2012年7月19日

紫陽花忌あれこれ・・・

6月の花vol.3

紫陽花忌にも色々ある。

 一昨日の7月17日の石原裕次郎の紫陽花忌は結構有名かもしれない。

 この日は、「東京の日」でもある。

 慶應4年旧暦7月17日(1968年9月3日)、明治天皇の詔勅によって、「江戸」が「東京(とうけい)」に改称された日なのである。

 また、詩人の津村信夫が昭和19年6月27日に亡くなって、この日を紫陽花忌としたらしい。兄は映画評論家の津村秀夫。津村信夫には『戸隠の絵本』や「戸かくしの姫」という詩もあるらしいが、愚生は読んだことはない。

 6月26日は小説家の林芙美子の紫陽花忌。

 福岡市の選擇寺(せんじゃくじ)では、毎年6月27日、江戸期580体の無縁墓を悼み、19歳で亡くなった名妓・雪友の命日に、博多人形を奉納しているらいし。

 あと一つを紹介しておくと、吉井勇が「紫陽花忌とは多佳女忌のことなるか あはれあはれ思ひ目つぶる」と詠った磯田多佳の忌である。

 多佳は紫陽花がことのほか好きだったという。

 10代で芸妓だった多佳は23歳で祇園「大友(だいとも)」の女将となり、吉井勇や夏目漱石、谷崎潤一郎らと親交があったといわれ、戦争末期に強制疎開させられ、お茶屋も廃業に追い込まれる。

 その「大友」の跡地に「かにかくに祇園は戀し寝るときも枕の下を水のながるる」吉井勇の歌碑が建っている。

浅からぬ縁だろう。

    わが胸のうちにも浪の音聴こゆ暗くさびしき海やあるらむ      

    しらたまの女身に緑うつるとき山のいで湯はほのかなるかも

 多佳は『祇園の女ー文芸芸妓磯田多佳』杉田博明著にもなっている。

 小誌5月号「小説になった俳人たち」で松本清張『月光』の羽島悠紀女(モデル・橋本多佳子)の芸者説はこのあたりに源流がありそうだが、実際は女将の多佳と多佳子はちょうど10歳ほど違う。

多佳は明治12年祇園に生まれ、祇園一力亭の女将・おさだは実の姉である。

34回埼玉現俳協vol.2

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