2013年3月15日

黒田杏子インタビュー・・・

黒田杏子インタビューvol.1

昨日、山の上ホテル別館ロビーで、本誌5月号「魅惑の俳人・山口青邨」についての黒田杏子インタビューに編集長と一緒に伺った。色々なお話を伺うことができたが、それは本誌5月号(4月25日発売予定)を楽しみにして頂きたい。杏子氏は最近『手紙歳時記』(白水社)を刊行され、それに因んで、杏子氏が主宰されている「藍生」3月号は「手紙」の特集である。愚生は手紙の仕舞い方、整理についてはとんと自信がないどころか、散逸するにまかせられている。いくつかの大事な手紙もあったはずだが、引越しなどでどこに行ったか分らないという体たらくだ。

もう一昔も前もことになるが、三橋敏雄氏が亡くなられて、間もない頃に、小田原のお宅に伺ったことがある

。夫人の三橋孝子さんに書斎に入れていただいたが、手紙類はもののみごとに差出人ごとに輪ゴムや紐で束ねられていた。愚生には及びもつかないキチンとした整理魔でもあったのだ。三橋氏の書かれる文に派手さはないが、実に緻密に事実に即してかかれていて、その信頼すべきは比類をみなかったのもこうした事情がることが即座にうべなわれた。

三橋敏雄氏の手紙の痛恨の思い出は、普段はハガキくらいしかいただいたことはないのだが、八王子の三橋氏の家が詐欺によって失われたときの手紙で、その当人の実名も書かれたものであったが、遠山陽子著『評伝・三橋敏雄ーしたたかなダンディズムー』連載の折に、そのお手紙を遠山氏にお渡しするつもりで探したのだが、ついにどこにもなかったことだ。そのほか、学生時代に赤尾兜子からいただいたハガキ・・。これは京都に居たときで、その後、鞄一つで東京に流れついているので、無くなって当然といえばとうぜんなのだが、今頃、その申し訳なさに臍を噛んでいるのである(兜子には、ついに会わずじまいだった)。

イヌフグリ↓

イヌフグリvol.4

閑話休題・・・・

これも昨日のことだが、地下鉄・高田馬場駅で帰路の広渡敬雄氏とお会いした。愚生は飯田橋まで出る用向きがあったので、一緒に電車に乗った。広渡氏の自宅は千葉だそうだから地下鉄東西線で通勤されているのだ。会社が高田馬場にあるとおっしゃっていた。山登りは相当に達者らしい。師は能村登四郎。その悼みの句に、

     ねんごろに蛍袋に触れゐたる       敬雄

の句がある。

能村登四郎「蛍袋に指入れて人悼みけり」句に拠っている。広渡氏、昨年の角川俳句賞の受賞者・・というのが通りがいいかも知れない。

スイセン↓

スイセンvol.3

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