2012年7月13日

星野光二句集『光年』・・・

星野光二句集『光年』vol.1

     光年来て光のうるむ春の星      光二

 句集名ともなった句である。その名も「光二」なら、「光年」という言葉も大好きなのだそうである。

確かに宇宙的であり、人事を超越したところがある。

 光年を来れば、光もさもありなんと思える。それが春の星であるのも見事であろう。

     石榴裂け地球の青き空濁す

 地球の青き空とは、これまた地球の原初すら思わせる青空であり、赤く裂けた石榴の実との対照もあざやかに極まっていよう。

        紗一逝く

     門灯の真昼に淡し風知草 

       明世逝く

     明世逝く朧に浮かぶ夫婦句碑

       紫黄逝く

     拍子木の相棒悼み秋暑し

紗一、明世は、言わずと知れた、星野紗一に星野明世。

     夜桜や此の桶は此の馬のもの       紗一

     今はもう飛びこせぬ溝曼珠沙華       明世

の句などを思い起せば、光二氏の神馬の句「小春日の陽が撫でてゐる神馬の像」「日雷神馬の像のたぢろがず」 や曼珠沙華の句「恐るべし万の蜂起の曼珠沙華」「戯れば裾に火の付く曼珠沙華」のどこか遠くで響き合っているのかも知れない。

 話は私的になってしまうが、紫黄、すなわち山本紫黄句集『瓢箪池』が届いた、まさにその時に、紫黄訃報に接し驚いたことを思い出す。紫黄氏に最初にお会いしたのは、どこであったか、もう記憶の底をたどっても明確には思い出せない。愚生が二十歳代のはじめ、俳句評論の句会?もしくはその関係の集まりであったようにも思う。その後、愚生が氏に再会を果たすのは、たぶん、愚生40歳代後半の頃ではなかろうかと思う。晩年の高柳重信に再会したのもその頃だったからである。

 「俳句はよれよれでかっこいいものーーこれが昔からのわが旗印」というのが山本紫黄の言である。

   生別も死別もいづれ春の水        紫黄 

光二氏の悼句「拍子木の相棒悼み」とは、まさに切ない。

「俳句はよれよれでかっこいいもの」・・紫黄氏の風貌もそうであったか、なかなかダンディーであったように思う(特に会話がね・・)。

最後に『光年』の愚生好みの句をあげささせていただきたい。

   花も葉も艶めく雨後の七変化

   この道は翁の勧め合歓の花

   寒鮒の泥臭き水吐かせをり

   あつあつの鯛焼にまだ脈のあり

   ポケットの数の寂しき更衣

   細き肢のどこが筋肉あめんぼう 

   住職の未だ普段着でゐる白障子

   時刻表になき貨車過る時雨駅

浅間山の花vol.3

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星野紗一氏の次の句には「この」が抜けていますので、お調べの上、ご訂正下さるようお願い致します。

夜桜や此の桶は(この)馬のもの     星野紗一

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