違う)、そのなかに山本健吉『現代俳句』や近藤芳美『無名者の歌』、真壁仁『旅の随想集』が座右の書としてあるという件のあとに、中井英夫『黒衣の短歌史』は確実に四度は読み返し頬擦りしたい愛着の書であると、あった。

 潮新書で出ていたこの本は、中井英夫存命中にワイズ出版から『増補 黒衣の短歌史』として出版された。そのときに、愚生は、今の若い人たちにはよく分らないことがあるだろうと、その本の下段部分に配することになった注の項目のほとんどを手伝って書いたのだった(懐かしい思い出だ)。

 また『読書日記』の「あとがき」に『出版ニュース』編集長・清田義昭氏の手によって、この本が出ることになったと記されてあり、その清田氏にも愚生の若い自分に、いくつかの場面でお世話になっている。

もともとが、佐高氏に直接お会いした最初は、過労死110番の川人博弁護士の事務所開きのときである。

佐高氏はもちろん覚えておられないだろうが、当時はまだ愚生は地域ユニオンの活動をしていて、愚生の労組が刑事弾圧を受けたときの弁護団のうちの一人が川人弁護士だった。まだ弁護士になって日も浅い駆け出しの頃、一緒に行動的し、随分と世話になった。あれから30年が経過している。

 「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」・・・とはいえ、必敗とわかっていても戦わなければならない場合もある。

 花に嵐のたとえもあるが、世の中、なかなかうまくはいかない。嗚呼・・・

佐高本vol.2

 

   赤い十字架 ぎな残るがふのよかと       恒行

             (運のいい奴が生き残る)

 

赤い十字架vol.1

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2012年5月17日

褒めるほうが楽?・・・

五月の花vol.6

 今日の編集部は、編集長とスタッフ松本は、8月号のための辺見庸氏のインタビューに朝から出かけている。

 とりわけ3.11以後の彼の発言は重く、深い。自らの全存在を賭けて、するどく発言されている。

 それは、最近の大道寺将司全句集『棺一基』の長文の序、跋にもうかがわれる。

道の花上野ほかvol.4

ともあれ、今日は、編集部に送られてきた「円錐」第53号・編集後記の今泉康弘氏の記事に触れたい。

 氏は、名画座でよく映画を見るのだが、最近は始終菓子を食べたりうるさい音を立て続ける者が増えて、以前は、そうした人に「うるさい!静かにしろ!」と叱る人がいたが、いまは叱る人もなく、傍若無人な行為が増えたと歎いた後、「俳句について言えば、俳句総合誌の作品がつまらいのは、『つまらないぞ!』とハッキリ言わず、ほめ合いに終始しているからだろう。真剣に批判するのはシンドイ。とにかく褒める方が楽だ。そのことを最近になって身にしみて知った」とある。

 氏は現在、本誌「新作巻頭3句鑑賞」を連載していただいている。氏が映画好きと言っているくらいだから、映画のこともよく出てくる。精一杯の批評を試みていることも文中から伝わってくる。確かに辛口な部分もあるが、それは、氏が日常的な感懐に句の表現レベルを流してしまわないで、俳句形式がつちかってきた表現史のなかで、一句がどのように置かれているかを常に念頭に置いているからだろう。

 3月号現代俳句協会特集の鑑賞では、金子兜太、宇多喜代子作品にもよく切り込んでいる(6月号・5月25日発売予定)。

 それでも、本誌・第12回俳句界評論賞授賞の期待される若き批評家として、根底には俳句に対する並々ならぬ愛情をもって、切り込んでいるので、気持ちが良い。

 まして、俳句の読みが間違っていて、的外れになっているわけではないし、むしろ一句の的に向かって引き絞られている、といえよう。

 それが氏に「真剣に批判するのはシンドイ」という言葉をもたらしたのかも知れない、などと、思ってしまった。

 氏は、自らも俳句を書くので、なおさら、自身に刺さる矢として感じているのだろう。

 しかし、本誌のこの連載はなかなか好評なのである。

 その「円錐」には「エリカはめざむ」という渡邊白泉論が連載されおり、厳密な調査と遺族の方々への取材をふくめて、白泉の戦後、亡くなるまでの沼津時代をよく描出していたが、11回目の今回でひとまず終了、機会があれば戦前の白泉も書きたいという意思があるようだ。

 さいごに「褒めるほうが楽だ」とあったが、褒めるのもこれまたなかなかシンドイものだ、というのは、も少し年齢を加えてからであろうか。

 何時の時代も、「物いへば唇寒し秋の風 芭蕉」なのだ。この句には、実は前書が付いている。

 それは「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」。

 元は中国の文らしい。「唇寒し」は「唇亡びて歯寒し」(「春秋左伝)によるとか。

小金井道の花vol.3

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2012年5月16日

透谷忌・・・

小金井道の花vol.4

 今日は、詩人にして評論家、作家でもあった北村透谷の亡くなった日だ。

 本名は門太郎。数奇屋橋に住んだので、もじってペンネーム「透谷(すきや)」が元になったらしい。

 ともあれ、北村透谷は1894年に自殺、25歳4ヶ月だった。

 みどりご

 ゆたかにねむるみどりごは、
      うきよの外(そと)の夢を見て、
 母のひざをば極樂の、
      たまのうてなと思ふらむ。
 ひろき世界も世の人の、
      心の中(うち)にはいとせまし。
 ねむれみどりごいつまでも、
      刺なくひろきひざの上に。

 書簡の句に、

    のぼる日も入る日も尽きぬ千松島        門太郎

 

小金井道の花vol.5

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2012年5月15日

企画会議・・・

小金井道の花vol.6

 編集長出張の合間をぬって、今日は9月号の企画会議を午後から行った。

 編集長がそれらをうまく取りまとめて企画書にして、九州本社の社長に提出する。

 そのままオーケーが出れば、それで万々歳だが、だいたいはそうは問屋が卸さないのである。

 多くは社長からの注文がつく。

 そうすると、再度練り直して提出ということになるのだ。

 さらに、どれを第一特集するか、第二特集にするかなどやりとりが続く。

 世代論はあまり意味がないとは思うが、それぞれに歩んできた人生の表情が出る。

 社長の世代と愚生の世代、編集長の世代、さらにはスタッフの世代、俳句の読みも違う場合がある。

 企画の執筆依頼のための人選も、候補に上げる人が違うのも当然だ。

 もちろん最終的には、社長の判断がものを言う。

 ともあれ、こうしたあれやこれやをクリヤーして、編集長は明日の宮坂静生氏グラビア撮影のご自宅に伺うために前日入りで、さきほど社を出た。

 スタッフ三東は日本文藝家協会の総会・懇親会の取材に出かけた。

小金井道の花vol.7

 

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2012年5月14日

折丁(おりちょう)・・・

小金井道の花vol.9

 本日朝は、6月号の折丁の校正をした。折丁というのは、本を製本するために印刷された紙をページ順になるように折ったもので、一般的には16ページごと、もしくは32ページ折りになっている(折本)。

   これが終わると文字通り校了になって、あとは印刷製本がされて来るまで待っていることになる。

 編集長はセレクション結社で泉田秋硯氏のところへ(関西)。スタッフ三東は深見けん二氏のグラビア撮影に同行している。

 さて、今日は斎藤茂吉生誕130年、誕生日だそうである。

  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり  茂吉

  あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

小金井道の花vol.8

 

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2012年5月12日

河野裕子『うたの歳時記』・・・

小金井道の花vol.1

 小社編集部には俳句関係の雑誌や書物は、とめどなく送られてくるが、短歌や詩の関係はほとんどない。

 山本健吉文学賞も俳句部門に限られてしまっているせいかも知れない。

 ただ、その中にあって永田和宏氏には、ことごとくご恵送いただいている。

 つい先日も河野裕子『うたの歳時記』(白水社)を送っていただいた。ありがたいことだ。

 本著は「NHK歌壇」「NHK短歌」に二年間ずつ合計4年間連載されたものが収められている。例句はともかく、例歌は文字通り現代短歌が多く引用されており、門外漢にとっては、 短歌の現在を知ることができる好著に思える(しかも、末尾には、必ず河野裕子の一首とともに解説のような小文が付されている)。

 永田和宏氏の解説によると、2000年9月に河野裕子に乳癌が見つかり、10月には手術をし、それでも収録を休むことなく、息子の永田淳氏の押す車椅子で新幹線に乗り東京駅に着き、その日の収録でも外目には元気一杯で、「外に出れば己を全開にする」河野裕子の本領が発揮され、誰も手術後の身体だったとは気付かれなかったようだ。 

次の歌は河野裕子第一歌集『森のやうに獣のやうに』から、

  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

 この歌集の選歌構成をしたのが永田和宏だった。歌集冒頭に置かれた歌は、

  逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと

青春真っ只中、17歳から23歳の歌を収めている。

 その永田和宏氏の連載「河野裕子と私ー歌と闘病の十年ー」(「波」・新潮社)も5月号で最終回を迎えた。毎回胸が熱くなる連載だった。

 相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか      和宏

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が  裕子

 さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

小金井道の花vol.2

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2012年5月11日

しゅん・・・

何の花?.jpg

 旬の味といえば、魚、野菜、果物などのよくとれて、いちばん味のよいときのこと。

 いまでは一年中出回っているマグロ、サバやトマト、胡瓜、苺、バナナなどにもちゃんと旬がある。

 旬というのは、辞書によると、古代、朝廷で行われた年中行事のひとつで、毎月一旬10日ごとの初日、つまり1日、11日、21日、および16日に行われた旬政、旬儀、旬宴の略らしい。

 いずれにしても旬は10日、美味なものを味わうもっともいい時季もその程度の期間しかない、ということだろう。短いのだ。

 愚生はグルメでもなく、またとっくに人生の旬もすぎて、目は霞むし、肩こりはするし、たまに頭痛もし、持病の薬も切れてしまっていたので、いつもの病院に行ってきたが、何ともない。

  血圧が高めなくらいと、あご下のリンパ腺がすこしはれているくらい・・風邪でしょう、と風邪薬といつもの持病のための薬をもらってきたのみ。

 愚生の持病は手術でしか治らないのが三つ(今のところ、日常生活に不都合な自覚症状は実に軽微、一つは普段は自覚症状なし)。山の神には、体力がもっと減退し、ヨボヨボになるまえに手術をしろと、しつこく言われているが、これで何十年と過ごしてきたのだから・・と、その関係の言はひたすら聞こえないことにしている(耳も少し遠いし・・)。

 従って、体調が下降気味のときでも、山の神だけには気づかれないように過ごしているのだが、つい油断して、横になっていようものなら、感づかれてしまう。

 「あんた、死ぬのは恐いんでしょ、病院に行って診てもらいないさいよ!」と言われる始末なのだが、それ以上に病院でキチンと病名がついて、それが、どうにもならない病だったりするほうが、もっと恐い。しかも、体にメスを入れるのはいやだ(嗚呼・・)。

 結果的に何も知らされないでぐずぐず過ごしていければ天国・・という能天気な生活こそが望ましい凡夫なのである。

 仕事とは関係のないことをぐだぐだ書いてしまったが、苺は今が旬らしい。

     乳鉢の紅すり潰す苺かな       碧梧桐

 今日の編集部は昨日印刷所に6月号の校正戻しをしたので、ちょっと余裕の週末を迎えている。

五月の花vol.4

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2012年5月10日

校正戻し・・・

副都心線と花vol.1

 今日は、6月号・印刷所校正戻しの日だ。

 従って、編集長以下、昨日から、ひたすらゲラを校正している。

 編集長は校正の戻しを確認してから、本日中に夜、奈良入りを予定、明日の有山八洲彦氏取材のためである。

 6月号(5月25日発売予定)のメイン特集は「風狂の俳人たち」、現代俳句にとって風狂とは?

 ほかに「現代俳句のフロンティア」「名句集に名序文あり」「第14回俳句界評論賞掲載」等など。

 また、好評の連載もある。

 下の写真は安藤忠雄デザインの地下鉄副都心線渋谷駅。

副都心線と花vol.2

副都心線と花vol.3

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2012年5月 9日

賓礼の文学・・・・

俳句編集ノートvol.1

 

   鈴木豊一著『俳句編集ノート』の「あとがき」は

 
   俳句には、他者への礼をつくす「賓礼の文学」の側面がある。俳人をはじめ、出会い   
  に恵まれた人々への感謝の気持を深くするばかりである。

 と、結ばれている。本著は「一会の余慶」、「追憶の俳人」「時評の一束」「『俳句』編集後記」の四章からなる。
 愚生にとって一番興味深く面白かったのは第一章の「一会の余慶」に収められた司馬遼太郎、松本清張、藤沢周平、檀一雄、井伏鱒二、永井龍男、山瞳、戸板康二などとの交遊、エピソ--ドであった。
 もちろん、第二章の「追憶の俳人」の中村汀女、石川桂郎、秋元不死男なども面白く読んだ。
 例えば、井伏鱒二の「春の夜や」では、角川源義追悼特集の巻頭を飾った追悼文をもらいに飯田龍太と福田甲子雄と源義通夜の日に井伏邸を訪ね、飯田龍太の口添えで追悼文は快諾されたが、上機嫌の酒肴の席をひとり中座しようとしたら「そういうつきあいなら、原稿のことはなかったことにしよう」といわれ、全身から血の気が引く思いをしたことが綴れている(その折りは手洗いからもどられた井伏鱒二に龍太と共に重ねてお願いをし、酒宴は日を変えて続けられた、という)。
 
 そういえば、少し前までは、原稿をお願いするにしても、選考委員をお願いするにしても、直接お会いしてお願いしていたのだ、ということに気付いた。
 今では、ほとんどが電話のやりとり、メール、果てはFAXで、連載であっても、ついに顔すら合わせないで終わることだってまれではない。
 編集者にとってはなかなかやっかいな時代だったと思うが、またそれが、数々のエピーソードを生み、数々の企画となって誌面に反映されていたのだ、と思う。
 
 先日、一読者からと、このブログに寺田寅彦の一文を付してコメントして下さった方がいる。手元の叢書を調べたら「俳句の精神とその修得の反応」の一節だった。少し長くなるが引用する。
 
   俳句というものの修行が、決して花がるたや麻雀の如き遊戯ではなくてより重大な 
 精神的意義をもつものであるということが朧気ながらも分かってくる。(中略)
  俳句を修業することは日本人らしい日本人になる為に、必要でないまでも最も有効な   教程であり方法である。これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも過言では   ないことはこの言葉の意味を深く玩味される読者には自ずから明らかであろうと思われ
  る。 
 こういう意味で自分は俳句の亡びない限り日本は亡びないと思うものである。
 
こうした投稿にも慰められることがあるのである。
 
 
俳句編集ノートvol.2
 
 話を『編集ノート』に戻すと、鈴木豊一が角川書店に入社したのは略歴によると昭和35年、その折、源義社長から、面接で「好きな俳人は誰か」と尋ねられている。「飯田龍太です」と即答したという。さらに「俳句」の編集を希望したというから、確信犯みたいなものだ。
それでも、「俳句」の編集に携わることになるのは入社後14年のことだった。
 因みに『飯田龍太全集』が出た平成17年は、源義没後30年、角川書店創業60年の節目の年だった。鈴木豊一の抱いた志のなせる業だったといえよう。
 これは愚生の勝手な想像だが、本書の発行所の「石榴舎(せきりゅうしゃ)」は、龍太の次の一句からであろう。
 
    刻々と緋を溜めてゐる柘榴の実       龍太
五月の花vol.5
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2012年5月 8日

6月号部決〜校正・・・

 
 RIMG1058.jpg
 
本日は6月号の刷り部数を決める日だ。
編集長林は、その後スエーデン大使館に取材に出かけた。
明日朝は三東が同所に伺う予定。
部決のあとは6月号のひたすらゲラ校正の時が流れる。

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2012年5月 7日

取次ぎ会社部数交渉・・・

五月の花vol.1

 今日と明日は6月号の取次ぎ会社への搬入部数交渉である。

 先々月あたりから、本誌「俳句界」は、各取次ぎの搬入部数が過去最高を更新しているので、売上率がそのまま維持できれば、いうことはないのだが、そうそう楽観はできない。売り上げ率が維持されないと、すぐにでも部数は落とされる。今日のところはお蔭で順調にきている。

 出版業界では、もう随分前から雑誌の時代は終ったといわれており、全体の部数は下がる一方なのである。だからというわけではないが、そのような情勢のなかで、部数は桁が違うとはいえ、本誌「俳句界」が曲がりなりにも部数を伸ばしてきているのはなみたいていではないことがわかる。

 つい先日の新聞記事によっても、出版元のドル箱といわれたコミック誌ですら、講談社のヤングマガジンが赤字になり、同社で黒字なのは「少年マガジン」一誌のみになったという。いまや母体の雑誌が赤字でかろうじて単行本化したコミックスで収益をあげているという実態だそうである。

 足下をみても、いまや大書店以外は文芸誌の棚すらないのが現状だ。ましてや俳句関係の雑誌は置いてないところも多い。いや、かなりの坪数の書店にしても文芸誌の棚が無い店もある。嗚呼・・・いまやどこまでもマイナーなのだ。

五月の花vol.2

五月の花vol.3

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2012年5月 4日

くらやみ祭・・・

くらやみ祭

くらやみ祭vol.2

くらやみ祭vol.3

 今日の編集部は、とりあえず五月の連休は暦通りの休みをとって、それぞれに過しているはずである。

 愚老は、夕方から、府中図書館に散歩がてらに行き、府中住まいの文化人の著作のコーナーなかに坂口昌弘氏を発見した。鍵和田ゆう(禾偏に由)子氏は毎月の結社誌まで全部揃ってあった。

 図書館を出て、府中駅方面に足を伸ばしたら、偶然に大國魂神社のくらやみ祭の山車行列に行き当たった。明日5日の夜の神輿渡御(みこしとぎょ)で、くらやみ祭は最大の盛り上がり、見所を迎えるらしい。

  くらやみ祭山車行列の笛に酔う          恒行

  残念ながら、愚老は明日、某句会で午後からは府中にはいない、見るのは諦めた。

 散歩の途中、二重虹(写真ではよくわかりませんが)にあった(もちろん、すこし雨にも降られた)。

 

くらやみ祭vol.4

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2012年5月 2日

中山くに子『祭太鼓』・・・

祭太鼓

 句集名は次の一句から、

    港町祭太鼓の踊り打ち      くに子

 著者は石巻に住まわれているので、当然3.11にも被災されている。序文は柏原眠雨。その後半に「くに子俳句は総じて晴れやかで健康的である。色は白が多く詠まれており、植物の季語には明るい花がよく出てくる。(中略)教員生活を終えられてからは、(中略)社会的な活躍ぶりも目覚しい。この後も息災に過ごされ、津波禍の悪夢に打ち勝ち、ご主人ご逝去の悲しみを越えて、新たな生活を逞しく送られるよう、心より祈ってやまない」と結ばれている。

 多趣味の方のようだ。巻頭に載せられている六葉の写真はご自身の撮影のもの。

句にもそれらしいのがある。

    姫神山(ひめかみ)を撮る冬空の青を背に

    カメラ背に木道を行く夏帽子

また、日本舞踊も練達の人。

    舞ひ納め舞台を研く年の暮

 句集を出したいと決意された心根には、津波で大規模半壊した家から、コピーしていた句稿が、海水に浸かりながらも、奇跡的に手元に残ったこと、さらには、体調を崩した夫君が逝去されるなど、多くのものを失くされて、なお再起へと踏ん切りをつけようとする志すらうかがえる。それが「総じて晴れやか」に通底しているエネルギーなのかも知れない。

    浸水の二階の窓に春の雪

   津波去りし海黒々と大花火

   長き夜や言葉少なく夫看取る

ともあれ、以下の句などには、小生好みの趣も感じられて、しみじみとするのである。

    松島の松にさし込む春日かげ

    新入生意気揚々の定期券

    秋雨の降り始めたる仕舞風呂

    煤払ふ子の背に見る夫の影

    竹刀振る足裏白し初稽古

    立ち籠むる雲を染めたり遠花火

花水木.jpg

蛮と花vol.2

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2012年5月 1日

植田郁一句集『暁闇』・・・

植田句集vol.1

 金子兜太の序文は、『今日の俳句』(光文社・カッパブックス、昭和40年9月発行、290円)からの評文を掲載したと句集「あとがき」にあるが、それは、その本の90ページから91ページにかけてのものだ(小生もかつて、バイブルのようにしてこの本を読んだ。いまは表紙もなくなって、茶色く変色しているが)。

 植田郁一には振り仮名が付してあるが、その前段には、次のように記されたあとに、本句集の序文相当の評文があるのだ。煩をいとわず引用すると「かくて、昭和後期・敗戦後になると、題材の幅はさらに広がる。すべてが社会的な題材だが、それを、いくつかの型に分けて、その模様をスケッチしてみる」。

   沖の一船全長明確に僕の一票    植田郁一(うえだいくいち)

 植田郁一は昭和6年、茨城県日立市生まれ。昭和22年には植田万象子「いはらき」「萬象」で俳句をかきはじめ、24年には西村白雲郷「未完」創刊に参加し、終刊まで。それを引き継いだ稲葉直「未完現実」同人。阿部完市も同誌同人だった。昭和37年に「海程」に参加している。

安西篤の丁寧な跋文(-光を求めてー)によると、著者の境涯を抜きには著者の俳句を語ることはできないところもある、という。

   なにも撃たず無用の杖を振る青年

   暁闇農夫牛馬覚まさず田を覚ましに

   寒灯に棺ひとつが父の財産

   送る人無く父の棺が吹雪きへ発つ

   生まれて来なければよかった妹よ灯の虫よ

   鼬消えた家族も消えた判決に

 妻子とも離れ離れになった。

   氷柱太る一家離散の鳩小屋に

   ゴキブリに死んだふりまで教えらる

   学徒出陣撃たるるなと父撃つなと母

   戦えない子を征かせ寒夜に母残る

   蛍を見たら抱いて下さい母上

   沖縄忌のない沖縄はどこにもない

   兜太を与太と与太を兜太と秩父ばやし

   蛇曲がる私少し行ってから曲がる

3.11以後の作と思われるのは次の句だ。

   核の汚染は濁る氷河となり動かず

ともあれ、多くの俳句の友を見送ってきて、当然ながら本句集にも実に多くの追悼句が収められている。例えば、小生の思い出もある稲葉直には、

   震え堪えているカタクリを見ごろとは

 阿部完市には、

   在りしころ北陸道を雨水のころ

また、村松彩石、

  灯籠揺れ灯に抱かれては放たれては  

 ともあれ、著者80歳を過ぎての第一句集は「海程」50周年を記念すべき句集の一本にはちがいない。

蛮と花vol.1

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