2012年11月のブログ記事

2012年11月30日

私小説の極北・・・

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 今日は、私小説の極北といわれた嘉村礒多が亡くなった日だ。

明治30年12月15日、山口吉敷郡仁保村に生まれ、昭和8年結核性腹膜炎によってわずか36歳で亡くなった。

誕生日が愚生と同じ、生まれた処も近い。

愚生は郷土ナショナリズムに犯されているので、同郷の種田山頭火、中原中也と並んで、若かりし頃にその「極北の私小説」という惹句に誘われて、「崖の下」「業苦」などを読んだはずだが、山頭火や中也とちがって、きれいさっぱりすべてを忘れてしまった。一行たりとも覚えていない。

ようするに、愚生の頭では、理解不能な小説だったのだろう。

彼は、都会で死にたくは無い、異郷の地で骨を埋めたくないと言ったらしいが、愚生は、故郷は遠きにありて思うもの・・・という意気ばかりで、長い間、故郷の地を踏んでいない。

帰郷するのは、せめて葬儀の時くらいというお粗末さ。およそ、石もて追われるに等しいなりゆきと思い込んでみるのだ。

どうやら、今は、礒多の実家は保存されて、観光資源になっているらしい。

愚生のこどもの頃には、田舎では、噂にも、山頭火も中也もましてや、駆け落ちに神経症があったといわれた礒多は評判が悪かったのだ。

愚生も死ぬ前に一度、郷土の画家、香月泰男記念館にだけは行きたいと考えているので、そのついでに、礒多も山頭火の足跡も訪ねてみたいと思っている。果たしてうまく実現するであろうか。

御前崎燈台(読者より)↓

御前崎燈台.jpg

今日の編集部、新しい女性スタッフ(S・Kさん)を迎えて、1月号の第3コーナーに入りつつある。

この時間午後9時半に、まだ、全員居る。

 

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2012年11月27日

髙橋正子・句美子両氏来訪・・・・

高橋正子・句美子vol.1

 昼過ぎ、「花冠」の代表・高橋正子女史と句美子穰がわざわざ訪ねてこられた。

 句集制作の相談にみえたのだ。

 編集長・林が対応して、愚生は挨拶のみ。

 過日お宅にお伺いして、高橋信之氏と楽しくも有意義な時間を過ごさせていただいた。

 そのときにお会いしたのが初めてであったのだが、お名前だけは、30数年前から知っていた。

 かつて小西昭夫や東沙逍など、「花綵列島」の母体となった俳句会の指導者だったように記憶している。

 初めての拝謁であったが、80歳を越えられてなお、年齢を感じさせない、俳句に対する情熱が溢れていた。

 いち早くインターネットも活用されていたように思う。

 ともあれ、娘さんの句美子氏の句集、どのような句集になるのか楽しみに待ちたい。

 名前からして、俳句を創るために名付けられたような感じだ。

もみじvol.2

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2012年11月26日

第10回東京自由律俳句会・・・

棚橋麗未氏

棚橋麗未氏↑  

11月25日(日)、江東区芭蕉記念館で、第10回東京自由律俳句会が行われた。

 この会は自由律俳句陣営の結社を超えた集まりで、半年に一度開催され、秋季は勉強会と句会が行われる。

 今回の勉強会では、「自由律のルーツを探る」ということで、棚橋麗未氏が「感動律」についての講演が行われた。

 「感動律」は、萩原蘿月の「俳句は感激が第一であり、感動を深く現すには、先ず物事について、強く感動することが第一である。詩人の感激は清く高く内に燃ゆるところが詩人の尊厳である」という感動主義と呼ばれるものに基づいている。

 当日資料によると、蘿月は「感動律俳句概論」(昭和18年)において、冒頭で「私が定型律の俳句を捨てたのは、過去二十五六年前の昔であった。(中略)感激主義と唱へた事が主情主義と改まり感動的と言った語が、主情的・情緒的或は情熱的といふやうに変つただけで意味内容にあまり変化はない(中略)私は今日でもなほ写生といふ態度を捨てなければいけないと考へている。尤も之は根本論であつて、誘導的な方便として言つているのではない」と主張している。 

 俳誌「感動律」は昭和4年、俳文学者でもあった萩原蘿月の指導の下に、内田南草が「唐檜葉(からひば」を創刊し、昭和14年に「多羅葉樹下」に改題、19年に戦時下の統制によって、自由律俳句総合誌「俳句日本」に統合されたのち、敗戦によって「俳句日本」は解散し、22年「梨の花」として創刊。26年南草主宰誌「感動律」に改題した。その「感動律」は平成16年、最晩年の南草自身により終刊された、という。

   どこから撃たれてもよい春の岬に立つ      内田南草

その後は、棚橋麗未氏や有志の方々で「白ゆり句会」が運営されてきている。

      海へのびる単線逢えるかもしれない        棚橋麗未

ケンタロー氏(左)と中筋祖啓氏(右)

ケンタロー氏(左)と中筋祖啓氏(右)↑ 

今回は自由律俳句にも若い人たちがいる、ということが分った。

その一人、本日の出席者、ケンタロー(粟野賢太郎)は「俳句を知ったきっかけは住宅顕信だ」という。21歳だそうである。現在「草原」(自由律俳句・随句)の編集もしている。彼の作品を紹介する。

    お釈迦様にも蜘蛛の巣        賢太郎

    今から無職仏に春の花

    するjことのない青空

この日参加したもう一人の若い自由律俳人は、中筋祖啓(31歳)、3年前にある老人に勧められたのがきっかけという。

    見ただけでおいしいよというインド人   祖啓

    廊下に立っても疲れ知らずの力持ち

    朝型人間の懸垂

東京自由律ツリーvol.1

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2012年11月24日

HIA第14回講演と俳句大会・・・

ラーシュ・ヴァリエ氏

ラーシュ・ヴァリエ氏↑

 11月24日(土)、アルカディア市ヶ谷において、HIA第14回講演と俳句大会が行なわれた。残念ながら、予定されていた日中国交正常化40周年記念特別講演・劉徳有(中国漢俳学会会長)氏の講演は中止になったが、もう一人の記念講演・ラーシュ・ヴァリエ氏(駐日スウェーデン大使、俳人)は「詩歌句とポエジー」と題して、流暢な日本語で話をされた。

 氏はスウェーデンの平和主義による中立政策は200年間にわたって戦争をすることなく、日本の江戸時代に似ていると評されながら、スウェーデンの俳句事情、スウェーデン俳句協会、自ら設立したフリー俳句協会のことなど、俳句作品のよしあしなど率直に縦横に語った。

 また、俳句大会の表彰も行なわれた。受賞作は以下の通り。

・国際俳句交流協会賞

    蜩の集まつてくる無言館        神作仁子

    不器用に生きて八十路や花茗荷   長谷川治恵

・俳人協会賞 

    岬あれば灯台があり鳥渡る      草野准子

・現代俳句協会賞

    昼顔や破船の舳沖を指す      坪井祭星

・日本伝統俳句協会賞

    風向きを少し気にして秋刀魚焼く  伊藤節子

・日本経済新聞社賞

    広重の絵が動き出す大夕立     吉村玲子

・ジャパンタイムズ社賞

    フィヨルドにグリーグを聞く白夜かな 藤野尚之 

有馬朗人氏↓

有馬朗人氏vol.1

コウテイダリア

コウテイダリア↑

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2012年11月22日

坂口昌弘著『平成俳句の好敵手』・・・

『平成俳句の好敵手』

 坂口昌弘著『平成俳句の好適手』(小社刊)が出来上がってきた。

 今朝、取次会社に行って、29日(水)の搬入を決めてきたので、12月には全国主要書店の店頭に並ぶ。

 前著『ライバル俳句史』(平成21年・小社刊)に続く著書で、『句品の輝きー同時代俳人論』(平成18年、小社刊)  

 から数えて三冊目の小社よりの刊行である。前著『ライバル俳句史』から通算すると60組・120人の俳人を比較評してきたこととなる。

 本著は、本誌月刊「俳句界」平成22年7月号から本年12月号まで連載された稿に、加筆修正をほどこし、加えて、朝日新聞平成23年12月5日掲載の「日本文化といのちの俳句」(初出記事は「いのちの俳句」)が収載されている。

 著者「あとがき」のエピグラフにノーベル物理学賞受賞者の二ール・ボアの言葉「お互いに対立するものは相補的である」が引用されている。それは、「すべての俳句観は対立した関係ではなく、お互い相補性の関係にあることを深く理解できるようになった。多様性に満ちた俳句作品・俳句観がお互い対立するのではなく、相補性をもってこの世に存在して俳人の生命を表現している」という観想にたどり着く。

 さらに副題として「俳句精神の今」としている理由について次のようにも記している。それには、

   同時代を生きる俳人たちが心に持っている精神・エスプリを捉えようと試みた。表現技術や評伝 

 面から俳句を論じる俳人批評家が多いが、作品からの感銘を通じて作者の精神にふれる評論は少 

 ないように思える。

 帯に有馬朗人は「文章明晰、論旨判明である。何よりも一つのイデオロギーに固まった偏見がないところが佳いと思う」と言挙げしている。

 その有馬朗人、本著では「大峯あきらVS有馬朗人ーー哲学者と物理学者にとっての俳句」として収録されている。本著を通読していると気づかれ読者も多いと思うが、坂口昌弘の批評も対句的な手法で展開されいる。冒頭もそうだが、末尾の締めくくりにも、例えば、「あきらには、死に関する句が少なくない」・・・、「朗人にはユーモア・ウイットの句が少なくない」というように。

 ともあれ、坂口昌弘の完成、熟成の域に達する批評の手つきも楽しんでいただきたい。

 本著が是非、一人でも多くの読者にめぐりあわんことを期待して・・・

ドングリ↓

ドングリ

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2012年11月21日

風鶴忌(波郷忌)・・・

モミジバスズカケ

 モミジバスズカケ↑

 1969(昭和44)年11月21日、午前8時30分、石田波郷が亡くなった日だ。

戒名が風鶴院波郷居士、風鶴忌とも呼ばれる。波郷忌、借命忌とも言う。

     霜柱俳句は切字響きけり    波郷

 この句が、祝・日米開戦一周年記念のために、当時の活躍中の俳人が寄せた「俳句研究」の特集号に発表されたことを知る人は意外に少ない。

 今、直接の資料が手元にないので、愚生の記憶で言うのだが、詩人も含めて、当然ながら、戦争賛美の作品で埋め尽くされていたことだけは覚えている。

富澤赤黄男も、三橋鷹女など新興俳句人、もちろんその他当時、活躍の俳人の多くが寄稿していた。確か各人3句だったように思う。

その中で、唯一といっていいくらい、表向き戦争に全く関わり無い句を発表していたのが、石田波郷と久保田万太郎のみであった。

 そうして、みれば、多くの人が俳句では切字が大切だということの証明のために、この句を多く引用しているのを見ると、いささか失望するのである。

  霜柱の上五も、その意味でいえば、開戦の日を意識させるに暗示的である。すくなくとも、戦争協力詩ではない。たぶん万太郎の句は、単に鎌倉あたりに出かけてみた・・というような句だったような気がする。

 それだけでも、波郷と万太郎は信頼するに足る俳人だったと思う。

 俳人の「俳」とはそういうことではないのか。

 いわゆる世間の常識とは違うのである。その志を思えば、戦争が常識だった時代にも、ホンモノの俳人はいたのだ。

メジロ?↓

メジロ?

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2012年11月20日

「俳句界」12月号・・・

「俳句界」12月号

本誌12月号(11月24日発売予定)が、昨日出来上がってきた。

 第一特集は「有名人著名人に聞いた・私の好きな一句」。

浅井愼平・荒木経惟・有田芳生・井辻朱美・上野千鶴子・岸田秀・桂由美・ジェームス三木・田島征彦・西村賢太・桝添要一・枡野浩一・森村誠一・橋本治・山藤章二・楊逸・和合亮一・渡部昇一・みなみらんぼう・山田太一等など約50名の著名人の方々にアンケートで〈好きな俳句についての一言〉を書いていただいた。なんと言っても芭蕉が一番多いが、現代俳人の金子兜太、池田澄子も入っている。

 第二特集は「主宰という仕事」で辻桃子「童子主宰」に密着レポート。

・魅惑の俳人は楠本憲吉。

・佐高信の甘口でコンニチハ!のゲストは内橋克人。

・大人のエッセイは「心変り、移り気」で上野誠・内田樹・柳瀬尚紀。

・その他、第5回の文學の森賞、第3回の北斗賞が発表になっている。

みなさん、よろしくご購読をお願いいたします。

12月号が出るといよいよ新年号の印刷所などの年末年始進行の厳しいスケジュールが待っている。

 因みに、今日の編集部は、林編集長は夕刻に某主宰との食事会に出かけ、風邪気味のスタッフは約一名・・・その他は淡々とお仕事・・・。

カラスウリ↓

カラスウリ

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2012年11月19日

「雲取」15周年記念祝賀会・・・

鈴木太郎氏

鈴木太郎氏↑

雲取15周年

左より、筑紫磐井・鳥居三朗・鈴木太郎・多江子・棚山波朗・橋本榮治各氏↑

 昨日、18日(日)、北トピア東武サロンで「雲取」(主宰・鈴木太郎)創刊15周年記念大会&祝賀会が開催された。

 前日とは打って変って晴天に恵まれた祝賀会となった。来賓の棚山波朗、鳥居三郎、橋本榮治各氏の祝辞のあと乾杯の音頭は筑紫磐井氏。

 途中、フルート演奏(青木美咲・山田弥生氏よる)で和んだのちに和田順子、大山雅由、浅井民子、勝又民樹各氏の祝辞があった。

 鈴木太郎「雲取」主宰は、昭和17年福島県生まれ。加藤楸邨に師事し、森澄雄「杉」創刊に参加、平成9年に「雲取」を創刊主宰し、 「伝統とは打破するものだ」という信条をかかげて今日まで、奮闘されている。

 「雲取」11月号「創刊15周年を迎えて」の中で「雲取山は、京都や熊野古道・九州にもあり、秀歌を願う志の山の名である」と記し、俳句は「言葉をもって描く絵」だともいう。「15年の次をめざして歩み続けたいといい、引き続き熱い思いを共にしてゆきたい」と決意も新たにされていた。

       花筏見えぬ観音のせてゆく   太郎

 閉会の辞は、川崎展宏に霊気の妻といわれた鈴木多江子氏。

 その折りの句に、

     鈴木太郎氏「雲取」を創刊」

    大雲取山小雲取山秋高し         展宏

     「雲取」創刊五周年

    太郎黄菊多江子白菊ふくよかに

とある。

 ちなみに愚生が昨日の祝句は、太郎主宰句のパクリながら、

    雲取のよき日色よき龍の玉      恒行

なお、第一回雲取春秋賞・下條杜志子(写真下)、第13回雲取賞・鈴木はるを(写真左端)、宮澤秋生(写真右端)各氏の表彰も行われた。

雲取15周年vol.2

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2012年11月19日

富澤赤黄男・西東三鬼没後50年の集い・・・

高橋龍氏

高橋龍氏↑

三橋孝子氏(三橋敏雄夫人)

 三橋孝子氏(三橋敏雄夫人)↑

 一昨日、11月17日(土)、東京ガス四谷クラブに於て、「富澤赤黄男・西東三鬼没後50年の集い」が開催された。

司会進行は澤好摩氏。参加者は約50名。

 中でも、若くして三鬼の弟子であり、三鬼主宰誌「断崖」同人だった三橋孝子氏が、三鬼の最期の病床の見舞いで、そこに集まっていた俳人たちが、「赤黄男が死んだよ、死んだよ、でも、内緒にしておこうね」と囁きあっていたことと、そのとき、初めて三鬼と赤黄男が親友だったことを知ったと思い出を語られていた。

 赤黄男が亡くなったのは昭和37年3月7日、享年59.それに遅れることわずかの4月1日には三鬼が亡くなった。享年61.

 髙柳重信はその二人の死によって、これで新興俳句は終わったと言ったらしいが、事実はその後に高屋窓秋の作品の復活発表、渡辺白泉も作品を書き残している。

 重信宅(「俳句評論」発行所)には「三鬼のベッド」と呼ばれたソファーもあった。三鬼が東京に来るとそこで眠り、よく泊まっていった。

 ともあれ、こういう集いの会をひらいて、彼ら二人が残した俳句に対する業績を、ときには思い出し、その業績が忘れ去られることのないようにするのも、残された者の俳句形式への務めではないかという高橋龍氏の発案による。

 氏の話のなかで、来年は重信没後30年、志摩聰・大岡頌司没後10年、回忌でいくと三橋敏雄13回忌、山本紫黄7回忌であること。

 赤黄男・三鬼の俳句生活はほぼ25年間、赤黄男・三鬼がその25年間に俳句形式に成し遂げたことと、自らを省みて、はたして25年間で何をなしえたのかを考えてみるきっかけにしていただきたい、と述べ、かつて新興俳句と呼ばれたのは昭和10年頃から権力によって弾圧される昭和15年までのわずか5年間、そのおりに詩ではその期間は中原中也、立原道造、小説では横光利一が活躍していた時代

、つまり新興俳句の置かれていた外側の状況にも目を配ってみるのも必要ではないかと締め括った。

参加者は主に群馬から林桂「鬣」の同人諸兄、鳴戸奈菜「らん」の諸兄姉、志賀康「LOTUS」、高原耕治「未定」、澤好摩「円錐」、また「面」「豈」の同諸兄、歌人でただ一人、江田浩司。

    あはれこの瓦礫の都 冬の虹    赤黄男

    寒灯の一つ一つよ国敗れ       三鬼

赤黄男・三鬼没後50年の集い

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2012年11月16日

ギネスブック・'95 胡蝶蘭・・・

胡蝶蘭 presented by みちのくたろう氏

 上の写真の胡蝶蘭が、みちのくたろう氏から贈られてきた。

 先々月、本誌10月号「全国の秀句コレクション」に載ったのを記念に、ということらしい。

 その句は、「遊牧」(代表・塩野谷仁)に掲載された句で、

      ヨモツヒラサカたろう大多喜ほたる旅      みちのくたろう

 氏は、本名を佐々木好文といい、平成2年に(有)成田洋ランを設立し、平成12年には、洋ランの同一株開花連続世界最長記録(10年3ヶ月)を達成し、また、平成20年には、同一輪の開花世界最長記録(11ヶ月28日)、さらに、同一切花の開花最長記録(120日)を達成されている。いわば、その道の第一人者である。

 氏にまつわるエピソードは数知れないらしいが、昭和45年俳句研究第二回全国俳句大会第一席の入賞賞金を寄付し、東京原爆忌俳句大会設立のスタートともなっている。

 その第一席入選の句は、

       霧の奥小牛の生まれくる騒ぎ      

 いかにも、俳号の〈みちのく・たろう〉に相応しい句だったことを記憶している。愚生が確か21歳のとき、まだ東京に流れ着いたばかりの頃で、その大会に参加したのだった。 

 ともあれ、氏は、弊社から一昨年に『アマゾン創る想ひ』という句集も上梓されている。

 氏の他の句も紹介しておこう。

       津波のレベルの奥に真赤ぞからす瓜

       顔を覆ふてのひらがあり原爆忌

サザンカ↓

サザンカvol.2

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2012年11月14日

書店配本リスト・・・

鮭vol.1

ヒメリンゴvol.1

 ヒメリンゴ↑

 本誌12月号と新年号に、本誌の「取扱書店一覧」を載せるのだが、取次ぎへの各月の搬入部数によっても、また、書店それぞれの売れ行きによっても、毎号配本される書店が変動するので、せきるだけ最新のものにデータを差し替えるために、その元になる「書店配本リスト」を各取次ぎに出してもらうようにして、そのデータを受け取りにいくのだが、そのデータ入手の方法(紙、DVD,メールなど)も値段(意外とかかる)も各社によって違う。

 というわけで、本日は、愚生が午前中に、病院に経過検査のために寄ったついでに、時間が少しあったので、午後一番に九段下の栗田出版販売まで受け取りに行ってきた。

 明日は午後に日販と太洋社に行く予定・・・。

バジル?↓

バジル?

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2012年11月13日

柳田邦男インタビュー・・・

柳田邦男氏

 昨日は午後から、1月号特集「美しい日本語」の巻頭インタビューで、編集長に同行して、柳田邦男事務所にお伺いした。

 柳田邦男氏の座られた後ろの書棚に宮坂静生の著作が並んでいたので、編集長がインタビューに入る前に、どこでお知り合いになったかを訊ねてみた。

 そういえば、『壊れる日本人ー再生編』に、宮坂静生氏の地貌季語について書かれた部分もあった。

遠い記憶のなかに「岳」の記念会で柳田邦男講演があったような・・あいまいなところがあったが、やはりそのときに聞いたのだと思い出した。ついでに思いだしたことは、その記念会の翌日、たまたま、宇多喜代子、高野ムツオ、筑紫磐井、中西夕紀などと散歩がてらの句会になって、「突然、軽井沢吟行句会」として「俳句」に掲載され ることになったことだ。ようやく記憶がつながった。

 また、来年の「岳」35周年、現代俳句協会大会などの記念講演もすでに予定に入っているらしい。

インタビューの最後に、いわゆるノンフィクションで、これまでで記憶に残った美しい文章、印象に残っているのは、俳句に関係する著作では、細谷亮太(亮々)、折笠美秋の著作を上げられ、また辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)からの遺書』を上げられていた。

 そのほか、柳田氏自身の関わっている子どもたちと絵本を読む運動のことなど、現代への批評を忘れないあれこれを縦横に語っていただいた。

 それらのエッセンスは来年1月号で、是非お読みいただきたい。

柳田邦男インタビューvol.2

 今日の編集部は、編集長は体調悪く、果たして横浜俳話会の取材に無事行けたかどうか・・・。スタッフ松本はセレクション結社の取材で波戸岡旭「天頂」に朝から直行している。

ツワブキ↓

ツワブキvol.3

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2012年11月 9日

百閒の眼鏡・・・

百閒の眼鏡vol.1

 多仁竝氏が来社された。

百鬼園主人こと内田百閒風の眼鏡をかけて(写真上)・・・。

   橋と橋の間の道の小春かな     百閒

   菊村に石橋多き日和かな

百閒内田は、『百鬼園俳句』を上梓した頃は、まだ「百閒」ではなく「百間」だった。

明治22年、岡山県岡山市に生まれた。生家は造り酒屋で本名は栄造という。

旧制六高を経て、東大仏文科卒。俳句は志田素琴(義秀)に学んだ。

号は故郷の百閒川に因んだ。

夏目漱石主催「木曜会」にて、芥川龍之介とも交流する。

   河童忌に食い残したる魚骨かな

昭和42年、芸術院会員に推挙されたが辞退した。

その理由は「いやだからいやだ」。

昭和46年没、享年82。

ツバキ↓

ツバキvol.1

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2012年11月 8日

校正戻し・・・

カリンの実

 カリンの実↑

     くらがりに傷つき匂ふくわりんの実    橋本多佳子

     榠櫨の実刃を入れて刃の動かざる    長谷川 櫂

 本日は(いい「11」歯「8」の日)。これから、12月号のゲラ校正を印刷所に戻す日だ。

これで、12月号が一山を越す。

今日の編集部は、校正戻しのためのひたすらな校正・・・。

魅惑の俳人・鈴木真砂女のためのインタビューで、編集長・林とスタッフの三東がさきほど社に戻ってきたばかり。   

     花八ツ手ぽんぽんぽんと晴わたる      野木桃花

     花八ツ手まぢかき星のよく光る        石橋秀野

ヤツデの花↓

ヤツデの花

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2012年11月 7日

「俳人を作ったもの」・・・・

花ダチユラ(エンゼルトランペット)

 花ダチユラ(エンゼルトランペット)↑

 本誌11月号「元気な結社に名編集長あり」の座談会で、小林貴子(岳)、佐藤明彦(童子)、髙柳克弘(鷹)の三人の編集長に登場していただいたが、その中で髙柳克弘は、「『鷹』の中だけを考えるのではなくて、俳句の世界全体びついて、例えば俳句の将来を考えるような企画も折々やっていきたいと思っていて、今年になってから『俳人を作ったもの』という企画をはじめました。そこでは、主宰と同年代の俳人にインタビューして、これからの俳句がどうあるべきか、どうしたいと考えているのかなどを聞いて・・」と述べている。

 本来総合誌に連続的にせめて一年くらいは髙柳克弘の述べたような企画が実現されればいいと(自戒も放擲して・・?)思うのだが、いまやこうした、俳句形式に対する敬意と行く末について案じようとする姿勢は失われて久しい。

 俳句史がどのように紡ぎ出されていくのか、幾時代かが過ぎないと、評価は定まらないとはいえ、その眼差しを、まずは届けておかなければ、一時代を作った俳人の棚上げも棚卸もできない。

 その意味でも、「鷹」の試みにひそかに期待もしている。

 その第三回が正木ゆう子で「鷹」11月号に掲載されている。

 正木ゆう子の正直な、はっきりした姿勢の受け応えがいい。

 例えば「自分が世の中に関わっている以上、それを俳句にしていくというのは、私にとって当然で、というか、それしかできない。自分が今とても関心をもっているものを俳句に詠んでいくしかない。一人ひとりやり方はありますが、俳句の世界も社会の動きを反映するものであってほしい」と言う。

 そのほか、熊本で小学生に俳句を教えたり、福島のサテライト学校に避難している子どもたちに俳句を教えに行ったり、幼少時代や父母・兄とのことなど、初めて知ることもあって、興味深かった。

 若い人へのメッセージでは、雌伏の時期は大切で、早く俳壇に名前が出て「雌伏の至福」がなくなるのは気の毒?とも・・・

        真炎天原子炉に火も苦しむか      ゆう子

        たくさんの百合添へて死を頂戴す 

「たくさんの」句は、兄・正木浩一が亡くなったとき、49歳で、攝津幸彦と同じ年齢の逝去だった。

 これ以上は、直接、お読み下されば幸甚。

ギンバイカの実

ギンバイカの実↑

 今日の編集部、編集長・林は、新年号撮影のためにカメラマン同行で金子兜太宅に直行、直帰。

柿の木↓

柿の木

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2012年11月 6日

明日は立冬・・・

子規、夕焼け段々vol.3

 バショウ↑

 今日は朝から、立冬前の寒い雨の一日となった。

昨日に続いて、日販、栗田出版販売の仕入れ窓口に12月号の搬入部数交渉ために廻った。

      立冬や窓に始まる雨の音      岩田由美

今日の編集部は、12月号のゲラ校正に集中している。

      下駄の音勝気に冬を迎へけり    鈴木真砂女

ある日の上野不忍池↓

子規、夕焼け段々vol.4

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2012年11月 5日

取次ぎ廻り一日目・・・

子規、夕焼け段々vol.1

夕焼け段々↑

 12月号の仕入れ部数交渉のための恒例の、取次ぎ各社を回る第一日目だ。

 先月11月号は別冊付録「俳句ダイアリー」が付いて、出だしの(1週間)書店消化率は、なかなか好調だが、実のところ、一時の勢いがなく部数は伸び悩んでいる。

 我慢のしどころか、それとも、雑誌の時代は終わったと言われている出版業界の構造的な衰退現象のひとつにハマッテしまっているのか。

 とはいえ、連続して売り切れが続いたので、自社在庫を少し増やすための刷り部数もわずかに増やした。

 基本的には、定期購読者の皆さんに支えられているので、その方々への感謝の気持はいっぱいで、購読者のご協力にお礼申し上げたい。

子規、夕焼け段々vol.2

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2012年11月 2日

中西ひろ美氏来社・・・

中西ひろ美氏来社vol.1

 午後一時頃、中西ひろ美・鈴木純一夫妻が来社された。

 中西ひろ美氏の句集出版の打ち合わせに見えられたのだ。

 句集制作の細部については、書籍制作の齋藤春美(名前の末尾に「美」が共通しています)が、詳しくお伺いした。

 中西ひろ美氏にはすでに、句集としての構想が、イメージとしておありのようでした。

 内容は、さまざまな構想に満ちて、面白そうでしたが、それは出来てからのお楽しみにしておきましょう。

打ち合わせ中の中西ひろ美と鈴木純一各氏↓

中西ひろ美氏来社vol.2

 さて、今日の編集部は、印刷所への12月号の入稿第二弾です。編集後記も書きました。

 愚生は来週の初めに各取次ぎを廻り、12月号の取次ぎ搬入部数を決める予定です。

 

中西ひろ美氏来社vol.3

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2012年11月 1日

12月号第一弾入稿・・・

12月号第一弾入稿vol.1

 ハロウインの翌日、つまり、本日は諸聖人の祝日とのこと。

本誌12月号(11月24日発売予定)の印刷所への第一弾の入稿日である。

もうすぐ立冬も近いので、朝晩はめっきり涼しく?いや寒さを感じるようになってきた。

(あの暑い夏はどこへ行ってしまったのだろうか・・・)。

どうやら、世間では立派に老人らしい愚生には、暑さにも弱いが、寒さにも弱い・・・と、ぶつぶついいながら、今度は今年の寒さをどう過ごしていけばいいのか、などと考えこんでしまう。

といっても、何もするわけではなく、ほんとは家でじっとしているのが一番体にはいいのかもしれない。

     むさし野の冬めき来る木立かな      高木晴子

12月号第一弾入稿vol.2

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