2012年11月 7日

「俳人を作ったもの」・・・・

花ダチユラ(エンゼルトランペット)

 花ダチユラ(エンゼルトランペット)↑

 本誌11月号「元気な結社に名編集長あり」の座談会で、小林貴子(岳)、佐藤明彦(童子)、髙柳克弘(鷹)の三人の編集長に登場していただいたが、その中で髙柳克弘は、「『鷹』の中だけを考えるのではなくて、俳句の世界全体びついて、例えば俳句の将来を考えるような企画も折々やっていきたいと思っていて、今年になってから『俳人を作ったもの』という企画をはじめました。そこでは、主宰と同年代の俳人にインタビューして、これからの俳句がどうあるべきか、どうしたいと考えているのかなどを聞いて・・」と述べている。

 本来総合誌に連続的にせめて一年くらいは髙柳克弘の述べたような企画が実現されればいいと(自戒も放擲して・・?)思うのだが、いまやこうした、俳句形式に対する敬意と行く末について案じようとする姿勢は失われて久しい。

 俳句史がどのように紡ぎ出されていくのか、幾時代かが過ぎないと、評価は定まらないとはいえ、その眼差しを、まずは届けておかなければ、一時代を作った俳人の棚上げも棚卸もできない。

 その意味でも、「鷹」の試みにひそかに期待もしている。

 その第三回が正木ゆう子で「鷹」11月号に掲載されている。

 正木ゆう子の正直な、はっきりした姿勢の受け応えがいい。

 例えば「自分が世の中に関わっている以上、それを俳句にしていくというのは、私にとって当然で、というか、それしかできない。自分が今とても関心をもっているものを俳句に詠んでいくしかない。一人ひとりやり方はありますが、俳句の世界も社会の動きを反映するものであってほしい」と言う。

 そのほか、熊本で小学生に俳句を教えたり、福島のサテライト学校に避難している子どもたちに俳句を教えに行ったり、幼少時代や父母・兄とのことなど、初めて知ることもあって、興味深かった。

 若い人へのメッセージでは、雌伏の時期は大切で、早く俳壇に名前が出て「雌伏の至福」がなくなるのは気の毒?とも・・・

        真炎天原子炉に火も苦しむか      ゆう子

        たくさんの百合添へて死を頂戴す 

「たくさんの」句は、兄・正木浩一が亡くなったとき、49歳で、攝津幸彦と同じ年齢の逝去だった。

 これ以上は、直接、お読み下されば幸甚。

ギンバイカの実

ギンバイカの実↑

 今日の編集部、編集長・林は、新年号撮影のためにカメラマン同行で金子兜太宅に直行、直帰。

柿の木↓

柿の木

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