2012年5月 9日

賓礼の文学・・・・

俳句編集ノートvol.1

 

   鈴木豊一著『俳句編集ノート』の「あとがき」は

 
   俳句には、他者への礼をつくす「賓礼の文学」の側面がある。俳人をはじめ、出会い   
  に恵まれた人々への感謝の気持を深くするばかりである。

 と、結ばれている。本著は「一会の余慶」、「追憶の俳人」「時評の一束」「『俳句』編集後記」の四章からなる。
 愚生にとって一番興味深く面白かったのは第一章の「一会の余慶」に収められた司馬遼太郎、松本清張、藤沢周平、檀一雄、井伏鱒二、永井龍男、山瞳、戸板康二などとの交遊、エピソ--ドであった。
 もちろん、第二章の「追憶の俳人」の中村汀女、石川桂郎、秋元不死男なども面白く読んだ。
 例えば、井伏鱒二の「春の夜や」では、角川源義追悼特集の巻頭を飾った追悼文をもらいに飯田龍太と福田甲子雄と源義通夜の日に井伏邸を訪ね、飯田龍太の口添えで追悼文は快諾されたが、上機嫌の酒肴の席をひとり中座しようとしたら「そういうつきあいなら、原稿のことはなかったことにしよう」といわれ、全身から血の気が引く思いをしたことが綴れている(その折りは手洗いからもどられた井伏鱒二に龍太と共に重ねてお願いをし、酒宴は日を変えて続けられた、という)。
 
 そういえば、少し前までは、原稿をお願いするにしても、選考委員をお願いするにしても、直接お会いしてお願いしていたのだ、ということに気付いた。
 今では、ほとんどが電話のやりとり、メール、果てはFAXで、連載であっても、ついに顔すら合わせないで終わることだってまれではない。
 編集者にとってはなかなかやっかいな時代だったと思うが、またそれが、数々のエピーソードを生み、数々の企画となって誌面に反映されていたのだ、と思う。
 
 先日、一読者からと、このブログに寺田寅彦の一文を付してコメントして下さった方がいる。手元の叢書を調べたら「俳句の精神とその修得の反応」の一節だった。少し長くなるが引用する。
 
   俳句というものの修行が、決して花がるたや麻雀の如き遊戯ではなくてより重大な 
 精神的意義をもつものであるということが朧気ながらも分かってくる。(中略)
  俳句を修業することは日本人らしい日本人になる為に、必要でないまでも最も有効な   教程であり方法である。これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも過言では   ないことはこの言葉の意味を深く玩味される読者には自ずから明らかであろうと思われ
  る。 
 こういう意味で自分は俳句の亡びない限り日本は亡びないと思うものである。
 
こうした投稿にも慰められることがあるのである。
 
 
俳句編集ノートvol.2
 
 話を『編集ノート』に戻すと、鈴木豊一が角川書店に入社したのは略歴によると昭和35年、その折、源義社長から、面接で「好きな俳人は誰か」と尋ねられている。「飯田龍太です」と即答したという。さらに「俳句」の編集を希望したというから、確信犯みたいなものだ。
それでも、「俳句」の編集に携わることになるのは入社後14年のことだった。
 因みに『飯田龍太全集』が出た平成17年は、源義没後30年、角川書店創業60年の節目の年だった。鈴木豊一の抱いた志のなせる業だったといえよう。
 これは愚生の勝手な想像だが、本書の発行所の「石榴舎(せきりゅうしゃ)」は、龍太の次の一句からであろう。
 
    刻々と緋を溜めてゐる柘榴の実       龍太
五月の花vol.5
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