2012年9月のブログ記事

2012年9月30日

「軸」創刊45周年記念俳句大会・祝賀会・・・

軸45周年vol.1

 9月29日(土)千葉県柏市のザ・クレストホテル柏で「軸」創刊45周年記念俳句大会・祝賀会が行なわれた。

 「軸」は河合凱夫が1967年、同人誌として創刊、77年主宰となり、99年に逝去、息子の秋尾敏が主宰を継承し現在に至っている。

 秋尾敏主宰は子規、虚子の研究もさることながら、全国俳誌協会会長として、また、鳴弦文庫を運営して、近現代俳句への無私の貢献度も極めて高い、今後をさらに期待されている俳人である。

 大学では研究者として、松本旭氏の教え子でもある。

 記念俳句大会では、主宰も投句し、平等に勝負されて、みごと各選者による特選、佳作合わせて、合計の最高点を獲得し、面目躍如たるものっだった。その特選句となった句は、

       葭の笛より文学を志す    敏 (山中葛子特選)

因みに、事前に愚生の選んだ特選句は、以下の句であった。

      「また来いよ」最後となりぬ初螢    嶋田 里

さて、祝賀会だが、主宰の挨拶の後は、来賓の宮坂静生、松本旭、宇多喜代子各氏の祝辞、乾杯の音頭は橋爪鶴麿氏がおこなっった。

さらに、各来賓の紹介では、大会選者の代表句1句と秋尾敏主宰が自らそれぞれを紹介した。

さらに、軸会員の作家賞の紹介も行なわれた。

来賓には、俳壇的にはいくぶん若い世代に属する秋尾主宰とほぼ同年代の大竹多可志氏や山﨑十生、高野ムツオ、佐怒賀正美、上田日差子、野木桃花、松澤雅世、鹿又英一各氏なども多く駆けつけて祝福していた。

軸45周年vol.2

秋尾敏・河合典子夫妻↑

軸二千題.jpg

 なお、土産に『軸俳句会平成二千題』という類題句集↑もいただいた。

 この類題集は平成の軸誌にけいさいされた約70万句から題別に約6000句が収録されており、巻末には「春夏秋冬」に加えて「無季」の項目も立てられていた。どうやらそれは、「軸」の主張である一、「有季定型を愛し、これを超克する」を基調としながら、〈軸は有季の枠組のなかに生まれる無季も否定しない。ものごとの境目には必ずゆらぎがある。そのゆらぎの中に生まれる無季を、軸は有季の枠組で評価する〉と規定され、〈定型についても、軸は五七五と呼ばれる基本形から生まれるあらゆるバリエーションを否定しない〉ともいう。

 単なる季語集とはせず、類題集を模したあたりにも秋尾敏主宰の見識がうかがわれる。

軸45周年vol.3

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2012年9月28日

辻桃子氏来社・・・

辻桃子と音羽紅子

 辻桃子主宰と音羽紅子さん↑

 夕刻、「童子」(主宰・辻桃子)のお弟子さんを伴って、来社された。

 お弟子さんの句集の出版についての打ち合わせということだった。

 編集長・林は徳島出張で、社を後にする寸前、桃子主宰とすれ違い様の挨拶のみ、愚生も、このブログのための写真をとらせていただいて、句集についての打ち合わせは書籍の青木課長が行った。

 その「童子」、先日は「元気な結社に名編集長あり」(仮題)で、佐藤明彦編集長に出席いただいたばかり。

 もうすぐ、創刊25周年を迎える。その記念大会が横浜のインターコンチネンタルホテルで行われる予定。

 またまた、愚生の思い出話になるが、その「童子」がまだ三尺の童だったころ、童子の句会は、たしか国立駅近くの喫茶ロージナで行われていたのではなかろうか。

 たまたま、その喫茶店で愚生は仁平勝氏とともに三橋敏雄氏や高屋窓秋氏らと偶然にあったこともあるし、たぶんそこで童子のかつてのお仲間にもあったような気がするのだが・・・

もっとも、最初にキチンと辻桃子氏にお会いしたのは、現代俳句協会で発足したばかりの青年部のシンポジウムにパネリストとして出席していただいたときだと思う。そのとき、他のパネリストとも、あまり年の差はないはずだったが、すでに存在感と花と貫禄が備わっていたように思う。

もう20年くらい前のことだ。

しかし、人の記憶ってあやしいから、どこまで真実だったか保証の限りではない。

ジュニア俳句祭vol.1

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2012年9月25日

俳句文学館へ・・・

蓼の花vol.1

蓼の花↑

 11月号特集の記事の資料調べのために、俳句文学館に行った。

 いつも、どなたかにお会いするのだが、今日は、中嶋鬼谷氏と髙柳克弘氏、神野紗希氏にお会いした。

 髙柳氏には、11月号「元気な結社に名編集長あり」(仮題)の座談会にも出席していただいたので、そろそろ担当者より著者校正がFAXされると思いますのでよろしく御願いします、と挨拶させていただいた。

 ちなみに今日の編集部、編集長・林は、京急横須賀線の脱線事故で通うのに3時間かかるといいながら、「ランブル」(主宰・上田日差子)の祝賀会に出かけて行き、くだんの交通事情で自宅には帰らずに、会社で仕事をするために帰社すると言い残していった。

 また、スタッフ松本は「文字のないエッセイ」の打ち合わせで出かけている。

ケイトウ↓

ケイトウvol.1

 閑話休題・・

 飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」の句についての思い出など・・

この句が発表されたのは、1969(昭和44)年2月号の「俳句」(1月25日発売であろう)である。

「明るい谷間」と題された30句の巻頭に置かれた句だった。

そして、すぐの2月17日付け讀賣新聞夕刊の時評「俳壇」で高柳重信が取り上げたのだ。

たぶん、この句をおおやけの場で批評したのは重信が一番最初だったと思われる。

しかし、「一月の句」は、重信以外は、その後、数ヶ月、各誌の俳句総合誌の句評などにもまったく取り上げられなかった(同時発表の他の句は取り上げられたけれども・・・)。

遠い昔のことだから、と図書館に行き、改めて、讀賣新聞を縮刷版で読んだ。

それには

  まず、飯田竜太句集「忘音」の読売文学賞受賞に、心から祝意を表したい。屈指の同世代作家であ 

 る金子兜太の「蜿蜿」も同年の発行だが、これは候補にのぼらなかったらしい。従来、読売文学賞を

 受賞した句集にくらべると、まだ十分なまぐささが横溢していて、なんとなく旧例にそぐわない感じが 

 する。そこへいくと飯田の作品は、こんど候補にのぼった「原石鼎句集」や富安風生の「傘寿以後」と

 くらべても、あまりちぐはぐな感じはない。そのうえ年齢的な若さの力が加わるから、いっそうめだって

 くる。「俳句」二月号に発表された「明るい谷間」(30句)の第一句「一月の川一月の谷の中」は、目下

 の境地を的確に現わしているといえよう。

 と書かれているが、句の評価についてはこれ以上のことは触れられていない。

 その後、この句は毀誉褒貶にさらされるが、今では賛成するにしろ、反対するにしろ飯田龍太の代表句であることについて、大きな異議はないだろう。

 実は愚生がなぜ、この句を発表時に記憶したかと言えば、69年2月という季節が関係している。いまは伝説となってしまった東大安田講堂闘争が1月18日に闘われてすぐの時期と重なっているからでもある。

 愚生は京都にいて、その雑誌「俳句」を持参して、先輩の俳人・さとう野火、城貴代実宅(食事も含め、どれだけお世話になったかわからない)で、「一月の谷」の句が、どれほど素晴らしいか言い募ったのだと思う。その内容はすでに忘却の彼方にあるが、しばらくして、愚生は、まともな生活もできないまま、都落して東京にあてなく流れた。

そして、まだ、健在だった草田男の「萬緑」、沢木欣一の「風」、また「石楠」の句会などに出かけた。

 あるとき、「俳句研究社」に電話をして、愚生のようなものが参加できるような句会はないかと尋ねたら、十数人の小さな句会だが、きてもいいというので、訪ねて行った句会が代々木上原の「俳句評論」の句会だった。

 もっとも若輩だった愚生は、句会の終わったあと、近くの「俳句評論」発行所に、澤好摩、横山康夫に連れられて、一緒に行った。そこで、初めて高柳重信に自己紹介をした。思えば、重信もまだ40歳代後半くらいだったのではないだろうか。

 愚生は結局「俳句評論」にも入らず、その回りをうろついていたにすぎないが、御蔭で、三谷昭、三橋敏雄、高屋窓秋、折笠美秋、寺田澄史、中村苑子、福田葉子、津沢マサ子、高橋龍、太田紫苑、三橋孝子、また、加藤郁乎、山本紫黄、松崎豊、大岡頌司など、挙げ切れない、実に多くの方々の聲咳に接する機会を与えられた。感謝のほかはない。

 それもこれももう40年以上前のことになってしまった。

ヤブラン?↓

ヤブランvol.1

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2012年9月20日

あゆみBOOKS荻窪店・・

あゆみBOOKS荻窪店vol.1

あゆみBOOKS荻窪店↑

 堀本裕樹『熊野曼陀羅』を置いてもらいたいたくて、昨日は店長休みで空振りだったので、今朝は一番で直行した。

 理由は、堀本氏が荻窪にある角川庭園(旧・角川源義邸、幻戯山房・すぎなみ詩歌館)で、いるか句会などを主宰されており、その行き帰りに、仲間の方々が買われるのだという。いわば特別コースということである。

 店長(佐佐木氏)にその旨お願いすると、『十七音の海』の時もそういうことで、陳列したとのことで、快く、10冊の注文をいただけた(深謝)。

 今日の編集部はこれから「魅惑の俳人・楠本憲吉」のことで鈴木明氏にインタビューをするというので、編集長とスタッフ松本は出かけて行く。

 

本誌10月号の見本vol.1

 閑話休題・・

 本誌10月号の見本が印刷所より届いた。

 特集は「俳句史を彩ったライバル」。

 佐高信の甘口でコンニチハ!は石川さゆり。

 ノーベル文学賞「トーマストランストロンメルと俳句」でスウェーデン大使ラーシュ・ヴァリエインタビュー。

 「俳人がすすめる地酒」。

 魅惑の俳人・中尾寿美子は橋本照嵩氏の初公開写真あり。

などなど・・盛り沢山です。

 よろしく御願いします。

ブックス 夕焼けvol.1

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2012年9月19日

書店営業?『熊野曼陀羅』・・・・

日本平からの富士駿河湾vol.1

日本平からの富士山↑(読者の方より)

11月号「元気な結社に名編集長あり」(仮題)座談会のテープ起しが一段落ついたので、

堀本裕樹句集『熊野曼陀羅』と月刊「俳句界」の売れ行き動向をみるべく、堀本氏から要請のあった あゆみブックス荻窪店に出かけた。

 あいにく店長が休みということで、チラシのみを預けて出直すことにした。

 ただ、「俳句界」も「俳句」も棚になく、詩歌の棚もさしてなかったので・・・

 ともあれ、気を取り直して、少し足をのばし、吉祥寺のジュンク堂、ブックファースト、啓文堂書店に行った。

ジュンク堂では「俳句界」は1冊しか置いてないが、売れたり,売れなかったりなので、様子見で追加注文までは行かず、まあ、気にかけておいて下さいと御願いしておいた。

 そして、次に詩歌担当の方と少しお話ができた。

 短歌・俳句は良く売れる店なのだそうだ。短歌は若い人、それも散文を書かれる方のが売れるということだった。たぶん穂村弘に枡野浩一あたりだろうと聞いたら、それだけではないという。栗木京子、小島あかりも・・・

 ところで、俳句はどうですか?と聞いたら、芭蕉・蕪村・入門書の歳時記、それとふらんす堂、邑書林は欠かせませんね、ときた。

 おもむろに『熊野曼陀羅』のチラシと見本を見せたら、これ、配本分はすぐ売れました、と嬉しい反応。

 よそしければ注文をと、御願いしたら、面見せにするから5冊で・・・と喜ばせていただいた。

 確かに、吉祥寺ジュンク堂の詩歌の棚は充実していて、たぶん中央線で随一ではなかろうか。

 そして、丸井の中にある啓文堂にお邪魔した。

 以前京王線地下にあったころより狭くなったので仕方ないが、かつての棚の充実度からすると・・でも頑張って 

 面陳列様に注文してくれた(感謝!)。

 というわけで、吉祥寺付近の読者の皆さんはジュンク堂か啓文堂書店でお求めいただければ幸甚。

書店曼陀羅vol.1

 そうそう駅中のブックファースト、じつはこの吉祥寺駅ビルに昔、弘栄堂書店という本屋があった。

  愚生はその本屋の店員だった。そのとき、一時は詩歌の棚の売上げは全国の書店のなかで日本一を誇った時代もある。

  俳句のブックフェアもやったことがある。

 その本屋が会社解散をして(解散理由は親会社の財団法人が公益財団法人になるについて、公益だから利益をあげてはいけない、という見直しでの子会社の解散)、そこに入店したのがブックファーストだ。

 相変わらず面積あたりの売上げはいいはずだ。

 その詩歌の棚は、かつての面影もなく、三尺棚たった一本しかない。

 これではたぶんお客もつかない(詩歌は売れない)。

 担当者の反応も、忙しいのと相俟って、句集は売れませんから、チラシを預かって検討させて下さい・・・

というわけで、注文はもらえずだった。9月号の「俳句界」「俳句」はもう整理されたのであろう、一冊も棚にはなく、「俳壇」が3冊面挿しにしてあった。25日には11月号が発売だから仕方ないかも・・。

仙台句会vol.1

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2012年9月18日

眞鍋呉夫さんを偲ぶ会・・・

眞鍋呉夫偲ぶ会vol.1

眞鍋呉夫偲ぶ会vol.2

眞鍋立彦・眞鍋優・檀太郎各氏↑

 昨、9月17日(月・祝)、アルカディア市ヶ谷で「眞鍋呉夫さんを偲ぶ会」が行われた。

眞鍋呉夫さんは、去る6月5日、92歳で亡くなられた。

 77歳のときに生前葬も行われており、ご遺志もあって葬儀は身内の方だけだった。俳号は天魚。

 偲ぶ会は、生前葬の司会もやられた須藤甚一郎氏、開会の辞は近藤洋太氏。

 献杯は伊藤圭一氏が杯を奉げ、偲ぶ会は款談に入った。

 その後、粟津則雄、司修、辻井喬、檀太郎、谷崎昭男、織坂幸治、村上玄一、山地春眠子、正木ゆう子、下山光悦、岩城久治各氏などによる 眞鍋呉夫氏の思い出が語られた。

 愚生の思い出としては、最初にお会いしたのは20年くらい前であろうか、40歳を少しでたところだったような気 がする。

 関口芭蕉庵で行われていた連句の会に浅沼璞氏に連れられて出かけたときである。

 そのときに、大場鬼奴多、万波鮎両氏にも初めてお会いした。

 愚生は見学するつもりだったが、作りなさいと言われ、捌きを受けた。最後は高田馬場の居酒屋までお付き合いさせていただいた。

 次にお会いしたのは、『雪女』で歴程賞を受賞されたとき、そして、静岡での句碑開き。

 また、いつだったか、まったく日時は忘却してしまったが、やはり浅沼璞と二人で、今度はご自宅にお邪魔した。

 そのときは、奥様の手料理、漬物がとても美味しかったのを覚えている。手作りの梅干か漬物の土産まで持たせていただいたように思う。

現在の仕事に入ってからは、正木ゆう子と眞鍋呉夫の雪女対談でのお席、そして、蛇笏賞受賞のときにお会いしたくらいだ。

 眞鍋氏の最新刊『天馬漂泊』を送っていただいていたので、てっきりお元気に違いないと思っていたので、愚生にとっては突然の訃報だった。

芭蕉のこともそうだが、愚生との話では、不戦論の次に保田与重郎の「絶対平和論」は素晴らしいので、読んでなければ、是非読みなさいと仰っていたのが印象に残っている。

 司会の方の披露によると、眞鍋呉夫の辞世に近い句は・・・・

    死に水は三ツ矢サイダー三口半      天魚

眞鍋呉夫偲ぶ会vol.3

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2012年9月16日

第9回ジュニア俳句祭

第9回ジュニア俳句祭vol.1

 賞状を手渡す宮坂静生現代俳句協会会長↑

 9月15日(土)、東京・江東区教育センターで、現代俳句協会・江東区教育委員会共催の第9回ジュニア俳句祭が行なわれた。

第1部が事前投句の現代俳句コンクールの表彰、第2部では当日出句のジュニアの句会が行なわれた。

コンクールの主な入賞作品は、

 ・大賞  

   試合終え男同士のかき氷    久保田恭平 中二 江東区深川第7中学校

・現代俳句協会賞

  南極をまるごと一つのかき氷    若月香月 小4 横須賀市立久里浜小  

  かたつむり雨の日だけが通勤日   原茉莉沙 中2 日本橋女学館中学校  

・毎日新聞社賞

  クレヨンの赤が足りないバラの花   柿沢京香 小5 江東区第4砂町小

  後の月チーズケーキを切り分ける   西橋朋子 高3 愛知県立幸田高校

・毎日小学生新聞賞

  日食でお日さま月にゆびわした   塩田夏海 小3 観音寺市立高室小

・角川学芸出版賞

  虫たちはキャベツを食べる彫刻家  齋藤 遥 小6 江東区越中島小

  カレンダー向日葵畑めくり上げ  外崎美緒 中1 江東区深川第7中

・文學の森賞

  ねこじゃらしパパひげよりこそばゆい 加賀夕夏 小3 小山市立小山城南小

  全身でロックのリズム雲の峰  金光絢子 高2 愛知県立幸田高校

第9回ジュニア俳句祭vol.2

 第二部の当日の句会は北大路翼さんと伊藤沙智さんの若い俳人の司会で楽しく進められた。

ちなみに最高点句は、

  ぬれたほほあてるハンカチ夏終る  藪香奈子 小6

次点句は同点で、

  五分間しゃべらず見上げた夏の星 池田 希  中1

  ふん水のましたでくじらがかくれんぼ  金硯歆 小3

  なつやすみゆめがこわいよねれないな 渡邉智大 小1  

・宮坂静生特別賞は、

  赤とんぼ出会える街をつくりたい  鈴木優奈 小6

・前田弘特別賞は、

  コンビニのおにぎり一つ秋の雷  西橋朋子 高3

・北大路翼特別賞は、

  ぼくたちが小さく見える夏の滝   武藤隆浩 小6  

・伊藤沙智特別賞は、

  なつやすみゆめがこわいよねれないよ 渡邉智大 小1 

 

アゼリア↓

第9回ジュニア俳句祭vol.3

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2012年9月13日

中央精版印刷に出張校正・・・

林編集長が中央精販印刷(株)へ

 中央精販印刷(株)前の林編集長↑

 

 10月号の校了のために、昨日午後2時、中央精版印刷(株)に出張校正をした。

 愚生以下、現スタッフでは、初めての出張校正である。

 10月号はこれで校了に・・・、ホッとしたところで、中央精版印刷の工場を見学することになった。

 現在、新たに4号館を建設中で、一号館(本社・製版工場・平台印刷・製本工場)、二号館(印刷・製本工場)、三号館(カラー印刷工場)を案内していただいた。

 会社案内パンフレットによると、1923(大正12)年に東京は京橋木挽町に草刈製本所として出発し、1947(昭和22)年に株式会社に改組、翌年新宿市ヶ谷に製本工場を設立し、続けて印刷工場を新設、1967年に埼玉県戸田市に移転するのを契機に組版から製本までの一貫した総合工場を建設し、本に関わるすべての工程を自社工場で行い、それぞれの機器の増設を行ってきている。

 1~3号館までは車の移動を含めて、見学し説明を受けているうちにあっと言う間に3時間ほどかかってしまった(少し疲れた・・)。

ともあれ、「書籍制作をトータルでサポートする」というのが、中央精版印刷のセールスポイントだということはよく分った。

残暑というには、いささか暑すぎる一日がすぎ、夕食を共にするべく、車で蕨駅近くまで送っていただいた。

 気がつけば夜も更けていた。埼玉から東京を縦断して帰路に着くスタッフもいた(お疲れさま)。

 中央精販印刷の方々、いろいろお世話になり、ありがとうございました。

 コスモス↓

遠野 石巻 仙台句会vol.2

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2012年9月12日

第51回全国俳句大会・・・

第51回全国俳句大会vol.1

 昨日、9月11日(火)、東京・有楽町朝日ホールに於いて、第51回全国俳句大会(公益社団法人・俳人協会主催)が行われた。

事前に投句された応募句は13506句。ジュニアの部は今年二回ということだが、大人の募集句よりも多い約2万句が集まったという。

鷹羽狩行会長の挨拶のなかでも、ジュニアの部に負けず、大人たちも頑張ってほしい、また、今回の大会は100回に向けてのスタート、また、宮城における震災支援の句会も行われることになっていると述べられていた。

 大会賞に選ばれた句は、以下の5句、

     なまはげの去りたる藁を拾ひけり      大阪  小畑晴子

     大鯉のすなほに抱かれ池普請       広島  坂本たか子

     果てもなくこの世の雪を卸しけり      宮城  長谷部俊夫

     一歳の違ひで往かず蝉しぐれ        埼玉  田中道敏

     鵜篝の残り火に舟洗ひをり         神奈川 小沢麻結 

 ジュニアの部は優秀賞が24句、また、学校賞には小学校3校、中学校4校、高等学校1校が選ばれた。

    ぼくのやごだっぴをさんかいやりました   筑波大付属小1年   すずきはる

    霜柱踏むとピアノの音がする         須賀川市立長沼中1年 内山綾乃 

    国境のない世界地図蝿止まる         大阪府立吹田東高1年 大池莉奈

ヒマワリ↓

遠野 石巻 仙台句会vol.1

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2012年9月11日

勢揃仙臺九贔屓(せいぞろひとこよのくかい)・・・

仙台句会vol.2

 先日、9日(日)に、句会参加者がそれぞれの旅の途中で仙台で落ち合って句会をするという趣向の句会が行われた。

 句会の題名は「勢揃仙臺九贔屓(せいぞろひとこよのくかい)」。

 川柳人も加えて11人ほど。

 地元への挨拶句あり、多行形式の句ありなど、なかなかバラエティに富んだ句会だった。

 ただ、企画者側の誤算は、8(土)~9日(日)、仙台はジャズフェステバルで、それぞれが宿泊の宿をとるのが大変で、リーズナブルなホテルは満室状態だったこと。

 街じゅうが賑わっていた。

 とりあえず、当日の一句ずつをあげておこう。

     秋に入るここを塗り忘れていぬか    広瀬ちえみ

     自転する途中一個の桃の種       矢本大雪

     蝦夷の地は片持ちなりや旅人よ     志賀 康

 

     汝が示す

     白萩が下

     我や立つ                  酒巻英一郎

 

     夏至というめんどうがめんどうや    救仁郷由美子

     白萩の白を授かり生国よ        吉村毬子

     しばらくは滝却下する滝の上      佐藤榮市

 

     石段 石

         裂ける 石

     蝉 石 石                 中西ひろ美

 

     秋冷をもっきりとつぐ腕の冴え     渡辺信明

 

     胎蔵界【タイザウカイ】上から下を見るより下から上を見る

                   方が高い千十五の時計回りの現象  鈴木純一 

 

    海の傷はいかに癒ゆべし海の中     大井恒行 

サギソウ↓

仙台句会vol.3

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2012年9月10日

堀本裕樹『熊野曼陀羅』と校正戻し・・

『熊野曼陀羅』vol.1

 第2回北斗賞受賞・堀本裕樹『熊野曼陀羅』がようやく出来てきた。

早速、取次ぎへの新刊委託交渉に、午前中、直行した。

意外に空いていて、早めに終わったので、ついでに池袋に出て、書店営業をしたが、リブロ本店の詩歌担当者は午後2時の出社ということで、『熊野曼陀羅』の注文は諦めて、月刊「俳句界」の店頭在庫を確認して、ジュンク堂池袋に行った。堀本裕樹『十七音の海』も面陳列してあったので、担当者に売れ行きを聞いた。

「俳句関係は古典(芭蕉など)は売上げがいいですが、現代俳句は・・???」。

ともあれ、『熊野曼陀羅』の著者の将来性に期待して、十七音と同じくらいの売れ行きということでご注文を・・・とお願いして、結果、5冊の注文をいただいた(笑顔・・)。

『熊野曼陀羅』は、著者の希望もあり、北斗賞特別仕様。

帯文に、中上健次の息女・中上紀氏。

序文に鎌田東二氏。

俳人らしくない異色の組み合わせで、新人の第一句集としては申し分ない。

       火焔土器よりつぎつぎと揚羽かな        裕樹

       秋蝉の尿きらきらと健次の忌

      那智の滝われ一滴のしづくなり

      葉ずれみな言の葉となる五月かな 

 

 閑話休題・・

 じつは、今日は10月号の印刷所への校正戻しの日だ。

つまり、脇目もふらずに校正に専念するべきだが、今号については、愚生はまともにその仕事はしていない。

スタッフと編集長にほとんどをお任せにしてしまった。

ネムノキ

仙台句会vol.1

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2012年9月 5日

取次ぎ回りと東京堂書店・・・・

9月5日の花vol.1

 朝、直行して10月号の日販・栗田出版との部数交渉のあと、栗田から神保町に出て、東京堂書店に堀本裕樹『熊野曼陀羅』を置いてもらうべく営業に行ったのだが、担当者(清都)が休みということで、注文はいただけなかった(注文書チラシを預けた)。

 ただ、ふらんす堂のブックフェアをやっていたので深谷店長に単刀直入に「ふらんす堂・・どうですか?」と聞いてみたら、即「はっきり言って売れてます!」という返事が帰ってきた(うらやましいですな)。

 深谷店長は、愚生の昔の職場(本屋と文具)の同僚K女史と同窓生ということであった。かつて、若くして亡くなられたカリスマ書店員詩歌担当の林さんにも薫陶を受けられたとのことだった。

最後に一階雑誌の担当者の方には挨拶した。

 「俳句界」現段階での在庫は2冊、「俳句」3冊、「俳壇」2冊」だったが、売れ行きとしては、半世紀以上の歴史ある「俳句」がどうも断トツらしい。

9月5日の花vol.2

 閑話休題・・

 「短歌」9月号が保存版特集「佐佐木幸綱ー伝統と述志」だったので買った。

 愚生にとって幸綱氏は愚生の句集『風の銀漢』の書評を俳人よりもいち早くしてくれた恩義のある歌人だ。

 もう30年も前のことだ。もちろん辛口であったが、それを肝に銘じていながら、無念にもいまだにその激励に応えられていない。

 ついでにといっては語弊があるが、同時に同号「短歌」掲載されていた岡野弘彦「わが永き ながき戦後」にも感銘した。それは俳句が前書のようにして書かれ、短歌が掲載されていた。巻頭の一首は、

       ほたる火の草にまたたく敗戦忌

   戦ひて敗れし悔いに 死なざりき。みるべきものは およそ見にけり     弘彦

9月5日の花vol.3

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2012年9月 4日

今井聖連載「小説・受験巡礼」・・・

9月4日の花vol.1

イヌタデ(赤まんま)・ネコジャラシ↑

 本誌連載の今井聖氏の「小説・受験巡礼」も第15回目、いや10月号では第16回目を迎えて、佳境に入ってきた。

ストーリーは「国立大の医学部を全部受験し、合格制覇する〈受験巡礼〉。それもあと数校を残すのみで、高三の娘(実子ではない)尚子といよいよ同じ大学を受験することになる。その娘から重大な告白が・・・」というあたりまでが10月号。もちろん俳人らしく、毎号ストーリーに相応しい?俳句も巻頭に据えられている。例えば9月号では「交合の後先(あとさき)風の青岬 精一」。

いつまでも青春の今井聖氏らしい仕立ての句だ。

その今井聖氏から新著『部活で俳句』が贈られてきた。

なかなか面白い。男子校の教師だった今井聖の現役時代が彷彿とするような展開である。

もっとも、出だしの「〈踊る俳句同好会〉誕生」の件は、小説的フィクションが鏤められているように思えるが、

出だしは、

    俺は男子校の英語教師。生徒に向かって私とか僕とかは言えない。そんな上品な学校じゃな

   い。高校入試の偏差値はかろうじて四十台をキープする程度。スポーツは強いがいわゆる進学底 

   辺校。この学校には気のいいワルと性根の腐ったワルそして陰気なオタク、この三種類しかいな 

   い。

     俺はこの学校で俳句同好会を立ち上げその顧問をしている。

 ダンス部を創りたいという生徒たちをそそのかして、既成の俳句同好会ダンス部にすれば、おおっぴらにダンスもできるし、予算も使えると、俳句を作らせるところから始まる。

 それから後は、俳句甲子園の俳句を紹介したり、「街」の会員諸子の実作を例に今井節が全開の、知らず知らずのうちに俳句入門書となっている次第という書である。

帯に書かれた惹句が「ぼくらのいまを5・7・5で〈写生〉しよう」。

部活で俳句vol.2

 閑話休題・・・

 ところで、今日の編集部は、編集長は加藤房子氏のグラビア撮影で、朝から直行。

 支えるスタッフは印刷所入稿第2弾の作業に追われている。

 愚生は、昨日予告した通り、今日は、トーハン、太洋社、大阪屋と各取次ぎを回って10月号の搬入部数を決めてきた。そして、第2回北斗賞・堀本裕樹『熊野曼陀羅』が出来てきたので、来週の新刊配本に向けて作業。

コノテガシワ↓

9月4日の花vol.2

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2012年9月 3日

10月号入稿日・・・

9月3日の花vol.1

 本日は、10月号の印刷所入稿日。

 追われているという感じは否めないが、編集長とスタッフは黛まどか氏との打ち合わせで、朝から直行で、午後の出社となったので、もっと追われているという感じだろう。

 こういうときに限って、雑用が飛び込んでくるもの。

 愚生は明日から10月号の各取次ぎとの部数決めの交渉が待っている。

 その交渉を見届けてから、終末は夏休みをとりたいと思っている。

葉鶏頭↓

9月3日の花vol.2

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2012年9月 1日

今日は震災忌・・・

ザクロ↓

柘榴vol.1

  大正12(1923)年9月1日、午前11時58分相模湾西部を震源とするマグニチュード7.9の大地震に襲われた。

関東大震災だ。死者は10万人余、今では防災の日として、全国で様々な、訓練が行なわれている。

 本日の朝日新聞「花をひろう」で高橋睦郎氏は、

     古井戸の芯真暗に震災忌   美佐子

 の句をあげて「古井戸の句は、震災後の九月十六日、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦らが無政府主義者大杉栄・妻野枝・七歳の甥橘宗一を連行・絞首、死骸を古井戸に棄て埋めさせた忌まわしい記憶を思い出させる。ついでに大杉忌。栄忌の季語としての定立は現在もないようだ」と記している。大杉の享年は39。

 大杉栄はその以前、明治44年1月24日、幸徳秋水らの大逆事件によって12名が処刑されたことについて俳句を残している。

    春三月縊り残され花に舞ふ      栄

 大杉栄27歳のときである。もともとがデッチ上げの事件だから、大杉栄も普通なら投獄・処刑されるところだったのだが、幸運にも、大逆事件のときには、彼は獄中にいて難を逃れているのだ。それが「縊り残され」という措辞なのである。

 「美は乱調にあり、諧調は偽りである」と言ったのも大杉栄だ。瀬戸内寂聴は「美は乱調にあり」の書名で伊藤野枝を小説にした。

せっかくだから、睦郎氏の言にそそのかされて駄句を、

   大杉栄忌野枝もおさなし宗一も       恒行 

ともあれ、草間時彦の震災忌吟は、今年のような猛暑だったのかも知れない・・・

   震災忌今年は暑さ格別で        時彦 

柘榴vol.2

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