2013年3月のブログ記事

2013年3月29日

攝津資子インタビュー・・・

攝津資子インタビューvol.1

 昨日、本誌6月号「魅惑の俳人・攝津幸彦」のために攝津資子(もとこ)夫人にインタビューをお願いした。

インタビューの後に、酒巻英一郎宅にお伺いして、攝津幸彦と安井浩司が酒巻宅で深夜酔っ払って、新築なったばかりの襖に、筆で書きなぐった「奥の細道」を撮影させてもらった。その折、攝津幸彦は安井浩司のネクタイを首に巻き、安井浩司は攝津幸彦の着ていたシャツを着て、合わせて帽子もそのままにそれぞれの家路に向かったという。そのネクタイはいまだに攝津家にあり、幸彦のシャツと帽子は、その後、幸彦逝去の折に、秋田の安井宅の庭で安井浩司の合掌とともに、荼毘に付され、今はその思い出だけが残されているのだ。

攝津資子には『幸彦幻景』の一本があり、それは、「紫」に平成12年7月から平成16年11月まで4年間にわたって連載されたものを纏めたもの。「豈」同人であった山﨑十生(「紫」主宰)が、とにかく一回でいいからと夫人の資子さんに攝津幸彦について書いて下さいと慫慂し、そのまま連載に移行したものだ。

家では、仕事の話も一切せず、もちろん俳句の話もしなかった幸彦。家庭では一度も激昂したことはなかったという。もちろん、会社(当時・旭広告通信社勤務)でも俳人であることは、全く伏せていた。

幸彦の葬儀には、会社関係俳人関係合わせて約千人以上の方々が来られたようだが、記帳されたその名が、どちらのものなのか分らなかったとの話だった。

つまり、幸彦逝去後、一周忌の偲ぶ会が行なわれることになって初めて、幸彦の俳人としての姿とビジネスマンとしての姿が全句集や、会社同僚の編んだ『幸彦文集』によって統一され明らかになったのだった。

ともあれ、49歳で夭逝した幸彦の俳句は、まぎれもなく新しかったのだ、ということが死後17年を経る今頃になって、明らかになりつつあるといえよう。

 攝津幸彦と安井浩司が書きなぐった酒巻邸の襖↓

攝津幸彦と安井浩司が書きなぐった酒巻邸の襖vol.2

 今回のインタビューで資本夫人の幸彦の好きな俳句を3句挙げていただいたが、それは本誌6月号を楽しみにお待ちいただきたい。

        南浦和のダリヤを仮りのあはれとす       幸彦

        幾千代も散るは美し明日は三越

        南国に死して御恩のみなみかぜ

        階段を濡らして昼が来てゐたり

        国家よりワタクシ大事さくらんぼ

        

 発表された最期の句は、小冊子「そして」に載った

       糸電話古人の秋につながりぬ      幸彦

ヒトリシズカ↓

ヒトリシズカvol.1

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2013年3月28日

磯貝碧蹄館告別式・・・

磯貝碧蹄館告別式vol.1

 磯貝碧蹄館氏が3月24日午前4時に逝去された。

28日(木)、さいたま市のさがみ典礼やすらぎホール南浦和において行なわれた告別式に参列した。

碧蹄館氏は本名、甚吉。10代から川柳を村田周魚、俳句を萩原ら(草冠に羅)月に学び、1954年、中村草田男に師事あいた。第6回角川俳句賞、66年には第6回俳人協会賞を受賞。

俳号は、軍隊で碧南市に行き馬の世話をしたことから碧蹄館とした。

書を金子鴎亭に学び、俳書一如をおしすすめた。

74年「握手」を創刊主宰。「握手」の命名はご子息の絵画作品名からのものらしい。

先年、「握手」俳句会の糸大八を喪い、今また碧蹄館を喪った。

   「いろはにこんぺえと」地を跳べ地が父冬日が母       碧蹄館

句集に『花粉童子』『道化』『馬頭琴』など。

ご冥福を祈る。

オドリコソウ↓

オドリコソウvol.2

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2013年3月26日

坊城俊樹句集『日月星辰』刊行祝賀会・・・

坊城俊樹氏句集刊行祝賀会vol.1

 

句集『日月星辰』刊行祝賀会vol.2

右より俊樹奥様、坊城中子様↑

 昨夜、東京千代田区・日比谷図書文化館・小ホールに於て、坊城俊樹第三句集『日月星辰(じつげつせいしん』刊行祝賀会が開催された。

当夜は「花鳥」(主宰・坊城俊樹)の内輪の会と申されたものの、俊樹主宰のお祝いに是非にと駆けつけられた句会の会員に方々を中心に99名・・二句出しの句会は、主宰特選7句(主宰色紙授与)を目指して大いに盛り上がった。

    日月星辰一木一草春を待つ     俊樹

 句集「あとがき」によると『虚子俳話』における「日月」は太陽、「星辰」は星、あわせて宇宙ほどのこという。

「一木一草」、虚子は、すべてをひっくるめて、「そこに情を有す」とし、「その情を感じ、それらに人間の情を移すのが俳句である」としたとも記されている。

平成16年から平成24年まで逆編年順に配された句は478句。万に近い句数からの選句とあれば、厳選というべきだろう。

たぶん、多くの捨てられた句を編み直せば、別の表情をもった句集となったに違いない。

それはそれで、この句集によって、俊樹主宰が次のように述べたことが核心となっているゆえだろう。

   一木一草、禽獣虫魚、日月星辰に対峙しどこまで情を移すことが出来たかわかりませんが、この 

 俳句の姿勢は私の一生のものであるとこの句集で確信したわけであります。    

ともあれ、愚生は、とりわけ震災を詠んだ句の

   しだらでん母と摘み置く菫さへ

に感銘。「しだらでん」には三橋敏雄を思い起こしたせいにちがいない。

当日の挨拶句に二句投句し、俊樹選入選の名誉の句は・・

   千代田にて千年ひそみ散るさくら      恒行

ボツの句は(アイサツとしては、このほうがいいと思うのだが・・・)以下。

   日月星辰坊城俊樹春は来る

ちなみに来賓挨拶は大輪靖宏氏、飯塚書店の飯塚行男社長、担当編集者の星野慶子氏だった。

オキナグサ↓

オキナグサvol.1

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2013年3月26日

現代俳句協会総会・・・

 

25年度現俳協総会 010.jpg 

 宮坂静生会長↑ 

 3月23日(土)、東京上野・東天紅に於いて、平成25年度の現代俳句協会通常総会が行われた。

会場目の前の不忍の池は、満開の桜で、花見の人たちで賑わっていた。

宇多喜代子氏は乾杯の挨拶の折、三月の総会で、これまで桜が満開になったことはなく、今年が初めてとおっしゃっていた。

開会の辞は、安西篤副会長が「生き直す言葉、語り直す言葉」をこのニ年間原発事故の長期化もあって考え続けてきたと述べられ、本日の協会の提案事項は、自分の問題としてとらえ、各地区の活動に生かしてもらいたい、そして、交流を広げていただいきたいと続けた。

宮坂静生会長は「桜かくし」という言葉に触れて、人為が及ばないことに触れて、震災を俳句を通して残していきたいともいわれた。「桜かくし」とはその花の季節にふる雪のこと「あたら世を桜隠しとなりにけり」。

言葉の力の大切さ、やさしさについても触れられていた。

 25年度現俳協総会 002.jpg

キーン氏代理の前田良和氏↑

 また、第13回現代俳句協会大賞はドナルド・キーン氏に贈られた。

氏の著書『百代の過客』『正岡子規』など日本の短詩型文学を世界文学の中に位置づけた功績が評価された。

キーン氏は、ニューヨークにおられ、今回は代理で前田良和氏が受け取られ、挨拶された(10月30日の第50回現代俳句大会には出席される予定とか・・・)。

前田氏は、中央公論社で20歳の頃から、キーン氏とお付き合いがり、日本でのキーン宅の鍵をも預かっておられるとのことだった。

総会の後は懇親会で新入会員の紹介など、交流の場が広がっていた。

武蔵野公園自然vol.324

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2013年3月22日

平田房子『丘の予感』・・・

『丘の予感』

   めでたいで済まぬ長生き干鱈かむ        房子

「めでたいで済まぬ長生き」にさまざまな思いがこもっている。

もちろん、自分のことも。

そして、母や夫やを含む肉親のこと。

超高齢化を迎える社会生活のことも。

しかし、それらがかかえる困難事も、師の大牧広の心情溢れる序文に従えば、著者の前向きな気力で、解決に向かう明るい予感をもたらすこと請け合いのようだ。

口絵の「横浜市開港記念会館」は、平田茂昭という名からすれば、どこにも記されていないが夫君ではなかろうか。そうであればこれも素晴らしいことだ。

大牧広が序文で称揚した句はもちろん佳句揃いだが、ここは、小生の好みというか、もう一つのこの句集の特徴につて触れておきたい。例えば父を思う句は、次の句などが象徴的に語っていよう。

   父逝くはやはり犬死招魂祭

   八月の一通の遺書父いまも

   「右へならへ」死後としたきや終戦日

母上は、故郷小豆島で白寿でご健在のとのことだ。いまでは、俳句を通して語り合っておられる。

   上京の母年来の冬帽子

   鳥雲に母の歩幅の狭まり来

 あるいは、夫への気遣いの句もさりげなく置かれている。

   省略のできぬ夫の絵田水沸く

   長寿眉と夫をおだてる十三夜

そして、現代社会、世相へのまなざしの句・・・

    朧より鮫のごとくに自衛艦

    進化とは滅びに至る大花野

    藷粥や軍国少女でありしころ

    春闘をずる抜けしたる頃昭和

    百花には百の散りざま原爆忌

最期に小生の最も気に入った大らかな気息の句を挙げておきたい。

   日本中ふる里なりし稲の花

   冬夕焼ひとり見るには大きすぎ

   筆始「気」と大書して先づ元気

   背に余る試練もうよい衣更

最期の句は、大震災を詠んだものではなかろうか。もちろん、そうでなくてもよい。

そういう気分なのだ。ささやかであっても幸せを願わずにはいられない。

ナノハナ↓

ナノハナvol.2

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2013年3月19日

赤尾兜子33回忌・・・

兜子33回忌vol.1

 一昨日、17日(日)、小浜宿毫攝寺(ごうしょうじ)に於て、赤尾兜子33回忌の法要が行われた。

ごく内輪の会ということであったが、兜子ゆかりの方々約20名が集まり、兜子を偲んだ。

   音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢        兜子

   広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み

昭和三十年代、戦後俳句の兜太、重信などと一括りにされた前衛俳句のなかで、兜子はもっとも前衛らしい風貌の俳句を作った。

 1960年俳誌「渦」を創刊し、のち主宰した。戦後派俳人の多くが同人誌に拠ったのとは別に若くして主宰誌をもった。

現代俳句を担う俊秀を多く擁しながら、「大雷雨鬱王と会うあさの夢」のごとく、1981年、56歳の生涯を閉じた。

以後「渦」は夫人の恵以氏が代表となり、のちに主宰を継承し、今日まで兜子の顕彰を行い、「渦」門人を率いて、営々と道を築かれてきた。

法要の後は、宝塚ホテルにて懇親会が行われた。

 また、翌18日は、本誌6月号・セレクション結社「渦」の撮影のために、カメラマンの赤羽真也氏とともに兜子館に恵以氏を訪ねた。

兜子館は兜子遺品とともに恵以の染筆も置かれてあった。

兜子33回忌vol.2

 「渦」の今後については、新たに編集長となった山中西放氏がいよいよ恵以時代の「渦」の発展に尽くされるにちがいない。

↓兜子館館長・赤尾徳也(兜子ご子息)と恵以氏に見送られ、館を後にした。

赤尾徳也氏と恵以氏に見送られ

コブシ↓

コブシvol.3

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2013年3月15日

黒田杏子インタビュー・・・

黒田杏子インタビューvol.1

昨日、山の上ホテル別館ロビーで、本誌5月号「魅惑の俳人・山口青邨」についての黒田杏子インタビューに編集長と一緒に伺った。色々なお話を伺うことができたが、それは本誌5月号(4月25日発売予定)を楽しみにして頂きたい。杏子氏は最近『手紙歳時記』(白水社)を刊行され、それに因んで、杏子氏が主宰されている「藍生」3月号は「手紙」の特集である。愚生は手紙の仕舞い方、整理についてはとんと自信がないどころか、散逸するにまかせられている。いくつかの大事な手紙もあったはずだが、引越しなどでどこに行ったか分らないという体たらくだ。

もう一昔も前もことになるが、三橋敏雄氏が亡くなられて、間もない頃に、小田原のお宅に伺ったことがある

。夫人の三橋孝子さんに書斎に入れていただいたが、手紙類はもののみごとに差出人ごとに輪ゴムや紐で束ねられていた。愚生には及びもつかないキチンとした整理魔でもあったのだ。三橋氏の書かれる文に派手さはないが、実に緻密に事実に即してかかれていて、その信頼すべきは比類をみなかったのもこうした事情がることが即座にうべなわれた。

三橋敏雄氏の手紙の痛恨の思い出は、普段はハガキくらいしかいただいたことはないのだが、八王子の三橋氏の家が詐欺によって失われたときの手紙で、その当人の実名も書かれたものであったが、遠山陽子著『評伝・三橋敏雄ーしたたかなダンディズムー』連載の折に、そのお手紙を遠山氏にお渡しするつもりで探したのだが、ついにどこにもなかったことだ。そのほか、学生時代に赤尾兜子からいただいたハガキ・・。これは京都に居たときで、その後、鞄一つで東京に流れついているので、無くなって当然といえばとうぜんなのだが、今頃、その申し訳なさに臍を噛んでいるのである(兜子には、ついに会わずじまいだった)。

イヌフグリ↓

イヌフグリvol.4

閑話休題・・・・

これも昨日のことだが、地下鉄・高田馬場駅で帰路の広渡敬雄氏とお会いした。愚生は飯田橋まで出る用向きがあったので、一緒に電車に乗った。広渡氏の自宅は千葉だそうだから地下鉄東西線で通勤されているのだ。会社が高田馬場にあるとおっしゃっていた。山登りは相当に達者らしい。師は能村登四郎。その悼みの句に、

     ねんごろに蛍袋に触れゐたる       敬雄

の句がある。

能村登四郎「蛍袋に指入れて人悼みけり」句に拠っている。広渡氏、昨年の角川俳句賞の受賞者・・というのが通りがいいかも知れない。

スイセン↓

スイセンvol.3

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2013年3月12日

さくら・・・・

 

さくら・・.jpg

 河津桜は満開、そのほか高田馬場付近でも名はしらないけれども、鉢植えの桜の花が咲いているのを見かけるようになった。

通勤途中の辛夷の花も咲いているのがある。

木蓮もつぼみを膨らませている。

さくらの花言葉は「精神美」だそうである。

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は花の宮殿の奥深く住み、父の言いつけで富士山頂に天降り、種を撒き散らした。以後、桜の花が咲き乱れるようになったという話だ。

もっとも、昔の日本の桜はヤマザクラを指している。

日本の国花だ。

ソメイヨシノは明治初年頃から東京をはじめ全国に拡がった。

     日輪の曇らんとする花の上     後藤夜半

 

今日の編集部、スタッフ松本は、横浜まで「私の一冊」のグラビア撮影で河野薫氏邸まで出かけている。

梅?.jpg

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2013年3月11日

羽村美和子句集『堕天使の羽』・・・

句集『堕天使の羽』

 句集名は、

    すいかずら堕天使の羽干してある     美和子

の句からである。

岸本マチ子氏の帯文には次のように記してある。

   永遠の恋人

   詩魔を追い求め

   黄昏のぶらんこに

   乗り続ける堕天使

   すいかずらに

   干したのははたして

   その羽だったのだろうか

   それとも言葉(ことのは)?

   あゝ 寒夕焼が燃える

   燃える

 見事な惹句で、実は、小生の解説のタイトルは「永遠の恋人・詩魔」をつけたように思うが、この岸本氏の帯とあまりに近くなりすぎるということで、あっさり小生の解説からタイトルは外された(恨んではイマセン)。

羽村美和子句集についての批評は、句集巻末の小生の解説をお読みいただければありがたい。

従って、このブログにはもう少し俳句作品でない部分にアトランダムに触れさせていただきたい。

 羽村美和子は山口県柳井市生まれ。

 ということは、小生も生まれは山口県なので同郷のよしみということになる(じつはそのことは、解説を書く段になるまで全く失念していた)。

そして、彼女は、小生も所属する同人誌「豈」の仲間である(ライバルにして同志・・)。また、「WA」(代表・岸本マチ子)と連衆(代表・谷口慎也)の同人でもある。

さらに彼女は、2001年、「橋」(代表・柳田知常)の同人であった。奇しき因縁といおうか、小生が20歳代の頃、「俳句評論」(代表・高柳重信)の俳句大会で、柳田知常氏の特選(確か「うなずきながらほそいうめきの貝の足 恒行」)を得て知常氏の色紙をいただいたことがある。知常の娘さんが、かつて「豈」同人であった橋本七尾子氏(現在、「円錐」同人)。

美和子氏が「豈」同人になったのは、同じ仲間の中村冬美氏ともども、岸本マチ子氏の紹介に拠っている(実は昔、岸本マチ子氏も「豈」同人であった)。

「橋」は昭和52年に創刊された同人誌で、10年ほど前に終刊しているが、加藤鎮司、津根元潮、新山美津代、橋本輝久、星野昌彦、村田治男、五十嵐研三、上月章など錚々たるメンバーを擁していたように記憶している。

人のつながりとは不思議なものである。

羽村美和子は「橋」解散ののち、第一句集『ローズティー』(2003年、橋の会刊)を携えて「豈」に参加されたのだ。

    ローズティー夕日の匂い別れの匂い

   遠野火や恋は誤作動しはじめる

など、初々しい句が目白押しだが、じつは初めから一句は完成された相貌をもっていた、ように思う。

これは、『堕天使の羽』の解説でも言ったことだが、彼女の初期から一貫してモチーフは繰り返され、追求され続けている。

  話を冒頭の句にもどすと、すいかずらの葉は、蔓に対生しているので、それを堕天使の羽と見立てたのだが、下五「干してある」の断定がいかなる表徴であるのかは、じつは知らされていない。この見立てと機智がないまぜになったところに美和子俳句のもうひとつの特徴があると言ってもいい。

今後の詩魔に期待されるべきは堕天使ならぬサタンの羽を呼び込むまで待つ膂力かも知れない。

しばらくしたら、教師の職も辞されるやに聞いているので(少し早い定年かも・・)、現実的なくびきから解き放たれて、ますます自由に、俳句作品の創造に取り組まれるに違いない。さらに、今後が期待される俳人なのである。

       裏庭はジュラ紀の匂い春の雨

       後の月化石はすでに熱を持ち

       虎落笛次は16ビートで来い

       春の夜の恐竜図鑑開いている

       土になる骨水になる白丁花

       久女の忌飛べない鳥を飼っている

       方舟に花野の風も乗せて下さい

       天窓から月の梯子が降りてくる

       面(おもて)の眼覗けば春の深い闇

カタクリ↓

カタクリvol.1

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2013年3月 6日

俳人協会三賞授賞式・・・

俳人協会受賞式平成25年

上写真は挨拶する鷹羽狩行会長と

各受賞者(左より堀本裕樹・下坂速穂・甲斐由起子・片山由美子・筑紫磐井・中村雅樹)。↑

 昨日、3月5日(火)午後4時より、東京・京王プラザホテルにおいて、第52回俳人協会賞、第36回俳人協会新人賞、第27回評論賞の授賞式が行われた。ちなみに、受賞者は以下の通り。

 ・協会賞   句集『香雨』(ふらんす堂)   片山由美子

 ・新人賞  句集『雪華』(ふらんす堂)   甲斐由起子

        句集『眼光』(ふらんす堂)   下坂速穂

        句集『熊野曼荼羅』(文學の森) 堀本裕樹

・評論賞  『伝統の探求ー題詠文学論ー」(ウエップ)  筑紫磐井

       『俳人 橋本鶏二』(本阿弥書店) 中村雅樹

 愚生は、編集長林が所用のため出席できなかったので代理で取材。御蔭で多くの方に親しくお会いできた。

筑紫磐井の二次会挨拶↓

俳人協会受賞式二次会

授賞式のあとの二次会は筑紫磐井主宰「題詠句会」のメンバーを中心としたお祝いの会ということで、新宿東南口すぐのジャズバー「サムライ」で気持のいい時間を過ごした。

「豈」からも飯田冬眞、北川美美、酒巻英一郎、福田葉子、早瀬惠子、そして愚生が参加した。

「サムライ」の主人は宮崎二健で「豈」同人、回文句の名手である。加えて招き猫収集家としても名高い。

ご主人は、文壇バーにしたいと仰っていたが、最近は俳人の方々のお越しが少ないと嘆いていた。

店は年中無休なので、ご利用あれ。

今夜の題は「春宵」で挨拶の一句・・・

    でんとうの値千金春の宵     恒行

を披露して帰ろうとしたら、しなだしんから「つまらない句に拍手してはイカン!」と注文がついた。

愚生は歳の功でで「つまらない句を詠めるようにならなければ駄目だ」と応じておいた。

他に、本井英、中西夕紀、栗山心、深谷義紀、池田瑠那、吉村毬子、鈴木忍、西村麒麟、山田真砂年などの面々は夜も更けるの忘れて酒盃を重ねていた。

シダレウメ↓

シダレウメvol.1

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2013年3月 4日

花森こま編『君住む街角』・・・

『君住む街角』vol.1

 タイトル脇に「俳句・短歌・川柳合同アンソロジー」とある。

つまり、花森こまが発行人をつとめる個人誌 「逸」に参加したそれぞれのジャンルの作家たちのアンソロジー30句(首)+花森こまによる小作家論という体裁である(小作家論はいずれも愛情にあふれた正鵠を射た手ごたえがある)。

いわば、花森こまのメガネに適った作家たちということになろうか。

因みに、二句(首)ずつ紹介する。

    まろうど来右手に虹を飼い馴らし      五十嵐進「雷帝へ」

    海として人類染まる夕陽アフリカ

    現代ト書き野遊びに出でにけり      五十嵐秀彦「駅前天使」

    日脚伸ぶ駅前天使禁猟区  

    京言葉になる女学生春立ちぬ      石原明「夜光時計」  

    信じてと必死に動く海鼠かな

    初夢を執事に聞かせたく目覚む     石原ユキオ「ロココごころ」

    闇汁にブーケガルニを投げ入れな

    一峰(ひとお)越え師よ垂直の蛇はいる 木戸葉三「常景」

    皇国のなんでこの世のゆび鳴らす

    東洲斎写楽身体髪膚秋         小島ノブヨシ「私雨」

    龍の玉十五少年漂流記

    春愁ひ性病に関しては処女      澤田 澪「服従の思春期」

    生が終ふ死が終ふガーベラがきれい 

    音立てて玉葱太るドライアイ      杉山あけみ「一度きり」

    踝のすとんと暮れし神集い

    髪にすゝき挿し添へ旅のやどり哉   竹邑くしひ「パプノティコンの夜」

    焚火離るる我に珈琲もう一杯

    蝉たちよお前ら永遠に生き伸びて死ぬのは僕と僕ばかりの夏

                           仲 青「41歳の夏休み」 

    廃校になった全ての教室の落書きを消しにいく旅にゆく

    初心者だから蒟蒻を食べている    楢崎進弘「千鳥饅頭」

    水無月の泣き泣き食べる千鳥饅頭

    信号を待てばうしろで声がして振り向くことの恐ろしくもある

                          楢崎進弘「雨降れば冬瓜に」

    冬瓜に囲まれて身動きとれずあっと言う間の夏の桟橋

    老いらくの恋のエリマキトカゲかな    渡辺隆夫「老いらくの」

    老いらくのラブ・イズ・オーバーの春之雪

    如月を夢の中でも抱きしめる       花森こま「無音霊歌」

    冬薔薇に父の体温のこりけり   

『銀河の恋人』(2005年)

  花森こまには、以前にも弊社から句集『銀河の恋人』(2005年)を出させていただいている。

 その句集は川柳から俳句に表現ジャンルを変え、永田耕衣に師事し、阪神淡路大震災に被災してから10年の歳月を閲して刊行された句集であった。跋文に和田悟朗、藤原龍一郎を配しての一巻であった。

 開巻頭の句は、

    一月十七日花びらを飲み干す          こま   

である。   

 アンソロジーも句集もいずれも花森こまの表現行為を培ってきた「逸」が生みだした作群ということになるだろう。

モミジバスズカケ↓  

モミジバスズカケvol.1

モミジバスズカケvol.2

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