2012年11月21日

風鶴忌(波郷忌)・・・

モミジバスズカケ

 モミジバスズカケ↑

 1969(昭和44)年11月21日、午前8時30分、石田波郷が亡くなった日だ。

戒名が風鶴院波郷居士、風鶴忌とも呼ばれる。波郷忌、借命忌とも言う。

     霜柱俳句は切字響きけり    波郷

 この句が、祝・日米開戦一周年記念のために、当時の活躍中の俳人が寄せた「俳句研究」の特集号に発表されたことを知る人は意外に少ない。

 今、直接の資料が手元にないので、愚生の記憶で言うのだが、詩人も含めて、当然ながら、戦争賛美の作品で埋め尽くされていたことだけは覚えている。

富澤赤黄男も、三橋鷹女など新興俳句人、もちろんその他当時、活躍の俳人の多くが寄稿していた。確か各人3句だったように思う。

その中で、唯一といっていいくらい、表向き戦争に全く関わり無い句を発表していたのが、石田波郷と久保田万太郎のみであった。

 そうして、みれば、多くの人が俳句では切字が大切だということの証明のために、この句を多く引用しているのを見ると、いささか失望するのである。

  霜柱の上五も、その意味でいえば、開戦の日を意識させるに暗示的である。すくなくとも、戦争協力詩ではない。たぶん万太郎の句は、単に鎌倉あたりに出かけてみた・・というような句だったような気がする。

 それだけでも、波郷と万太郎は信頼するに足る俳人だったと思う。

 俳人の「俳」とはそういうことではないのか。

 いわゆる世間の常識とは違うのである。その志を思えば、戦争が常識だった時代にも、ホンモノの俳人はいたのだ。

メジロ?↓

メジロ?

| コメント(0)

コメントする