2012年12月 7日

明日は・・12月8日・・

明日は...12月8日...

 明日は、12月8日、昭和16年日米開戦、真珠湾奇襲の日にして、ジョン・レノン忌である。

この日本の奇襲は、外交上追い詰められた日本が先に手を出すように仕向けられたともいわれ、それを予期していた大統領・ルーズベルトはさも驚いたように「リメンバー・パール・ハーバー」というわけらしい。これには、相手に攻撃させて、初めて反撃するという、当時の戦争哲学・戦争道徳?があったという。いわば、相手を挑発しておいて、あたかも正義は我が方にありというわけだ。

この点については、日本も劣らない。

昭和7年、中国東北部に「五族協和」と「王道楽土」の理想郷を掲げて満州国を建国させたのだから。

そして、清朝の愛新覚羅(あいしんかくら)家のラストエンペラー溥儀氏が傀儡政権の皇帝に即位した。

この皇帝に子がなかったので、関東軍は弟の溥傑氏に嶬峨公爵家の長女・浩(ひろ)を結婚させ、さらに支配を強めようということだった。

しかし、日本の敗戦によって、夫溥傑は戦犯、みずからも中国各地を逃避行。まさに家族は引き裂かれ、流転の王妃となった。娘・慧生も二十歳で無理心中させられるなど悲劇は続く。夫・溥傑と再会できるのが昭和36年。かつて国家の力で、結婚させられたが、運命とも言える夫婦愛は貫かれた。その書に、「からくにと やまとのくにが むすばれて とわにさちあれ ちよにやちよに」「ふたくにの とわのむすびの かすが

いになりてはてたき わがいのちかな」と戦後の中日国交回復後に歌を詠んでいる。

尖閣問題・・・お互いが仲良くできる道をさぐることが、溥傑と浩の強い願いだったとすれば、武力ではなく、それを実現することをめざすことこそが、その志に報いることであろう。ならば政治家はおたがいに知恵を出し合ってその実現に尽力すべきである。

その愛新覚羅 浩の『流転の王妃 昭和史』には、弊社近くの高田馬場の学習院中学校が出てくる(門のみが重要文化財で残されている。下の写真)」。

学習院正門1.jpg

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