2012年11月26日

第10回東京自由律俳句会・・・

棚橋麗未氏

棚橋麗未氏↑  

11月25日(日)、江東区芭蕉記念館で、第10回東京自由律俳句会が行われた。

 この会は自由律俳句陣営の結社を超えた集まりで、半年に一度開催され、秋季は勉強会と句会が行われる。

 今回の勉強会では、「自由律のルーツを探る」ということで、棚橋麗未氏が「感動律」についての講演が行われた。

 「感動律」は、萩原蘿月の「俳句は感激が第一であり、感動を深く現すには、先ず物事について、強く感動することが第一である。詩人の感激は清く高く内に燃ゆるところが詩人の尊厳である」という感動主義と呼ばれるものに基づいている。

 当日資料によると、蘿月は「感動律俳句概論」(昭和18年)において、冒頭で「私が定型律の俳句を捨てたのは、過去二十五六年前の昔であった。(中略)感激主義と唱へた事が主情主義と改まり感動的と言った語が、主情的・情緒的或は情熱的といふやうに変つただけで意味内容にあまり変化はない(中略)私は今日でもなほ写生といふ態度を捨てなければいけないと考へている。尤も之は根本論であつて、誘導的な方便として言つているのではない」と主張している。 

 俳誌「感動律」は昭和4年、俳文学者でもあった萩原蘿月の指導の下に、内田南草が「唐檜葉(からひば」を創刊し、昭和14年に「多羅葉樹下」に改題、19年に戦時下の統制によって、自由律俳句総合誌「俳句日本」に統合されたのち、敗戦によって「俳句日本」は解散し、22年「梨の花」として創刊。26年南草主宰誌「感動律」に改題した。その「感動律」は平成16年、最晩年の南草自身により終刊された、という。

   どこから撃たれてもよい春の岬に立つ      内田南草

その後は、棚橋麗未氏や有志の方々で「白ゆり句会」が運営されてきている。

      海へのびる単線逢えるかもしれない        棚橋麗未

ケンタロー氏(左)と中筋祖啓氏(右)

ケンタロー氏(左)と中筋祖啓氏(右)↑ 

今回は自由律俳句にも若い人たちがいる、ということが分った。

その一人、本日の出席者、ケンタロー(粟野賢太郎)は「俳句を知ったきっかけは住宅顕信だ」という。21歳だそうである。現在「草原」(自由律俳句・随句)の編集もしている。彼の作品を紹介する。

    お釈迦様にも蜘蛛の巣        賢太郎

    今から無職仏に春の花

    するjことのない青空

この日参加したもう一人の若い自由律俳人は、中筋祖啓(31歳)、3年前にある老人に勧められたのがきっかけという。

    見ただけでおいしいよというインド人   祖啓

    廊下に立っても疲れ知らずの力持ち

    朝型人間の懸垂

東京自由律ツリーvol.1

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