2012年6月20日

澤井洋子『白鳥』・・・

白鳥vol.1

 句集名は、澤井我来の序句(句集には色紙の写真入り)、と洋子氏の句、

    白鳥の翼の内は熱からん        我来

    白鳥の旋回の視野吾のゐて       洋子

から、名付けられている。我来の句、白鳥の翼の内が熱いとは、秘めたるものの心魂の熱さであり、想像力のなせる伝説的な白鳥でもあり、すでに具体としての白鳥を超えた白鳥となっている。そこではヤマトタケルの白鳥では理に落ちて野暮というものであろう。ほかにも我来には、「白鳥のひそめるごとし初日記」という句もある。が、こちらは、初日記への意外と端的な感懐である。

 ともあれ、掲句はその熱き志のなかに、包まれている吾(洋子)がいるということであろう。自ずと父を詠んだ句が多くなるのもムベなるかなというところ。いずれも捨てがたい。

   父よりの良夜の電話短かり        洋子

   父看取る夜霧の奥の冬灯

      我来白寿祝賀

   はたた神父の肋骨一つ減り

   声太く父のよこせし初電話

   百歳の父を寿ぎ年明くる

   父がくれし一本の杖山笑ふ

      父百三歳なれば

   長寿番付横綱の父敬老日

   断片の父やさしかり零余子飯

     七月十三日  

   祇園祭父の柩の通り過ぐ

   亡父の杖にわが名と住所秋の暮

我来氏は105歳の天寿をまっとうされた。 

とはいえ、洋子氏の真骨頂はほかのところにある。例えば、

   白露の無数の光畏れけり

   さるすべり落葉つくして人めきぬ

   沙羅落花刹那の音を胸ぬちに

   振り向けば島影なべて霧の中

 いずれの句も下五の断定に、一句全体をを飛躍させるファクターを打ち込んでいよう。

 そのほか、句中の「大」の用法は、句柄を大きくすると同時に、そこに作者の世界観が表出されているように思われる。

   大白鳥浮雲となりふり向かず

   吾に向き大向日葵の枯れはじむ

   大蛇首に女の胸の豊かなり

   枯れきつて大向日葵と思はれず

   働く手ばかりかざしぬ大火鉢

 最期に小生の好みの句をいくつか上げさせていただきたい。

   恍惚と人嘆きをり涅槃像

   地震九年鎮魂の雪降りしきる

   女兵士の遺影一葉敗戦忌

   古書店に挟まれてゐる寒紅屋

   鴨百羽ゐて逆行の鴨一羽

  いずれも佳吟にちがいない。  

まいづる草↓(読者より)

まいづる草.JPG

6月白夾竹桃・栗の花ほかvol.5

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